5・束の間の蜜月
▼八月十日
ファミリーレストランでの調印が終わり、一週間の時が過ぎた。
――上手く行っている。行き過ぎている。
《チョコ》と組んでからの一週間というもの、寧々子達は潤沢な食料と、二億以上のカネを手に入れていた。
今までプレイしていた三週間で手に入れた額の五倍近くを、たったの一週間で稼いだ事に驚きしか感じられない。とは言え、得たカネは山分けするので実際に寧々子が手にしているのは一億もないが。
――やっぱり葛城さんは、すごい。
スポーツバッグには入りきれなくなったため、新しく用意されたアタッシュケースに現金を敷き詰めながら思う。
恭一の手際の良さは驚かされるばかりだ。彼は、寧々子の思いもよらない方法で安全な取引を成立させていたのだ。
ネットの事は門外漢だがどうにかなるもんだ、とは恭一の弁だが、謙遜としか思えない。
カギは検索エンジンにあった。
大手どころの検索エンジンで『ダイモンズフロンティア』と入力すると、真っ先に恭一が作らせた『鑑定屋』のサイトに飛ぶ広告が表示される。
広告費は警察の予算から、鑑定屋のウェブサイトは警察内の人間が制作した。
どうも寧々子と組んだ初日、一か月近く前から計画されていたらしい。
恭一の先を見通す目は人間離れしているとしか思えなかった。
恭一の話では、二○一四年八月現在、ダイモンズフロンティアに合致する商標名は日本にないらしい。つまり、検索するのはプレイヤーだけだ。
鑑定屋のサイトを見たプレイヤーは、手持ちのアイテムを眺めるはずだ。強力な消耗品を躊躇なく使用したいと、誘惑に駆られるはずだ。
そうして、ゲームの外で集めた客から金を取る。《ネクロマンサー》討伐報酬である経験値と入手資金が二倍になる期間であるのも顧客集めの追い風になった。
ちなみに、どのようなアイテムだったとしても鑑定料は一律四百八十万だ。中途半端な額ではあったが、恭一なりの理由があるのだろう。
もちろん金銭が絡む以上、トラブルはあった。
まさに今がそうだ。
「これは《変化珠》ですね。使用すると、近くにいるプレイヤーと同じ姿になれます。姿を変えるだけで、他に特別な効果はないですね」
『ふざけんなっ。そんなモンが何の役に立つんだ。こっちはバカ高いカネを払ってんだぞ』
「けど、使い方次第では……」
『黙れ。こっちはレベル十四の戦士だ。その気になれば、お嬢ちゃんの命ごとカネを返してもらう事だって……』
「ダメですよ。文月 史さん? そんな事をしたら、大変な事になるかもしれませんよ。突然、警察が踏み込んで来たり」
『な、何で俺の名前を……?』
今まで強硬な態度を崩さなかった客がたじろぐ。
彼らは、蜘蛛の網に引っ掛かった蝶と同じだ。
打診をしてきた者は、涼原が厳重に身元を照会する。寧々子たちプレイヤーの携帯電話は《DF》がインストールされている以外は普通の性能しか持たない。アクセス履歴を辿れば身元どころか現在地までも調べ上げられるのは組織の強みだった。
「とにかくお預かりしたアイテムはお返しします。それでは、またの機会がありましたら」
ネクロマンサー討伐時の仲間集めの時のように、捜査員をプレイヤーのもとに送れはしない。それでも抑止力としては十分だった。
ただし――
『ふ、ふざけやがって。ぶっ殺してやるっ』
襲い来るものは存在する。彼らPKの現実は仮想世界に浸食され、もはや正常な判断を失っているのだ。
客だった男が武器を振りかぶり、《ネコ》へと攻撃を仕掛ける。
『ぶっ殺されるのは、あんたよ』
そこからようやく《チョコ》の出番だ。物陰に隠れていた相棒が颯爽と登場し、二人がかりで袋叩きにするのだ。
『こちらに殺す気はない。けど、許すつもりもない。有り金と消耗品全部置いていきなさい。食料は残してやるから大人しくしてる事ね』
《チョコ》がいつもの甲高い声で、相手を威圧する。
PKを躊躇しない者に容赦はしない。
生存に必要な最低限のものを残し、死と暗闇の迷宮に放り出す。法治国家の日本警察が立てた作戦とは思えないが、生憎ここはカネと暴力が支配する悪魔の地下迷宮だ。法の手の届く場所ではなかった。
――やってることはPKと一緒ね。
逃げ出した男が置いていった《カネ:五千万円》を拾いながら、寧々子が溜め息をつく。
だが、それでも積極的に殺人を犯す相手よりはマシだと思いたかった。
――心が黒く染まっていくみたい。おかしくなりそう。
しかし、彼女に葛藤する暇などなかった。
迷宮で膨らむ悪意は、無垢な彼女を見過ごしはしないのだから。
翌日。
彼女はPKに襲撃される。
それも、計画された形で。
最大の危機が、彼女に迫ろうとしていた。