8・決戦開始
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死ぬ、死ぬ。殺される。
目前の危機に対し、寧々子の抱いた感想はシンプルなものだった。
《シド》が飛び降りざまに放った攻撃は、ただの一瞬にして《ネコ》と《レンカ》のHPを危険域まで追い込んだのだ。
絶大な威力によって生じた衝撃波により、吹き飛ばされ地面に叩きつけられる《ネコ》達。
『派手だが、面白みに欠ける武器だな、こいつは。《征王剣》。一撃で周囲の敵のHPを1にするが、一度使えば壊れてしまう。《封印されし者》の討伐報酬だったが、退屈な武器だ』
刀身の砕けた剣を放り棄て、《シド》が腰に下げていた日本刀を抜く。
寧々子には理解できた。
目の前の男には絶対に勝てない、と。
「なんで。なんでこんな事を。だってあなた、《封印されし者》を倒したんでしょう? あとはエンディングを見るだけじゃない」
『退屈だからだよ。俺はただ、この退屈を埋めたいだけなんだ。
命のやり取りは、おれの空っぽの心に少しだけ水が満たしてくれる。
ゲームクリアも、カネもどうでもいい。俺はただ、俺の退屈を埋めてくれる相手を探しているだけだ。
最後のボスを倒しに来たような猛者なら、少しは俺を楽しませてくれるだろうと思って』
『退屈、って。ま、まさかあんた。そんな理由で予選迷宮のプレイヤーを……? 二千人を皆殺しにしたっていうの?』
『まさか。いくら俺でもこんな短期間で二千人も殺せるもんか。いい具合に潰し合いが起きただけだよ。とは言っても、俺のスコアがトップなのは揺るぎないだろうがね』
言いながら、緩慢な所作で《シド》が近づいてくる。
相手は遊んでいる。不意打ちまがいの攻撃で倒しても楽しくもなんともない。
死力を尽くして戦えと言っているのだ。
――無理。無理よ。
キャラクターのレベルが違いすぎる。《シド》はプレイ日数そのものはそれほど多くはない。
だが、PKに成功すれば怪物を倒した時より多くの経験値が入る。数えきれないのプレイヤーの血を啜った《シド》のレベルは、寧々子達よりはるかに高いはずだった。
そして、数値外の能力でも圧倒的に負けているだろう。
二千人の頂点に立った技量は並大抵のものではないのだから。
視界の端で《レンカ》が構えるのが見える。だが、無駄だ。彼女では勝てない。否、二人がかりでも不可能だ。恐怖心による妄想ではない。対峙した瞬間に感じた圧倒的な力の差で、寧々子は冷静な分析をしていた。
目の前の男には勝てない。ならば――
「蓮華、動かないで。戦っちゃ駄目。逃げるの」
回復アイテムを使用しながら、小声で寧々子が囁く。
「わたし達の目的は《シド》を倒す事じゃない。クリアすること。この部屋を抜けて最深部に到達すれば、ゲームは終わる。だから……」
瞬間、唐突に加速をかけた《シド》が横薙ぎの一閃を見舞う。
皮一枚で回避するが今のは運が良かっただけだ。次は確実に当てられてしまうだろう。
だが、蓮華に意図は伝わったはずだ。
ならば寧々子がやることは一つ。恭一から教わったレッスンを思い出す。常に相手の裏をかき、先手を取れ。
「さっきあなたは言った。スコアはトップだって。いったい、何人を殺したの。どれだけの人の血を吸えば、それだけの強さを得られるの」
彼我の戦力差は圧倒的。
そこに付け入るスキがあった。相手の慢心を利用し、数秒でも隙を作るしかない。
『何人? 退屈な連中をどれだけ斬ったかなんて、覚えちゃいない。百までは数えてたんだがね』
「じ、冗談でしょ……! どうして人殺しなんか……なんでこんな残酷なゲームなんか……」
怯える声の半分は演技。
相手は気付いてか気付かずか、まるで用意されていた台本のように流暢な説明を始めた。
『さっきも言っただろ。退屈だったんだ。遊びで始めた剣道に敵はいなかった。
大会を十連覇する中、俺は退屈で退屈で仕方なかった。他の武道や格闘技も同じだ。
どこに行っても俺に敵はなく、たった一人の強敵は剣を捨てちまった。
退屈だった。刺激が欲しかった。血が凍り、脳が湧き立つような素晴らしい刺激が』
『そんな、そんな理由で』
寧々子が注意を引いている間に、蓮華は既に準備を終えていた。
――行って!
合図とともに、いくばくかの体力回復を終えた《レンカ》が一気に駆け出し、《シド》の脇をすり抜ける。
『なるほどね。俺を倒さずにクリアするって言うのか。そいつはなかなか名案だ』
超人的な反応速度で、《シド》が《レンカ》を迎撃する。だが、甘い。
『ほう?』
稲妻のような突きをは《レンカ》に届かない。移動速度を五秒間だけ爆発的に向上させる《加速珠》を使用し、大きく迂回した結果だった。
直後、攻撃直後の《シド》に隙が生まれる。
――今しかない。
がら空きの背中に向けて寧々子が投げつけたのは、《閃光珠》。
発動さえすれば周辺の敵を行動不能にする、今まで幾度となく寧々子を救ってきた切り札の一つだ。
弾丸のような速度で魔法珠が迫る。
確実なタイミング。今まさに《シド》の背中に着弾しようとした時。
唐突に、珠が消失した。
『惜しい。非常に惜しいよ。もう一工夫あれば退屈じゃあなかった』
己の目を疑う。
あろうことか《シド》は放り投げられた《閃光珠》を、手持ちの武器で無造作に打ち返したのだ。
それも、背を向けたまま。
一切の視覚情報のない状態で。
そのまま明後日の方向で《閃光珠》は炸裂し、強烈な光を放った。
驚愕に目を見開くが、諦める暇はなかった。
ただひたすらに手持ちの魔法珠を機械のような正確さで投げつけていく。
恭一のレッスンである、今生き残るために全てのリソースを使用しろ、だ。
だが、通じない。
《シド》が瞬時に振り返り、虫でも払うかのように造作なく打ち払っていく。
信じられない光景だった。
超高速で迫る魔法珠を弾くなんて行為、見たこともなければ、ゲームをプレイする中で可能だと感じた事さえなかった。
システム上可能だとしても、入力猶予時間は瞬きほどの時間もないだろう。しかもオンラインゲームという性質上、入力遅延もあるはずなのに、どうして彼はこのような超人的な真似ができるというのか。
まさに神業だった。しかも相手はその神業を背中越しにやってのけたのだ。
さらに――
『嘘、ダメ……、鍵が。鍵がかかってる』
閃光と爆風がこだまする中、遠くから聞こえてきたのは、蓮華の絶望的な叫び声。
『残念だなあ。お嬢ちゃんたち。この部屋の奥の出口を空けるには、《封印されし者》が落とす鍵が必要なんだ。そして、その鍵は俺が持っている』
傷を癒すために、手持ちの回復アイテムはほとんど使い切った。
HPを回復させるアイテムは総じて回復量が低く、アイテム枠を圧迫するために多くは持てないのだ。
出口は塞がり、正面には最強の敵。
まさに、真の意味で、八方塞がりだった。
逃げ場はない。勝ち目もない。どうすればいい。
必死に思考するが、何もアイデアは浮かばない。
《ネコ》に向けて距離を詰めようとする《シド》に、背後から《レンカ》が細剣を見舞おうとする。
だが、相手は完全に読み切っており、振り返りもせずにはじき返す。
『なんだ。本選の最深部まで来たんだから凄い奴らかと思えば、どいつもこいつもぼんくらじゃあないか。退屈だ。もっと楽しませてくれよ』
再び《レンカ》が《加速珠》を使い、寧々子と合流する。
だが、状況は何一つ変わっていない。
さらに魔法珠を投げつけるべきか。
連続で投げつければミスを誘発できるかもしれないが、寧々子達のアイテムが先に尽きてしまう可能性の方が高いだろう。
悪魔が誘惑してきたときさえ感じなかった絶望感が寧々子の胸を侵食していく。
その時だった。
《シド》と《ネコ》のちょうど中間の地点に、緑色のきらめきが走った。
直後、凄まじい突風が三人を襲う。おそらく、《突風珠》の効果だ。
風が収まると、《ネコ》の正面には見覚えのある少女が立っていた。
『ようやくだ。ようやくチャンスが来た』
浅黒い肌、小柄な体躯、そして長い金髪にどこか幼さののこる男の声。
情報を見るまでもなく理解できる。
《シド》と寧々子達の間に割り込んだのは、四層の入り口で離れ離れになった《チョコ》だった。