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懸想する殿下の溜息  作者: 森崎緩
懸想する殿下の溜息
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天才(2)

 マリエは主の元に駆けつけると、その足元にひざまずいた。

「殿下、申し訳ございません」

 小声で詫びたマリエに対し、カレルは歯を剥き出しにしてみせる。

「誰が謝れと言った」

「ですが、わたくし、出すぎた振る舞いを……」

「言っておくが、私は断じて、拗ねているわけではないからな」

 続く謝罪を遮り、強硬に言い張ってみせる。だがマリエの目にさえ拗ねているそぶりは明らかで、それはカレル自身もよくわかっているのだろう。気まずげにそっぽを向いた。

「ただ、随分と楽しげではないか。お前のあんな顔は久方ぶりに見たぞ」

「そんなことは……」

 マリエは否定しようとしたが、そこに涼しげな声が割り込んだ。

「殿下は、婦人を楽しませることが全くおできにならない方ですのね」

 本を読むルドミラが、カレルには目もくれずにそう言った。

 当然ながらそれは火に油を注ぐようなものだ。マリエがはらはらする横で、カレルが青い目を眇めた。

「何か申したか、ルドミラ嬢」

「あら、お耳に届きませんでした?」

 ルドミラは面を上げず、冷たい声で応じた。

「殿下は婦人の扱いがことごとく不得手でいらっしゃる、と申し上げましたのよ」

 それはカレルにとって耳が痛い指摘だったようだ。むっとして椅子から立ち上がったかと思うと、卓に手をついて反論する。

「あなたこそ、かような喧嘩腰でよくも『引く手あまた』と申せたものだ」

「わたくしだって、どこにでも愛嬌を振りまくほど暇ではございませんもの」

「私に振りまく愛嬌はないと?」

「ございませんわね。その価値も見い出せませんし」

 にべもなく答えたルドミラが、その後でカレルを一瞥する。本で口元を隠しながら言い添えた。

「殿下こそ、わたくしなど構っている場合ではございませんでしょう? 他にお相手をなさるべき婦人がいるようですし――それだって、殿下ならさぞかしお上手になさるのでしょうけど」

 令嬢の発言が皮肉であることは、マリエにもわかった。

 カレルはぎりぎりと歯噛みした後、怒りをを堪えようとしてか再び息を吸い込んだ。

「マリエ、近くに」

「……はい、殿下」

 震える声に呼びつけられて恐る恐る返事をすれば、カレルはマリエの肘を掴んで引き寄せる。耳元に顔を近づけ、決して小さくない声量で囁いた。

「こうなったら、お前があの令嬢の相手をせよ」

 マリエは耳を疑った。

「――ご、ご冗談を」

 近侍ごときが客人の相手をするなど、不躾にも程がある。マリエは慌てたが、カレルは平然としていた。

「かの令嬢は私に気を遣うつもりはないと申した。ならばこちらも、わざわざ世辞を言ってもてなす必要はあるまい。どうやらお前の方が話も合うようだし、私はもう大儀だ。全てお前に任せる」

「殿下、お言葉ですが」

 マリエが取り成そうと口を開けば、

「わたくしも別に構いませんのよ」

 ルドミラもやはり平然と主従の会話に加わってきた。

「殿下がわたくしの相手をしてくださらなくても構いませんわ。そちらの近侍の方と仲良くお話いたしますもの。もっとも、近侍をわたくしに取られたからと言って、悋気などなさいませんよう」

 すらすらと煽るルドミラを、カレルは頬を赤々と燃やして睨む。

「何を申す、無礼な」

 一触即発の空気が訪れた。


 マリエは危機感を抱いていた。

 予想はしていたが、カレルとルドミラはお互いに歓談を楽しむ気はないらしい。口を開けば諍いが生じ、黙っていても空気が悪い。立ち会うマリエとしても気が気でなかった。

 しかしそうは言っても、こういった難局を解決することこそが従者の務めであるはずだった。ましてマリエは二人の間に軋轢を生じさせた要因でもある。何か自分に、せめてこの場を和ませる手立てはないかと思案に暮れた。

 マリエは剣を振るうこともできず、歴史書を読むこともしない。読むのは例の求婚云々だとか、愛を語る詩集だとか、甘い恋のお伽話などだった。それも主の為にと思って目を通している為、身につく知識は偏っていくばかりだ。

 何か場の空気を変えるような話題でも提示すればいいのかもしれない。楽しく、軽く、物珍しさゆえに興味を引くような話題を。気まずい沈黙の中、マリエはここ最近の出来事などを思い返し、考えに考え、そして――。

 一つ見つけた。


「あの、ルドミラ様」

 マリエはおずおず口を開き、ルドミラとカレルからそれぞれ、鋭い眼差しを向けられた。二人分の眼光に一瞬臆したが、勇気を奮い立たせて続ける。

「ルドミラ様は、お芝居に興味はおありですか」

 マリエが切り出したのは、芝居の話だった。

 もっとも、マリエ自身には観劇の経験などない。カレルから聞かされた街で評判の芝居の話が、強く印象に残っているだけだった。あれはもしかすると、ルドミラの気をも引くかもしれない。そうすれば二人の会話の糸口にもなるとマリエは目論んだ。

「お芝居?」

 やけに慎重に、ルドミラが聞き返してくる。

 マリエは頷き、更に続けた。

「今、街で評判のお芝居があるのをご存知でしょうか。殿下は近頃そのお芝居に興味をお持ちなのです」

「街で、ですって?」

 ルドミラの顔色が変わる。

 そのことに、マリエはすぐには気づけなかった。

「はい、何でも、滑稽で愉快で、顔に色を塗った方々が、おどけた芝居をなさるのだと――」

「あなた、聞いていたの?」

 突き刺すような声が、マリエの言葉を遮った。

 マリエがはっとする眼前で、ルドミラは柳眉を逆立てる。先程のカレルと同じように頬を燃やしてマリエを睨みつけた。

「お父様ね! わたくしの所業を殿下のお耳にも吹き込んだのでしょう! それとも他の、どこぞのご令嬢かしら? わたくしの悪評でも立てたいとお思いの方がいらっしゃるの? あいにくですけどわたくし、ちっとも懲りておりませんのよ! あんなことでわたくしの価値が下がるとも思っていませんもの!」

 怒りと恥じらいがないまぜになった口調で、澱みなくまくし立ててきた。

 一体、今の話題の何が令嬢の怒りを買ったのだろう。マリエは驚くばかりだったが、それはカレルもまた同じだったようだ。

「何のことだ?」

 カレルが訝しげに尋ねると、ルドミラは結い上げた髪をぶんと揺らす。

「近侍の者に尋ねてみてはいかがです、殿下!」

 それでカレルはマリエに水を向けてくる。

「どういうことだ、マリエ」

「いえ、わたくしにもさっぱり……」

 マリエはうろたえ、かぶりを振った。

 だがルドミラは激した様子で糾弾してくる。

「誤魔化さなくても結構よ! わたくしが屋敷をこっそり抜け出して、街までお芝居を観に行ったこと、もう殿下のお耳にも入っているのでしょう!」

「屋敷を抜け出し……」

「お芝居を、観に行かれた……のですか」

 カレルとマリエは思わず顔を見合わせた。どうもどこかで聞いたような話だ。つい最近、マリエはその話を別の人物からされていた。だがやんちゃ盛りの主ならともかく、聡明なルドミラが同じことを企て、実行したとは思えない。

 いや、聡明だからこそ実行できたと言うべきなのかもしれない。

 肩で息をする令嬢は、二人のぽかんとする表情にようやく気づいたようだ。瞬きを繰り返しながら、二つの顔を見比べる。

「あ……あら、違いましたの……?」


 室内はしばらくの間、奇妙な沈黙に支配されていた。

 先程まで漂っていた一触即発の雰囲気とは違い、三人それぞれが思惑を抱き、思案を巡らせているような静けさだった。


 ややあってから、沈黙を率先して破ったのは、カレルだった。

「ルドミラ嬢」

 いつになく親しみを込めた口調で、令嬢の名を呼んだ。

「その話、よければ聞かせて貰えぬだろうか。あなたは芝居を観ることが叶ったのか?」

 ルドミラは頬を上気させ、またカレルとマリエの顔を眺め回した。やや釈然としない様子で、それでも飾らぬ口ぶりで答える。

「ええ、たっぷり堪能いたしましたわ」

「首尾よく屋敷を抜け出せたのだな」

「ええ。でも、帰り道に捕まってしまいましたの」

「なるほど。私はその詳細が聞きたい」

 カレルが促すと、令嬢は何か思い当たったようだった。唇の両端を吊り上げ、にっこりと微笑んだ。

「よろしいですわよ、殿下」

 親しみと共感と、わずかな企みを忍ばせた笑みだった。マリエの知る限り、それはカレルが悪戯を働く時の笑い方に似ていた。

 姿勢を正し、ハンカチで汗の浮く額を押さえた後、ルドミラは上品に声を潜めた。

「わたくしの話、殿下に楽しんでいただけますかしら」

「ああ。大いに興味がある。できれば細部にわたって聞かせてもらいたい」

 カレルも先程までの態度はどこへやら、愛想よく彼女を促した。


 果たして興味を持たせていいものか、マリエはただ一人、戦々恐々としていた。

 ルドミラはあらゆる意味で才媛であるらしい。彼女の知恵と策略は、恐らくカレルに大きな影響を及ぼすことだろう。

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