5・ワンサイドゲーム
「何、で」
『何で親友が裏切るかって? たぶんね、最初からあいつは、あんたを殺すつもりだった。だからこんなクソゲームに親友をぶち込んだ。だけど、しぶとく生きてるみたいだから、あたしに話を振ってきた。最初に言ったじゃない。あの女はPKだって。あたしは、この目で見たって』
「何で……」
『ん? 動機じゃなかった? じゃあ、何であたしが提案を受け入れたかって?
あたしだって迷ったのよ。三千万払ってあんたの持つカネと食料を手に入るか、このまま組み続けるか。
でも考えるまでもなかった。もう鑑定屋を開かない以上、戦力的に劣るあんたを連れ回す必要性はないしね。
さて、質問は終わり? 聞きたいことが何もないなら殺すわよ。もっとも、質問が残ってたところで殺すけど。もう、お友達ゴッコは飽きちゃったもの』
饒舌だった《チョコ》が途端に押し黙る。
直後、《ネコ》のHPゲージが一気に半分にまで減少した。
「えっ」
《チョコ》が何か動いた素振りはない。
ただ、先程までと違って彼女は錆びついた短剣を握り締めていた。だが、二人の距離は声が届くほど近くはあれど、短剣の射程からは遠く離れている。
『下らない問答は終わり。さあ、早く……死ね。目障りなんだよ。お前のその良い子ちゃんっぷりは』
剥き出しの狂気を露わにし、《チョコ》が吐き捨てる。
相手の攻撃の正体は掴めない。ただ、短剣に秘密があるのは間違いないようだった。飛び道具を隠し持っているのか、他に何か秘密があるのか。
《チョコ》の腕の動きに注視し、身構える。相手が腕を振るった瞬間、全神経を回避に集中させ大きく飛び退く。
今度は先程と違い、被害は僅かに皮一枚を裂かれただけだった。
『全く、カンだけは鋭い。けど、コイツはオレの切り札だ。見えない槍をいつまで避けれるかな?』
別人のように豹変した《チョコ》がさらに一撃、もうまた一撃と攻撃を放つ。
不可視の刃が徐々に、徐々に《ネコ》のHPを削っていく。
《チョコ》と蓮華の裏切りに、頭がおかしくなりそうだ。葛城もいない。仲間は誰ひとりなく、あるのはただ、命の危機だけ。
体に染みついた操作が必死に回避してくれているだけの状況。
もはや、寧々子に打つ手は残されていなかった。
▼同時刻 / ???
蓮華は、自分自身の迂闊さに歯噛みをしていた。迷宮にぽっかりと空いた一室で《レンカ》を囲むのは、七人のPK達。
退路はなく、完全に待ち伏せされた形だ。
思えば階段そばの罠は不自然だった。《DF》において通常は通路に罠が仕掛けられていることはない。
つまり、悪意あるプレイヤーがすぐそばにいる事を示していると蓮華は考えていた。
故に、安全確認のために周辺警戒に出たのだが、まさかおびき寄せるための罠だとは考えが足りなかった。
――ネコが、危ない。
蓮華達はハメられたのだ。チームを分断させ、各個撃破する。
戦いのセオリーではあるが、裏切りのゲームである《DF》のプレイヤーを束ねた者は見事と言うほかない。
――《チョコ》。胡散臭いとは思ってたけど、まさかこのタイミングで裏切るだなんて。
通路の罠は明らかに蓮華たちを狙い撃ちするためのもの。となれば、正確な所在地やゲーム進行状況を知っている内通者がいるのは間違いなかった。
――どうすれば。
蓮華は契約者ではあるが、ゲーム内で特別な権限はない。悪魔のそばにいることでいち早くゲーム内の情報を知っている有利があるだけだ。
七対一。勝ち目はない。だが、やるしかなかった。
――あの子がいなくて、よかった。
目の前に寧々子がいない事実は蓮華に僅かな安堵を与えた。彼女がいれば出来ないことも、今なら可能だ。
そう、相手を殺す覚悟さえあれば、勝てないまでも相打ちに持ち込む自信はあった。
「私は、あの子の為なら鬼にも修羅にでもなれる。悪いけど、ここは通行止めよ。あんたたちの行く手を塞ぐのは悪魔の使者、じごくの門番なのだから」
決死の覚悟を胸に、剣を構える。
大切な、そして一度は殺そうとした親友を守れるならば、この身が砕けようと後悔はなかった。
▼八月十八日 十四時五十二分/品川区 村吉シティホテル 302
黒羽は、押し寄せる笑いをこらえるのに必死だった。全てが面白いくらいに上手くいっている。
試験のヤマが全て当たっていた時のような、ダイスを振るたびに六の目が出続けるような快感が、ただひたすらに脳内を駆け巡っていた。
先ほど寧々子に伝えた話は、もちろん全て嘘だ。細かく考えれば矛盾はいくつもある。
だが問題はない。プレイヤーの置かれている状態を考えれば、少々荒唐無稽な話でも疑念を抱かせ、膨らませるには十分だからだ。
全ては計画通りだった。
黒羽は蓮華とコンビなど組んでいない。通路に仕掛けた罠も、昨夜のうちに黒羽がPK達に命じて仕掛けさせたものだ。
あれほど信じていた親友の裏切りは彼女に大きな動揺を与えるだろう。
そして、反論する相手は今頃PK達により袋叩きだ。憎むべき相手を二人も同時に始末できるのだから、黒羽の笑いも当然だった。
「さあ、泣けよ。喚けよ。叫べよ」
オレが母親を殺した時みたいに絶望しろ、と肚の底から湧き上がるどす黒いものを隠しもせずに言ってやる。画面の向こうの寧々子は今いったいどのような表情をしているだろうか。
苦悶か、悲哀か、辛嘆か。
「前に言ってたよな。ピンチの時こそ余裕の笑みを浮かべるって。ほら、笑ってみろよ。自分が親友と信じていた人間に裏切られ、今まさに殺されようとしている今こそ、笑うべきだろ?」
何がピンチの時には笑う、だ。
馬鹿馬鹿しい。それは絶望の底を知らない人間のおためごかし。反吐が出るほどに下らない考えだった。
勝利を確信した黒羽に、しばらくの沈黙を保った後、寧々子が口を開く。
だが、彼女が放った言葉は、敗北宣言などではなかった。
『……違う』
「違う? 何がだ」
不快感を隠そうともせず、黒羽が言い返す。
『絶対に、違う。蓮華は、わたしを裏切ってない』
「まったくおめでたい頭だ。どうしてそこまで盲目的に信じられるんだか。事実、お前がピンチになっても親友とやらは助けに……」
『盲目的なんかじゃ、ない。根拠はあるもの。あなたが嘘をついている、っていう』
突き刺すような確信がこもった声に、思わず怯む。
計画は完璧のはずだ。馬鹿としか思えないほどお人好しの寧々子に、黒羽の嘘を見抜くだけの根拠はない。
そう、思っていた。
思い込んでいた。
『ナイフ』
小さく囁かれた単語に、思わず怯む。
『わたしが《ヘイト》ってPKに襲われた時の事、話したかな。彼は後ろから剣で突かれていたの。そして同時に、肩口にはナイフが刺さっていた』
「何を、言ってる?」
口にはしてみるが、背筋から汗が流れる。この女は黒羽が隠している事実に気付いているのだから。
心に走った動揺が、攻撃しようとする手を止める。
『何度も思い出したから間違いないの。あの時、《ヘイト》の肩にはナイフが刺さっていた。おかしいでしょ。後ろから刺されてるのに、正面の肩にナイフが刺さってる、って。つまり、あの時に攻撃した人はもう一人いたの』
「まさか? それがあの《レンカ》だとでも? 見た訳でもないのに?」
『まだあるわ。ランキングでは、死に際のプレイヤーの動画が見れる。その動画で、殺された《モモ》さんの傍で《ヘイト》はこう言っていた。殺してやる、お前も、あの女も。って』
――しまった。
後悔するがもう遅い。動揺する黒羽に対し、さらに寧々子は言葉を続けていく。
『あの時、《モモ》さんは死んでいた。けど、バグなのか仕様なのかは分からないけど、死んだ後も数秒間だけ動画は続いていた。
死に際の動画で、《ヘイト》は《モモ》さんじゃない方を見据えてそう叫んでたの。あの女、がわたしだとするなら……お前、が示すのは……』
「黙れッ!」
思わず喉から叫びにも似た声が漏れる。
全て、寧々子の推測通りだった。
黒羽が《ヘイト》だった頃の話だ。穴倉の中で休息する《ネコ》を狙ったはいいが、《閃光珠》によって思わぬ反撃を受けてしまった。その隙に、彼は二人のプレイヤーから襲撃を受けたのだ。
一人は、《ヘイト》の背後から闇討ちを仕掛けてきた母親の《モモ》。
そしてもう一人は――
《ネコ》の背後、彼女の視界外からナイフを投げつけてきた、《レンカ》だった。
そう、彼の標的は寧々子と蓮華。
憎むべき相手を喪失した黒羽が、自分の全てを賭けて殺そうとした相手は、二人だったのだ。
『だからわたしは諦めない。蓮華は必ず来てくれる。わたし一人じゃあなたには勝てないかもしれないけど、あの子が来るまでわたしは耐え続ける』
何と言う事だ。寧々子は絶望などしていない。それどころか、馬鹿ですらない。
最大の誤算。それは、彼女が想像をはるかに超えて頭が回る相手だった事。
――こいつ、ただの女じゃない。
黒羽があらゆる策を練ってでさえ、彼女を屈させる事はできなかった。
信頼などという幻想を依代にして、彼女は立ち向かおうとしているのだ。
「……それが、どうした」
《ネコ》の背後は罠の敷き詰められた通路。
正面には《チョコ》が塞がり、退路はない。
HPは半分以下で、相手は未だ黒羽の操る《見えない槍》のトリックにも気づいていない。
「オレはただ殺すだけだ。殺して、奪うだけだ。信頼だとか親友だとかナメたこと言いやがって。この世にそんな甘っちょろいモノがある訳ねぇだろうが。お前の信じる全てを、オレが殺して否定してやる。いいか、オレの人生で学んだことは一つ。世界には奪う者と奪われる者、勝者と敗者しかいないんだ」
勝負には負けた。だが、命の奪い合いには勝つ。
生き残った方が勝者で、絶対的に正しいのだ。
狂気と凶気が混じり、真っ赤に血走った眼を見開き、最後の一撃を振るおうと携帯電話を操作する。
今まさに《チョコ》を動かし、《ネコ》にトドメを刺そうとした時。
「だったら、テメェは敗者だな」
突如――
聞き覚えのある、それでいてこの場に存在しないはずの声が、黒羽の鼓膜を震わせた。
同時に、後頭部に固く冷たい感触が走る。
「分かるよな? 銃を突きつけている。携帯電話から手を放せ。妙な真似はするな。テメェがやっていいのは、携帯電話を捨てる事と、生まれたての小鹿みたいにプルプル震える事だけだ」
声だけで理解できた。
黒羽の心臓を鷲掴みにするような、底冷えする声音だけで。
――どうして、この男が。
「警視庁のカツラギだ。次はない。携帯電話を捨てろ」