6・決闘追跡者
相手の声は本気だ。紛う事なき本物の殺意が黒羽の頭を突き刺している。
反抗など許さない圧力に屈し、そのまま携帯電話を床に置く。
「百戦錬磨のPKが、こんなガキとはね。確かに図体はデカいが、ツラから甘さがにじみ出てるぜ? 少年」
事実、黒羽の年齢は十四。《DF》とカネが無ければただの無力な中学生だった。
携帯電話を回収したカツラギ刑事が、じっと黒羽の顔を覗き込み、嘲笑う。
彼の手に握られていたのは拳銃ではなく短警棒だった。拳銃と言ったのはブラフだったようだが、今となってはもう遅い。
「何でオレの場所が分かったんだよ。偽装は完璧だったはずだ」
影武者との連絡は他人名義の携帯電話を使った。拠点だって首都圏のホテルを転々として常に動いていた。なのに、どうして……?
「警察を舐めるな。面談の時、明野が《チョコ》本人でないのは確信できた。あとは簡単だ。明野本人から携帯電話を提供してもらい、テメェの番号を追跡した」
「……連絡に使った携帯電話は他人名義。それもすぐに捨てたはずだ」
「そうだな。だが、ファミレスの防犯カメラに妙な顔が映っててな。指名手配中の中学生のツラだ。そいつの母親は《DF》事件に巻き込まれ、死んでいた。
明野に問いただしたところ、その中学生こそが本物の《チョコ》であることを確認。身元が分かればもう苦労はない。《DF》をプレイするには余程複雑な経緯が無い限り他人名義の携帯電話でプレイするのは不可能なんだからな。
顔と名前が分かれば、俺一人でも探し出すのは不可能じゃなかった。分かるか、黒羽安吾君?」
余裕綽々に朗々と告げられる言葉に、黒羽は何も言い返せない。
「さて、お前はさっき《ネコ》に対して何て言ってた? 確か、こう言っていたはずだ。笑え、って」
カツラギの表情は怒りに燃えていた。
憤怒の形相で黒羽の顎を持ち上げ、睨み付けていた。
「ほら、ピンチだぞ。お前も笑えよ。笑ってみろよ、少年。こんな風にな」
カツラギが、耳まで裂けたような壮絶な笑みを浮かべ、迫る。
今や、黒羽の胸中にあるのは恐怖だけだった。
悪魔のゲームを利用し、人を殺したのが発覚した。
それどころか、今まさに殺そうとしている現場まで抑えられた。言い訳も弁解も通用しない。
果たして、まともな裁判は受けられるのか。もしかしたらこのまま始末されてしまうのではないのか。
「そうか。どこかで聞いた声だと思ったが、お前、《ヘイト》だな。だが、今となってはどうでもいい。お前は警察を、俺を、寧々子をナメ過ぎたんだよ。報いは受けてもらう」
「……報い?」
「当然だ。持ってるカネは全額没収。もちろん携帯電話も押収だ。何せ未成年の為に伏せられてるが、世間じゃお前は母親殺しの容疑者だ」
言いながらカツラギが《チョコ》を動かし、《ネコ》へ所持金を投げ渡す。
「ま、待て! 警察がプレイヤーを捕まえてみろ。悪魔がミサイルを発射するんじゃないのか!?」
「発射はしない。奴が恐れてるのはサーバーか契約者を押さえられることだけだ。人間同士がゲーム世界の外でまで化かし合うだけならば、ニヤニヤしながら傍観してるさ。
今回の事件の黒幕、悪魔は純粋なる愉快犯。ただ、人間同士が争うのを見たいだけなのは間違いない。俺達警察が《チョコ》と面談した時点で文句の一つも言っていないのが証拠だ。いい加減観念しろ」
全身から力が抜けていくのを感じる。
今まさに、黒羽は敗北したのだ。カツラギ刑事と、香取寧々子に。
「どうして。どうして。何で、何でオレばっかり。こんなゲームが無けりゃ。こんなゲームが……」
ぼろぼろと涙を流しながら、うわ言のように繰り返す。
終わった。終わったのだ。何もかも、終わってしまった。
既に二億以上のカネは奪われた。このまま黒羽はゲーム内で死ぬ。母親と同じように、ただの物言わぬ肉の塊になる。
恨みも晴らせず、何者にもなれず、ただ十四年の生涯に幕を下ろすのだ。
思考が停止し、全てが闇に溶けようとしたその時。
『待ってください!』
今まで黙り込んでいた寧々子が割り込んだ。
『そこにいるのは、カツラギさんなんですよね。だったら止めてください。もう、こんなのたくさんです! それじゃ悪魔の思う壺じゃない! 憎しみ合って、殺し合って、ゲームの中でも外でも。おかしいじゃないですか!」
彼女の言葉は、カツラギに突き刺さったようだ。
涙で歪んだ視界の中でほんの僅かに、眉をひそめるのが見えた。
「だが、こいつを放っておけばまた君を狙うかもしれない」
『じゃあおカネや強力な消耗品だけ取るか破棄して、他のものは残してください。そうしてれば、隠れてれば……生き残れるかもしれないから。
別にここで《チョコ》さんを捕まえても、悪魔には何も痛手を与えれないじゃないですか。
こうやってカツラギさん達がいがみ合ってるのを見ながら笑ってるかもしれないのに!』
今にも泣きだしそうな声で叫ぶ寧々子を見て、黒羽は心底彼女の事が理解できなかった。
――何故だ。
どうして彼女は自分を庇うのだ。
ほんの先程、裏切り、殺そうとした相手を、どうして救おうとするのだ。
そして、何故そこまでして蓮華という親友を信じられるのだ。
何もかも、理解不可能だった。得体の知れない感情が、胸の中を駆け巡り、痛みとなって荒れ狂う。
――痛くて苦しい。だけど、何でオレは安心してるんだ。情けをかけられているのに。同情され、憐れまれ、見下されてるのに。そんな風に思われるなら、死んだ方がマシなはずなのに。
実の親にさえ裏切られ続けてきた彼の人生には、寧々子の思考は全く理解できない。
だが、理解できないなりに、何らかの変化をもたらしていた。
混乱に支配される黒羽と、携帯電話を交互に眺め、カツラギが深くため息をつく。
「武器と防具、そして食料だけは残してやる」
『あ、メインの武器だけは回収してください。多分、《チョコ》さんの切り札です。何だか不思議な使い方してたので気になってて』
「……お前、結構エグいよな」
寧々子の要請にカツラギが苦笑いを漏らす。
度が過ぎたお人好しかと思えば、今のように抜け目のなさも見せる。やはり理解できない相手だった。
「お前のカネとメインウェポンとやらは既に寧々子に渡した。危険物を全部捨てたら携帯電話は返してやる。後は死ぬ気で生き延びろ。とは言っても、このホテルから逃げるのは許さないし、事件が終われば相応の報いは受けてもらうがな」
負けた。黒羽は負けたのだ。
それもただの敗北ではない。完敗だ。
寧々子に絶望を突きつけられなければ、カツラギに身元まで押さえられる始末だ。
もし逃げれば、彼は地獄の果てまでも追って来るだろう。もはや、袋小路だった。
「畜生、殺してやる。いつか、絶対にお前ら、殺してやる」
嗚咽交じりに毒づくが、ただの強がりだ。もはや黒羽には立ち向かう程の殺意も無ければ、憎悪も残っていない。あるのはただの、得体の知れない感情の混乱だけだった。
だが――
悪魔の仕掛けた死のゲームに、混乱して膝をついている時間など与えられてはいない。
どれだけの時間が経ったろうか。
『逃げて!』
突然だった。
携帯電話から悲鳴にも似た叫びが飛び込んでくる。蓮華のものだ。
『早く、階段までっ! そうじゃないと、そうじゃないと……』
次に放たれた言葉は、《DF》ではとっくに聞きなれた、それでいて看過できないものだった。
『みんな、殺される!』
殺される? 誰に?
殺害を依頼したPK達の事だろうか。だが、黒羽の予想は外れることになる。
何故なら、誰もが想像さえしない事態が、蓮華とPK達の間で起きていたのだから。
『最終ボスが出たのっ! 他の人は、みんな死んだ。殺された! 早く、私たちも逃げなきゃ!』
必死の警告に、黒羽はただ硬直するしかできなかった。