僕の妹と……(6)
「全ての命を育む者……」
思わず言葉をなぞると、ふいに、その言葉の意味が重さを伴って胸に落ちる。ああ、そうだ。いつだって愛里は、周りの人たちを助けて来た。困っている人、迷っている人、悩んでいる人たちを事もなげに救っていく。自分も母親も愛里と出会ってから救われた。
勿論、彼女を不審に思い、嘲る人たちもいたが、彼らは瞬く間に堕ちて行った。幾ら神でも、信じようとしない人間を救うことは出来ない。無神論者でも、それくらいの理論は納得できる……って、待てよ!奴らに毒されるなっ!
「愛里は普通の人間だ。父親がいて、亡くなった母親がいる。確かに勘の鋭い所はあるが、特別な力がある訳じゃない、どこにでもいる普通の人間だ。絶対に神などではないと断言できる。それでもお前らが神と言い張るなら、貧相な神だと言わざるを得ないな」
こちらの揶揄にも応えず、夏彦は一つ頷き、淡々と話を切り出した。
「俺たちは、不死の存在だ。地球以外にも世界があり、文字通り永久の時を生きている。だが、肉体的には数百年単位で劣化するため、どうしても再生する必要がある。その際、最も発展している世界で、一番力の強い種の胎を借りて生れ落ちる」
「かつては、恐竜だったこともあるぜ」
神条が、ガオッと歯を剥き出して混ぜっ返し、夏彦が肩を竦めた。
「じゃあ何故、恐竜は滅びたんだ?バランスを取るのが役目じゃないのか?」
先ほど種が偏らないように災害を起こしてバランスを保つと告げた言葉と相反する内容に、自然と眉間に皺が刻まれる。
「あれは、隕石の落下という外的要因が発生したせいで、生態系が変わらざるを得なかった。恐竜たちとて全てが為す術もなく滅んだ訳ではない。一部は他の種に身体機能を変化させ、生き残った。それがバランスを取るということだ」
「それって、隕石によって舞い上がった粉塵が太陽光を遮って氷河期が来たためなのか?それとも、地軸がズレて気温が変化したためなのか?」
思わず、歴史上、最大級の謎が解明されると思い、神条に向かって膝を乗り出した所で夏彦の咳払いが聞こえた。
「歴史の勉強は後にしろ。兎に角、ここ数千年、俺たちは人間として生まれ、その後、神へと昇華する。今はまだ昇華する前の人間の体という訳だ」
「神へと昇華するには、全ての命を育む者、つまり愛里の力が必要だ。彼女が覚醒しなければ、俺たちは人間のまま生を終える」
「因みに、過去2回、女神は覚醒しないまま殺された。そして、今回も覚醒できなければ、命のエネルギーは枯渇し、世界のすべては終焉を迎えるだろう」
夏彦の冷徹な視線が向けられ、反論するために開いた口は、音を紡ぐことなく閉じられた。
世界の終焉って、なんだ?!……人類が滅亡するってことか?!
頭の中で与えられた言葉を反芻すると、背中に嫌な汗が伝った。喉がからからに乾いて、思わず、ごくりと唾を飲み込む。
「……せ、かいが滅びるというのは、どういう意味だ?瞬時に、全ての命が消えるのか?それとも、徐々に滅びていくのか?その時、お前たちはどうなる?不死の存在だから死なないのか?」
出来るだけ冷静を保ち、彼らの話を看破しなくては、と自らに言い聞かせるが、言葉の震えは止められなかった。2人は、予想していなかったのか、きょとんと眼を見張り、次の瞬間、爆笑した。余りに笑うので、今までの話は嘘だったのかと思うくらい。
「ククッ……思ったより冷静で、何よりだ」
「だから言っただろう?こいつは、使える奴だって」
何やら2人で不穏な会話をした後、夏彦がこちらを向いて、目を細め、にんまりと微笑んだ。刹那、背筋に悪寒が走ったのは、命の危機を感じた生物の本能として当然の反射だろう。
「2人でコソコソと何の話をしている?」
「まあ、それはさておいて。最初に質問から答えよう。命のエネルギーが枯渇すると、動物だけじゃない。植物も昆虫も微生物も、この世界だけではなく全ての世界の全ての命が生まれなくなる」
「つまり、植物が育たないから野菜、果物、穀物といった食物が収穫できなくなる。序で、そういった食物しか食べられない動物が死ぬ。肉食動物は、お互いが生き残るために殺し合う。動植物の死骸を分解する微生物も死に絶えるから……どうなるんだろうな?」
「知らねえよ。大体、過去2回だって、そんな事にはならなかっただろうが」
「それもそうだな」
殺伐とした世界を想像した所で、否定され、ほっとしたのも束の間、地獄へ叩き落とされた。
「愛里が殺された世界を、俺たちが許す訳ないだろう?」
「特に、人間は片っ端から殺してやったさ。俺は力づくで。こいつは、ありとあらゆる天変地異をひきおこしてな!しかも、事前に予告をして恐怖のどん底まで突き落としてから、やると来た。エゲツないだろ?そんなこんなで『死神』と恐れられたもんなぁ!」
「お前こそ、その馬鹿力で紙屑みたいに次から次へと殺していくもんだから、阿修羅だの魔王だの呼ばれただろうが!」
思い出話を懐かしむように笑い合う2人は、真実を語っていようが、語っていまいが、どちらに転んでもヤバい奴らだと実感した。一般市民が太刀打ちできるレベルではない、と。
その時、締められていたドアがノックされ、神条が入室の許可を出すと、比屋定が紙封筒を手に入って来た。
「先ほど植木屋の主人が、謝礼と称しまして100万円を持って参りました。如何いたしましょう?」




