狂都擬音
タキシードを着た少年が屋根の上をケタケタ笑いながら駆けまわっている。
「これまでの勝敗ってどんなもんだっけ?」
「三十七戦二十六勝十引き分けで俺の勝ち越し」
「今日でイーブンだな」
「言ってろ」
少年たちは屋根から屋根に跳び移る。
「いたぞー! 隊長呼んでこーい!!」
下から男の大きな声が聞こえてくる。 男は白衣に見合わない十手をぶんぶん振り回して少年たちを睨んでいた。
少年のうち一人が「まずは一人目、いただき!」と屋根から飛び降りて白衣の男を踏みつけた。 「ぎゃ」と悲鳴をあげて男は気絶し、少年は男から十手を奪って腰に差した。
「吽、ルールはいつも通り! どっちが多く倒すかな!」
「奪った十手の数が倒した数! それでいい、阿?」
「ねーちゃんに捕まったらアウト! じゃあ、スタート!!」
阿と吽は別々に動きだした。 馬より早く、放たれた弓のように高く跳ぶ。 一瞬のうちに碁盤の目状になっている狂都の町のあちこちから物が割れる音や、悲鳴、笑い声、瓦を踏む音が鳴り出す。
バキバキ、ガラガラ、ギャーギャー、ケラケラ、etc……。
これらの騒音もとい擬音は、ここ数ヶ月で狂都の日常になった。 おそるべし狂都の人間。 ちょっとやそこらのことでは動じない。
それ故、私も存分に壊すことができる。
「いーーーーーーたーーーーーーーー!!!」
屋根の瓦を壊しながら疾走する阿にライダーキックよろしく襲い掛かが、前方にひょいっと跳ぶことであっさり躱される。 代わりに家の屋根をブチ破ってしまった。
「おうおう来たな、ねーちゃん」
阿は、まっていたと言わんばかりにニヤリとした顔をした。
「今日はどんなパンツ穿いてんの?」
「可愛いくまさんパンツだ!!」
イノシシのような疾走を見せ、腰に差した真剣で切りかかる。 阿は「子供くせー」と小馬鹿にして横に側転して躱す。 「可愛いだろうが!!」そのまま回し蹴りを放ち、阿の顔面にヒットする。
馬鹿みたいにぶっ飛んでどこかの家に突っ込んだ。 見えない糸でつながれているように私も阿が突っ込んだ家に突撃する。
モウモウと立ち込めるホコリで周りが見えないが「ばあちゃん、このスイカもらうね!」、「塩はいいかね?」と阿とおばあちゃんの会話が聞こえ、すぐに阿が跳び跳ねる音が聞こえた。
私はすぐさま音のした方に走ると、遥か向こうにゴマとなった阿が見えた。
「おばあちゃん、スイカもらうね!」
「塩は?」
「お願い!」
スイカを頬張りながら阿の跳んでいった方に破壊音を置き土産にして跳んでいく。
「甘いな~。 塩はしょっぱいのにスイカにかけると、甘くなるのはどうしてだろうな~」
「それは相乗効果というやつ。 運命的な出会いとも言う」
不意に隣から聞こえてきた声に相づちを打って、ちらりと横に目を向ける。
眠たそうな目をした吽が一玉のスイカを持って、私の隣を跳んでいた。
「その腰にある十手は全部盗ったやつ?」
「ねえちゃんの部下はヘボヘボだからね~」
「それ一つ作るのにいくらするか知っとる?」
「知らん」
「あたしも知らん」
「……捕まえなくていいの?」
「まだあたしのストレス解消、済んでないからいい。 それよりそのスイカよこせ。 切ってやる」
「それはありがたい」と吽はスイカを差し出し、あたしは真っ二つに切った。 半分をあたしに放り投げてしばらくの間、種を吐きながらもくもくを食べた。
「じゃ、俺行くわ。 ねえちゃんもほどほどにな」
「ん」
吽は来た道を戻っていった。
中村静、琴乃葉茜、近江夕莉、人それぞれに名前がある。 あたしにもあったはず。
ある日、学校に登校している時に誰かに名前を名前を呼ばれた気がした。 その声に応えるとあたしはここにいた。 狂都の町に。
初めにあった人は白衣を着た人だった。 手には十手を持って汗だくになっていた。 この人はあたしを見ると「隊長」と言った。
それからあたしは隊長になった。 なぜだか自分の名前が思い出せなかったが、ある意味で都合がよかった。 阿と吽を追いかけるだけで金は入ってくるし、町の人からいろいろ食べ物をもらうことも多かった。 きわめつけは身体能力が人のソレを超えていたことだった。 まるでドラゴンボールのようだった。
高く跳び、早く走れ、身体が反射的に動く。 夢のようだった。 物を壊しても怒られることはないし、次の日には何もかも直っていた。
本当に漫画の世界だった。 そんな感じで初めのうちは楽しかった。 学校もないし、うるさく言うお母さんもいない。 好きな時間に寝て起きて、テキトーに阿と吽を追いかけ食べ物をもらって金ももらう。
そんななかでもあたしは自分の名前を考えていた。 忘れてしまったあたしの名前。 ずっっっと考えても思い出すことができない。 イライラしてくる。
いつしか阿と吽を追いかけることを格好つけてイライラを解消し始めた。 どうせ次の日には元に戻ってるし、阿と吽のせいにもできたし。 とにかく動いていれば余計なことを考えないで済んだ。 だから止まることなく動いて動いて動いて頭の中をいっぱいにした。
『隊長、阿と吽が————』
通信から知らされた場所にあたしは跳んだ。
知らされた場所は有名な神社だった。 危ないことなんか念頭にない狂都人が集まって、神社に不似合いな雰囲気を醸し出していた。
「あ~、ちょっとどいてね。 たいちょーさんが通りますよっと」
背中や肩を叩かれながら人混みを進んでいくと腕組みをして阿と吽が待っていた。
「待ってたぜ!」「待ってたぜ!」
「人が多いから移動だ」「移動だ」
阿と吽のあとについて跳んで、行きついたのは誰かさんの家の屋根だった。
「さてっと、ねえちゃんを元の世界に帰してやるよ」阿は言った。
「俺たちも満足したしね」吽が言った。
「ただ、まぁ……なにもなしに帰すのはおもしろくない」阿が言った。
「「帰りたくば俺たちを倒して見せろ!」」二人が言った。
二人はシュババと戦闘態勢を取ってみせた。
「いや、わかんねぇ。 戦う理由も特にないだろ」
「おいおい……なんでもかんでも理由を求める現代人かよ。 もっと熱血になれよ。 ちんこ付いてるだろ?」
「ほしいけど、付いてねぇわ!」
「ねえちゃんを元に戻すには名前を言うしかないの! ねえちゃん、自分の名前言えるの!」
「言えないけど、それと戦う事は別じゃん……」
「走馬灯でも見れば思い出すんじゃないかって俺たちは思う」
なるほどなって思う自分は頭のネジが数本飛んでいってしまってることを自覚する。 名前ねぇ……。
「しゃーねーな。 いっちょやるか!」
刀を鞘に納めたまま地面と水平に構える。 「おら! しねー!」二人が当時に走りだし蹴りを放ってくる。 「死ぬのはおめーらだ!」刀を抜き、迫ってくる足を真っ二つにする気で斬りつけたが刃が当たっているのにも関わらず、阿と吽は刀を踏み台にして後方に跳んだ。
あたしは刀の刃を見て、屋根を斬った。 しっかりと斬れた跡が残る。
「なんで斬れないの?」
「そりゃー俺たち人間じゃないもん。 な?」
吽も「な」と言った。 「ついでにねーちゃんもある意味で人間じゃない」とも言った。
「ほぁー」
あんなに高く跳べる人間はまずいないわな。 それはすんなり理解できる。
「それじゃ、あんたらは妖怪みたいなもんなわけ?」
「妖怪……ねぇ。 当たらずも遠からずってとこかな?」
阿が答える。
「俺たちは始まりであり————」
「終わりである」
吽が続いた。
「俺たちは狛犬であり————」
「仁王である」
「俺たちは吐く息であり————」
「吸う息である」
「俺たちは————」
「相対するものである」
二人の難しい話が理解できない。 いつもの感じとは違う。 姿形は変わらないのに何故か他人に思えた。
「……おまえら、本当に阿と吽か?」
「俺たちは————」
「俺たちですよ」
ですよ、か……。 まるっきり違うじゃないか。 あいつらが「です」なんか使うかよ。
「ん、分かった。 面倒事に首を突っ込みたくない。 自分たちが阿と吽ですって言うならそれでいいや。 だったらとっとと走馬灯でも見せてみろや!」
刀を低い位置に構え、棒立ちしている二人に疾走する。 胴を横なぎに一閃する斬撃を放つが、への字に身体を曲げて奇怪に躱す。 そこから阿と吽はバク転の要領で刀を蹴りあげ、二人同時にあたしの腹に拳を叩きこんだ。
目の前が一瞬真っ暗になったと思うと、阿と吽の蹴りが目前まで迫っていた。 ガードをする暇もなく顔面を蹴られ、バウンドしながら屋根を転がる。 かろうじて刀を屋根に差して止まることができたが、視界がぼやける。 頭を振って覚ます。
鼻周りが熱くなってくる。
ポタポタポタ……。
鼻血が垂れる。
あんな衝撃くらっても鼻血で済んでるあたり本当に人間じゃないのか……。 あんなん食らったら普通、死ぬわな。 へっへっへ。
動かすたびに痛みが走る身体を起こして、阿と吽に向き直る。 二人は棒立ちでこちらをじっと見ていた。
ヨユーしゃくしゃくってか。 ムカツクなぁ。
「思い出したか?」
「なーんも。 やり方に疑問すら湧いてくる」
「確かに」
阿は自嘲気味に笑った。
「しかし、他に方法がないのも確か。 しばらく我慢してもらうほかない」
「ガキの頭だから、そんな安直な考えしかできないだけじゃないの?」
「ほぉ……。 ならば他にあるのか?」
「それは……ないけど」
「ならば致し方ない」
阿が跳び出して来た。 あたしは刀を捨てて、阿の猛烈な攻撃を一つ一つさばいていく。 腹、足、右、頭————。 乱撃をさばき続けていると次第に相手の動きが分かってくる。 顔に伸びてきた腕を首をふってかわし、その腕と襟元を掴み体落としを決めた。
「刀持ってるよりこっちの方がやりやすいわ!」
何が起きたのか理解できてない阿の顔面に拳を振り落とした。 阿は鼻血を垂らしながらその場にのびた。
「さ、あとはあんただけでよ」
吽のいたところに向き直ると吽の姿はなかった。 辺りを見渡しても吽を見つけることができなかった。
「これだから、おまえは阿呆なんだ。 簡単にやられおってからに」
吽はあたしの後ろでのびている阿の顔面を蹴り、あたしの方に向き直った。 吽の姿がぶれたと思ったら側頭部に鈍い衝撃が走った。 反射的に腹だを捻って蹴りを放つが、空を切る。 辺りに目を配らしても吽も姿を捉えることができない。
横っ腹を殴られて息が詰まる。 すぐに腕を振るっても空を切るだけ。
舌打をして高く跳んだ。 少しだけでも間を取りたかった。 息をするだけでも一苦労する。
上空から吽の姿を見ると、捨てた刀を拾っていた。 鞘から抜き刃先をこっちに向けて狙いを定めている。
「おいおい、勘弁してくれ……。 負けイベントじゃないんだからさ……」
刀が鉄砲玉のように飛んできて、あたしを串刺しにした。
『君の名は?』
『あいうえお かきくけこ たちつてと————』
『……~~~~。 良い名前だ』
『君の名は?』
『あいうえお かきくけこ たちつてと————』
『……~-~-~。 良い名前だ』
『君の名は?』
『あいうえお かきくけこ たちつてと————』
『……****。 良い名前だ』
『君の————』
幾千万回聞かれた質問。 その都度、あたしは変わった。 着るものや動き方、考え方。 そもそもあたしの意識はあったのだろうか。 自分で考えて動いたことは、実は他の誰かの指示で自分の考えではないかもしれない。 いまこう思っているのだってそう。 ほかの誰かがそうしてるだけかもしれない。
結局のところ『あたし』というものがない。
それはそうだ、あたしは————
「君の名前は? 異邦人」吽が尋ねる。
ぼやけた視界の中であたしは答えた。
「あたしの名前は————」
***
『君の名は?』
『あいうえお かきくけこ たちつてと————』
『……アイリ。 良い名前だ』
あたしの今回の名前は『アイリ』。 あたしはロールプレイをする。
あなたのために————。