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ダイモンズ・フロンティア  作者: 白城 海
第六章 笑え、この過酷であれど美しい世界で
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1・酒宴

▼十二年前


 瓦礫と闇、そして死の気配だけが涼原総真の感じ取れるすべてだった。

 視覚は既に失われた。痛みも感じない。耳鳴りのようなものが頭の中で響いているが、すぐに聞こえなくなるだろう。

 完全な致命傷だった。


 総真は、希望と正義感に溢れた若者だった。さらには客観的に見ても優秀な男だった。

 総真はいわゆるキャリア警官だ。今は現場で下積みをしているが、間もなく警察学校に戻り、特別な研修を受けて管理職の道へと進む。

 今回の事件(ヤマ)は、現場の刑事として最後に担当する事件だった。


――上手くいっていたのに、どうして。

 総真が担当していたのは、ある危険な思想集団による爆破テロ事件だ。

 彼が学生時代から構築していた独自の情報網により標的が判明。あとは決行前に犯人どもを一網打尽にするだけだった。


 だが、総真の前には思わぬ壁が立ちふさがったのだ。

 集団の中に紛れていた警察や政府重鎮の身内。

 いつもそうだ。危険な革命ごっこは、裕福な育ちをした夢見がちな狂人たちが考える。


 警察は不祥事を嫌う。

 工作員を使い、秘密裏に解決しようとしたが失敗。さらには内部での足の引っ張り合いが対応を遅滞させてしまった。

 もはや決行まで時間がない。上からの命令により先輩刑事達も完全に身動きを封じられている。

 止められるのは涼原しかいなかった。


 だが、結果は見ての通りだ。組織に見捨てられたいち刑事に出来ることなど何もなかったのだ。

 いったい、何人死んだのだろう。どれくらいの悲しみが溢れているのだろう。

 もはや五感を失いつつある総真には分からなかったが、一つだけ理解できることがある。


――この事件は、葬られるんだろうな。

 それだけが無念だった。

 警察は何よりも体面を重視する。

 高級官僚や政治家のの身内が大規模テロの主犯格だと明らかにするくらいなら、迷宮入りにしてしまうべきだと考えるに違いない。

 警察に身を投じた長くはない期間でで同じような事例はいくつも見てきた。


――畜生、畜生。

 溶けゆく意識の中で毒づく。

 自らの無力さが、組織の矛盾が憎くてたまらなかった。だが、間もなく命を失う総真には何もできない。


 その時だった。


 失われた視界の闇の中に、ぼんやりと光る人影が現れた。


「絶望しているようだね、人間」

 聞こえないはずの耳に、異様なまでに鮮明な声が届く。

 どうやらお迎えが来たようだ。


――天、使……?

 光は形を変え翼を持った人型となり、再び問いかけてくる。


「君は、精一杯生きた。だから最後に願うんだ。君の心からの思いを。私は、それを叶えよう」

 言われるがまま、最後の最後に残った意識で総真は願った。

 間違いだらけの世界を救うために。ただ無辜の人々を守るための純粋な祈りを。


 天使に向けて、願ってしまった。


▼十八時三十七分 / 横浜市 ランドタワー70F


 涼原の目の前に恭一が現れた時、相手の顔に浮かんでいたのは困惑だった。


「どうした、葛城。鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして。ところで送った動画は見たかい?」

「はい。《ネコ》が《シド》を倒し、最深部の宝箱を空けてエンディングが流れるまで」

 問いに答えはするが、心ここにあらずと言った様子だ。

 予想通りの反応にいまにも笑いだしそうになるのを必死に抑え、平静に問いかける。


「涼原さん。あんた、怪我は?」

 右手を握り返した恭一が、訝しげに問いかける。

 数週間前の《ネクロマンサー》討伐戦で涼原は大きな傷を負った。

 生ける屍によって、骨を砕かれ、神経を断たれ、腱までも裂かれる大怪我だ。医者には二度と箸も握れないと宣告され、彼の前でもずっとギプスで腕を固めていた。

 しかし、今の涼原は右手どころか、同じく骨折した左足もまるで無傷だったのだ。


「医者の腕が良くてね。思ったより早く回復できたんだ」

 平然と言い放ち、席を勧めながら自分も座る。

 人がいないお蔭で簡単に予約が取れたこの席は、横浜から東京方面が一望できる最高の特別席だ。


「どうして、こんな場所に俺を?」

「おいおい、忘れたのかい。全てが終わったら、一緒に酒を飲もうと約束しただろう。これから後処理で忙しくなるからね。先に祝杯を上げようと思ったんだ。とにかく、座るといい」

 立ったままの恭一に対し、再び席を勧める。

 テーブルの上には氷箱(アイスペール)に満ちたみずみずしい氷の山と、水割り用のピッチャーにいくつかのロックグラス。そして未開封のブランデーボトルが並んでいた。

 不承不承、といった面持ちで恭一が椅子を引き、涼原の向かいに座る。


「ペネシー・エリプス。聞いたことがあるかな? 二百年以上前の原酒を使った、ボトル一本で百万円以上するって代物だ」

 最大の功労を見せた部下のために、右手でトングを掴んでグラスへと氷を放り込んでいく。

 からん、からんと透明感のある音が、耳を心地よく刺激してくれた。


「人間達が二百年かけて注ぎ込んできたものが、このちっぽけな瓶のなかにたっぷりと詰まっているんだ。そいつを、今から消耗する。ちょっとした感動だと思わないかい?」

 慎重に封を切り、二つのグラスに注ぐ。

 やはり恭一は訝しんだ顔のまま、動かなかった。


「おいおい、ノリが悪いね。せっかくの記念すべき瞬間なんだ。乾杯しよう。これは上司命令だよ」

 冗談交じりに涼原が言うと、高級洋酒がなみなみと注がれたグラスへ恭一が手を伸ばす。

「それじゃあ、乾杯だ」

「何に対して、ですかね」

「それはもちろん、未来に対して、だよ」

 悪魔ニヒルの事件が終わった以上、素晴らしい未来が待っているのは間違いないのだ。

 どこか消極的な恭一とグラスを合わせ、そのまま一息に半分ほどを飲み干す。


「古酒独特の深い味わい。素晴らしい。まさに人間という種が生み出した『時間』を消費している感覚だね。私は今、二百年という積み重ねそのものを口にしているんだ」

 興奮気味に涼原が言うが、向かいの男は不満そうな表情を浮かべていた。


「一体どうしたんだい?」

「いや、飲み方がなっちゃいないなって思いまして」

 掲げたグラスを卓に置き、恭一が首を振る。

 彼はせっかくの高級酒に口をつけていなかった。


「ブランデーってのは、グラスを通して手の温度を伝え、香りを上げて楽しむモンなんですよ。だから、キンキンに冷やしちまったら、せっかくの二百年が台無しになっちまう」

 上司に向かって、そしてタダ酒を前にこの態度。道理で出世が出来ないわけだ。


「なるほどね」

 グラスを持ったまま空いた手で眼鏡を持ち上げ、涼原が呟く。沈黙が包むが、あまり気にはならなかった。


 そのまま、氷と酒が満ちたグラスを逆さにし、床へとぶちまける。

 従業員は来ない。それどころかホールにもすぐそばのバーカウンターにも、自分たち以外の人間はいなかった。

 異常を感じたのだろう。目の前の部下が、目を見開いて涼原を見ていた。


「悪かったね。実は酒には興味がなくて。気に障ったなら謝罪しよう。だがこんなこともあろうかと、グラスは他にも用意している。好きなのを使ってくれ」

 だが、恭一は動かない。沈痛そうな面持ちで頭を垂らすだけだ。


「どうしたんだい。事件は解決したんだ。今日くらいは無礼講で構わないんだよ」

「そんな気分になれる訳がないだろう。あまりにも傷跡が大きすぎる。多くの人が死に、たくさんの人が傷ついた。こんなの、解決とは言えない」

 彼が放った言葉に涼原が覚えたのは、小さな感動だった。

 おお、何と責任感の強い男だろう。

 彼は大いに役立ったというのに。非凡な才を駆使して悪魔と渡り合ったというのに、それでも勝利ではないというのだ。


「確かに。死者は二千人以上。情勢悪化による経済的、治安的打撃は当面の国家運営に置いて致命的だろう。総理大臣も死亡し、霞が関は大騒ぎ。大臣の首がいくつ飛ぶかもわかったものじゃない。私も出世レースからは転落した。だが問題ないさ。何も、問題ない」


「問題ない、だと? どの口でそんな事を……!」

 掴みかからんばかりの勢いで恭一がテーブルを叩き、身を乗り出す。

「いいから落ち着いて座るんだ。問題ないし、どうでもいいんだよ。東京に暴徒が溢れようと、略奪が横行しようと、どれだけ政治家が胃に穴をあけようと」

 ようやく、全てを明かす時が来た。

 彼にだけは、恭一にだけは、全てを知っていてほしかった。


「何故なら……」

 涼原がこれから成す最大の偉業を、人類史に永遠に残るであろう伝説の始まりを、彼にだけは教えておきたかった。

 それこそが涼原が考えた、恭一に対しての最大の褒賞だ。


 ゆっくりと口を開く。


「何故ならね……」

 背徳的な快感が全身を駆け巡り、脳内麻薬が今までにない勢いで分泌されるのが自分でも理解できた。


 そして、告げる。


 これから起こる事実を。

 乾杯した未来への葬送曲を。


「これから、東京は消滅するんだ」

 涼原は、ずっと待っていた。

 恭一が、否、恭一達がゲームを終わらせ、あのくそったれな悪魔であるニヒルの陰謀を打ち砕くのを。


 恭一の顔に表情はない。

 何を言われているのかさえ理解していないようだった。


「きっと、壮観だろうね。議事堂も、警視庁も、窓の外に見えるスカイツリーも、国会議員も、警察官も、自衛官も、民間人も、男も、女も何もかも灰になるんだ」

 両の手を広げて立ち上がり、はるか遠くに広がる東京の街並みを指す。

 彼にだけは教えてやらねばなるまい。

 涼原の計画の、全てを。


 葛城恭一は素晴らしい人間だった。

 あらゆる困難に屈せず、必ず立ち向かう。

 ただの人の良い少女でしかなかった香取寧々子に強い影響を与え、恐るべき殺人鬼を出し抜くほどの勝負師へと成長させた偉大なる才能。


 とてつもない逸材だ。かけがえのない人材だ。

 だからこそ。


 彼らが悪魔のゲームを終わらせたからこそ――


 ()()()()()()()、東京に大陸間弾道ミサイル(ICBM)が落ちるのだ。


 涼原は早くこの優秀な部下に向けて、全てをぶちまけてやりたくてたまらなかった。どんな表情を見せるのか、楽しみで仕方なかった。


「すべて君のせいなんだよ、葛城。君が香取をあそこまでタフにさせてしまったからいけないんだ。《ネコ》が《レンカ》を殺し、ゲームをクリアしてしまったから。だから、東京は灰になる。千五百万の都民は、残らず死に絶える。君たちがゲームを終わらせなければ、こうはならなかった。良い事を教えてやろう」

 普段より饒舌になる自分が抑えられない。

 何もかもが上手くいき、充実感と高揚感が全身を覆っている。

 今まで生きてきた()()余りで、初めての出来事だった。


「悪魔ニヒルはミサイルから東京を守っていたんだよ。この私、涼原総真からね」

一部実在の建築物や商標名は微妙に名前を変更しております。誤字ではありませんのでご了承ください。

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