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懸想する殿下の溜息  作者: 森崎緩
後日談
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マリエの探偵物語:ミラン編

 仕事を終えた夜、マリエは自室に弟を招き入れた。

「ミラン、あなたに相談したいことがあります」

 そう持ちかけると、ミランは黒い瞳を輝かせた。

「ねえさま……頼りにしていただけて嬉しゅうございます!」

「ありがとう、ミラン。あなたが頼れる弟で幸いでした」

 マリエも安堵しつつ、昨夜の出来事を話して聞かせることにした。


 無論、『なぜ夜遅くに主の部屋を訪ねたか』という点は省かなければならなかったが――それ以外のことについては可能な限り事細かく打ち明けた。

 廊下で聞いた大きな物音。散らかった部屋。開け放たれた窓。

 そして、マリエを追い返そうとしたカレル。

 一つ一つは些細な事柄だが、こうも重なるとやはり引っかかる。


「ねえさまは、殿下が何かをお隠しになっているとお考えなのですね」

 ミランは漠然とした姉の話にも真剣に聞き入ってくれた。

 そして全て聞き終えると、あどけない顔に思案の色を浮かべて唸った。

「仰る通り、お話の中の殿下のご様子はいささか奇妙に思えます」

「ええ。どこがどう、とは言えないのですが……」

「そもそもお部屋で転ばれた、というのは本当なのでございましょうか」

「わかりません……」

 そのことが嘘だとすれば、何の為の嘘なのかという疑問が浮上する。

 カレルが転んだふりをしてでもマリエに隠したかったものとは何だろうか。

 首を傾げるマリエに、ふとミランが目を瞬かせる。

「時にねえさま、首のところはどうなさったのですか」

 マリエはその首に、傷の手当てに使う綿紗を貼りつけていた。昨夜つけられた痕を隠す為だったが、弟に見咎められるのはかなり気まずい。

「い、いえこれは、ほんの少し擦りむいただけです」

「ええっ。お怪我をされたのですか、ねえさま!」

「大したものではありません。心配することなど――」

 気を揉む弟を宥めようとして、ふとマリエは気づく。


 そういえば、昨夜は他にもおかしなことがあった。

 部屋から物音がした時、近衛兵達が微動だにしなかったことだ。

 よく訓練された兵達は、普段なら室内の異変を察知してすぐに反応するものだった。なぜあの時は動かなかったのだろう。それどころか室内で転んだというカレルを案じることすらしなかった。


「やはり……転んだと仰ったのは嘘なのかもしれません」

 マリエはたった今ひらめいたことをミランに告げた。

 近衛兵達もカレルが隠し事をしていると知っていたのだ。だからこそあの時、何の反応もしなかった。カレルが転んだふりをしてまで隠したかったのは、マリエには見せられぬものということになる。

「殿下がねえさまに秘密をお作りになるとは考えられません」

 ミランは面白くなさそうな顔をしつつもそう言った。

「日頃からねえさまを、あんなにも大切になさっておいでですのに」

「殿下は誰にでも優しく温かな方ですから」

「ねえさまには特に、です」

 少しだけむくれてみせた後、ミランは首を竦めた。

「むしろ、ねえさまに知られたくなかったのだとは考えられませんか」

「どういうことです、ミラン」

「つまり知られるのが恥ずかしいとか、ねえさまに笑われてしまいそうだとか……」

 マリエにとってのカレルは、幼い頃から長い間仕えてきた敬愛すべき対象だ。この期に及んでどんな知られざる姿を見せられようと、笑ったり幻滅したりするなどあるわけがない。

 だがミランにはこの時、一つの考えがまとまりつつあるようだった。

「ねえさま、私には一つだけ心当たりがございます」

「聞きましょう」

「もしかすると殿下は、妖精を呼び寄せようとなさったのではないでしょうか」

「妖精?」

 突飛とも思える単語に、マリエは困惑した。

 ミランは至って真面目に続ける。

「はい。ねえさまもご存知でしょう、お菓子とミルクを置いておくと訪ねてきてくれる妖精のことでございます」


 それはこの国にも伝わる、ごくありふれたおとぎ話の一つだ。

 そうして招き入れた妖精は、部屋の主が眠っている間に仕事を片づけてくれたり、ささやかな願いを叶えてくれたりするのだという。

 子供の頃なら誰もが信じているが、大人になると信じるのをやめてしまう。妖精とはそんな存在だった。


「殿下はもう十九歳になられたのですよ。妖精など――」

 マリエはそう言いかけて、目の前の弟が十歳であることを思い出す。

 慌てて口を噤めば、ミランも恥ずかしそうに両手を振ってみせた。

「あっ、お気遣いなく。私も妖精を信じる歳ではございません」

 しかしその後で声を落とし、

「でも、殿下は信じていらっしゃるのかもしれません」

 と続けた。

「夜中に窓を開けていたのも妖精を招き入れる為であり、クロスを汚したのはミルクを零してしまったから、クルミは妖精にあげるお菓子の代わりに用意したものだったのではないでしょうか」

 ミランはこの説に自信があるようだ。

 確かにマリエが抱いたいくつかの疑問点には説明がつく。カレルなら、妖精を信じていることをマリエには隠そうとするかもしれない。近衛兵達の反応も儀式を知ってのことであれば納得できなくもない。

 カレルが妖精を信じているという事実だけが、何となく信じがたかったが。

「殿下は純真なお方です。子供のように妖精を信じていてもおかしくはございません」

 ミランが自信ありげに言うので、マリエもそう思っておくことにする。

 すっかり大人になってしまったカレルにそんな一面があったなら、それはそれで、とてもいとおしく思う。

「大人になっても妖精を信じていらっしゃるなんて、素敵なことですね」

 マリエがうっとり呟いたのを、ミランはどう捉えたのだろう。

「わ、私も、全く信じていないというわけではございません!」

 慌ててそう言い出すのが、マリエにはおかしくてたまらなかった。


 それからというもの、マリエがカレルを見つめる目は一層温かいものになったようだ。

「……なぜ、そんな目で私を見る」

 カレルが怪訝そうにすれば、マリエはいつも優しく応じる。

「いえ。殿下は素敵な方だなと……改めて思った次第でございます」

 そう言われるとカレルは満更でもない様子だったが、同時にマリエの胸のうちがとても気になっているらしい。

「その目で私を見る時、お前は一体何を考えているのであろうな……」

 見つめ返してくるカレルの問いに、マリエは黙って微笑むのみだ。

 主がまだ妖精を信じているうちは、その純真さを守ってあげたいと思っている。

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