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ダイモンズ・フロンティア  作者: 白城 海
第五章 死にたがり達は、狂乱の迷宮で舞い踊る
36/52

4・ムカシバナシ

 胃を引き裂かんばかりの強烈な重圧に、無意識のうちに恭一の体が硬直する。


 声が、出ない。

 指の一本も動かない。呼吸すら困難になる。


『女の子は、毎日を優しい家族や大切な友人といっしょに、平穏に暮らしていました』

 声に反応するように、まっ黒な壁に薄ぼんやりとした光の線が走る。

 線は瞬く間に人の形を取り、少女のシルエットを描き出した。


「え、蓮……華?」

 不思議な事に、線だけで描かれた少女の姿は恭一にも小鳥遊蓮華と見て取れた。

 何故かはわからない。だが、はっきりと感じられたのだ。


『平和に暮らしていたある日、女の子は両親の都合で、遠い地へと引っ越していきます。その際、もう思い出せないようなつまらない理由で、かけがえのない親友と喧嘩別れもしてしまったのです』

『……やめ、て。ねえ、やめなさいよ。ニヒル』

 虚無(ニヒル)。おそらく、悪魔の名だ。

 蓮華の震える声が静止するが、闇から響く声は止まらない。

 光の線はさらに形を変え、二人の少女が言い合いをする場面を映し出していた。


『ですが、後悔先に立たず。仲直りもできぬまま、女の子は遠い地に出発します。そこで、恐るべき事件が待ち受けていることも知らず』


――何を考えている。何をしようとしている。

 今までだんまりを決め込み、観察するだけでしかなかった悪魔が、アクションを起こしている。

 それも、他ならぬ蓮華と寧々子に向かって。


 何の理由もないはずが無かった。


『ある日、いつものように女の子が共働きの両親のためにご飯を作り、帰りを待っていた時の事です。

 なんと、お父さんも、お母さんも、家には帰ってきませんでした。交通事故に遭い、まとめて死んでしまったのです。

 遺体は顔面が潰れ、轢かれたネコみたいに内臓をぶちまけた、それはそれは無残な姿でした』


 その事件は、恭一も知っていた。

 警察のデータベースによると、蓮華の両親はドラッグ中毒の男が運転する車によって、凄惨な死を遂げたとなっている。


「嘘、でしょ」

 だが、寧々子は違った。今の今まで知らなかった。

 小鳥遊夫妻の死はニュースにもなったが、確か当時は大型旅客機の行方不明事故にかき消され、全国的な知名度はさほどでもなかったからだろう。

 光の線はさらに歪み、変化し、墓標の前にたたずむ少女を描いていた。


『女の子は独りぼっちでした。親類もなく、たった一人の親友も、遠い場所にいる。

 誰も、彼女の苦しみを知らないし、知ることもできない。しかし、そこにふしぎな魔法使いが現れたのです』


 喪失に嘆く少女のもとに舞い降りたのは、翼を背負った天使。

 考えるまでもなく分かる。こいつは天使などではない。

 契約を持ち掛けた、悪魔だ。


『魔法使いは言いました。お前の願いを、一つだけ叶えてやろう。

 そう、魔法使いは少女の願いを叶えるためにやってきたのです。そして、少女は望みを口にしました』


 悪魔の狙いは分からない。

 だが、少なくとも蓮華と寧々子にとって致命的(クリティカル)な何かを起こそうとしているのは、容易に見て取れた。


『少女は言いました。悲しいの。苦しいの。独りぼっちはつらいの。だから、私の悲しみを、誰かに知ってほしいの』


 声の色が途中で別人のものへと変わる。重い声から、蓮華の肉声そっくりなものに。録音していたのか、合成していたのかは分からない。だが、悪趣味にもほどがあった。


『魔法使いは、少女の願いを聞き入れました。喪失の悲しみを、誰にも伝えられない孤独を、多くの人に伝える力を与えたのです』

『違う、違う……私が言ったのは、そんな意味じゃ……違うの』

 蓮華がうわ言のように繰り返すが、悪魔はまるで聞いていないかのように言葉を続けていく。

『魔法使いが唱えた魔法の名は、《ダイモンズ・フロンティア》。この魔法によって、少女の願いは、実を結んでいきます』

 悪魔の声質が、淡々としたものから徐々に、徐々に底意地の悪いものへと変化していく。肉食獣が獲物を追い詰め、いたぶるように。

『そう。数えきれないほど、多くの人が死んだのです』

 突如、再び暗闇が画面の中を襲った。

 そして数秒後。再び明かりが灯る。

「……これ、は」

 恭一が呻き、寧々子が画面から目を背ける。

 そこには先程までの抽象的なイラストと違い、本物の写真が映し出されていた。

 電車の中で真っ二つにされた男が、全身の血を吸われミイラとなった少年が、薬物で表皮が爛れ筋肉を露出させた女が、壁に、床に、天井に、目いっぱいに張り出されのだ。


『《ダイモンズ・フロンティア》によって殺された人々の家族は、大いに悲しみました。苦しみました。

 嘆きました。その中にはもちろん、独りぼっちになってしまった人もいました。彼女の望み通り、まったく無関係の罪のない人々に、喪失の悲しみが広がり、女の子と同じ気持ちになったのです』


 続けて映し出されたのは、写真ではなく映像だった。


 もう動かない娘に縋りつき、泣き叫ぶ母親。

 仏前で涙を流す喪服の人々。

 恋人の死に耐えれず、後を追う若い女性。


 ネットワークを通じて広がったあらゆる喪失の嘆きが、悲しみが、携帯電話の狭い画面から溢れんばかりに流れ出していく。

 スピーカーから聞こえるのは、すすり泣く声、怨嗟の嘆き、そして、失意の叫び。

 聞く者の胸を締め付け、脳を痺れさせる圧倒的な負の感情が現実世界までもを覆い尽くした。


『なんで、ねえ。なんで』

『返事しろよ、なあ』

『帰ってきて、お願い、帰ってきて』

『おかしいじゃない!? どうして警察はなにもしてくれないの!?』

『息子が、死んだ?』

『嘘、でしょ?』

『犯人め、殺してやる。殺してやる!』『娘は、私の生きがいだったん、だ』

『結婚するって、言ったんだ。なのに、どうして?』

『たすけて』『いやだ、もういやだ』

『死にたい、よ』


 絶望が、狂気が、喪失感が、そのまま恭一達の精神を侵食していく。

 声が出ない。身動きも取れない。遺族たちの生の感情を百倍に濃縮され、叩きつけられているのだから当然だ。


『止めてっ。もう止めてっ! 私はそんな願い、求めてなかった。誰かに悲しみを押し付けようなんて、考えてもいなかった! 私はただ、ただ……』


 身を押しつぶさんばかりの圧迫感の中で声を上げたのは、蓮華だった。

 同時に、ぴたりと、悲嘆の唱和が消え去る。同時に、《DF》の世界も暗闇に包まれた。


 そして数瞬の沈黙の後。響き渡ったのは、おぞましい哄笑だった。

 悪魔の、嘲る笑い。けたたましく響き渡る声が、痺れた脳をさらにひっかいていく。

 そしてそのまま、悪魔はさも楽しそうに、話を結んだ。


『こうして、少女の願いは叶ったのでした。めでたしめでたし。ってな』

 救えない。どうしようもなく救えない話だった。

 悪魔の言葉が真実なら、蓮華は純然たる被害者だ。

 ただ悪魔に囁かれ、騙され、悪夢と狂気の支配する世界に引きずり込まれた哀れな子羊だ。


「そのくらいにしておけ。何が目的かは知らないが、こっちはテメェのたわごとに耳を貸す時間はないんだ」

 見かねた恭一が静止する。叫び出したくなるほどの悪魔への嫌悪を隠して。

 だが、悪魔はそんな恭一に構わず言葉を続けていく。


『おいおい、聞きたまえよ。ここからが本当に面白い話になるというのに、さ』

 悪魔の口調が変わる。

 回線の向こう側、仮想世界の先で蓮華が息を呑む音が聞こえた。

 多くの犯罪者に接してきた恭一は知っている。

 蓮華にとって何かとてつもなく不都合な、それこそ死よりも辛い恐るべき現実を突きつけられようとしていると。


 何故なら真に追い詰められた人間は、言葉を失ってしまうからだ。

 弁解も、謝罪も、同情を引く嘆きも、何も出ない。感情の渦が脳の言語中枢を荒れ狂い、あらゆる言葉が出なくなってしまうのだ。


 そして、予想は的中する。

 悪魔の語る物語には、続きがあった。


『死んでいく無関係な人々。広がる悲しみ。女の子は絶望します。こんなつもりじゃなかったのに、と。

 魂が深い闇に落ちていく中、一通の手紙が届きました。遠く離れた、親友からのものです』


 壁面に再び光の線が走り、携帯電話を握り締める少女が描き出される。

 悪魔の歓喜に満ちた声に混じって、蓮華のすすり泣く声が響いていた。


『元気してる? こっちは平穏。蓮華が転校先で楽しくやってるか気になって連絡しました』


 泣き声に割り込みもたらされる声は、寧々子のものだった。

 直後、寧々子が口元を押さえ、小さな悲鳴を上げる。恭一も、合点がいった。


 小鳥遊蓮華が、寧々子を《DF》に引きずり込んだ理由に。


『暗闇の中で絶望する少女にとって、その手紙は余りにも残酷な物でした。少女の心に湧きあがったのは、溢れ滾らんばかりの、殺意』

 もはや蓮華の泣き声すらも聞こえない。

 純然たる静寂の中で、悪魔だけが、高らかに絶望の歌を紡いでいく。


『そして、決めたのです。この能天気な女を、地獄に送り込もう、と』


 光の筋が描き出すのは、串刺しにされた寧々子の絵図。

 今、全てが明かされた。

 蓮華が悪魔と契約した理由も、どうして親友である寧々子を死のゲームに引き込んだのかも。

 蓮華本人は否定も肯定もせず、ただ沈黙を保つのみだった。


――だが、何のために?

 恭一の脳裏に浮かんだのは疑問だ。

 どうして今のタイミングで動機を明かす必要がある。今まで影しか見せなかった悪魔が、直接介入してくるのだろうか。


――何か、理由がある。

 思考する恭一をよそに、悪魔がさらに言葉を続ける。


『さて、香取寧々子ちゃん。このおれ、悪魔ニヒルが、ここまでたどり着いた君に、素敵なプレゼントを授けよう』


 優しく、包み込むような声音で。


『プレゼントボックスの中身は、素敵な新情報。内容は、ね……今も、蓮華ちゃんは、寧々子ちゃんを殺そうとしている。って秘密さ』


 まさに、悪魔の囁きを、言い放った。

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