3・蠢く悪意
▼八月十八日 十四時/東京都品川区 村吉シティホテル 302
例え世間で変死事件が多発していようと、二千人が予選迷宮に送られようと、《チョコ》こと黒羽安吾の目的は変わらない。
信頼を勝ち取り、裏切り、殺す。ただそれだけだ。
《ダイモンズ・フロンティア》三層は、今まで探索していた二層とは随分と趣が変わっていた。
まず違うのは広さだ。
殺し合えと言わんばかりの狭さだった二層と違い、三層は随分と広い。倍以上はあるだろう。
怪物に脅威はない。黒羽達が三人がかりで戦えば、そこらの化け物はただのカモでしかなかった。
ただ問題なのは、凶悪な罠がそこかしこに仕掛けられている点だ。
不可解な事に、二階層よりも迷宮ははるかに殺意を増していた。カツラギの予想が外れている。
各種パラメータを低下させる腐蝕罠に、HPを一気に減少させる地雷。何より恐ろしいのは、スタミナを奪う毒矢だろう。
仲間のふりをしている黒羽にとって、PKでの食料入手はご法度。スタミナ管理は彼にとっても死活問題だった。
二人で潜っていれば、間違いなく死んでいたに違いない。
三人目、そう。彼女がいなければ。
『終わったわ、地雷解除』
目の前で作業をしていた《レンカ》が解除した地雷を《ネコ》へと手渡す。
《レンカ》の職業である盗賊は、罠の発見と解除能力を持っていた。ちなみに、解除された罠はプレイヤーがアイテムとして保持し自由に設置できる。
――一体こいつは何者なんだ。
淡々とトラップを処理していた《レンカ》を見ながら思う。
話を聞くに、この女こそ殺し合いゲームの元凶、悪魔と契約した本人なのだという。
ほとんど口を利かず、ただ戦い、罠を解除する姿しか見せていないが、黒羽には何となく分かる事があった。
――《ネコ》を本気で守ろうとしてる。どうして、だ?
以前、世間話の中で《ネコ》が話していた。親友の《レンカ》が自分をゲームに誘ったのだと。
――親友? バカげてる。
親友ならばどうして殺人ゲームなんかに放り込んだ。なぜ、そのまま一か月近く放置した。
《ネコ》の無根拠な信頼も理解不能なら《レンカ》がどうして今更になって顔を見せたのかも意味不明だ。
彼女たちの行動の何もかもは黒羽の理解を超えていた。
『じゃあ、先に進も。早く階段を探さなきゃ』
探索を開始して一週間。
地図の九割は埋まったが、運悪く未だに下に降りる階段は見つかっていない。
三層へと降りる階段は複数あったが、どうやら四層へのルートは一つしかないようだ。
ただし階段が見つからない問題は、ある意味では利益をもたらした。
他のプレイヤーがいない三層は、言い換えればまだ荒らされていない宝物庫と同意義である。手垢のついていない宝箱や、おびただしい怪物の数は黒羽にとって札束そのものだった。
だが、もう地図のほとんどは埋め尽くした。明日には四層への階段が見つかるに違いない。
――そろそろ潮時か。若干早いけど、仕方ねえな。
せめて、もう一つ何か追い風があれば、目の前の女どもに本物の絶望を与えられるものの。
まだ十分な信頼を勝ち取ったとは言えない。だが、下に降りればどんな危険が待っているのか分からないのだ。
《ネコ》への復讐は三層で済ませておきたかった。
『おかしい、おかしいです』
黒羽が決意を固めた時だった。
《ネコ》が苔むした岩陰から様子を見ながら、小さくつぶやいた。
「どうしたの?」
未だに慣れない女言葉で答えてはみるが、黒羽にも彼女の違和感は理解できる。
『プレイヤー、多いと思いませんか?』
岩陰の向こう、視界の先では全身甲冑で固めたプレイヤーが周囲を警戒しながら探索していた。
今日だけで二人目。昨日までは一人も見かけなかったのに、唐突に姿を見せだしたのだ。
広めの三層、しかもプレイヤー人数が初期よりはるかに減った現状でこの遭遇率は、偶然という点を加味したとしても異常だった。
『きっと、二層が崩落したのよ』
疑問に答えを出したのは《レンカ》だ。彼女の話では、PK達は放っておくと同じフロアでずっと殺し合いを続けるため、先に進ませるための仕掛けがあるらしい。
誰かがフロアを進んでから一定の期間が経つと、幾度かの地震の後に、上のフロアが崩落する。
もちろん、崩壊に巻き込まれれば生きてはいられない。ここまで生き残った抜け目のない者たちがこぞって下へ降りてくるのは自明の理だった。
――おいおい、マジかよ。
プレイヤー達が、降りてきている。それも、百戦錬磨のPKたちが。ランキングから推測するに、残ったプレイヤーは黒羽達も含め十九人。所持品や所持金を奪われてゲームから降りた人間の事を考えれば、アクティブユーザーは十人程度のはずだ。
――これだけ数がいれば。
黒羽が先程願った最後の追い風が、まさに吹いていた。
《ネコ》が信頼してはいるが、得体の知れない《レンカ》の存在。降りてきたPK達。そして次の階層に降りる直前というタイミング。そして、不在がちなカツラギ刑事。
全てを組み合わせれば、最高のパーティーが開催できる。
くつくつと喉から漏れそうになる笑いを押し殺しながら、《DF》を起動している携帯電話のマイク部分を押さえ、別の電話を取り出す。他人名義の特別製だ。黒羽は警察に足取りを追われないよう最大限の注意を払っていた。そのまま、電話をかける。
「ああ、オレだ。《チョコ》だよ。今日はオイしい話を持ってきた」
電話の相手は、プレイヤーの一人。カツラギ達と組む前に知り合った男だ。
《ネコ》達が開いていた鑑定屋の顧客になりそうなところを、警察の陰謀だと教えてやったこともあり、電話の向こうの男は黒羽に借りがあった。
「もう三層にいるんだろ? ちょっと人を集めてほしいんだ。良い儲け話がある。成功すれば二億のカネと、大量の携帯食料が手に入るチャンスだ」
鑑定屋で稼いだカネは黒羽と《ネコ》で山分けしてある。
大半を食料購入に使っているとはいえ、彼女が抱えているカネは二億近いのは間違いない。
「何、無理だ? 嘘つくなバカ。お前らPKがネットでこっそり連絡を取り合ってるのは知ってんだよ。上手い奴は上手い奴で固まる。そうした方が潰し合いにならなくてラクだからな。バラされたくなけりゃ、オレの言うとおりにしろ」
電話の向こうで男が何やら喚いているが、聞き入れるつもりはなかった。ここが正念場だ。
「作戦に成功したら、お前には別に三千万をくれてやるから。じゃあ、頼んだからな」
言うだけ言って通話を切る。
彼はおそらく逆らえないはずだ。ゲーム中の抜け目のなさに反して、押しに弱いのは既に確認済みだった。
――待っていろ。《ネコ》、そして《レンカ》。お前らに、俺の味わった苦しみを、そっくりそのまま味わわせてやるよ。
喉の奥から再び笑いがこみあげてくるのを抑えながら、黒羽はただ静かに《チョコ》を操作を再開するのだった。
ネカマつよい。




