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カナリアシリーズ

カナリアは私のことを知らない

作者: 真咲 透子

 長い冬は終わった──。


 冬の間は永遠に続くと思っていた受験勉強も、新しい季節が来た今はそんなことはどこかに追いやってしまった。

 今は4月。だけど肌に触れる風はまだ冷たい。ひと月前に、受験票を片手に緊張と期待を胸に番号を探した。そして、見事私は友達と喜び合ったのだ。


 そして現在。そんなこと遠い彼方だ。私は憂鬱な気分と重い足取りで、教室を目指す。




 一番後ろの窓際の席。


 それが私のクラスの居場所だ。私の名前は渡辺 亜紀なので、名簿が一番最後だった。教科書や問題集で重い鞄を置いた後は、本を開きながら窓の外を眺めるのが私の日課の一つだった。


 もう一つの私の日課は、


「中澤さん、おもしろーい」

「そんなこと全然ないよ!!」

「またまたー。ほんっと天然だよね」


クラスメイトの中澤 ほのかの観察。


 中澤 ほのかは、入学式から目立っていた。亜麻色のさらさな髪に桜色の唇。きらきらしている大きな瞳。どこかに消えてしまいそうな、儚げな美少女だった。


 初めて彼女を見たとき、衝撃が私の中を走った。こんな、女の子の夢見る完成形。そんな存在がいるのか、と。

 入学式の桜の中を友達と楽しそうにお喋りをしている中澤 ほのかとすれ違った。当然だが、私のことなどまるで視界の端にも入っていなかった。すれ違った後まるで、別世界の人間のように思えた。


 私はというと。


 入学早々風邪を引いてしまい、何日か学校を休んでしまった。 次に登校したときには、クラス内でグループができていたのである。友達を作るチャンスを失ってしまった私は、このクラスで一人ぼっちだった。


(まぁ、別にいいけど)


 人と合わせるなんて、私には向かないって中学生のときに嫌っていうほどわかっていたじゃないか。無理に付き合ってもきっと楽しくない。そんな言い訳じみた理由をつけては、孤高とプライドを貫いていた。


 中澤 ほのかは当然のように、クラスの人気者になっていた。彼女も、素直な少女でいつも楽しそうに笑っていた。

 

 私は美しい彼女を、昔飼っていたカナリアになぞって見ていた。かつて私を夢中にしてしまったカナリアに。彼女の姿は、声は、どんな人間だって一瞬で魅了してしまうだろう。

 きっと、中澤 ほのかは私ことなど知らないだろう。こんなクラスの隅っこで生息しているような私なんか。


 今日もカナリアは、愛らしい姿でさえずる。私はそんな彼女を横目で気づかれないように見ていた。




 移動教室。


 まだクラスに友達のいない私は、一人で廊下を歩いていた。


「あ、亜紀じゃん!久しぶりだね!!」

「愛里ちゃん……」


 同じ中学のときに仲良しだった友達に話かけられた。同じ高校を受けて受かった友達は何人もいる。しかし、一人も同じクラスになることはなかった。もし誰か一人でも同じクラスだったら違っただろうけれど。


「あれ?一人?」

「うん、初日に数日休んじゃってさ。乗り遅れちゃったんだよね」

「ふーん、そっか」


 愛里は私から一瞬だけ視線を逸らした。


「愛里ー。早くおいでよー」


 見覚えのない顔が、愛里を呼んでいる。新しい友達なのだろう。


「じゃあ、私移動教室だから」

「うん、またね」


 愛里は教室の中へ入ってしまった。彼女は「またね」と言っていたが、「また」はもう来ないだろう。私は腕の中の教科書を整え、その場を後にした。



 

 私は何事も、人並み以上にできた。


 勉強も、運動も、それから他のことだって──。指示された以上の成果を出していた。もちろん苦手なことだってあったが、それでも一般範囲内の出来だった。


 しかし、学年が上がるごとにつれて、私よりもできる子がでてきた。ある程度はできる。しかしどんなに努力しても、頑張っても、一番になることは決してなかった。「亜紀ちゃんすごいね」って言われても、上には上がいる。私が越えられない壁をいとも簡単に超えてしまう。


 かつては私だって、できたのだ。


 その矜持が、プライドが、私を苦しめる。もういいじゃないか、馴れ合いをしても。ぬるま湯につかっても。


 二つの葛藤で私はもう、一歩も身動きが取れなくなっていた。





 相変わらず私は一人だったが、ついに行動をしてみることにした。そう、部活をしてみようと思ったのだ。


 中学のときはバレー部だった。愛里ちゃんに誘われて、なんとなく入ったのだ。日々の練習は大変だったが、何とかついていけてたし、レギュラーの一人として活躍していた。みんなで和気藹々(わきあいあい)するのも楽しかった。しかし同時に苦しかったのだ。


 本当は私は本を読んだり絵を書いたりすることが好きだった。


 しかし、周りのみんなは活発な子ばかりで、そんな話はとてもじゃないけどできなかった。みんなと仲良く足並みそろえないと、すぐ異端扱いされるのだ。


 一人だけ毛色の違う子羊がいる──。


 そんな事実が周りにばれたら大変だ。今まで繋いでいた手を離し、指をさして排除しにかかるだろう。笑顔だった顔に、蔑視べっしの色を浮かべて。


 私は表面は従順で仲間のようなふりをして、内心は怯えながら別の色の毛皮をかぶって身を隠していたのだった。


 息を殺して、自分を殺した。


瀕死になりながらも、溺れかけながらも、中学の頃は最後まで演じきった。もうあんなことは、2度とごめんだ。



(自分に正直になってみるか)


 新しい環境に身を置いてみるのも悪くないかもしれない。部活に入れば新しい友達ができるはずだ。いい加減一人ぼっちの寂しさが身にこたえた私は、何もかも脱ぎ捨ててチャレンジしてみようと思ったのだ。


 幸いまだ体験入部の時期だ。見学に行っても問題はないだろう。勇気を振り絞って部室のドアをノックする。


 その扉の向こうは文芸部。


 バレー部に入る気はさらさらなかった。正直もうこりごりだった。自分を偽るのも、誰かに合わせるのも。私はドアノブに手をかける。ガチャリという音がやけに響いた気がした。


「失礼しまーす」


 そうっと開いたドアの先には、窓の外を見ている中澤 ほのかがいた。燃えるような夕焼けが彼女を包んでおり、一つの絵画のようだった。


 まるで、籠の外の自由に焦がれているような───。


 あまりに現実離れした光景に、呆然と立ち尽くしてしまった。


「あれ?渡辺、さん?」


 彼女がこちらを見る。どうしよう、中澤 ほのかがいるなんて予想外だ。私の名前を知っていたという事実が私の中に何とも言えない感情を呼び起こした。


「あ、私は中澤 ほのかだよ。ほら、同じクラスの」

「うん、知ってる」

「そっか、よかった」


彼女が嬉しそうな顔をした。なんでだろう。中澤 ほのかが、必死にわたわた何かを話しているのを話半分で聞いていた。彼女はある一言を私に告げた。


「私、渡辺さんとお話したいって思っていたんだよ。いつも窓際で本、読んでるよね。ずっと気になっていたんだ」


 その言葉を聞いた瞬間、身体が芯から冷え切った。


(……へぇ。なるほど)


 クラスの女子で誰ともつるんでいないのは、私だけだ。さぞ目立ったことだろう。同情か、憐憫れんびんか。その美しい瞳にはそんな風に映っていたのか。私の中でもやもやした黒い感情がどんどん募っていく。



「文芸、興味あるの?一緒に入ってくれたら嬉しいな───」

「……うるさい」


 私は中澤 ほのかの言葉を切った。


「あんたには関係ない」


自分でも、驚くほど冷たい声が出た。彼女が目を見開く。


(まずい、)


 何言っているんだ、私。早く、はやく謝らないと──



「あ、あの───」

「ほのかちゃんお待たせー。あれ、見学の子?」

「……はい」

「やったぁ!今お菓子とか買ってきたんだ!!みんなで一緒に食べよう!」

「えぇと」

「さぁ座って座って。自己紹介から始めようか───」


 先輩方が部屋に入ってきた。この後、妙に歓迎ムードな先輩方の質問攻めにあい、中澤 ほのかと話す機会はなかった。私は、彼女に謝るタイミングを失ってしまい、有耶無耶になってしまった。




「はぁ…」


帰宅早々、自室のベットに身体を沈めた。

ハイテンションな先輩たちの勢いに、少し疲れてしまった。そして、


(どうしよう、完全な八つ当たりじゃないか───)


 言葉を発した後の、中澤 ほのかの傷ついたような顔が忘れられない。彼女に悪気はなく、好意で話していたのはわかっていた。しかし、あの瞬間はなぜか気がたってしまったのだ。


(彼女に嫉妬しているのかな)


 いつも周りに人が囲まれていて、楽しそうにしている彼女。美人で性格も素直でいい子な彼女。愛さずにはいられない、それがふさわしい彼女。


(……馬鹿らしい)


 どんなに妬んでも、彼女に近づきすらできないのに。私はただ、その姿を遠くでしか見ることができない。


(完全に私が悪い……。謝らないとな)



 学校での憂鬱が増えてしまった。後悔と自己嫌悪が私の胸の中を占めていく。そうして夜は更けていった。



 結果、次の日も、その次の日も、そしてその次の日も──中澤 ほのかに謝ることができなかった。以前は一方的に私が見ていたのに、彼女はちらちらこちらを伺うようになった。私は気づいていながらも、気づかない振りをしていた。……臆病な私。自分が嫌になる。


 カナリアは今日も愛らしい姿を見せていたが、表情は以前よりも曇っていた。



 部活見学に行って3週間が経った。まだ中澤 ほのかに謝れていない。


(今更謝るのもなぁ)


 あれから、行く先々で会う文芸部の先輩方の熱烈な勧誘を受けていた。以前見学に行ったとき、楽しかったから興味はあるのだが、如何いかんせん、あそこには中澤 ほのかがいる。


 

 今日は午後から雨だった。梅雨はまだまだ先だったが、外はかなりの量が降っている。


(おや………?)



 昇降口に中澤 ほのかがいた。こんなところで何をしているのだろう。彼女はぼうっと空を見上げている。


「渡辺さん……?」


 中澤 ほのかが私に気づいた。彼女はちょっと困ったように笑い、こう言った。


「傘、忘れちゃって」

「……今日、天気予報で100パーセント雨って言っていたけど」

「慌ててたからドジっちゃった」


 以外と天然なのか?私は彼女と一定の距離を取りながら、空を見上げた。



 ザァァァァァァ───



 雨音がする。どんなに眺めても、雨は止みそうにない。耳を澄ませていると、心も静かになっていっていくようだった。しばらくそうしていたが、私は鞄の中を探った。そして彼女に差し出す。



「これ、使って」


 声は震えていないだろうか。


「それ……、渡辺さんの」

「これは予備の折りたたみ傘だから。私のは他にあるし」


 彼女に押し付け、歩き出す。一度立ち止まって、小さな声で言った。



「あと、─────この前はごめん」



 伝わるだろうか。私の名を呼ぶ彼女の声がしたが、私は振り切って走りだした。




(あぁ、やってしまった)


 あの場でだけ、ちょっとセンチメンタルな気持ちになってしまったのだ。恥ずかしい。


 次の日。昨日の雨が嘘のように快晴だった。いつもの重い足取りがさらに重くなり、鉛を付けたような重さだった。そして、会いたくないと思っている時ほど会ってしまうようだ。


 いつもより早めに出てきたので廊下には誰もいない。目の前を歩く彼女以外には。


「おはよう」


 中澤 ほのかが声を掛けてきた。


「……おはよう」

「昨日、傘ありがとう。すごく助かった」


 今日の彼女は普段と違った。いつもはくるくる変わる表情が、緊張気味で少し強ばっていた。


(それもそうか。……目の前にいるのは私だもんな)


 無言で彼女が差し出した傘を受け取る。


「じゃ、私はこれで」


 気まずくて、この場を立ち去ろうとした。教室に行くのはきまずい。……図書室で予習でもしとこう。彼女の横を通り過ぎようとした。



「私、」



 唐突に中澤 ほのかが声を出した。私は思わず振り向いた。




「渡辺さんは私のこと嫌いかもしれないけど、私は、───そうじゃないから」


 真っ直ぐな目で私を見ていた。彼女の目と私の目があう。彼女の瞳には私がいた。

 

 中澤 ほのかはそれだけ言うと、教室の方へ歩き出した。今日の彼女は、凛としていて一層美しかった。以前とは違う彼女に対して、私はその後ろ姿をずっと見送っていた。




 美しいカナリア───。



 ずっと眺めているだけだった。彼女に触れることなんてできやしない。その翼は、飾りではないのだから。そんなものに手を伸ばすなんて、なんて愚かなことだろう。私は十分知っている。


 知っているけど、でも。




 今なら、届きそうな気がした。

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