7・刑事暗躍
▼十六時三十一分
恭一がビルから飛び出すなりタクシーを拾うと、通信機に着信が入った。
『どうやら上手くアポイントメントを取ったようだね』
「おかげさまで」
当然ながら通信の相手は涼原だ。彼は満足そうに息を吐くと、冷たい声で告げた。
『命令だ。発見次第小鳥遊蓮華を殺せ。そうすれば、全てが終わる。分かっているだろう。米軍のサイバー攻撃まであと一時間半。それまでにゲームをクリアするか小鳥遊を始末せねば、日本が世界地図から消し飛ぶ。今までの経験上、人間の力では悪魔の防壁を突破するのは不可能だからだ』
「……了解です」
『銃は持っているな?』
「はい」
恭一の懐には、官給品の自動拳銃が収められていた。悪化する治安を理由に、ほんの先日、携帯が許可されたのだ。
『躊躇はするな。ところで今は運転中かい?』
「捜査用車が急に故障を起こしまして。今はタクシーを使ってます」
『時間が無いというのに、何て事だ。とにかく、今は何よりも小鳥遊を確実に消さねば。すぐに増援を送る。若干遅れるとは思うが、後処理は気にしなくていい』
「……そいつはどうも」
『君には、重責を押し付けて悪いと思っている。だが、君だけに責任を負わせはしない。私も、やれることはやってみるつもりだ』
苦い声しか出せない恭一に向かい、涼原が決意を込めた口調で告げる。
『こう見えても顔が広くてね。裏のコネクションを使って、米国のサイバー攻撃を行うチームに奇襲を仕掛ける。今、我々に必要なのは一秒でも多くの時間だ。あちらさんより先に仕事を終えねばならない以上、致し方ないだろう』
「ち、ちょっと待ってくれ。それってもはやテロじゃ……」
『言っただろう。君だけに重責を背負わせないと。国家を守るためなら、私はどんな犠牲でも払う。その中には、自分自身の命や名誉も含まれているんだよ』
冗談じみた口調の中に感じられる誇り高さ。まったくもって大したものだった。
『私は怪我で君に協力できない。右手は二度と握力を取り戻せず、銃も握れない。だから、だから、頼んだ。葛城、君は小鳥遊を確実に始末するんだ。
気休めかもしれないが全ての責任は、私一人で負う。君を、法的な殺人者には絶対にしない』
普段ならば、絶対に聞き入れられない指令。胸に吐き気がこみあげてくるが、拒否はできない。
このまま真っ直ぐ潜伏場所に向かい、蓮華を殺すしか、今の恭一にはできないのだ。
「わかり、ました」
『全てが終わったら二人で酒でも飲もう。約束だ』
「言っておきますが、俺は酒にはうるさいですよ? とびきり上等なヤツをたかってやりますから」
『構わないさ。極上のブランデーを用意しておく』
そのまま通信を切られると、すぐさま別の着信が入った。
今度は通信機ではなく携帯電話だ。
「葛城だ」
『どうも。悪魔ニヒルだ。その連絡先を探し当てるには、思いのほか骨が折れたよ。早速だが君に取引を申し込みたい』
「お断りだ」
間髪入れず拒否する。聞き入れるつもりは毛頭なかった。悪魔がどうやってこの携帯電話にかけてきたのか、もはや疑問にすら思わない。何が起きても不思議ではないからだ。
恭一の反応に、悪魔が不機嫌そうに吐息を漏らした。
『お前らは、なにも分かっちゃいない。本当に小鳥遊を殺せば事件が解決すると思っているのか?』
「思っているさ。ゲームは間違いなく終わる」
『ああ、終わるさ。間違いなく。だが、それが最大の間違いだって事に何故お前ら人間は気付かない。
お前らには分からないかもしれないが、おれは人間が好きだ。愛していると言ってもいい。
触れれば壊れてしまうほど脆い心で、必死に毎日を足掻き、生き抜く人間を、心から愛し、尊敬している』
「だから《DF》を開催したとでも? 壊れそうな人間を観察するために」
『そうだ。燃え尽きる寸前の蝋燭のように、必死に光り輝く姿が、おれは大好きなんだよ。
悪とは何だと思う? 弱さだ。だからおれは人間の弱さを刺激する。壊れる寸前まで、いや、壊れるほどに。
そして悪魔の試練を乗り越えた強い人間を、素晴らしい人間をただ見たいだけなんだ。
別に大虐殺をしようなどとは思っていない。だというのに貴様は……』
「ゴチャゴチャうるせえよ、クソ悪魔。結局テメェは自分自身の快楽のために人殺しをしてるだけじゃねえか。下らねえ。
言っておくがテメェが何を言おうと、俺は取引なんざに応じるつもりはない」
『なぜ分からない! ただの正義感か? それとも刑事としての信念か?
言っておくが、信念なんてものは、真実にとって嘘よりも危険な敵だ。
何故なら、ゲームをクリアすれば、お前らは……いや、何千万もの人間が、間違いなく――』
「黙れって言ってるだろ。喋り方が一々回りくどくて鬱陶しいんだよ。
俺は小鳥遊蓮華を殺せと命令を受けた。拒否はできない。そういうルールだからだ。だから、テメェが何と言おうと、無駄だ。じゃあな」
言い切り、電話を切る。
これでいい。全て、恭一の計画通りだ。
「お客さん、大丈夫です? 気分悪そうですけど」
「大丈夫だ。まだ倒れはしない。やることが山のように残ってるんでね。ところで、この車、煙草は」
「申し訳ありません。禁煙なんですよ」
「……だよ、な」
軽く舌打ちし、火のついていない煙草をくわえたままシートに体重を預ける。
恭一にとっても最後の戦いを前に、彼はただ寧々子の無事を祈るしかできない。
胸元では、再び携帯電話の着信音が響いていた