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懸想する殿下の溜息  作者: 森崎緩
懸想する殿下の溜息
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冷静沈着(2)

「近頃はご婦人の方から求婚をなさる場合があるのですか。お若い方は情熱的だ」

 冗談めかしてアロイスは言ったが、目は既に笑っていなかった。

「ましてやあなたのような生真面目な方が求婚を考えられているとは。どういったご事情なのか、詮索をしたくなります」

 どうやら失言をしたようだ。明らかに不審がられている。

 本当に詮索をされては堪らない。マリエは本を受け取るなり、急いで席を立った。

「あの、ご用はこれで終わりでしょうか? わたくしはそろそろお暇を……」

 言い終わるか終わらぬうちに立ち去ろうとしたところを、

「お待ちを」

 冷静な口調で、アロイスが引き止めた。

 背筋が震えた。立ち止まらないわけにもいかず、恐る恐る振り返る。近衛隊長はまだ穏やかに笑みながら、卓上に残されたものを指差す。

「明かりをお忘れですよ、マリエ殿」

「……失念しておりました」

 マリエは仕方なく後戻りし、落ち着かぬ心地でランタンを取り上げる。

 アロイスはマリエのあからさまな動揺ぶりを見守った後、場を去る隙は与えずに唇を開いた。

「実のところ私は、察しがついているのです。殿下が何に煩悶しておられるか」

「え……!」

 声を上げかけ、とっさにマリエは口を噤んだ。

 そこまで気づかれているとは信じがたい。あの十代で甘美な秘密を、カレルはマリエにだけ打ち明けると言った。いかに忠臣とは言え、アロイスにも打ち明けたとは考えにくい。

 あるいはそれほどに、カレルのそぶりがアロイスにはわかりやすかったというのだろうか。告白されるまで、一番近くにいたはずのマリエは何も気づけなかったのに。

「あの方には、想う方がおいでなのでしょう」

 そう口にした時も、アロイスは極めて冷静沈着だった。

 マリエも冷静であろうとはしたが、不可能だった。

「……そのような、ことは」

 喉が詰まり、否定の言葉が続かない。

 いや、知らないと答えなくてはならなかった。知らぬ存ぜぬで切り抜けるのがマリエのなすべきことだった。

 だが時既に遅く、アロイスは鋭い眼差しをマリエに向けていた。

「お答えにならなくとも構いませんよ、マリエ殿」

 畳みかけるように彼は続ける。

「あなたにも守らねばならないものがおありだ。私とて、若いご婦人を尋問にかける趣味はありません。真実を全て詳らかにしたいわけでもない」

 マリエはその言葉を愕然と聞いていた。もはや表情を偽ることすら不可能だった。

「ただ、一つだけ確かめたいことがあるのです」

「な……何でしょう」

 かさついた声になった。

「あなたは何もお答えにならなくとも結構。私の話を聞いてくださればよいだけです」

 対照的にアロイスはなめらかに言ってのけた後、再び椅子を引いた。マリエに座るよう勧めてくる。

 項垂れたマリエが腰を下ろすと、彼自身も隣の椅子に腰かけた。


 黴の臭いがする書庫に、ランタンの炎が二つ、揺れている。

 マリエが焦れるだけの間をたっぷり置いてから、アロイスはようやく話し始めた。

「察しがついたきっかけは、あの方のそぶりでした」

 二人きりの空間にもかかわらず、彼は慎重に声を潜めている。

「物思いに耽られたり、一人で照れたり怒ったりなさっていたことも相当に不審でした。ですが何よりも不審だったのは、殿下が剣術の稽古をつけるように仰ったことです。それも他の者ではなく、私に」

 数日前、カレルとアロイスが城の中庭で刃を交えていたのをマリエも目撃していた。まるで実戦さながらの鬼気迫る様子に、恐れをなしたことも記憶に新しい。

「殿下は私に、決して手を抜かぬようにと命ぜられました」

 アロイスが静かに語を継ぐ。

「そうは仰られてもお怪我でもさせては一大事。才能をお持ちであることは存じておりましたが、万に一つのことでもあれば私の首も飛びかねん危険なご命令です」

 全くだ。マリエは黙って頷いた。

「なのに、あの方はどうしても強くなりたいのだと仰るのです。自分に才能があるのなら、それに更なる磨きをかけて、誰よりも強くなりたいのだと」

 アロイスの語り口は淡々としていたが、どことなく愉快そうでもあった。ちらとマリエに向けた双眸も笑んでいる。先程までの苛烈さは消え失せていて、その態度にマリエは戸惑いを感じていた。

「どういうことか、おわかりになりますか」

 尋ねられ、マリエはぎこちなく首を振る。

「い、いいえ」

 アロイスはその答えを予想していたようで、すんなりと答えを口にした

「男が、しかも若い男が強くなりたいなどと言い出す時は、大抵は不純な動機があるものです。せいぜいが惚れた女を守りたいとか何とか、そんなものでしょう。そういう時の若者の情熱には敵いません。カレル殿下も微笑ましくもお年頃なのだろうと、ご命令に従いました」

「は、はあ……」

 一転して明け透けな物言いになるアロイスに、聞いていたマリエも思わずぽかんとする。

 澄ました顔のアロイスは、そこでわざとらしく咳払いをした。

「失礼。――ともあれ、殿下のお悩み事は察しがつきました。それに、あの方が懸想していらっしゃる、守りたいとお思いになられたお相手についても」

 ――まさか。

 マリエは声を上げそうになるのをすんでのところで堪えた。

 

 カレルの懸想の相手を、マリエはまだ知らなかった。知らされてもいなければ、心当たりも全くないのが実情だった。

 だからアロイスの言葉には驚かされた。

 そして次に、知りたいという欲求が込み上げてきた。

 懸想の相手は誰か、知りたい。カレル本人には尋ねられないことだからこそ知りたい。どんな婦人かだけでもわかれば、もう少し役立つ助言と手助けができるかもしれない。

 カレルは一向にかの婦人の名を口にしない。マリエには言うつもりがないのかもしれない。そのことに不満こそないものの、気になって仕方がないのも事実だ。

 しかし一方で、知りたいと思うことに罪悪感を覚えた。

 カレルが秘している真実を、推測だけで暴き立ててまで得たいとは思わなかった。

 あの方が口を閉ざしているのなら、それに黙して従うのが本分ではないだろうか。


「アロイス様」

 欲求を堪えて、マリエはアロイスに告げた。

「わたくしはこの件について何も存じません。何も存じ上げないとしか申し上げられません」

「ええ、そうでしょうとも」

 アロイスがわかりきっているように相槌を打つ。

 そこでマリエは語気を強めた。

「ですが、だからといって真実ではないかもしれないことを口の端に乗せるのは、好ましくないと存じます。わたくしにとっては殿下のお言葉こそが唯一の真実なのです」

 マリエは真っ直ぐに近衛隊長を見据えた。

 普段は険しく、近づきがたい印象しかない相手だ。それでも一歩も引く気はなかった。

「殿下が何も仰らないなら、殿下のいらっしゃらないところで噂し合うような真似はよしましょう。殿下にも、あなたが思っていらっしゃる『ご婦人』にもご迷惑がかかってしまいます」

 そこでマリエは言葉を止め、眼前に座るアロイスの反応を待った。

 言動を咎められたにもかかわらず、アロイスは腹を立てているわけではないようだった。むしろ瞳の中にくるくると光を躍らせ、愉快そうにマリエを見ていた。

「……なるほど、マリエ殿の仰る通りです」

 やがて、アロイスは満足げに息をついた。

 マリエがほっと胸を撫で下ろす。

「わかってくださいましたか、アロイス様」

「もちろんです。私も殿下に仕える身、殿下のお気持ちが何より肝要と存じております」

「よかった……差し出がましい発言をどうぞお許しくださいませ」

 兵を率いる隊長の実直そうな物言いに、マリエも微笑を浮かべて頭を下げた。

 するとアロイスも目を細め、口元をほころばせる。

「しかし、あなたはさすがだ」

 彼はうっすらと髭が生えた顎をさすり、腑に落ちた様子を見せた。

「殿下への揺るぎない忠心と献身、信頼の成り立つ土壌を見た思いです。あなたこそ、まさに特別な『ご婦人』であると思いますよ、マリエ殿」

 どこか含むような物言いをされた気がしたが――誉められたのには違いない。マリエは戸惑いつつはにかんだ。

「い、いえそのような、もったいないお褒めの言葉です。わたくしは近侍として、ごく当たり前のことをしているまでです」

 誉め言葉だとマリエは思った。あまりにも素直に受け取った。

 だが告げた方は、そういう意図ではなかったらしい。

「――いささか、鈍くていらっしゃるようだが」

 ぼそりと言ったアロイスが、次の瞬間、音もなく席を立つ。

 そして卓上のランタンを取り上げると、きょとんとするマリエを見下ろし、困ったように眉尻を下げた。

「ときに、マリエ殿。そちらの『求婚入門』には、求婚された場合の後腐れない断り方などは載っておりますか?」

 告げられたのは奇妙な問いだ。

 訳もわからぬまま、マリエは正直に答えた。

「いいえ。この本には、求婚の仕方そのものしか載っておりません」

「それは重畳。あなたが参考になさる機会が、現実にあるかもしれませんから」

 アロイスは淡々と言い放つと、大仰に一礼した。

「その時は是非とも素直に受け取ってくださいますよう、私からもお願い申し上げます」

「何のことでございましょう?」

「お察しください。では、失礼」

 マリエの疑問には一切答えず、アロイスは足早に書庫を去っていった。


 風が一迅吹き抜けて、ランタンの炎が揺れる。

「え……? 今のは、どういう……」

 首を傾げるマリエの手には、実践の機会があるかは怪しい『求婚入門』が握られていた。

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