3・ゲームスタート
▼午後八時 都内警察署/応接室
扉を開けるなり目に入ったのは、流れるような黒髪だった。気配に気づき、参考人の少女が振り向く。
十八歳と聞いてはいたが、大きな目のせいか年齢より幼く見えた。
「聞いてください! このゲームなんです!」
視線が重なった瞬間だった。彼女は恭一の顔を見るなり飛びかかるように向かってきた。
彼女が突き出したのは、携帯電話だ。
画面はゲームの起動画面らしきものを映している。そして、少女はたじろぐ恭一に向かって言った。
「このゲームが……《Daimon’s Frontier》が、桐崎君を……桐崎彰君を殺したに間違いないんです!」
少女が携帯電話を突きつけながら、空いた手でソファに置いてあったスポーツバッグのファスナーを開く。
中には、おびただしい数の一万円札が乱暴に詰め込まれていた。
殺された桐崎の部屋の映像が浮かぶ。
現場に散らばった大量の現金のヴィジョン。間違いない。彼女は事前の情報通り、事件に関係している。
「話を聞こう。俺は警視庁のカツラギ。君は――」
「寧々子。香取寧々子です」
不良刑事。そして、《DF》プレイヤーの少女。そして、《半神達の最先鋭地》。
この二人の出会いが、一千万以上の人間の命を賭けた壮絶な生存競争の引き金になるなど――
今の二人は想像だにしていなかった。
▼七月十二日 午後十時半
香取寧々子とカツラギ刑事が警察署で出会う一週間ほど前の事。
寧々子のもとに一通の返信メールが届いた。
北海道に転校していった親友からのものだ。
連絡が来たのはおよそ三か月ぶり。
相手が転校する直前につまらない事で喧嘩をしてしまって、それきりだった。
時間が経った今となっては原因もロクに思い出せない程些細なものだったのに、どうして疎遠になってしまったのだろう。ずっと後悔していた。
「よかった」
自室のベッドに腰掛け、思い切って自分から
『元気してる? こっちは平穏。蓮華が転校先で楽しくやってるか気になって連絡しました』
とメールしてみたのは正解だったようだ。
送信してから三十分間、返信が来ないかもしれないという不安でいっぱいだった。
『元気だよ。そっちはどう? いまヒマかな? ヒマならちょっと話さない?』
返信が届くと、自分しかいない六畳間で、静かにガッツポーズをとる。よかった。相手ももう怒っていない。
解放感から深く息を吐き、タッチパネルを操作して緑色のアイコンを押下する。チャットや通話が無料でできるメジャーなアプリだ。
起動に数秒待たされ、トップ画面に移行するとすぐさま着信があった。
表示名は小鳥遊蓮華。待ち望んでいた友人からだった。慌ててイヤホンマイクを挿し、応答する。
「もしもし」
『久しぶり、ネコは元気してた?』
電話の向こうから快活な声が飛び込んでくる。
引っ込み思案の寧々子を幼い頃からいつも引っ張ってくれた、頼りがいのある声だ。ネコという蓮華だけが使う愛称も久々だった。
「うん。わたしは変わらずだよ。いつも通り。三年になった途端に先生が勉強勉強ってうるさくなったくらいかな」
本当は少々のトラブルを抱えていたが、友人には無関係だ。寧々子が明るく言い放った言葉を皮切りに雑談に花が咲く。
学校の話、連載中のマンガの話、好きなアイドルの、ドラマの、アニメの、ゲームの――話したい事なら山ほどある。一晩中だって語り明かせる自信があった。
一時間以上は喋ったころだろうか。
蓮華が、奇妙な話題を持ち出した。
『ねえ、知ってる? 満月の晩、午前零時にだけダウンロードできるゲームがあるの。それも、今まで誰もプレイした事にない、とんでもないゲームが』
「何それ。都市伝説?」
突拍子もない話に疑問の言葉がついて出た。
ゲームは好きだったが、受験生となった今となってはじっくり遊ぶ暇などありはしない。
ただ、何となく興味は湧いた。満月の夜にしか、という言葉も気になる。何せ、今日はちょうど満月で、今は午前零時の五分前なのだから。
『いいから試してみなって』
けらけらと笑いながら、蓮華がURLをテキストチャットで送ってくる。
タップしてみるが、404エラー――アドレスが見つかりませんと出るだけだった。
『零時ちょうどじゃないとダメだかんね』
まるで傍で見ているかのように、蓮華が忠告する。どうやら、寧々子の行動などすべてお見通しのようだ。
そのまま数分待ち、零時になったのを確認してから再びアドレスをタップする。
すると先程と違い、ファイルのダウンロードが開始された。
「わっ。本当に始まった! な、なにこれ!」
『いいからいいから』
言われるままに設定をし、利用規約画面をすっ飛ばして同意する。
煩雑な操作をいくつか終えた後、表示されたのは妙に古臭いなデザインで描かれた『Daimon,s Frontier』というタイトル画面だった。
イラストも、音楽もない。骨太を通り越して手抜き感すらも感じられてしまう。
画面をタッチすると、『キャラクターを作成してください』というメッセージが表示される。
どうやら、寧々子がこれから扱うキャラクターの外見や名前を設定しなければならないらしい。
『キャラクターの見た目は性能に影響しないから好きに作るといいわよ』
「その言いようだと、蓮華はもうゲームをしてるみたいだけど……?」
『ええ、ちょっとね。やってみたら、絶対にびっくりするんだから!』
興奮気味な蓮華の様子に、急かされるように寧々子がキャラクターを作成する。
ディスプレイの中にはアニメ調に陰影付けされた3Dポリゴンの素体が立っていた。性別、髪型、顔つき、体格などは自由に決められるようだ。
しばらく悩んだのち、寧々子が作りだしたのはほのかな赤い長髪をなびかせる、細身の少女だった。
名前は特に考えず、先程蓮華に呼ばれた《ネコ》とそのまま名付けた。
初期職業選択や基本操作説明などの煩雑な通過儀礼を終えると、あれよあれよという間にキャラクター作成は終了。画面が暗転し、ゲームが開始される。
そして次の瞬間。携帯電話を操作しているだけのはずの寧々子に奇妙な違和感が襲った。
画面の中に吸い込まれるような感覚、眩暈に似た倦怠感。
もちろん実際に吸い込まれてなどいないし、眩暈だってすぐに収まった。
気付けば《ネコ》はどことも知れぬ、深く暗い迷宮の中に立ち尽くしていた。
数メートル先も見えない闇と、湿気で粘ついた空気。
天然の岩塊を積み上げたような壁には苔がむし、不気味さに拍車をかけて
いる。
携帯ゲームの水準ははるかに超えているが、リアルには遠い。その程度のクオリティだ。
だが不思議な事に、寧々子の五感はまるで本物の地下迷宮に立っているかのような錯覚を覚えていた。
棒立ちする《ネコ》に向け、どこからともなく重苦しい声が響いてくる。
『君は一攫千金を夢見て古代の迷宮に足を踏み入れた冒険者だ。脱出手段は最下層にある秘宝を手に入れる事のみ。人生を変える大金を手に入れるか、死ぬか。二つに一つしかない。さあ、まずは自らの足で迷宮を進むのだ』
――うわあ、レトロな。
乾いた笑いが漏れる。古臭いどころか、もはや寧々子が生まれる時代より以前のゲームだ。
骨董品と言い切ってもいい。
やや辟易しながら謎の演説を聞き終えると、改めて操作方法を確認する。
指を滑らせ移動し、画面をタッチし初期装備の棒切れを素振りする。
タッチだけで移動や攻撃などの一通りの操作が可能のようだ。
ストーリーには魅力もへったくれもないが、動作が快適なのは嬉しい限りだった。
『と、いうわけでハロー』
「わっ!」
突然、イヤホンから蓮華の声が二つに重なって聞こえてきた。驚きのあまり、悲鳴が漏れる。
『あはは、ごめんごめん』
余り申し訳なさそうに蓮華が謝罪しながら、通話アプリが切断される。どうやらゲームの方に音声通話機能があるらしい。
《ネコ》が振り返ると、目の前には上半身を金属鎧で覆った黒髪の女戦士が立っていた。
すらりとした長身に細剣が妙に見合っている。キャラクターをタッチすると『盗賊/レンカ』と表示された。どうやら本名をもじって登録しているらしい。
「蓮華がここにいるって事は、これ、オンラインゲーム?」
『そそ。確か、同じ学年の桐崎君も《ディルーク》って名前でやってるらしいわよ』
蓮華の言葉に「へぇ」と生返事をする。クラスメイトではあるが、特に仲がいいわけでもないのであまり興味はなかった。
『あれ。こっちは驚かないのね。残念。けど、次はもっと驚くんだから。心臓が止まっても知らないわよ』
蓮華にとっても桐崎の事はどうでもよかったのだろう。すぐに話題が切り替わった。
「驚くって、何が?」
悪戯っぽく笑う蓮華に尋ねるが、答えは返ってこない。
彼女は寧々子が驚き慌てるのを確信しているようにみえる。同時に、その姿を見るのを楽しみにしているように思えた。
そして数分後。
寧々子は蓮華の想像通りの驚きを見せる事となる。
初めての戦闘を終えた時だった。
倒したモンスターが光の粒子となって消え去ると同時、足元に木製の箱が現れる。
宝箱だ。
『開けてごらん?』
心底楽しそうに蓮華が箱を指さした。
何が彼女をそんなにニヤつかせているのだろう。僅かな不安に戸惑いながらも、箱を開ける。
その瞬間だった。
「な、なにこれ!?」
目を見開き、口をぱくぱくと開閉させながら問いかける。
ゲーム画面では『入手/カネ:10万円 防具:天使のロザリオ』と、簡素なシステムメッセージが表示されていた。
『驚いたでしょ! 信じられる?』
驚くに決まっている。驚かないほうがどうかしている。
何故なら――
ゲーム内で《ネコ》が箱を開けた瞬間、現実の寧々子の頭上に、一万円札が降ってきたのだから。
きっかり十枚。表示されたメッセージと同額だった。
慌てて上を見やるが、見なれた自室の天井のままだった。
十万円は、何もない空間から突然現れたのだ。
『このゲームで入手したお金は、そのまま現実のお金になるのよ!』
ネット回線の向こうで興奮する親友とは逆に、彼女の神経は冷たく凍り付いていた。
恐怖もある。困惑もある。疑問もある。だが、それ以上に――
「このお金が、あれば……」
暗い声で、小さく呟いた。
蓮華が『どうしたの?』と声をかけてきたので慌てて「なんでもない」と首を振る。
「お金って、いくらでも稼げるの?」
『ううん。それはないの。ステータス画面開いてみて』
画面隅のアイコンに触れ、メニュー画面を開く。瞬時にHPや攻撃力などが表示された。
『ステータス欄に、スタミナの項目あるわよね。これ、物凄く重要だから』
言われて確認する。《ネコ》のスタミナは、最大値の100を表示していた。
『スタミナは、動いたり戦ったりすれば減るわ。0になれば動けなくなる。それでも無理して動く事はできるけど、今度は行動するたびにHPが減っていくの』
言いながら走り始めた《レンカ》を追いかけると、しばらくしたらスタミナのカウントが1減少した。
『スタミナが0になった状態でモンスターに襲われたらひとたまりもないわよ。嬲り殺されるか、HPが0になるまで逃げ惑うかしかないもの』
スタミナの消費を抑えるためか、走っていた《レンカ》がスピードを落とし、歩き出す。
『あと、あんまり重要じゃないけど、一応言っとくわ。スタミナは、動かなくてもごくごく少量の自然減少があるの。ずっと何もせずに放置してたら餓死しちゃうから気を付けてね』
要はこまめにプレイし、余力を残して探索しろという事だろう。
スタミナを回復するためのアイテム《食料》は毎日午前零時に自動的に配布されるらしい。
宝箱からは拾えないようで、基本的に一日で取れる行動には限りがあるとの事だ。
『けど、対策はある』
言葉とともに《レンカ》が立ち止まる。
彼女の目の前には、どういうわけか石造りの迷宮にそぐわない、ジュースの自動販売機そっくりの物体が鎮座していた。
「対策って、どんな?」
『ぶっちゃけ、課金よ。この自販機で、アイテムが買えるの。ダンジョン内にたまに設置されてるわ』
携帯ゲームではよくある事だ。プレイ料金が無料なかわりに、ゲームを有利にするための有料アイテムを販売しているのだ。腕前ではなく課金した額で強さが決定するシステムには、正直あまりいい印象は抱いていない。
だが、実際に調べてみると、寧々子に到来したのは悪感情ではなく、呆れと驚きだった。
「なに、これ……」
声が、震える。
課金アイテムの種類はそれなりに多い。
《経験値二倍》や《見た目の変更》など定番から、《タバコ》などという訳のわからないものまである。
ただ、寧々子が気になったのは種類ではない。価格だった。
《携帯食料》 スタミナを20回復する。価格/1000万円。
《リモコン爆弾》 起爆スイッチを押すと、周囲三メートルに最大HPの15%ダメージを与える。価格/500万円。
他の課金アイテムも同様だ。安い商品――HPをごく微量回復する《やくそう》でさえ五十万円だというのだから驚きだ。
「ば、馬鹿じゃないの……払える訳ないよ、こんなの」
あまりにふざけた内容に頭を抱える寧々子をよそに、蓮華はいつも通り笑っているだけだった。