4・ネクロマンサー
▼七月二十二日 午前十時五分/目黒区路上(車内)
寧々子は、車の中で待たされていた。これから仲間になるであろう松井と会っておいたほうが良い、と恭一に連れてこられたのだ。
初の勧誘工作ということで、時間を作り次第彼の上司も来るらしい。
助手席のシートを下げ、俯いて足を揺らす。簡単な話がつくまで寧々子は車内で待機を命じられてた。
学校は夏休みなので問題ないし、山のように出された課題に手をつける気にもなれはしない。
――わたしは、嘘つきだ。最低の、嘘つきだ。
携帯電話を弄びながら、心中で吐き出す。
寧々子は、恭一を騙している。
寧々子にはカネが必要だ。父の会社を立て直すためのカネ、二億もの大金が。そのような重大な事実を恭一にはまだ伝えていない。
怖かったのだ。
彼は警察官だ。《DF》で得たカネは得体が知れない。昔の偉人が描かれた旧一万円札。どう見ても本物にしか見えないが、正規のルートで造られていない以上、偽札なのだろう。ならば恭一は取り締まる立場にある。
話せるはずがなかった。
だが、そんな寧々子を恭一は守ろうとしてくれた。彼の助けがなければ《ヘイト》に殺されていた。恭一がいたから、寧々子は今も生きているのだ。
もし今、寧々子の前に悪魔が現れて「カネと安全をくれてやる。そのかわり葛城恭一を裏切り、捜査を迷走させろ」と言われれば、彼女はどうするだろうか。
答えは、出なかった。
迷いと恐れが寧々子の胸を昏く染め上げる。
「笑え」と恭一は《ヘイト》に襲われた時、言った。彼の言葉を思い出し、無理矢理に笑おうとする。
だが駄目だった。
浮かんだのは、醜く歪んだ嘘つきの顔だけ。
「……笑えない、よ。駄目だよ」
今の彼女には、目の前の問題を脇に置くのが精一杯だった。
思考を切り替えるために携帯電話を取り出す。最近ではキャンプを張るのも一苦労だ。怪物に見つからない横穴は、PKに襲われた際に絶対的な不利となる。だが、PKに即時対応できるような場所は、怪物と遭遇する可能性がそれなりに高かった。
お蔭で寧々子の睡眠時間は削れる一方。
恭一は00班とやらの本部で保護したがっているようだが、一つ屋根の下というのには抵抗があった。
だが現実問題として、夜、たった一人で自室にいるのは恐ろしくて仕方ない。枕を抱え、泣きながら朝を待つ日々はもう限界だった。
深くため息をつきランキングを開く。いまのざわついた心境でゲームをプレイする気にはなれなかったのだ。
「あれ、また……?」
墓標には、一人の名前が追加されていた。
二位、三千五百七万円。死亡時刻はほんの数分前。
キャラクターネーム――
「……《ヒバリ》?」
《DF》には、キャラクターネームの重複はない。同名の人間は存在しないルールだ。
つまり――
松井清隆は、死んでいる。
それも、恭一がマンションに入る直前に。
慌てながらもどうにか画面を操作し、《ヒバリ》の死亡原因を閲覧する。
「そんな……」
瞬間、寧々子の背筋に震えが走る。
モニターの中では、不気味なフォントで、《ヒバリ》の死の様が淡々と描かれていた。
―――――
戦士:ヒバリ レベル10
第一階層【x18 y20】地点において、ネクロマンサーの通常攻撃によって倒れる。
―――――
《ネクロマンサー》。1Fの階層主。寧々子と蓮華を分断した元凶。
《ヒバリ》が殺された座標は、寧々子のキャンプからほど近い場所だった。恭一との話し合いがまとまったら、ゲーム中でも協力する予定だったからだ。
「近くに、ネクロマンサーがいる」
恐怖、憎悪、闘志、狼狽。
全てが混ぜこぜになって寧々子を苛む。
戦っても勝てない。何せ討伐イベントが開催される事から、ネクロマンサーは複数プレイヤーが組まねば倒せないような能力設定なのは間違いないからだ。
――逃げなきゃ。
寧々子の背を押したのは、恭一の「生き残るのを一番に考えろ」という言葉だった。すぐさまランキングを閉じ、《DF》世界に飛び込もうとする。
その時だった。
携帯電話から、けたたましいアラームが鳴り響いた。襲撃の警報。《ネコ》がゲーム中でダメージを受けた知らせだ。
画面が暗転し、《DF》に切り替わる。
損害チェック。ダメージは低い。妙な状態異常も受けていない。即時行動可能。問題はなかった。
視界を回転させ、襲撃者を探す。
相手は、《ネコ》の真後ろにいた。
青白い顔をした人間。虚ろな目で《ネコ》をぼんやりと見ている冒険者。だが、プレイヤーではない。首があらぬ方向に向いている異形は、紛う事無く怪物だ。
敵をタッチし、簡易情報を表示する。
「え、嘘……!?」
寧々子の喉から悲鳴が漏れた。
目の前のモンスターの名前は……《屍鬼/ヒバリ》。
先程死亡したプレイヤーと、全く同じ名前だった。
直後、彼女の頭に閃きが走る。どうして今まで想像しなかったのだろうか。
第一層の階層主、ネクロマンサー。
ファンタジー小説などではメジャーな存在。
意味は、死者を操る魔術師。
死者を、操る。
――まさか!?
DFは、ゲーム内でキャラクターが死んだ瞬間、プレイヤーも同じように死ぬ。
キャラクターが血を吸われて死ねば、プレイヤーも干からび、キャラクターが首を刎ねられれば、プレイヤーの首もすっ飛ぶ。
つまり――
ゲームと、同じ状態になる。
もし、キャラクターが生ける屍となったなら、現実のプレイヤーはどうなる……?
「葛城さんが、危ない……」
死体が動くわけがない。それは常識だ。だが、寧々子たちはとっくに常識から逸脱した世界にいるのだ。
恭一が刑事とはいえ、銃など持っていないのは寧々子にだって分かる。拳銃を携行するには特別な理由と許可が必要なのだから。
一刻も早く警告しなければならなかった。《ネコ》を操作しながら、車を飛び出す。
屍鬼となった《ヒバリ》と戦うつもりはない。近くにネクロマンサーがいる可能性が高いのだ。見つかれば《ネコ》の死亡は必至。今は何としてでもこの場を離れなければならなかった。
所持品から《煙幕玉》を選び、背後に投げ、全力で逃げ出す。
――お願い。間に合って!
現実とバーチャルの双方で全力疾走しながら、寧々子はただ祈るしかできない。
眼前の危機で、彼女の頭から悩みは吹き飛んでいた。