7・悪党の論理、勝負師の思考
現在の手がかりは、消息不明の小鳥遊蓮華だけ。
彼女が契約者と関係がある可能性は決して低くはない。それどころか、蓮華自身が契約者の場合もありうる。
「犯人は現場に戻ってくる。この場合の現場は《DF》だ。香取寧々子を生き残らせ、ゲーム内で名を上げさせる。そうすれば、不審か興味を抱いた小鳥遊は再び近づいてくる」
「たかがネット越しにおびき出してどうする? 言っておくけれど、小鳥遊蓮華の所在はこっちでも追ってるよ。携帯電話のGPSを追えば簡単に見つかる」
「いいや。見つからない。現に一晩たった今も見つかってないはずだ。そうだよな?」
涼原もただの鬼ではない。
今までの言動や所作を見ていれば明らかだ。犠牲を少なくする方法があれば、間違いなくそちらを取る。
時間がないとはいえ、非情な手段を選択しようしている以上、捜査の取っ掛かりが見つかっていないからに違いなかった。
「ゲームに参加し、生存しているのに所在が掴めない小鳥遊はやはり怪しい。香取を生かし、小鳥遊と接触させる。コンタクトさえ取れれば、引っ張り出すのは不可能じゃない。説得できる可能性だってある」
まるで蓮華が犯人かのような口ぶりだったが、全てでまかせだ。
今この瞬間に大事なのは事件の解決ではない。まだ捜査は始まったばかり。何もわからなくて当然。
もっとも必要なのは、寧々子を生かしておいた方がメリットがあると涼原に思わせる事なのだ。
「だから携帯電話の押収をやめろと?」
「そうです」
「今後の捜査難度が上がるとしても?」
「誰かの命を犠牲にしての捜査なんて、捜査じゃない」
「D案件は機密だ。機密漏洩に関してはどうするつもりだい?」
「彼女には口外を禁止させます。何かあれば俺が責任を取ります。どんな形でも構いません」
視線と視線が交差する。
一歩も引くつもりはなかった。
一秒、五秒、十秒。睨み合ったまま、二十秒が過ぎた時だった。
「君の精神力に免じるとしよう。ただし、今回だけだ。次からは命令に従ってもらう。奇跡は二度も起きないと思ってもらおうか」
上手いやり方だ。彼の言葉で恭一は矛を収めざるを得ない。
交渉とは、互いにどこまで譲歩できるかの探り合いだ。
涼原は「今回だけだ」と念押しする事で、次回以降に恭一からより大きな譲歩を引き出そうとしているのだ。
相手は、再び恭一が噛みつくのを想定していた。
――こいつはマジで喰わせモンだな。
自分の事は棚上げし、心の中で舌打ちする。
短時間のやり取りではあったが、涼原総真は人生における敵にしたくないランキングの上位に君臨しそうだった。
それでも言質は取れたには変わりない。すぐさま行動に移さねばならなかった。
ポケットから携帯電話を取り出し、番号を打ち込む。寧々子の連絡先は既に暗記していた。
数度のコールで寧々子が応答する。
上司の説得は終わった。次は彼女の番だ。
「警視庁の桂木だ。君に良い話がある」
『いい話、ですか?』
開口一番、口をついたのはでまかせだ。電話の向こうで少女が戸惑うのが手に取るように分かった。必要なのは相手に考えさせない事だ。
寧々子が恭一の協力を拒否した瞬間、彼女の死はほぼ確定する。
ここが正念場だった。
「良い話ってのは、攻略法だ。俺が、このクソゲームで君を勝たせてやる」
『へっ?』
電話の向こうで素っ頓狂な声が漏れた。
既に彼女は恭一のペースに巻き込まれている。畳みかけるなら今しかない。
「どういう原理か知らないが、ゲームでの死は現実の死を意味する。全く科学的じゃないが、事実だ。警察も全力で追っているが、まだ犯人は捕まっていない。君は依然危険にさらされている。だがね、俺は見つけちまったんだよ。このゲームの攻略法を」
一瞬の脅し。
そして、甘い誘い。
パニックに陥りかけている頭にはさぞかし魅力的に聞こえるだろう。
恭一はまるで自分が悪役になっているかのような錯覚を感じていた。
『刑事さん、ゲームやるんですか?』
「いいや、全然。だが《DF》はゲームじゃない」
本題はここからだ。
いかにも説得力を持たせた言葉で、いかに相手を煙に巻くか。恭一の口車が試させていた。
「なあ、君はパチンコをやった事があるか?」
『へ?』と小さく寧々子が声を漏らした。唐突な話題転換に戸惑ったのだろう。
『えっと、ゲームセンターのなら少しだけ。好きなアニメが題材の奴ですけど』
「面白かったか?」
『えっと、まあまあ?』
予想通りの言葉に満足し、言葉を続ける。
「パチンコってのは単純な遊戯だ。中央のアタッカーに玉が入ればリールが回る。数字がそろえば大当たり。けど、そいつは全部まやかしだ」
リールが回るのも、リーチがかかるのも、何もかも嘘っぱちだ。
当たりかハズレかは、玉がアタッカーに入った瞬間に決まっていて、液晶画面はただの演出を垂れ流してるだけなのだから。
「突き詰めちまえば、パチンコって遊戯は、ただの玉入れって事になる。なのに、どうして廃れないと思う?」
『えっと、演出が面白いから? わたしもルルが戦うのを見てドキドキしてたし』
ルルというのは彼女が好きなアニメのキャラクターなのだろう。確かに版権もののファンならばそのような楽しみ方もできる。
「いいや、違う」
だが、本質は違う。ただ演出が面白いだけならば、パチンコなど廃れるに決まっている。
「答えはカネを賭けてるからさ。シンプルだろ?」
一玉四円の銀玉が、何百何千、時には何万と溢れる様子に、人々は夢中になる。カネが湯水のように湧き出る感覚に陶酔する。
「カネを賭けてるから人は熱くなる。世には必勝本と銘打たれた本が溢れ、必勝法を謳った詐欺まで横行する始末だ。馬鹿馬鹿しいと思わないか? 電子制御のマシンから銀玉を発射し、穴にブチ込むだけのゲームに必勝法だぜ?」
カネが賭けられた時点で、それはもうゲームではない。ただの玉入れでさえ、ギャンブルとなるのだ。
「何かを賭ければ、人はそれだけで平常心を失う。百万円が賭けられていればジャンケンでさえ複雑怪奇な心理戦になる」
ならば――
「ダンジョンを舞台にしたオンラインRPGならどうなると思う?」
恭一には分かっていた。ダイモンズ・フロンティアはゲームに見えるが、実は違う。
「こいつは、ギャンブルだ」
命を賭け金にした、悪魔のギャンブル。
それが《DF》の本質だ。
そして恭一は、ギャンブルの勝ち方を知っていた。
「あと、刑事さんは止めろ。名前は言ったろう。カツラギでいい」
「カツラギ? そういえば何だか聞き覚えが……あっ!」
ようやく彼女は思い出したようだった。
テレビや新聞でも話題になったから知っていてもおかしくはない。半年前、汚職で逮捕された刑事の名を。
「勘違いするな、名前が似ているだけの別人だ。だが覚えているだろう? そいつの罪を」
葛城恭一。彼は昨日まで塀の中、刑務所にいた。
一人の受刑者として。
『たしか……賭博罪?』
「そう。賭博の現行犯、そして地方公務員法違反でそいつは逮捕された」
彼は、刑事でありながら中国マフィアが経営する裏カジノにて、現行犯逮捕された。おかしな事に、所轄の応援で捜査に協力していたら、だ。明らかに何らかの意図が働いていた。だが彼は抗わなかった。抗えなかった。
「そいつのあだ名を知ってるか? 捜査一課ではこう呼ばれていた」
犯罪捜査の最前線で、恭一は並み居る先輩刑事を押しのけ活躍していた。
リスクを顧みず犯人逮捕に執念を燃やす姿を見て、焼けつくような空気の中で繰り広げられる取り調べの心理戦を見て、品行方正とは言い難い素行を見て、いつしか彼は敬意と侮蔑を込めてこう呼ばれるようになった。
「賭博師・葛城ってな。こいつがただのゲームじゃなく、命がけの博打だってんなら、俺のアドバイスは聞いておいたほうが良いと思わないか?」
にやり、と笑う。恭一が逮捕されたのはあながち濡れ衣ではない。
事実、彼は暇があれば非合法の賭場に顔を出し、持ち前の博才を披露していたのだから。
「こっちも時間が惜しい。助けが必要か、イエスかノーかですぐに答えるんだ」
考える時間を奪い、即答させる。相手は正常な判断力を失い、言われるがままになる。
『それはもちろん……助けてほしい、ですけど』
全ては目論み通りだった。
「だったら話は早い。いますぐそっちに向かう。外出の準備をしてくれ」
言うが早いか通話を切る。そしてそのまま電源も落とす。かけ返されたら面倒だ。面と向かって話し合えば確実に言いくるめる自信はあるし、涼原の前では言えない話もできる。
「良い手腕だね。けど、君のやり方はギャンブラーというより、まるで碁打ちか将棋指しだ。詰めに向かって論理で打ち進める。賭けとは無縁にさえ見えてしまうよ」
「涼原さんが考えてるのは、ただの博打狂いだ。本当の勝負師ってのは幸運なんざ信じちゃいない。勝つ為にどこまで運否天賦を排除できるか。それが勝てる奴の条件ですよ」
不敵に笑い、手早く準備を終わらせ、出発しようとする。
今まさに扉をくぐろうとした時だった。
「満足しているところ悪いが、一つ忠告しておこう」
涼原の声が、恭一を冷たく刺した。直後、封筒が投げ渡される。
「香取寧々子は、君を裏切るかもしれない。気を付けておく事だ。こいつは彼女の身辺を軽く洗ってみた報告書だ。後で読んでみるといい」
封筒をキャッチしたまま硬直する。
「強い人間は自分の運命を嘆かない。君のような男がそうだ。だけど、我々が護るべき普通の人々はそうじゃない。人の弱さに、足元をすくわれないようにね」
恭一は目の前の男が何を考えているのか、再び分からなくなっていた。
第一章、終わり。
次回、第二章 「殺人遊戯は現実世界を侵食する」
ネクロマンサー関連でなかなか驚きのギミックを仕込んでいます。