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懸想する殿下の溜息  作者: 森崎緩
近衛隊長の溜息
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見えない目が欲しかった

 アロイスは耳を疑った。

 さっと面を上げ、椅子に腰かける主に問い返した。

「殿下。今、何と仰いました?」

 近頃とみに機嫌のよい主は、白金色の髪を揺らして答える。

「ルドミラ嬢と仲直りをして欲しい、と言ったのだ」


 話があると、居室へ招かれた直後のことだった。

 改まった様子で呼びつけられ、さぞ大事な話なのだろうと身構えていればその一言だ。拍子抜けもしたし、それ以前に聞きたくない言葉だった。いかに忠誠を誓う相手からの頼みであろうとも。

 無理でございます。

 と、危うく即答しかけた。

 カレル殿下がそんな答えを望んでいないのはわかっている。忠臣として口にするべき言葉は理解もしている。しかし胸中は非常に複雑だった。


「お言葉を返すようですが、殿下」

 アロイスはひざまずいたまま、慎重に語を継いだ。

「かの令嬢と私は、喧嘩をしているわけではございません。仲直りとは、我々の場合いささか不適当な言葉ではないかと」

 そもそもかの令嬢とは、喧嘩をするほどの親しい間柄ですらない。

 こちらは才能だけでのし上がった平民の出、あちらは生まれながらにして身分貴きご令嬢だ。ルドミラがいかに喧嘩を売ってこようが、アロイスの側に買う気はない。壮年期を迎えたアロイスには、その程度の分別と忍耐力は備わっていた。

 ところが、かの令嬢の喧嘩の売りようと言ったら強欲な行商人も真っ青の熱心さだ。顔を合わせる度に嫌味を言われ睨まれ噛みつかれれば、アロイスとて余計な一言が飛び出してしまうこともある。

 そんな状況を果たして喧嘩と呼んでもいいものだろうか。

「ふむ」

 カレルが唸った。

 アロイスの反論に気分を害した様子はなく、考え込むように眉根を寄せる。

「では、何と言えば適当だと申すか」

「……どうとも、言い表しがたいところでございます」

 そもそもの部分から話さねばと、アロイスは恭しく続ける。

「殿下はご存知でしょうが、私は以前、かの令嬢へ非礼を詫びました。それもかなりはっきりと、詫び以外の受け取り方のないように」


 アロイスがかつて、ルドミラに対して非礼を働いたのは事実だ。


 そもそもの発端は、カレルが近侍のマリエを伴い、城を抜け出し街へ出かけたことだった。

 ルドミラは留守番役として、あたかも複数の話し声がするように演技をしていた。それはもう涙ぐましい演技ぶりだったそうだが、居室前で見張りをしていた近衛兵は異変に気づき、隊長であるアロイスに報告を寄越した。

 アロイスはルドミラの熱演にしばし聞き耳を立てた後、王子殿下の声がしないことを確かめた。そして不意を打ってカレルの居室へ突入し、たった一人残っていたルドミラに、カレルとマリエの行方を尋ねた。

 かの令嬢は強情だった。宥めすかしても軽く脅かしても、一向に口を割る気配はなかった。室内から縄梯子が見つかっても尚、つんと澄ました顔でいた。

 これが平民の娘なら何とでもなるのだが、相手は曲がりなりにも貴族令嬢。しかもカレル殿下の妃候補として名の挙がっている令嬢でもある。手荒な真似はできないと考えあぐねた末、アロイスの取った手段は、カレルの捜索にルドミラを同行させるというものだった。ルドミラは令嬢らしからぬ暴れっぷりで必死の抵抗を見せたが、そこはやはり小娘。近衛隊長として日々鍛錬を怠らないアロイスの敵ではなく――件の『非礼』へと相成ったわけだ。


 もっとも当の令嬢に言わせれば、アロイスの振る舞いは、

『非礼なんて一言で表せるものではない』

 らしく、

『わたくしを絨毯か何かのように抱えて運んでいった挙句、地面に放り出して転がしておくだなんて狼藉、忘れようと思っても忘れられない』

 のだそうだ。

 その物言いは敵ながらあっぱれの痛快さであり、後で思い返すとなかなかに面白かったのだが、詫びた直後にそれを言われた時はさすがに頭に来た。


 それでアロイスは、ルドミラに聞き返したのだ。

「かの令嬢が私の謝罪を気に入らぬ様子でしたから、では何と申し上げれば満足ですかと尋ねたところ、何も言わなくて結構と切り返された次第でございます」

 正直に答えたアロイスを、カレルは苦笑いで見やる。

「ルドミラ嬢は詫びの言葉を聞くのが好きではないそうだ。――そうだったな、マリエ?」

 カレルの視線を追えば、居室の片隅に佇む近侍の娘が目に留まる。

 問われたマリエは微笑んで、控えめに頷いた。それでカレルも満足げに頷き返し、青い目を細める。たったそれだけのやり取りで、室内の空気がにわかに甘ったるくなる。ただの記憶の確認だけではなく、眼差しで想いを通わせる様子がアロイスにも窺えた。

 場違いに込み上げてくる笑いを、アロイスはどうにか噛み殺す。目合い一つ取っても、お二人の姿は独り者には目の毒だ。

「ただ詫びたのではルドミラ嬢の機嫌は直せまい」

 カレルはアロイスに向き直り、もっともらしく尋ねた。

「やはりここは、お前が機嫌を取るように振る舞うのがよいだろう」

 途端にアロイスの口元から笑みが引っ込む。気分もがくりと沈下して、思わず顔を顰めた。

「私が、でございますか」

「他に誰がいる。アロイス、これはお前の役目だ」

「はあ……しかし、お言葉ですが」

 詫びも要らない、何も言わなくてもよいと向こうが突っ撥ねているのだから、ならばこちらも黙しているのがよいだろうというのがアロイスの考え方だった。

 非礼を詫びてからも数回、ルドミラとは顔を合わせている。だがただの一度として、まともな会話になりはしなかった。こちらが短い挨拶を告げると、ルドミラはきつく睨みつけた上で不平不満を口にしていく。彼女は近衛兵そのものにも不穏な感情を抱いているようだが、率いる隊長に対してはこと強烈で、しかも真っ直ぐにぶつけてくるから質が悪い。現在のところ派手な口論にまでは発展していないが、よくて武装中立の関係が続いていた。

 だからこそアロイスは反論する。

「私がかの令嬢と、広義に解釈した『仲直り』をする意味が果たしてございますでしょうか」


 今の関係がよいものであるとは思えない。

 だが十八の小娘に散々噛みつかれて、それでも尚にこにこと受け流すには、アロイスはまだ若かった。当年とって三十六、未だ血気盛んな年頃だ。そうでなければ腕白盛りの身辺警護など到底やってはいられない。

 ともあれアロイスはそういう気質で、おまけに口さがない男である。今更ルドミラの機嫌を取って宥めすかすことなどできるはずもなく、かの令嬢との関係改善に光明は見い出せそうにない。


 しかし、かの令嬢と同い年の主は言う。

「お前に話していたな、アロイス。来るべき時が来たならば、更なる大役を授けると」

「記憶しております。この上なき光栄でございます」

 アロイスは頭を垂れる。

 自らの役目は理解している。その時が来れば命どころか、近衛隊長の立場をも擲つつもりだった。主の大切な方を守る為、ただその為だけに剣を振るう覚悟もできている。

「そしてルドミラ嬢は、歴史の真実を知る数少ない人間となるはずだ」

 カレルはそう口にした後で、面映そうな笑い声を立てた。

「いや、もっと単純な話だな。ルドミラ嬢は友人だ、私にとっても、マリエにとっても。先のことを考えるなら、お前にも是非そうあって欲しいと思う」

 無理でございます。

 喉元まで出かかっていた言葉を、アロイスは何とか飲み込む。

 腕白盛りを抜け出そうとしている主の顔は、確かに先の未来を見据えていた。自分が諦念に囚われて、主の決意に水を差すのはどうだろう。

 それでもよくよく考えれば、やはり無理に違いないと思えて仕方がなかったが。

「それでだ。マリエが良案を考えてくれた」

 再びカレルが近侍に目を向け、マリエはしっとりと微笑んだ。

 この近侍の娘は生真面目すぎるほど生真面目で、身体つきだけならよく育って女らしいのにもかかわらず、色気など備えていないように禁欲的な雰囲気をまとい続けていた。無骨な男だらけの近衛兵とは共に仕事をする場も多く、彼らにとって身近な異性の一人であるはずだが、彼らがマリエを異性として見ているそぶりは皆無だった。無論、横恋慕の相手があまりに畏れ多い存在だからというのもあるだろうが。

 しかし近頃のマリエが見せる表情は、時折はっとするほど艶めいている。

 懸想の力はこうも人を変えるのかと、アロイスは密かに感心していた。

「マリエがひもといたものの本によれば、仲直りをする時に肝要なのは、当事者同士が手を携え、一つの物事をやり遂げることだそうだ」

 アロイスの心中など知らぬカレルが、真剣な口調で続ける。

「共同作業を行うことにより、それまでのわだかまりが解け、相手に共感を覚え、そして易しく理解し合えるようになるらしい。そうだったな、マリエ」

「はい、殿下」

 随分と都合のいい話に聞こえるが、果たして効果は確かなのだろうか。アロイスは首を捻りたくなるのを必死に堪えた。

 尚もカレルは語る。

「ルドミラ嬢は読書が、それも歴史書を読むのが好きとのことだ。私からすればおよそ奇特な嗜好と思えるが、まあ好き好きだからな。元々風変わりな令嬢でもあることだし」

 かつて勉強嫌いで名を馳せたカレルに言われるのは、さすがのルドミラも不本意だろう。

「以前、城の書庫へ行きたいと望んでいた。私はそれを叶えてやろうと思っている。その時、お前も帯同し、ルドミラ嬢の手助けをして欲しい。そうすることで仲直りにも一歩近づくであろう」

 夢のような話に聞こえる。

 この場合は、悪い夢だ。

「はあ」

 寝惚けたような声を立てた後、アロイスは我に返って尋ねる。

「しかし、殿下。書庫でなすべき手助けとおっしゃいますと」

「うむ。例えばだな、本棚の高いところにある本をさりげなく取ってやったり、ルドミラ嬢が本を抱えていたならばさりげなく手を貸してやったり、あるいは書庫は冷えるからとさりげなく上着をかけてやったりするなど、そういうことだ。わかるか」

 わかることはわかる。

 だが、そのどれもが手痛く撥ねつけられそうな気もする。相手はあのルドミラであり、そしてこちらは彼女に誰よりも嫌われている全ての元凶たる近衛隊長だ。何をしようが何を言おうが、今更挽回など出来はしないだろう。

「できるだけのことはいたします」

 結果は火を見るより明らかだったので、アロイスは曖昧に答えた。

「やってくれるか」

「仰せの通りに。かの令嬢から拒絶されない限りは」


 アロイスは腹を括っていた。

 どちらかといえば、良案とやらのせいでかえって拗れて、今以上に険悪な関係になる可能性への覚悟だ。

 ルドミラと同じ時間を過ごしたところで、事態が好転するとはどうしても思えない。

 しかし主の意思は尊重したくもあり、何もしないうちから諦めるというのも性分には合わない。小娘の敵意などさしたる脅威ではないが、不快感がないわけでもないのだ。何とかできるものならしたい。できるとは思えないが。

 ともかくもやるだけやって、駄目になってから放り出そう。

 むしろ放り出す気満々で、アロイスは覚悟を決めた。


「何、そう案ずることもない」

 カレルは事を楽観的に見ているようだ。

「ルドミラ嬢は勝気ではあるが、あれでなかなか心優しい婦人だ。年頃の娘らしい細やかさもある。いざとなれば向こうの方から気を配ってくれるかもしれぬ」

 心優しく細やかで気を配ってくれるらしいルドミラを、アロイスは想像することさえできない。靄がかかった思索を巡らせていれば、カレルはにこやかな笑顔を近侍へと向けていた。

「どうやら上手くいきそうだな、マリエ」

「はい、殿下」

 たったそれだけの会話の為に、いちいち視線を合わせなくてもいいのに。

 微笑ましさ半分、呆れ半分でアロイスは思う。


 近頃のお二人はいつもこうだ。

 一日に何度、ああやって視線を交わせば気が済むのだろう。紆余曲折合って成就した恋人たちとは得てしてあんなものだろうし、仲睦まじいのはよいことに違いないが、せめて二人きりの時に思う存分やっていただきたいものだ。

 独り身の人間には、やはりいささか目の毒だった。


 眼前の甘ったるい空気と、少し先の憂鬱な未来から、アロイスはあえて目を逸らす。

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