6・新たなる力
▼午前十時三十分
「間一髪、といったところか。やはり君は何か強運に恵まれているんだろうね」
「助かりました。本当に」
寧々子を外で待たせ、涼原と共に松井の遺体を検分する。完全に焼け焦げており、もはや動くのは不可能だと思われた。
「しかし、大変な問題だ。これは」
「死体が動いた。信じがたいが、こいつは事実です」
消し炭となった松井を見下ろしながら、告げる。
恭一が訪れた時、松井の部屋の鍵は開いていた。そしてドアを開けた瞬間飛び込んできたのは、首の折れた松井の死体だったのだ。
「そうじゃない。そうじゃないんだ」
恭一の言葉に涼原が沈痛そうに首を振る。そう言って彼が見せたのは先程の|拳銃(S&W)だ。
「この発砲、どうやって処理しよう」
「……知りませんよ」
冗談のような会話だが致命的な問題だった。
拳銃弾は厳格に管理されており、もし不明弾が出ようものなら大問題。始末書では済まない。隠蔽しようにも、近隣住民は銃声を聞いているのだから偽装一つ考えるにも相当な手間と労力が必要になるはずだ。
「と、とりあえずすぐに医療班と遺体の処理チームを呼ぶ。君は治療が済み次第ほかのプレイヤーのもとに向かってくれないか。銃弾の処理は、まあどうにかする」
「待って下さい」
ふざけた会話の中に、聞き捨てならない要請が混じっていた。簡単に従う訳にはいかない。もはや一刻の猶予もなかった。《ネクロマンサー》を倒さねば、再び惨事が起きる。
次に死体が動く時が人ごみの中である可能性さえあるのだから。
「もう、情報漏洩なんて気にしてる場合じゃない。居所が分からない主催者より、目の前の《ネクロマンサー》だ。奴さえ倒せば、少なくとも死体は動かなくなる。プレイヤーの協力を得るためには、D案件の一部公開は必須だ」
このまま二十七日が来れば、プレイヤーたちはイベントに合わせて《ネクロマンサー》の討伐に動く。
敵の強さは未知数。間違いなく死人は出るし、もし敗走すれば大惨事だ。
「いるんでしょう。公安内部にもD案件を知ってる人員は。そいつらを動かすべきだ。出し惜しみしてる場合じゃない」
遺体を処理する者、恭一と涼原の連絡要員となる者など、ごく少数の公安部員は悪魔の存在を知っている。恭一に必要なのは彼らの助けだった。
「プレイヤーに限りD案件を公開し、二十七日までに説得し、仲間に引き入れる。俺一人じゃどうやっても時間が足りない。お願いします。人員を貸してください」
実際に人が死ぬゲームと言われても普通の人間は信じない。参加者でさえ半信半疑だろう。彼らを説得するには、桐崎を始めとする《DF》事件の犠牲者の写真などを見せる必要があった。
「やむをえない、か。分かったよ。すぐに手配する」
「お願いします」
話が終わり涼原が携帯電話で方々に指示を出すのを確認すると、恭一は外で待っている寧々子のもとに向かった。
「大丈夫か?」
大丈夫な訳がない。彼女は見てしまった。生の人間が、焼け焦げていく姿を。
「辛い時こそ、笑え、ですよね」
恭一の胸に痛みが走る。自分は、彼女に呪いをかけてしまったのだ。
命を助けるためとはいえ、D案件の捜査に巻き込んだ。
これから先、同じような事が起きるかもしれない。
死ぬのと生き地獄を見るの、どちらが幸せなのだろうと考えてしまう。しかも、恭一の真の狙いは、寧々子をエサにして蓮華を釣る事なのだ。
――それでも、認めるわけにはいくかよ。死が、たった一つの救いだなんて。
誤魔化すように煙草をくわえて火をつける。すると、寧々子が話しかけてきた。
「あの、さっきの眼鏡の人は?」
「涼原総真。俺の上司だ。気障ったらしい男だが、頭は切れる」
煙とともに、軽く毒を吐く。すると、部屋の中から抗議するかのようにドアを叩く音が聞こえてきた。
「ついでに呆れるほどの地獄耳だ」
半眼で呟くと、寧々子がくすくすと笑う。
「怪我、大丈夫ですか? 腕、折れてる……んですよね? 顔も血まみれだし」
「破片が顔に突き刺さってな。まあ、眼球は逸れてるし、縫うまでもない。肩も脱臼してるだけだ。学生時代、部活の時に怪我して以来、クセになっちまってんだよ。大した事ない。すぐに医者が来るそうだ」
「部活って、剣道ですか?」
「分かるのか?」
「自分で言ってたじゃないですか。すごく、強いんですね」
「高校時代はIHの決勝まで行ったよ。負けたけどな」
十年程前の事だ。個人戦の決勝戦、彼は敗北した。
圧倒的な実力差。絶望的な才能の差。自分は無敵だと、天才だと自惚れていた恭一にとって、苦すぎる敗北だった。
「決勝の相手、紫藤ってのがとんでもないバケモノでな。今に至っても有名な大会で十連覇中。機動隊の連中なんか毎年毎年目のカタキにしちゃ返り討ちにあってる。天才ってのはああいう奴の事を言うんだろうな」
「リベンジとか考えないんですか?」
「もう、止めちまったからな」
剣道界において、紫藤は『進化する魔人』とまで呼ばれるほどの化け物である。試合から離れた今の自分が正面からに立ち会って勝てるとは思わない。
「そんな事言って。本当にあきらめた人は、あんな動きできないのに」
悪戯っぽく笑う寧々子の言葉が、恭一の胸をちくりと刺した。事実、彼は鍛錬を忘れていなかったのだから。
「あの、それで……これからどうするんですか?」
「目下の脅威は《ネクロマンサー》だ。現実の方で協力者を探し、奴を倒す。悪いが、協力してくれ。《ネコ》の力が必要だ」
都合のいい事を言っているは分かっている。彼女らは命を賭しているというのに、恭一は安全な場所から指示を出すだけなのだ。
先程も、寧々子の助けがなければ脱臼では済まなかったに違いない。
「もちろん、わたしが出来る事なら」
「……すまない」
煙を吐きだし、礼を言う。どんなに虫が良くても、彼がやる事は一つだ。
階下を見下ろすと、如何にもなライトバンがマンションの前に停止した。
「治療が終わったらすぐに行くぞ」
「行くって、どこに?」
「横浜だ。所在が掴めているプレイヤーに面白い奴がいる。今からそいつに会いに行くんだ。一緒に来るといい。今度はさすがに殺されちゃいないだろうさ」
涼原からの調査報告書には、一部プレイヤーの簡単なプロフィールまでも記載されていた。
恭一が向かう先、横浜在住の男は、一般からすると少々特異な経歴だった。
「そいつの名前は、《レイヴン》。職業は……」
「……プロゲーマーだよ」
ドアを開けざま、眼鏡を押し上げながら涼原が得意げに言う。不満の眼差しを向けるが、彼は全く意に介さなかった。
プロゲーマーとは文字通り、ゲームで生計を立てる者たちだ。国内では文化的土壌や法的な規制諸々で数は少ないが、間違いなく存在する。
「そんな事まで調べてるんだ……軍師さんみたい」
「軍師、か。少し違うな。そっちの涼原さんと違って俺は指揮官には向いてない。敢えて言うなら、勝負師ってところか。本当の勝負師ってのは幸運なんて信じない。勝てる確率を己の理でどこまで上げるかを考えるもんだ。もちろん、百パーセント勝てるわけじゃない。だが、九十を九十五にする事はできる。勝てるバクチ打ちってのは、限界まで考え抜いて磨き上げた己の理を、命を賭けて信じられる奴のことを言うんだよ」
そして、恭一の理では、《レイヴン》こと、木崎裕也は必要な男だった。
十年ほど前、齢十七にして格闘ゲームの世界大会で優勝。さらにはいくつものオンラインゲームで勇名を轟かせる生きる伝説。
彼こそ、ネクロマンサー討伐のカギになると、恭一は考えていた。
「さあ、治療が終わったらすぐに行くぜ。ゲームキングとの会談だ。《ネクロマンサー》討伐戦まで間がない。時間は有効利用しなくちゃな」
涼原「ところで、この発砲処理どうしよう」
恭一「……自分で考えてください」