僕の妹と……(5)
そうこうするうち、車は山の中腹にある一軒の建物の前で止まった。そこは、3階建てガラス張りの近代的なビルだった。
「山の中に、こんなビルがあるなんてな」
「山の中だからこそ、だ。屋上にはヘリポートもある」
神条は、比屋定の開けたドアから愛里を抱えて出来て来た。自分より背が高く、気を失った人間を抱えているのに、ぐらつくことなく、しっかりとした足取りで建物へ向かっていく。その時、建物からストレッチャーを押しながら白衣を着た男性が数名走って来た。
「真人っ!愛里は大丈夫か?」
「眠っているだけだ。大事ない」
ストレッチャーを押す看護人の中から、白い学ラン姿の夏彦が進み出て、神条の腕から愛里を抱き取った。直ぐ様、ストレッチャーへ乗せ、建物の中へ消えて行く。
「あとは夏彦に任せて、お茶でも飲むか」
腕が痺れていたのか、グルグル回しながら歩き始めた神条の後を着いていく。ガラス張りの自動ドアを潜ると、まぎれもなく病院の匂いがした。但し、ここに診察を待つ患者はいない。ホテルのように、ソファセットが数客置かれただけのがらんとしたロビーがあり、左奥に、診療室へ続くと思しきドアが幾つかあるだけだった。
神条は、右側に設置された自動ドアの一つを潜り、スタスタと歩いていく。着いた先は、全面ガラス張りの待合室で、手入れの行き届いた日本庭園が窓の向こうに広がっていた。
「適当に座って」
そう言いながら、自らは奥の上座に腰を下ろす。隣に座るのもおかしな気がして、神条の向かいに座った。ほどなくして夏彦が姿を現し、神条の隣にどっかと腰を下ろした。そのタイミングを見計らっていたかのように比屋定が現れ、コーヒーを置いて行く。
「愛里は?」
「寝てる。身体に異常はないが、問題は記憶の方だ。祐輔、お前、愛里が倒れた時、傍に居たんだろ?状況を説明しろ」
年下の夏彦から呼び捨てにされるのもタメ口を叩かれるのも、今に始まったことではない。ふうっと息を吐き、口を開いた。
「愛里がフルマラソンの競技から帰って来た時、うちの家族は片山家と一緒にテーブルを囲んでいた。愛里がカツサンドを食べていた時、片山武史が愛里に嫁に来ないかと言い、愛里は直ぐに断った」
ちらっと2人を見ると、無然とした表情をしていた。即答で断ったのに気に入らないらしい。
「片山武史がプロポーズして愛里が断るのは、両家の間で馴染のジョークだ。いつもは彼が泣く真似をして、みんなが笑って終わるのに、今回は武史が執拗に話を続け、片山の母親、佳那さんと玲菜が乗っかって来た。だが、うちの母親がキッパリ拒絶して話は終わったんだが、その時、武史が言った言葉で愛里は気を失ったようにみえた」
その時の状況を思い出せる限り、詳しく話して聞かせた。最期の言葉に、夏彦も神条も興味を持ったようで、何と言ったのか知りたがった。目を閉じて、その時の状況を頭の中で再現させる。
「確か、『僕は未来永劫、貴方だけのものですから』と言った直後、愛里は気を失った」
その言葉を聞き、神条が目を瞑る。恐らく、全ての記憶の中から同じ状況を探しているのだろう。ややもして神条が目を開き、夏彦に向き直った。
「過去世でも、その前でも、あいつは同じセリフを言っている。そして、それから暫くして愛里は殺された」
「どういうことだ?……片山武史が愛里を殺すって言うのかっ?!」
いつも飄々とした態度の片山武史が、殺人を犯すなど想像もつかない。神条の不穏な発言に、思わず食って掛かるが、ヤツは、いとも簡単に跳ね除けた。くそっ、小学生のくせにっ!
「落ち着け。片山が愛里を殺すわけではない。あいつは、いつだって陰で実行犯を操っている存在だった。今回も同じだろう」
「実行犯を操っているなら立派な犯罪者だ。何故、野放しにする?愛里が殺されても構わないのかっ?!」
口にしながら、自分が2人の口車に乗せられている可能性が脳裏を過ったが、それでも、愛里が殺されたらと想像するだけで、腸が煮えくり返るようだった。
「捕まえられるもんなら、とっくにやってる。あいつは、愛里を殺すと同時に、愛里を女神にするための鍵を握っている。その鍵が分からねえうちは迂闊に手が出せない」
横から夏彦が口を挟んだ。今、さらりと変な言葉が混ざっていたような。
「め、がみ?」
「なんだ、真人。まだコイツに話してなかったのか?」
「話す前に、ここに着いて、後は、お前も知っている通りだ」
車の中でインタビューを受けていたから話をする時間がなくなったのだ。だが、本を正せば神条が余計なことを言ったからである。自分は悪くないと言い聞かせ、早く話せと2人をせっついた。
「どこまで話したんだ?俺たちのことは話したか?」
「いや、俺が『全てを見て記憶する者』だという話だけだ」
夏彦が、器用に片眉を上げた。
「ふうん。祐輔、お前、夏彦の与太話を信じるのか?」
「正直、信じたくはない。だが、信じないと話が進まないだろう。それに、これ以上、プライバシーを侵害されるのはゴメンだしな」
軽く神条を睨むと、神条ばかりか夏彦までニヤリと笑った。
「了解。じゃあ、今度は俺の話をしよう。俺は、『全てのバランスを取る者』だ。『裁く者』とか『狩る者』、時には『死神』と呼ばれたこともある」
「……人間を殺すのか?」
「厳密に言えば違う。俺は、この世界の均衡を維持する役割がある。バタフライエフェクトって知っているか?」
バタフライエフェクト。
ある場所における蝶の羽ばたきが、遥か遠くの場所の天候を左右するという意味だ。日本でも『風が吹けば桶屋が儲かる』という諺があるように、一見、何の脈絡もない出来事が実は繋がっているという現象で、明確な証明はされていないが、可能性としては大いにあり得るとされている。
「俺の能力は、この世界にいる全てのバランスを保つことだ。1つの種がバランスを崩すほど増え過ぎたり、反対に減り過ぎた場合、人的災害や自然災害など何でも構わない。それらを引き起こす要因を計算し、正確に蝶を羽ばたかせる。それがドミノのように倒れていき、ちょうど良い具合に調整するのさ」
「……そんなことが可能なのか?」
「証明しても良いが、それで納得するかどうか疑問だな」
お手上げとばかり軽く肩を竦める夏彦に、ふんと鼻を鳴らす。
「どうやって証明すると言うんだ?」
「例えば、ここにあるコーヒーを溢すと、30分後に100万円が手に入る」
言うが早いか、夏彦は手にしていたコーヒーカップを逆さまにした。当然、コーヒーは零れ、高そうな絨毯が茶色の染みに覆われる。夏彦は、スマホを取り出し、比屋定にカーペットが汚れた旨を伝え、通話を切った。
「今からちょうど28分後に100万円が届く」
「どうせ何処かで聞き耳を立てているヤツが、金庫から100万円持ってくるんだろ?」
「……そんな訳で、証明は難しいのさ」
夏彦は、想定内という雰囲気で肩を竦めた。盲点を突いたつもりが、逆に思うツボにハマっている。くそっ!
「分かった。かなり胡散臭いが、信じることにしよう。それで、夏彦と神条は人間ではないと言うことか?」
分かっていても目の前の男たちを『神』と認めることは難しい。そもそも、無神論者なので『神』が存在すること自体が受け入れ難い。だが、不思議と、2人を見ていると有り得ない事ではないように思えてくる。駄目だ、2人に毒されつつあるな。
「そうだな。ある意味、神とも言える」
「ま、気まぐれで手を出すこともあるがな」
故に、人によっては死神と呼ばれる所以だと夏彦は自嘲してみせた。
「それで、愛里も神だって言うのか?」
当然だとばかり2人は頷き、神条が説明を加えた。
「俺は記憶する者、夏彦はバランスを取る者、そして、愛里は『全ての命を育む者』だ」




