2・奪うのは誰か
ゆっくりと相手の目が動く。様子を見るように。獲物を狙う肉食獣のように。
寧々子が相手をタッチし情報を見る。《戦士/ヘイト》とだけ表示された。どうやらレベルなどの能力値は分からない仕様らしい。
「逃げれるか?」
敵か味方か分からないので様子を見るべきだ、などと悠長な事は考えなかった。
「ちょっと厳しい。出るだけでも時間がかかると思う」
端的な会話。それだけで十分だった。
「だったら動かなくていい。動ける準備だけして、アイテムリストを開くんだ」
恭一が告げると同時、外の《ヘイト》に動きがあった。
相手は狭い穴に向けてボウガンを差し込んできたのだ。
鋭く尖った矢じりが《ネコ》を確実にロックする。敵は間違いなくやる気だった。
「怖いか?」
恭一の問いかけに、寧々子が震えながら頷く。
「なら、笑え。笑ってみろ。虚仮でもいい。弱みを見せれば敵は調子に乗る。辛い時こそ、窮地の時こそ、余裕綽々の笑みを浮かべるんだ。こんな風にな」
にぃ、と笑みを浮かべると寧々子が真似をしようと口の端を歪める。
笑みにもなっていない不格好なものだったが、上出来だ。
「そうだ。それで大丈夫。慌てるなよ、勝ち目はある。予定は変わったが次のレッスンだ」
これからの立ち回りは恭一にとっても博打だった。
出会ったばかりの彼女がどれだけ恭一を信じられるかに懸かっていた。
「いいか、今から俺が言う言葉を一字一句間違えずに言うんだ。大丈夫、絶対に君を勝たせてみせる」
恭一には突破口があった。
カギは《DF》に標準搭載された音声通話機能だ。
プレイヤーの言葉はそのままキャラクターのセリフとして、周囲十メートルほどに聞こえる。
言葉が通じさえすれば、恭一は核ミサイル相手にだって戦える自信があった。
彼が交渉の矢面には立ちはしない。少女の声であった方が相手の油断を誘えるからだ。
――相手が人間ならどうとでもなる。それも、素人相手ならな。
《ヘイト》の指が引き金にかかった瞬間だった。
「待って! 待ってください! お金なら渡します。だから、命だけは助けてください!」
寧々子の叫びが横穴の中にこだました。同時に、相手の動きが止まる。
「おカネなら全部渡します! だから助けて下さい! お願いです!」
勝機は、見えている。キーワードは慣れだ。
PK解放のアナウンスからまだほとんど時間が経っていない。
《ヘイト》がアップデートを終え、PKを決意して何分経った。三分程度のはずだ。
間違いなく彼の中に戸惑いは残っている。寧々子と同じように。
そして、PKは擬似的とはいえ強盗殺人。
特に《DF》では実際のカネを奪うのだ。少女の声で必死に命乞いされ、カネを渡すと言われれば躊躇するに決まっている。
そしてPKの報酬が所持金の半分、というのも大きかった。何しろ《ネコ》は全てを差し出すと言っているのだから。
相手は迷う。間違いなく。
戸惑いと躊躇と欲望。
その三つが、恭一の見つけた突破口だった。
そして、彼の思惑は当たる。
《ヘイト》の動きが、止まった。
きっと相手は考えているはずだ。
生かして全てを奪うか、殺して半分を奪うか。
逃がせば復讐される可能性がある。相手としてもリスクがある行為なのだから。
相手が考える間、二人は《ネコ》の所持アイテムと効果説明を睨むように見ていた。
現在の所持品は武器防具を含めて十八。
最悪のケースに備え、彼女の所持品の中に状況を打開できるものがないかを必死に探っていた。
『こっちに向かってカネを投げろ。カネさえ渡せばここから去ってやる。ただし、一千万以下ならその時点で殺す』
考えが纏まったのだろう。《ヘイト》が低い声で命令した。
「できるのか? ゲームシステム的に」
「うん。お金はどれだけ多くても《カネ:○万円》ってアイテムとして扱われるから広さは関係ないよ」
相手の要求から確信する。
想定した中では『最悪から二番目のケース』だった。
《ヘイト》は《ネコ》を生かすつもりはない。
カネを受け取った瞬間、相手は前言を翻し牙を剥くだろう。
《ネコ》は身動きが取れないまま蜂の巣にされる。始末する方が後腐れがないし、より多くのカネが奪える。
敵にとって、強盗行為はバーチャルなもの。通常の説得行為が通用しないのは道理なのだ。
「わ、わかりました。すぐに渡すから……!」
震える声で《ネコ》が伝える。同時に、《ヘイト》がゆっくりと身を引いた。
恐らく飛び道具を警戒しての事だろう。おかしな真似をすればすぐさまボウガンを打ち込める態勢に違いない。
相手は冷徹で残酷だった。そして優秀なプレイヤーだった。
与えられた状況を最大限に生かし、最良の選択肢を選び取ろうとしている。
ただ、《ヘイト》は二つの間違いを犯していた。
寧々子に命じた命乞いが時間稼ぎだと見破れなかった事。
そして、恭一を相手に時間を与えてしまった事。
「残念だが、俺達の勝ちだ」
二人は既に相談を終えていた。
恭一が稼いだ時間をフルに使い、寧々子が場をひっくり返すためのアイテムを所持品から見つけ出していたのだ。
「今だッ!」
鋭く言い放つと同時、寧々子の指が残像を残すほどの勢いで動いた。
アイテム選択、使用、投擲位置指定。
彼女が選んだアイテムは《閃光珠》。現実でいう所のスタングレネードだ。
地面に落ちるとともに音と光を放ち、効果範囲内の者全てを一定時間行動不能にする魔法の宝珠。
《ネコ》が珠を放り投げたと同時、寧々子の指が画面を滑った。
一切の無駄がない動きで視点を動かす。強烈な光に《ネコ》が目をやられないための動作だ。
『なっ……!』
驚愕の声、そしてスピーカーが割れんばかりの轟音。
間違いなく閃光玉は《ヘイト》の動きを止めたはずだ。
「こいつがレッスン2。『リソースは今生き残るために全てつぎ込め』。アイテムも、カネも、何もかもを今この瞬間を生き残るためだけに使うんだ」
「おカネも、生き残る……ため?」
「そうだ。チャンスがあれば稼げ。だが現実では一切使うな。《DF》においてカネは武器であり防具。現実のカネと思った瞬間、君は死ぬ。弓で射抜かれるか、内臓をぶちまけるか、首がすっ飛ぶか、毒物で全身が溶けちまうか、そんなことも選べず、ただ死ぬ」
カネは命綱だ。
自販機からアイテムを購入するだけでなく、プレイヤー同士の交渉・駆け引きにも必須となる。どんな強力な武器や防具よりも、カネこそが重要になると恭一は考えていた。
話しながらも、ゆっくりと《ネコ》が外へと向かっていく。
《ヘイト》に動きはない。現実ならば目潰しをされようものならそのまま穴に向けて攻撃されてもおかしくはないが、こいつはゲームだ。
効果説明によると、《閃光珠》の有効時間は八秒。
ならば、八秒の間は絶対の安全が保証される。どうやら、使い捨ての消耗品はかなり強力な効果を持っているようだった。
じりじりと《ネコ》が穴から這い出す。
あと五秒、四秒、三秒。
そして、アイテムの効果が切れたと同時――
『ぶっ殺してやるッ!』
《ヘイト》が威圧するように吼えた。
だが、無駄口を叩くには一手遅い。
既に《ネコ》は脱出し、反撃の準備を終えていた。
「バァカ……んで、こいつがレッスン3。常に相手の裏をかき、先手を取れ。さあ、やれ!」
恭一が最後の合図を出す。
相手を行動不能にする詰めに至るための。
寧々子が画面をタッチし、アイテムを選択する。
――その瞬間だった。
『……え?』「……え?」「……あ?」
全員が、小さな、小さなうめき声を漏らす。
当然だ。何故なら――
《ヘイト》の肩口にはナイフが突き刺さり、そして、胸からは長刀が伸びていたのだから。
彼の背後には、背の低い女が立っていた。何者かは分からない。
だが、目的は予想できる。
漁夫の利を狙ってPKを行おうと乱入してきた新たなPKだ。
「もういい、逃げろ! 巻き込まれるぞ!」
恭一が寧々子の肩を叩き、怒鳴る。
あまりの事態に思考が停止してしまったのだろう。
何しろ目の前で殺し合いが起きているのだ。しかも、寧々子以外はこの殺し合いがホンモノだと気付いていないのだから救えなかった。
ようやく我に返った寧々子が携帯電話を操作し、背を向けて走り去る。
「警告します! このゲームはキャラクターの死がプレイヤーの死に直結する悪魔のゲームです! 取り返しがつかなくなる前に戦いを止めて下さい!」
必死に逃げながら、寧々子が叫ぶ。効果があるとは思えなかったが、何もしないよりはマシだろう。争いの音が遠ざかっていくのを、恭一は苦い思いで見つめるしかできなかった。
走り、走り、ただ逃げる。
追撃の心配のない場所まで逃げ切ったのち、寧々子がじっと恭一を見つめてきた。
「……あの人、死んじゃったのかな」
「さあ、な。だが、俺達にできる事はなかった。気に病んだら、駄目だ」
今にも泣きそうな寧々子の頭をぽん、と叩き、不格好な慰めを向ける。
こうして、最初の危機は去った。
だが、二人は後に気付く事になる。ランキングに《ヘイト》の名が載らず、背後から襲った《モモ》の名が墓標に刻まれている事に。
新機能であるゲームオーバー動画の中で、《ヘイト》は叫んでいた。
『殺してやる。お前も、そしてあの女も。オレをナメた奴は……絶対に殺してやる!』
無数の矢に貫かれ、死体となり、徐々にブラックアウトしていく《モモ》の画面の中、《ヘイト》はただ狂ったように笑い続けていた。