6・悪党刑事は、悪魔になれない
「……生きてる、だって?」
だとしたら、話は変わってくる。
寧々子は気付いていないかもしれないが、恭一がいま最も疑っているのは、小鳥遊蓮華なのだから。
「理由を説明してもらおうか」
内心の動揺を表に見せず、問う。
興奮する寧々子を応接室へと押し戻し、落ち着かせる。
寧々子がスポーツバッグとは別の手提げカバンからお茶のペットボトルを取り出し、一息に飲むと、ようやく彼女の根拠を語り始めた。
「……ランキングがあるんです。メンテナンス中でも、これだけは閲覧できます」
言いながら、寧々子がタッチパネルを操作し、ランキングとやらを呼び出す。現れたのは墓場を背景にした画面だった。
「ゲーム中で死んだ人は、ここに表示されます。死の直前に取った行動や、殺される前に戦ったモンスター、直接の死因とか、色々な情報が表示されるんです」
「……そいつは、なかなか悪趣味だな」
恭一がつぶやくと、寧々子が一瞬、悲しそうな表情を浮かべた。彼女を無視し、そのまま携帯電話の画面をのぞき込む。
恐らく、並びは稼いだ金額順だろう。全て併せて三十七人分の墓標。
一位のスコアは四千二百十五万。
今朝に死体が発見された桐崎は十二位だった。スタミナが切れて動きが鈍っているところを、無数の吸血コウモリに襲われ命を落としたのが死因だ。リストのどこかには00班の名前も載っているに違いない。
「死因を見れば、危険なモンスターや罠がわかります。わたしはこの一週間、他のプレイヤーの人たちの死因を参考に、生き延びてきました。最低で悪趣味、ですよね」
「……そいつは」
恭一が思っているより、香取寧々子は随分と切れ者らしい。
桐崎の死体が発見されるまでは、本当に人が死ぬとは思わなかったはずだ。だが、彼女は疑念だけで行動を起こした。
その決断力と判断力は若いながらも、刑事である恭一をして舌を巻くものがある。責める気など起きはしない。
「それで、このランキングと小鳥遊さんがどう関係してくるんだ?」
話を逸らす為にあえて問う。理由なら既に予想できている。
寧々子の答えは予想通りのものだった。
「ここには、《レンカ》の名前はないんです」
「ランキング外、という可能性は?」
恭一の問いに、寧々子は首を振る。
「蓮華と離れ離れになった後もランキングに名前は増えてます。ランク外になって消えていった人の名前はありません。今のところ、ですけど」
三十七人という死者の数は、恭一が思っていたより少なく感じた。
だが、ゲームをプレイするための条件が噂話でしか流れていない以上、参加者もそれほど多くないのかもしれない。
恐ろしいのは、噂が何らかの形で爆発的に広がった場合だ。一刻も早く事態を収束させねばならない。
解決のためには、参考人である小鳥遊蓮華の消息は最重要事項だった。
「わかった。小鳥遊さんは生きてる方面で捜索する。任せてほしい」
「あの……わたしは。このゲームは……」
不安げな表情を見て、恭一の胸が痛む。
ゲームを終わらせる方法は二つしかない。
プレイヤーが死ぬか、犯人を捕らえて強制的に終了させるか。
クリアしたら解放されるなどと言う戯言は信じていなかった。
つまり、相談に来た何の罪もない少女は、明日になればまた生死を賭けたゲームに放り込まれる事となる。
胸糞が悪くなり、吐き気がしてしまいそうだった。
だが、今の恭一には何もできない。
助けようにも、D案件という機密の壁は寧々子に深入りする事を許さないだろうし、もし彼女が死んだ場合、恭一に取れる責任はなかった。
「警察に任せてくれ。メンテナンスが終わる日曜までに犯人を捕まえれば、全ては解決する。だから、大丈夫だ」
何の根拠もないが断言する。一切の焦燥も、そして小鳥遊蓮華を疑っているという事も顔に出さずに。首を鎖で締め付けられるような不快感が、ただひたすらに恭一を苛み続けていた。
――しかし、翌日。
彼をいま以上に追い詰める事が起こる。それも他ならぬ、上司であるはずの涼原の恐るべき命令によって。
涼原はよりにもよってこう言ったのだ。
香取寧々子を殺せ、見殺しにしろ、と。
▼七月十八日 午前十時/特捜00班捜査本部
「今、何て言った」
怒りで頬が引きつるのを感じながら、恭一は目の前の上司に向かって問いかけた。
「聞こえなかったのか? 香取寧々子の携帯電話を接収しろと言ったんだ」
応接机から身を乗り出し睨み付ける恭一の怒りなど、つゆほども感じていないようだった。
確かに、理屈はわかる。《DF》がインストールされた携帯電話から得られるデータは何物にも代えがたいからだ。
「俺の報告を聞いてなかったんですか? 香取寧々子は常にゲームのそばにいないと殺されるんだ!」
「代わりに我々が操作すればいいだろう? 不可能ではないはずだ」
「だとしても、解析にはどれだけかかる? 下手にデータを吸い出そうとして罠が仕掛けれてたら? 携帯をぶっ壊されたら? あの子は確実に死んじまうんですよ!」
唾を飛ばし、怒鳴るように反論する。涼原はふざけた無法をまかり通そうとしていた。
だが恭一の怒りに対し、涼原の声は冷淡なものだった。
「それがどうした? 何の問題がある。
君の報告は聞いたし、報告書も読んだ。だから言っているんだ。気づいているだろう?
この《DF》事件でもっとも忌避すべき事が何か。言ってみたまえ」
「《DF》のダウンロードURLが拡散される事、です」
「そう。調査の結果、例のURLは国内のプロバイダが運営する無料アップローダーだった。送信元は東南アジアの小国だが、偽装だろう。
ゲームが開始されたと思われるのは三か月前。アクセスを解析した結果、参加したと思われる人間は現在のところ百六人。
そして死者は三十七人。実に三割が既に死んでいる。被害者は全国に散っているためまだ騒ぎにはなっていない。
だが来月はどうだ? 再来月は? 次の満月は八月十一日。わずか三週間だ」
噂は、拡散する。いままではごく小規模の参加人数で済んだ。
だが、来月も同じだけの参加者数と言い切れるだろうか。
特に今の時代はインターネットがある。ネットで噂が具体化され、拡散されればどうなるか。
現実に大金が手に入るゲーム。命を賭けてでも人生をひっくり返したいと考えている人間は、決して少なくはないはずだ。
恭一の頭によぎったのは、ツイッターやフェイスブックに代表されるSNSだ。この噂話が満月の晩に爆発的に拡散されるとする。そしてもし、興味本位の野次馬や、食い詰め者がこぞって参加したら?
「日本のネット人口は一億近い。全体のわずか○.○一%が参加したとしても、数千単位の犠牲者が出るだろうね」
全国各地で短期間に大量の変死体が見つかるとどうなる。
悪魔事件が表沙汰になるか、疫病の蔓延と隠蔽されるかは分からない。
だが、ろくでもない未来が待っているのは間違いなかった。
「ダウンロードアドレスを封鎖すればどうです?」
「既に手を回してある。だが、来月も同じアドレスでダウンロードできるとは限らない。
ダミーを含めて無数の情報を流されたら? どうやって全ての噂を掴み、真偽を確かめればいい?
我々には対策出来ないんだよ。後手に回れば、負ける。攻めるしかないんだ」
どこまでも論理的な涼原に、返す言葉はない。
「この案件に求められるのはスピードだ。
はっきりと言っておこう。私は次の満月までに事件を解決できるなら、現在ゲームに参加している百六人……いや、もう六十九人か。彼ら全員が死亡してもいいと考えている。
D案件は絶対に表に出すわけにはいかないからだ」
理解は出来る。だが、納得はできなかった。なのに、恭一は反論を紡げずにいた。
涼原の命令に抗うなと、自分ではない誰かが頭の中で命令し続けているようにさえ感じた。
口を閉ざす恭一に、涼原はさらに演説を続ける。
「君は公安というものを理解していない。刑事は国民を守る。それは結構だ。だが、公安が守るのは国家そのものなんだよ。
国家という枠組みが国民をしっかりと囲うために、我々は国というシステムを守る。
この事件はあらゆる犠牲を払ってでも秘密裏に解決されなければならない。表沙汰になれば、確実にこの国――いや、世界はひっくり返るからだ。
もっと大局的な目を持て、葛城。君はもう公安の人間なのだから」
涼原の言葉は道理だ。
事件解決のために香取寧々子の携帯電話を借りる。データの吸出しに成功すれば捜査は大きく前進する。
だが、彼女は死ぬかもしれない。
死んでも構わない。少数の犠牲で多数を救う。そして平和は保たれる。ハッピーエンド。大団円だ。
「それは、マジで言ってるんですよね。何の罪もない少女を見捨てろと、言うんですね」
「私は冗談を言わないよ」
平然と言い放つ涼原だったが、恭一は一つの違和感に気付いた。相手の声はかすかに震え、拳は血の気が失われるほど固く握りしめられていた。
「これは、命令だ。従わなければ、塀の向こうに戻ってもらう」
爆発しそうになる感情を必死に抑え込んだ声で、さらに涼原が続ける。彼とて、このような命令は本意ではないのだ。
涼原の声音が、視線が、身振りが、首を縦に振らせる魔力を持っているかのようだった。
喉元が苦しくなる。
少女の泣きそうな顔が目に浮かぶ。
彼女は死にたくない、助けてと懇願しているようにさえ見えた。
――またか。また俺は何もできないのか。
鎖、首輪、懇願、寧々子、過去の苦い思い。
恭一の頭に浮かんだのは、学生時代の記憶だった。
爆発倒壊するマンションの映像。助けられなかった大切な人。見ているしかできなかった自分。十年前の後悔。
過去の無力な影と、現在の縛られた姿が重なる。
このままでいいのか。
本当に従っていいのか。俺はどうするべきなのか。
思考が頭の中を暴風のように駆け巡る。
瞬間、彼の中の何かが切れた。
否――
今まで燻っていた葛城恭一本来の姿が、目覚めたのだ。
「お断りだ」
「まさか……拒否するとはね。理由を聞こうか」
ほとんど無意識のうちに口から出た言葉に、涼原が驚き目を見開く。
まるで恭一が命令を拒絶するなどと考えていなかったとばかりの表情だった。
「理由はたった一つ。俺は、葛城恭一は、刑事だからです。前科持ちの悪党ではありますがね」
喉に絡みつく鎖を引きちぎるように、声を絞り出す。
目の前で犯罪に巻き込まれている人間がいれば保護し犯人を捕らえる。それが彼の責務であり、誇りだ。迷う必要はない。
当の警察組織が民間人を犠牲にしろと命令するなら、一人の警察官として抗うだけだ。
首輪がなんだ。命令がどうした。刑務所など知った事か。
そんなものクソ喰らえだ。その思いが今の恭一の全てだった。
自棄になったわけではない。猛虎のように荒ぶる感情こそが、彼の本質なのだ。
「これは命令だ。拒否権はない。断れば塀の向こうに帰ってもらうだけだよ」
涼原の言葉とともに、恭一の喉に棘で刺されたかのような痛みと、全身がばらばらに砕けそうな衝撃が襲う。
だが、そんなもので恭一を止められはしない。歯を食いしばり、拳を思い切り握りしめて抵抗する。
「ハンッ、好きにしろ。だったら俺はここ数日間の事を洗いざらい世間にぶちまけるだけだ。
あんたは俺に首輪をつけたつもりかもしれない。けど俺はな、スジが通ってないと思ったら、その首輪紐であんたを締め殺すくらいの事はやってのけるぜ」
「脅すつもりかい? 恩を仇で返されるとはこの事だ」
「刑事が誰かを守るのに仇も汚ェもあるかよ。あんたがご大層に国家とやらを守るためにやってるのと一緒だ」
言葉を紡ぐたび、解放感が恭一を押し上げる。
そうだ、この感覚だ。
久しく忘れていた。失敗すればただでは済まない上司への反抗と、身を切るような緊張感。
彼は現役時代、ずっとこうやって戦ってきた。
思えば逮捕されてからずっと、気に入らない事だらけだった。
警察組織の腐りっぷりも、涼原がかけた脅しと言う名の首輪も、D案件などという得体のしれない事件も、自分をパーツのように扱おうとする命令も何もかも。
――違うだろ。
疎まれようと構わない。どんなに傷を負っても、罵られても、謗られても。間違った命令に首を縦に振るなど、できはしない。それが、恭一の刑事としての強さだ。
思えば損な性分だった。
殺人事件の犯人を追いつめる際に刺された事もある。
始末書だって数えきれないほど書かされた。
終いには身内に逮捕され、懲戒免職だ。
だが、恭一は帰ってきた。警察に。警視庁に。
所属は違えど刑事として。
どうして忘れていたのだろう。
こんなに簡単な事だったのに。
気付けば、恭一の頭は冴え渡っていた。
相手の考えが手に取るように分かった。
「あんたは間違いく優秀な司令官だ。なら、知ってるだろう? 俺が命令違反の常習犯だって事に。俺が命令に従わないなら、あんたが次に要求するのは一つ。代案だ」
「ふむ、どうやら随分と自信があるようだ。ならば、言ってもらおうか」
「オーケイ、簡単だ」
涼原は交渉のテーブルに着いた。今までの頭ごなしの命令ではなく、恭一を現場の担当官として認め、話を聞くつもりになったのだ。
――ここからが本番だ。
感情の熱さを失うな。だが、頭は冷やしてフル回転させろ。
あらゆる可能性を想像し、情報の断片を繋ぎ合わせ想像しろ。目の前の官僚を理屈と論理で説得するのだ。
既に考えは纏まっている。答えは一つだ。
そして、恭一は口にした。
寧々子の携帯電話を守り、そして事件を解決へと導くプランを。
「俺が、俺の手で、香取寧々子をゲームで生き残らせてみせる」