SMILES and TEARS
メールを一件受信しました。
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八月二十日 二十時十二分
From 小鳥遊蓮華 → To 香取寧々子
件名:どうしてか分からないけど
蓮華です。信じられないかもしれないけど、私は生きてる。
爆発の後、不思議な事に何も起きなかったの。悪魔ニヒルも何も言って来ない。返事もなくなった。
そのかわり、私が泊まってるホテルに警察の人がやってきて、私は捕まった。私が生きてる事と、ネコにもう危険がない事だけは伝えてもいいって言われてこのメールを打ってる。
次に連絡できるのはいつか分からないけど、もし無事でいられたら真っ先にネコに伝えます。
八月二十六日 二十時二十二分
From 香取寧々子 → To 小鳥遊蓮華
件名:Re:どうしてか分からないけど
わたしの所にも警察の人が来ました。何も教えて貰えないけれどゲームは終わったみたい。
わたしはやっと家に帰れたけど、蓮華もすぐに元の生活に戻れると……ううん、違う。
解放されたら、一緒に暮らそうよ。ルームシェア。一緒に大学に行って、二人で通うの。昔みたいに。
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――夢みたいなことを言ってるのは、分かってる。
メールを打ちこみながら、寧々子が深くため息をつく。目からは自然と涙が溢れていた。
《DF》で得た二億のカネは、全て警察に回収されてしまった。
寧々子の現実は振出しに戻り、恐らく契約者である蓮華も日常には帰っては来れないだろう。
恭一からの連絡も、あれから一度もない。
寧々子は命がけのゲームをクリアした。だが、それだけだ。生きて家に帰れただけだ。
命を捨てて寧々子達を守ってくれた《チョコ》の安否も、《シド》のプレイヤーがどうなったのかも、何もわからない。
あらゆる困難を乗り越え、たった一人の勝者となった少女の心には、黒くぽっかりとした穴が開いていた。
涙をぬぐい、メールの続きを書く。
寧々子からのメッセージを親友が受け取れるかは分からない。受け取れたとしても返信が来る可能性はゼロだろう。
それでも毎日メールを送ろうと思う。
蓮華にはもう、世界に寧々子だけしか繋がりがないのだから。
携帯電話に集中しようとした時、自室のドアをノックする音が響いた。同時に母親が寧々子を呼ぶ声が聞こえる。
集中を乱され、不機嫌になりながらも寧々子は力なく立ち上がるのだった。
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八月二十七日 十二時四十一分
From 香取寧々子 → To 小鳥遊蓮華
件名:不思議な事が起きています
こんにちは。昨日、奇妙な小包が届いたの。
差出人は不明。中身は一枚のカードキーと暗証番号が書かれた紙きれだけ。
もしかしたら、と思い00班の本部に行ってみたら、やっぱりそこの鍵でした。
たくさんの悪魔関係の資料は空っぽになり、特別な機材も撤収され、パソコンも初期化されていたスカスカの部屋に、不思議なものがあったの。
それは、わたしがゲームで得たおカネを入れていたトランク。
ぎっしりと詰まったおカネは、ゲームで得たおカネとぴったりいっしょ。
でも、そこに葛城さんはいませんでした。
いつか蓮華が解放されて返事が来るの、待ってるね。
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九月十二日 十時三十分
From 小鳥遊蓮華 → To 香取寧々子
件名:何が起きているか分からないけれど。
毎日のメールありがとう。返信はできなかったけど、全部読んでる。
不思議な事と言えば、私は一週間後に解放されるみたい。たぶん、監視はつくんだろうけど……これは嘘みたいだけど、本当の話。
自由になったら真っ先にネコに会いに行くね。
後、ごめんなさい。私の方でも葛城さんの話は聞いてみたけど何もわからなかった。
無事だといいね。私も、あの人にお礼が言いたいから。
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九月十八日 十六時十分
From 香取寧々子 → To 小鳥遊蓮華
件名:明日を楽しみにしてるね。
あれから毎日00班の本部に行ってるけど、誰もいません。
ところで明日は蓮華が自由になる日だね。一緒においしいものでも食べに行こう。
解放されたら電話もできるんだよね。だったら、連絡待ってるね。
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九月十九日 十九時二分
From 小鳥遊蓮華 → To 香取寧々子
今日は楽しかった。ネコと半年ぶりに会えて嬉しかった。
さっきも話したけど、私は明日から都内の児童養護施設に預けられるみたい。
もう、もとの生活には戻れないけど、ネコと一緒にいられるから少しは救いがあるんだとおもう。
全部ネコのお蔭。ありがとう、また遊ぼうね。
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九月二十日 十九時十七分
From 香取寧々子 → To 小鳥遊蓮華
わたしも楽しかったよ。卒業したら、一緒にルームシェアしようね。
けど、葛城さんは……
■
打ちかけていた一文を慌てて消去する。
今日も蓮華と一緒に旧00班本部に行ってはみたが、やはりもぬけの殻だった。
自室のパソコンに映し出されているニュースを眺める。
ネットの小さな記事には、かつて賭博で逮捕された不良刑事の自殺が報じられていた。
恭一は帰ってこないかもしれない。
ほの昏い不安が寧々子の胸に広がっていく。
それでも自分だけは信じようと思う。
先ほど消去した文章の代わりに書き足す。
あと、わたしは葛城さんが帰ってくるまで毎日様子を見に行ってみようと思うの。
もしよかったら蓮華も一緒に行こうよ。顔は怖いけど、良い人だから。
そっと、送信ボタンを押下する。
待とう。いつまでも。どれだけの時間が流れても。
例え自分がおばさんになり、おばあさんになっても、彼の無事を待ち続けよう。
いつまでも、いつまでも。
大切な恩人が、帰ってくるその日まで。
▼十月五日 午後零時 千代田区/旧00班本部前
事件が終わり、あっという間に一か月以上が経った。
悪魔の起こした恐怖の野望は、大きな爪跡を残した。
何千もの人が死に、その数倍にも及ぶ遺族に悲しみを与えた。
だが、致命的な打撃を受けたはずの日常は、徐々にではあるが戻ってきているようだった。
一時は自衛隊の治安維持活動まで囁かれていた東京は、以前のような活気を取り戻している。
異常死の連続は反米組織が行ったBC兵器によるものという嘘の物語をこの人ごみの中のどれだけが信じているだろうか。
偽物の声明文。嘘の発表。何の効果もないワクチンの接種義務。
何もかもが嘘ばかりだけれど、その嘘を人々は受け入れるしかないのだ。
――また暗い事考えちゃった。
気を取り直して周囲に目を向ける。
官庁の多い千代田区の街並みは堅そうなスーツを着た大人でいっぱいで、カジュアルな服装に身を包んだ寧々子は場違いに思える。
「お待たせ」
背後からの声に振り返ると、長い黒髪をシンプルに結った活動的な少女が立っていた。小鳥遊蓮華だ。
そのまま並んでビルへと入っていく。
蓮華が解放されてからというもの、二人は毎日00班の本部に足を運んでいた。
エレベーターを待ち、四階へ向かう。
静かな駆動音が響く中、二人の間に会話はない。付き合いの長い自分達ではいつもの事だ。
不快ではない弛緩した空気が胸の中の寂しさを紛らわす。
チン、と軽い音と共にエレベーターが開いた。
このフロアは旧00班本部以外に入居はない。目的のドアの前で寧々子がカードキーを差し込んだ。
自動ドアが開き、勝手知ったるとばかりに踏み込む。
ぴかぴかに磨かれた床に、埃ひとつない事務机。
「もう掃除する場所もないわね」
乾いた笑いをともに漏らされた蓮華の言葉に、寧々子は何も答えられない。
二人は毎日足を運んでは、掃除だけをして帰っていた。
いつか恭一が帰って来た時のために。
「掃除くらい、探せばあるよ。わたし、コーヒー入れてくるね」
ぱたぱたと駆け出し、給湯室へ向かう。
恭一がいたころは缶コーヒーと煙草のゴミが山のように出ていたが、もはや過去の話。
今は寧々子の趣味でドリッパーが導入されていた。
――美味しいコーヒー、飲んでもらわないと。
ヤカンを火にかけながら、きゅっと手を握り締める。
事件が終わり一か月以上が経過しても恭一からは連絡が来ない。
こちらから送っても同様だ。一切の連絡が繋がらない状態だった。
毎日、毎日無為に二人で足を運ぶ。
いつまでこのような状況が許されるのかわからない。近いうちにカードキーも使用不能になってしまうだろう。
それでも寧々子は諦めないつもりだった。
何故なら、奇妙な予感があったから。
フィルターに盛られた豆に、静かに湯を注ぐ。
芳醇な香りと共に少しずつ落ちていく黒い雫が、妙に愛おしかった。
きっかり三人分のコーヒーをトレイに載せ、蓮華のもとに運ぶ。
「ねえ、ネコ……」
コーヒーを応接テーブルの上に置くと、蓮華が何やら言いたそうに口を開いた。
「葛城さんは戻ってくるよ。絶対に」
今まで一度も恭一は姿を現さなかった。連絡もよこさなかった。
だが何故だろうか。
今日に限って、理屈ではない直感が寧々子に囁いているのだ。
「聞こえない? エレベーターの音が」
「え……?」
廊下からほんのかすかに響くのは、エレベーターの到着音。
「何でか分かんないけど、分かっちゃったの」
悪戯っぽく微笑み、淹れたてのコーヒーを手に取る。
徐々に、徐々に人の気配が近づいてくるのがはっきりと感じ取れた。
「葛城さんはわたし達を守るために、何か大変な面倒に巻き込まれてる」
蓮華が解放されたのも、寧々子のもとに《DF》で得たカネが贈られたのも恭一の尽力だろう。
だが、恐らく彼は想像もできないような代償を払ったに違いない。今まで連絡が取れなかったのもそれが原因だろう。
「もしかしたら、顔が見れるのは今日が最後かもしれない。二度と会えないかもしれない」
カードキーを差し込み、暗証番号を入力する音が聞こえる。
彼はもう、すぐそばまで来ていた。
「だから、わたしは葛城さんが戻ってきたらわたしは言うの」
自動ドアが開く音がする。
足音が、少しずつ近づいてくる。
感じるのは、少しばかり戸惑った気配。
おそらく、小汚なかった00班本部の変容に驚いているのだろう。
人の気配が、寧々子の背後でぴたりと止まった。正面の蓮華は驚いた顔で手を口に当てている。
もしかしたら今生の別れになるかもしれない。
だから、顔を見た瞬間に言う言葉は決まっていた。
いつか必ず恭一も日常に帰ってこれるように、という祈りを込めて。
悪魔なんかに頼らずとも、叶う願いがあるのだという確信を込めて。
手に持ったコーヒーが零れないように、ゆっくりと振り返る。
そして、暖かなカップを差し出して、最高の笑顔で言った。
「おかえりなさい!」と。
困ったような、嬉しそうな、怒っているような、どこか複雑な表情で彼は頭を掻いていた。
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悪討賭博師 Daimons&Deamons
終
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それではまた、次回作がありましたら。