2・悪魔の引金
涼原は早くこの優秀な部下に向けて、全てをぶちまけてやりたくてたまらなかった。どんな表情を見せるのか、楽しみで仕方なかった。
「すべて君のせいなんだよ、葛城。君が香取をあそこまでタフにさせてしまったからいけないんだ。《ネコ》が《レンカ》を殺し、ゲームをクリアしてしまったから。だから、東京は灰になる。千五百万の都民は、残らず死に絶える。君たちがゲームを終わらせなければ、こうはならなかった。良い事を教えてやろう」
普段より饒舌になる自分が抑えられない。
何もかもが上手くいき、充実感と高揚感が全身を覆っている。
今まで生きてきた十年余りで、初めての出来事だった。
「悪魔ニヒルはミサイルから東京を守っていたんだよ。この私、涼原総真からね」
言った。言った。とうとう言った。言ってしまった。
待ちに待った恭一の反応を、眺める。
「悪い冗談は、止めてくださいよ」
案の定。彼は、何言が起きているのかわからない、といった表情で目を見開き、涼原をじっと見据えていた。
「冗談かどうかはすぐにわかるさ。ところで君は悪魔がなぜ人間に契約を求めるか、知っているかい?」
「契約が無ければ、力を行使できないから」
乾いた声で恭一が返す。正解半分といったところか。
「しっかり00班が作成した資料を読み込んでいるようで安心したよ。だが、私が言っているのは『どうして悪魔は人間に力を使わせようとするか』だ」
「魂を、奪う……?」
初めて恭一に会った日、涼原は彼に向けて言った。
00班の調べでは悪魔は人間の魂を奪うために契約すると。悪魔から取った証言があると。
「その通り。だが、00班の資料には全ての真実は記されていなかった。悪魔の証言ほど信憑性がないものはこの世にはないのだから」
悪魔がどうして人間に契約を求めるか。そこに全ての答えがあった。
ニヒルには自身の望みとは別に《DF》を開催していた目的があった。
そして、涼原がいま東京を灰塵に帰させようとする理由も。
「悪魔は自身の持つ能力で人間を殺した場合、その人間の魂を喰らう事が出来る。文字通り喰らうんだよ。生きるための栄養としてね」
ニヒルの能力で作りだされた悪魔のゲームは、プレイヤーの命を奪う。
死んだプレイヤーの魂はニヒルの腹に収まる。彼は今回の事件で今後数百年分以上のエネルギーにも及ぶ魂を接取しただろう。
ヒトが食物を摂取して肉体を維持するように、悪魔は自身が生きるために人間の魂を食らわねばならない。
喰らう為には自身の能力で人間を殺さねばならない。能力を行使するには人間と契約をせねばならない。契約をするためには甘い言葉で近づき、願いを聞き入れてやらねばならない。もっとも、馬鹿正直に叶えてやる悪魔は少数派だが。
ニヒルは悪魔として非常に正しかった。蓮華が願った「悲しみを知ってほしい」との言葉を歪め、《DF》を開催したのだから。
だがニヒルは悪魔であれど悪ではない。
彼が蓮華を騙したのは生きるための手段でしかないのだから。
「契約をして人間の魂を食らわねば生きていけない存在なのさ。だから人を誑かし、契約させるんだ。我々悪魔は、ね」
「我、々……?」
今まで自身が組み立ててきた物語の核心を口にし、歓喜に震えが走る。
涼原が描いてきた筋書きを語るには長い時間と、順序立てた説明が必要だろう。
「そう。私もまた、人間と契約をした悪魔だったんだ」
「バカな、有り得ない。あんたは警察官僚だろ。身辺調査をごまかせるわけが……」
信じたくない、といった口調で恭一が首を振る。
いくらデータ上の戸籍を偽造しようとも、人間が生きてきた足跡までは創造できない。調べれば涼原に過去等がない事などすぐに判明するはず。彼はそう言いたいのだろう。
「別に細工など何もしてはいないよ。涼原総真は生まれてからずっと人間だったし、キャリア警官だった。ほんの十年程前までね」
「十年前……? まさか……背乗りか!」
何かと符合したのだろう。そして予想は正解だ。
背乗り。公安の隠語で『別人と入れ替わる』事を指す。ある日を境に人間の総真は死に、今の涼原がすり替わった。
彼の推測は半分正しい。だが、半分は不正解だ。
「覚えているかい? 十年、いや正確には十二年前に君が幼馴染を失ったあの爆破テロを。その現場に、涼原総真はいたんだ」
そのまま当時の事件の真実を教えてやる。
思想組織に紛れていた高級官僚や政治家の身内たち。そのようなクズを守るために対応が遅れ事件が起きてしまったことを。
人間であった総真が死ぬ事になったすべての真実を。
マンションは爆破され、多くの死者が出た。そして事件は闇に葬られた。
十年近く警察に所属していた恭一でさえ事件に触れる事が出来なかったのはこのような理由があったからだ。
「犯行を止めようと単身乗り込んだ総真は、爆発に巻き込まれ瀕死の重傷を負った。もはや助からないレベルの傷をね」
悪魔は人の欲望と絶望に引き寄せられる。
組織から裏切られ、見捨てられ、そして死の淵で生を渇望する総真は、悪魔にとって絶好の標的だった。
「総真は憎んだ。恨んだ。絶望した。組織の汚染を、自らの無力さを。そして死の淵に現れた私に願ったんだよ」
生まれたばかりの名もなき悪魔は、総真の叫びに引き寄せられ、契約した。
彼の願い、それは――
「この腐った組織をぶっ潰したい。ぶっ潰して、正しくつくり直したい」
涼原より先に恭一が口にした。彼もまた組織に捨てられた身だから分かるのだろう。
上層部の組織改編と前課長の定年退職によって新しく就任した捜査一課長にとって、恭一は優秀ではあるが規律を乱す目障りな存在だった。組改の理由は上層部の汚職が直接の原因だったからだ。
新しくポストに就いた上層部の人間にとっても、恭一は格好の生贄と呼べた。警察組織の自浄能力を民衆に示し、新しく変わった姿を見せつける為の。
全ての条件が一致した時、優秀な刑事は組織に捨てられた。
人間の総真と同じように。
「どうやら私が言うまでもなかったようだ。君の推理は正解さ。私はニヒルと違い、契約者の肉体に宿るタイプの悪魔だった。
契約した私は瀕死の総真の肉体を貰い受け、涼原総真として十年以上生きてきた。私は総真と契約した悪魔ではあるが、涼原総真本人でもあるんだよ」
総真の心は死んだ。
深い絶望と肉体的苦痛の中で魂を閉ざし、全ての思考を悪魔である涼原が掌握した。
故に涼原は悪魔でありながら、契約者でもあれたのだ。
「そして私は自らの能力をもって総真の願いを叶えようとしている。腐った組織をぶっ潰してやるんだ。ただし、東京ごと物理的に吹っ飛んでしまうけどね」
「馬鹿な。死んだ涼原さんは、そんな意味で願ったんじゃない」
「願いを皮肉な形で叶えるのは悪魔の常套手段だよ。遥か昔から人類が語っているように、ニヒルが小鳥遊と契約した時のように」
「ふざけるなっ!」
椅子を蹴り飛ばし恭一が立ち上がる。
彼の手にはいつの間にか自動拳銃が握られていた。蓮華の始末のために持たせていたものだ。
「テメェが悪魔だってんなら簡単だ。ぶっ殺して止めてやるだけだ」
悪を討つためなら己の身がどうなろうと構わない。
それが恭一の強さなのだろう。ひしひしと感じる殺気に絶頂さえ感じそうだった。
「無駄だよ」
だが、恭一には涼原を止められない。
何故なら――
「私を傷つけるな。これは命令だ」
瞬間、今まさに引き金を引こうとした恭一が硬直する。
「いいから銃を置いて話を聞きなよ。もちろんこれも命令だ」
涼原の言葉と共に、震える手でそのまま恭一が銃をテーブルの上にそっと置いた。
「これが私の悪魔としての力だよ。私が強い意志で放った命令は、何人たりとも拒否できない。起動の条件は一つ。相手と賭け事をし、勝利する事」
恭一には使用したが、人間として生きる中で涼原はほとんど悪魔としての能力を使っていない。
それどころか、率先して人間のキャリア警官として手柄を立ててきた。
出世をするにも何をするにしても悪魔の力を使えば簡単だ。だが、警察内に00班がある以上、少しでも不審なそぶりを見せるわけにはいかない。上司や同僚に何度も賭けを持ち掛け操り人形にしてしまえばすぐに涼原の能力は露見してしまうからだ。
自身の最終目的のためには、絶対に周囲に悪魔の尻尾を見せる訳にはいかなかった。
「ふざけるな、そんなインチ……」
「黙れ。そして座れ」
恭一の怒鳴り声が即座に止まり、見えない力で押し付けられるように椅子へと着く。
もはや疑う余地などないだろう。愉快でたまらなかった。ニヒルの野望を打ち砕いた最高の人間が、今や自分の操り人形なのだから。
「どんな気持ちだい? 賭博師がギャンブルに負け、肉体の自由も精神の誇りも失うのは」
「そんな、馬鹿な」
不可視の鎖で椅子に縛りつけられたまま、恭一が震える声を漏らす。強がってはいるが虚勢なのは見て取れた。
「覚えているかな? 私と君が初めて会った日を。《ディルーク》こと桐崎彰のミイラ死体を検分する前、私は君に言ったんだ」
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『一つ、賭けをしないか? 事件現場を見て、君が驚愕するかしないか。私は断言する。君は間違いなく驚くとね』
『いいでしょう。涼原さんも知っての通り、賭け事は嫌いじゃない。乗りましょう』
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そして、彼は涼原の持ちかけた賭けに乗った。
結果は涼原の勝利。恭一は今まで例のない事件現場に驚愕し、馬鹿みたいな顔をして口をあんぐりと開けていた。
「あの時、既に……?」
「そう。しかし一つだけ予想外の事が起きた。君の人間離れした精神的強靭さは、一度だけ私の命令を拒否したんだよ」
香取寧々子の携帯電話を奪い取れと命令した時、恭一は喉から血を吐きだすような勢いで命令を拒否した。
「あの時は本当に驚いたんだ。君の心の強さにね。悪魔の能力を弾き返すだなんてもはや奇跡と言ってもいい。だが、奇跡は一度きりだ」
涼原は、何度も恭一に命令を下してきた。
捜査を中断してゲームをクリアしろと言った時。彼はきっと刑事としてのプライドを粉々に砕かれたことだろう。
《チョコ》を仲間に引き入れろと言った時、彼は明らかに不本意そうだった。しかし、拒否はさせなかった。
小鳥遊蓮華を殺せと命令した時はどんな思いだっただろうか。暗殺など刑事の仕事ではない。それでも、彼は受諾せざるを得なかった。
葛城恭一という男が絶対に行わない行為を、悪魔の力によって無理矢理に従わせていたのだ。
どのような不本意な命令であろうと。
「ここで問題だ。私は先程東京にミサイルを落とすと言った。どうやって落とすと思う?」