9・盗賊のグローブ
『困るんだよ、オッサン。こいつらは、オレが殺すって決めてるんだ』
彼女、いや彼は狂気に満ちた口調で、寧々子達にじりじりと迫ってくる。明らかに、まともでなかった。
『そっちの都合など知らんよ。邪魔をするならお前も斬るが?』
《シド》が《チョコ》の背後に向け、刀を向ける。
その時だった。
『斬られるのは御免だね』
言い放つと同時、《チョコ》が反転し、そのまま《シド》へと大剣を振りかぶる。
寧々子には何が起きているのか分からなかった。
『あー、畜生。何でなんだろうな。何でこんな事やっちまったんだろ。最悪だ』
《チョコ》が呆然といった口調で呟く。
奇襲は通用していない。《シド》は右手で柄を握り締め、左手で峰に手を添え、《チョコ》の重い一撃を受け止めていた。
『いや、マジで分からねぇんだよ。今だってこの女たちをぶっ殺したくて仕方ないのにさ。何んか体が動いちまったんだよなあ』
言いながら剣を投げ捨て、短剣を取り出しながら《シド》の懐に潜り込もうとする。
彼の言葉は誰に向けたものかは分からない。もしかしたら、誰にも向けていない独語なのかもしれない。
『邪魔だ』
短剣を手刀で叩き落とし、そのまま柔らかい腹部へと拳がねじ込まれる。
衝撃で《チョコ》が摩擦煙を上げながら寧々子達のもとに吹き飛ばされる。
そのまま寧々子のそばで《チョコ》が小声で語りかけてくる。
『逃げろ。通路に逃げちまえば、こいつのスピードやパワーのほとんどは無効化される。狙うより、迎撃する方が有利なのは分かってんだろ』
「……何、で」
『知るかよ! オレにだって分かんねえんだ。だけど、だけど、目の前でお前らが殺されそうになったら、なんだかよく分かんねえけど、体が勝手に動いた。
お前を助けないといけない気がした。オレなんかより、お前たちが生き残る方が、正しいことのような気がした。だから、行け。早く行けよっ!』
「できない。できる訳ないじゃない!」
喉から拒否の言葉が漏れる。
『うるせぇ早くしろ! すぐに合流するから! そしたら態勢立て直してコイツをぶっ殺すぞ!』
だが、《チョコ》もまた頑なだった。
「絶対。絶対にすぐに逃げてよね」
『当たり前だっての』
決意に突き動かされるように、寧々子の意志に反して《ネコ》は背後へと向けて駆け出していく。
『お前もだ。あの甘ちゃんを助けてやってくれよ。俺もすぐに合流する』
彼の口調は有無も問答も許さないものだった。蓮華も後に続いて部屋を脱出する。
背中から、剣戟の音が響いてくる。
金属同士が奏でる戦慄の音色の中で、寧々子は確かに《チョコ》の声を聞いた。
『生きてくれ。お願いだから、アンタ達二人だけは生き残ってくれ』と。
後ろ髪をひかれる思いで走り、逃げ、駆ける。
彼がどれだけ時間を稼げるかは分からない。
寧々子が恭一のように強ければ、彼を見捨てて逃げるような真似はしなかったろう。
しかし他に手は残されてなかった。《チョコ》に頼るしかなかった。
逃げる。最強のプレイヤーキラーから、ただ逃げる。
水晶の迷宮は基本的には一本道だ。だが、支道としていくつかの狭い横道もある。
横道に隠れてやり過ごしても無駄だろう。最後の鍵は《シド》が持っている。彼を倒すしか、寧々子達に生き残る道はない。
考えあぐねていると、蓮華は既に作業に入っていた。
罠の設置だ。
なんと、《チョコ》は四層で拾ったと思われるアイテムのほとんどを、寧々子達が逃げた先に置いていたのだ。その中には少量の回復アイテムと、いくつかの罠アイテムがあった。
『これなら、行けるわ。もう、後には引けない。ネコも手伝って』
言われて、地面や壁にひたすら罠を設置していく。《猛毒矢》《地雷》《リモコン爆弾》《スタミナドレイン》。
よくもまあ《チョコ》も裸一貫に近い状態からここまで集めたものだと感心したが、恐らく寧々子達と行動していた時にいくつかちょろまかしていたのだろう。
『《リモコン爆弾》の起爆スイッチは私が持つわ。盗賊だから罠には慣れてるし。ネコは魔法珠を持ってて』
《レンカ》が黒い手袋を装着しながら、決意を込めた声で呟いた。
「その手袋は?」
先程設置した《リモコン爆弾》のスイッチを手渡しながら問いかける。
『いい? 説明するわよ。これは《盗賊のグローブ》。アイテムを盗める盗賊の専用装備よ。一度しか使えない、すごいレアアイテムなんだから』
初耳だったが、蓮華は自信満々だ。
罠で相手の注意を逸らし、鍵を盗み取るつもりなのだ。
蓮華の作戦はこうだ。
通路にいくつもの罠を仕掛け、二人は横道に身を潜める。
先程、一瞬だけ確認できたキャラクター情報では、《シド》の職業は戦士。
ならば、罠の解除はできないはずだ。恐らく、回復をしながらじりじり進んでくるか、スイッチが起動して罠が《シド》に襲い掛かる前に駆け抜ける運任せの戦法を取るに違いない。
『どちらにしろ、あいつの注意は罠に向く。《シド》が私達のそばを通り過ぎたら、同時に飛び出すの。私は《シド》に向かい、あんたは出口にダッシュする』
そして、首尾よくカギを盗めたら、蓮華が寧々子に鍵を投げ渡す。
寧々子の仕事は扉を開き、ゴールにたどり着くことだ。
『この作戦はスピードが全てよ。鍵を盗んだら、私は時間を稼ぐ。逃げながらなら、あんな化物相手でも一分はもたせれるはず。けど、一分だけ。あんたは一分以内に鍵を開けてゴールに辿り着くの』
「けど、ゴールがどこにあるだなんて」
『そう、分からない。一分以内にネコがたどり着けなければ、私は死ぬ。はっきり言って、これは賭けよ。だけど、やるしかないの。分かって』
肩を掴まれ、真っ直ぐ見つめられてしまうと、寧々子は何も言えない。
この世のどんな言葉でも蓮華の意志が曲げられないのは、確認するまでもなかった。
「だったら、手持ちの回復アイテムは全部蓮華が使って」
言うが早いか、所持品欄にある《回復珠》や《やくそう》などの全てを《レンカ》に対して使用する。
『バカ。あんただってほとんどHP残ってないでしょ』
蓮華の言う通り、《ネコ》のHPは三割程度しか残っていない。《シド》の攻撃の一撃でも喰らえば、死んでしまうだろう。
「前に出るのは蓮華なんだから、当たり前でしょ」
微笑みながら告げると、水晶の床を踏む足音が通路に響いた。
わずかに顔を出して覗き込むと、案の定、《シド》だ。
『あと一歩で《猛毒矢》の罠が発動する。そうすれば――』
だが、蓮華の思惑通りにはいかなかった。
《シド》は信じられないような手段で、仕掛けられた罠をやり過ごそうとしていたのだ。
《シド》は左手で何かを引きずっていた。それが《チョコ》の死体だと気付くには、一瞬の時間を要した。
《シド》が、右手に握った刀で床を叩く。すると、罠の起動スイッチが可視化され、仕掛けた蓮華以外にも見えるようになった。
そして、《シド》は――
《チョコ》の死体を、そのスイッチの上に放り投げた。
直後、毒矢の雨が《チョコ》の死体へと降り注ぐ。
『俺に罠は通じない。退屈だから早く出てきて正面から殴り合ってくれないか?』
気だるげな口調と共に、ハリネズミみたいになった《チョコ》の死体を拾い上げ、《シド》が前へと進む。
慌てて寧々子達は頭を引っ込め、身を潜めた。
敵が寧々子達に気付くか気付かないか。
横道にはいくつもの凹凸があり、気配を殺している限り気付かれはしないだろう。
だが、相手は超人的な反射神経と、戦闘への嗅覚をもった男である。気が気ではなかった。
あと五歩。《シド》が刀で床を叩く音が響く。何も発動しない。
あと三歩。魔人が刀で床を叩く。足音が止まった。スイッチが出現したのだろう。
寧々子の記憶が正しければ、現在HPの半分を奪う《地雷》だ。彼が数歩下がる音が聞こえる。
再び《チョコ》の死体が投げ出される音。
そして、爆音。
爆煙の中から、再び前に進む足音が聞こえる。相手は無傷に違いない。
とうとう足音がすぐそばに聞こえ、立ち止まる気配を感じた。
おそらく、相手は横道をじっと覗き込んでいるに違いない。寧々子達はただ身を潜めて、息を殺すしかできなかった。
永遠にも感じられる数秒。
足音は止まったまま。
やがて、再び《シド》が剣で罠を確認しながら前へと進んでいく。
ゆっくり、ゆっくりと。
『ん?』
しばらくして疑問の声が耳に届いた。
気付いたのだ。先程の地雷を最後に、罠が仕掛けられていないことに。
《シド》が振り返ると同時に、蓮華が横道から《火炎珠》を投げつけながら飛び出す。
完璧な不意打ち。だが、やはり《シド》には通じなかった。振り返りざまに黒こげになった死体を投げ捨て、先程見せた剣捌きで魔法珠を見事にはじき返す。
だが、相手の反応も蓮華の計算の内だった。燃え上がる業火を煙幕に、蓮華が突っ込む。
『走って!』
声と共に、寧々子も横道から飛び出す。
作戦開始だった。




