4・甘い誘いと憎悪の陽炎
▼八月三日 午前十一時/新宿区 ファミリーレストラン『SAY ME』
数日後。約束の日。
都心のファミリーレストランに現れたのは、二十歳ほどの派手めの女だった。
「明野茂美です」
寧々子と恭一に向かい、免許証を差し出しながら、明野が一礼する。
恭一は随分と心配していたが、杞憂に終わったのではないだろうか。相手の身元も判明し、受け答えもおかしくはない。ゲームで話したほぼそのままのイメージの女性だった。
寧々子の隣に座る恭一が、D案件の事情を説明し、改めて協力を求める。
人相の悪い恭一を警察官だと証明するのには随分と苦労した。
「まさか、警察だったなんて」
ようやく落ち着いた明野がコーヒーを啜りながら、ぽつりとつぶやく。
「申し訳ない。ゲーム内で明かすわけにはどうしてもいかなくてね」
「分かったわ。あなたの協力を受けます。具体的にどうします?」
協力が決まった後の話はとんとん拍子に進んでいった。
まずはPKや怪物に対する相互協力。そしてキャンプ時には交互に見張りを立て睡眠時間を確保する。
さらに、《ネコ》の商売の際、影で護衛をする事。
以上の要素を書面に纏めた物を、明野に差し出す。
「サインと、印鑑を。こちらの署名は終わっている」
「随分と物々しいわね」
「契約するのが大事なんだ。自分で納得した事だっていう気持ちの整理にもなる」
恭一が促すと、明野は迷いながらもサインし、印鑑を押す。
「よし、これで手続きは終了だ」
互いの身元が明らかになり、協力体制は整った。
あとは実際にカネを稼いで生き延びるだけ。わずかながら肩の荷が下り、気持ちが軽くなる。
仲間がいるのは、寧々子にとっても心強かった。
「それじゃあ、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
大人の二人に合わせ、寧々子も礼をする。
次の満月まで後一週間。警察は身動きを封じられ、もはやプレイヤーの追加は避けられない。
来週以降に訪れる混乱までに、どれだけ先行できるかがゲーム攻略のカギ。事態の収拾がつかなくなる前にエンディングを迎えるのが寧々子の使命だった。
かくして、再び攻略チームは結成された。
《ネクロマンサー》の時と違い、たった四人の小さなチーム。
だが、彼女たち四人こそが、この狂ったゲームに終止符を打つ。
その期待が、寧々子にはあった。
舞台裏で、恐るべき陰謀が蠢いているのも知らず。
▼八月三日 午後零時二十分/新宿区 ファミリーレストラン『SEM&I』
「やあ、お疲れさん」
日曜の喧騒に包まれるファミリーレストランのボックス席。
一人で座る女に、黒羽安吾は軽く肩を叩いた。
「これでいいワケ? なんだか、物凄く物騒な話をしてたみたいだけど。何? アクマとかディーアンケンって」
「話の内容は忘れた方が身のためだ。死にたくなければ」
「……ヤバくない? 本当にあたし、大丈夫なの? ヤバくない? って言うかアンタほんとに何者なの? その年でヤバすぎない?」
女が付け毛を外しながら、ヤバいヤバいと連呼する。
先程まで警官と交渉していた彼女の名は、明野茂美。
黒羽の影武者だった。
ほんの先程まで、明野は《チョコ》として警視庁の桂木、そして香取寧々子と対峙し、協力内容を詰めていた。
付け毛の裏には、極小のイヤホンが張り付いている。耳小骨を直接振動させる、音漏れのしない特殊なタイプだ。
彼女はこの隠しイヤホンと、携帯電話に偽装した小型マイクで、黒羽の指示によって受け答えをしていた。
今の時代、カネさえあればこんなスパイ映画じみたシロモノでも、簡単にネットで手に入るのだ。
「黙ってりゃバレないって。何なら東京から逃げちゃえばいいんだ。海外でも構わないだろ。それだけのカネは渡したんだから」
彼女は一言でいえば食い詰め者だ。マトモに働く方法を知らず、出会い系サイトを使って個人で売春をしていたのを、黒羽がスカウトした。
報酬は四百万。
たった数日の演技指導と、本番当日だけで稼げる額としては破格だろう。
「それじゃあ、後は好きにしてくれ。オレのメールや電話番号もケータイから消しといてくれよ」
手をひらひらさせながら、彼女のもとから去る。もう二度と会う事もないだろう。
――しかし、あのカツラギって刑事、マジでヤバかった。
自動ドアをくぐり、炎天下の歩道を歩きながら、静かに思い返す。
エアコンの効いた店内だというのに、黒羽の背中にはじっとりと汗で濡れていた。
刑事の放つ質問の一つ、言葉の一つが、まるで明野の裏にいる黒羽を突き刺すようだった。
――けど、騙し切った。オレは、奴らの懐に入ったんだ。
携帯電話を取り出し、《DF》を起動する。画面の中には《チョコ》が映し出されていた。
――しかし、便利なモンだねぇ。課金アイテムってのは。
黒羽は現在、《DF》上で性別を偽っている。
自販機でしか購入できない《ボイスチェンジャー》を始めとする課金アイテムをフル活用し、名前を変え、姿さえも変更していた。
以前の名は――《ヘイト》。
ほんの二週間前、黒羽は《ネコ》を仕留め損ねた。
《閃光珠》で目を焼かれ、その隙に逃げられてしまったのだ。さらに、乱入してきた別のPKに襲われ瀕死のところまで追い詰められてしまった。
彼は、あの日決意した。
《ネコ》を絶対に殺すと。
自分をナメた奴だけは相応の報いを受けてもらうと。
――デスゲーム? キャラクターとプレイヤーの死が直結する? だから手伝えだって? バカを言え。
「俺はそんな事、とっくに知ってるんだよ。ボケが」
歩道に転がっていたゴミ袋を思い切り踏みつけ、吐き捨てる。
黒羽は知っていた。《DF》が命がけのゲームだと。それも、PKが解放された初日に。
何故なら、課金アイテムで声と姿を変える前――
当時、《ヘイト》だった彼が最初に殺したキャラクター。
《モモ》は――
彼の母親なのだから。
母親が操る《モモ》は、PK実装が通知された瞬間、真っ先に《ヘイト》へと襲い掛かってきた。後になって知った事だが、母は多額の借金を抱えていたのだ。
原因は、男。
母は既婚者でありながら、外に作った若い男に多額のカネを貢いでいた。
さらに、死のゲームとは知らずといえ、カネの為に実の息子を殺害しようとした。
《モモ》を返り討ちにした後、文句を言おうとリビングへ乗り込んだ時だった。
彼は見てしまった。
血に染まった、母の死体を。
傷は寸分違わず、《ヘイト》が《モモ》に与えたものと同じ場所に刻まれていた。
その瞬間。彼の中の何かが、壊れた。
――殺してやる。殺して、奪ってやる。
黒羽の目的は決まっている。《ネコ》に自分以上の絶望を与え、殺すこと。
《ネコ》が抵抗したせいで、母はチャンスとばかりに黒羽へと襲い掛かってきた。
そして、彼は実の親を手にかけた。
逆恨みなのは分かっている。だが、直接の憎悪対象である母は《モモ》と共に死に、もはや彼は怒りの矛先を失っていた。
――必要なのは信頼だ。
お膳立ては整った。あとは徐々に相棒関係を成立させ、より多くの信頼を勝ち取る。
信頼が大きければ大きいほど、裏切られた時の絶望は増す。
黒羽が母に裏切られた時のように。
――そして、最高のタイミングで裏切り……殺すんだ。
それまでは、せいぜい仲間を演じてやろう。
かりそめの友人関係。なんとも面白いではないか。
――どうせ信頼や情なんて、まやかしなんだ。もう、何もかもどうでもいい。全部、全部ぶち壊してやる。
香取寧々子は、死ぬ時にどんな悲鳴を上げるだろう。カツラギは彼女が死んでどんな顔をするだろう。
心の中で渦巻くどす黒い物を抱え、彼は陽炎ゆらめく路上を、ただ歩き続けるのだった。