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僕の妹と……(4)

「体は一つしかないというのに、全てを記憶するなんて不可能だろう」


 神条は目の前にいて、把握できるのは車の中だけだ。辛うじて車窓から見える景色を記憶したとしても全てには程遠い。


「目で見ているのではない。空気中に漂う分子というか、まあ、そんなようなものが事象を記憶し、そのまま俺の脳へ届けられる。全てが自動で、己の意志とは関係なく記録されていく」


 ふっと神条が目を瞑った。暫し、沈黙した後、こちらを見てニッコリ微笑んだ。


「たった今、君たちの母親に朗報があったようだよ」

「母は、雑誌の取材を受けている筈だが?」


 そうだな、と神条は肯定した後、海外の大きな大会に出場できる権利が獲得できたようだ、と呟いた。


 母が出場したいと願っていた大会が、一つだけあった。2年に一度、フランスのリヨンで開催されるパティシエの大会だ。通常前年3月に国内予選が行われ、代表選手が決まる。母はかなり健闘したものの、あと一歩及ばず、という結果に終わった……筈だった。


 半信半疑で携帯を取り出し、電話を掛けるとワンコールで母が出た。珍しいと思ったら、焦ったような声が飛び込んで来た。


「祐輔っ、どうしたのっ?!愛里ちゃんに何かあったの?!」

「……いや、何もない」


 正直、愛里のことは忘れていた。ちらっと見ると、義妹はむにゃむにゃ呟きながら、うへへっと笑った。口の端が光っているのは、食べ物の夢でも見ているのだろうか。年頃の女の子なのに残念な気持ちになったが、神条は至福の笑みを浮かべて義妹の寝顔を眺めている。


 たで食う虫も好き好き。


 いや、でも相手は人間じゃないのか?いや、でも今は人間か?いや、それより世間的に小学生ってアウトだろ?


 答えのない疑問ばかりが脳裏に渦巻き、つい電話の相手を疎かにしていると、母の金切り声が耳をつんざいた。


「……祐輔っ!ちゃんと聞いてるのっ?!返事をしなさいっ!!」

「すみません。聞いていませんでした」


 正直に話せば、次の瞬間、母の朗らかな笑い声が車内に響いた。


「もうっ!実はね、今さっき連絡あって、日本代表で大会に出られることになったのよっ!予定していた方が、急きょ参加できなくなったからって!」


 咄嗟に神条を見れば、ドヤ顔で親指を立てていた。ヤツを無視して、母に祝いの言葉を述べていたら、雑誌の記者が取材したいと言い出したらしい。そのまま電話で応じることになった。


 取材は、母の店が有名になってから時折あることなので、当たり障りのない言葉を述べていく。もしも愛里が起きていたら気の利いた言葉の一つや二つ飛び出しているだろうが、個人的に人前に出るのは好きではない。


 まあ、義父の会社も大きくなり、片山家とも付き合うのであれば、嫌いだの苦手だの甘えたことは言っていられないが。


 漸く取材を終え、通話を切ると、神条から「お疲れさん」と声がかけられた。そもそもの始まりは、こいつだと思うと何やら腹が立つ。


「母に、何をした?盗聴か?それとも加茂黒の威光を使ったのか?」


 何か仕掛けがある筈だ。そうでなければ、全てを記憶するなどありえない。だが、神条はいっかな動揺することもなく、肩を竦めた。


「俺が盗聴防止装置を使っているのに、盗聴が傍受できる筈ないだろう?それに、加茂黒の威光を翳して君たちの母親を代表にしたところで、俺に何の得がある?寧ろ、ジジイに弱みを握られるだけ骨折り損だ。第一……」


 神条は、言葉を切ると、再び目を瞑った。


「俺が全てを記憶している証拠なぞ、幾らでも出せるぞ?例えば、片山玲菜との初デートで、どこへ行き、何をしたか。それとも、初めて彼女を抱いた日付と場所を言ってみせようか?」

「プライバシーの侵害だっ!」


 かっとなって掴みかかろうとするが、片手で簡単に弾かれる。くっそっ!


「プライバシーの侵害?俺は、ただ記憶するだけだ。記憶を印刷することも出来ないし、他人に見せることすら出来ない。よって、侵害には当たらない。俺が何を言ったところで、ただ一言、妄想だと一蹴すれば済む話だ」


 真っ直ぐこちらを射抜く視線は、自分を嘲笑っているようだった。


 神条の言葉が、すとんと胸に落ちた。


 万が一、全てを記憶する能力が本物だったとして、誰もそんな荒唐無稽な話を信じないだろう。『全てを見て記憶する者』とは、本当に、ただそれだけの存在なのだろう。例えば、どこかで事件が起きたとする。警察に通報して犯人を告げたところで、頭がおかしいと思われるか、下手をすれば共犯にされるのがオチだ。


「役に立たない能力だな」


 今までの鬱憤を晴らすべく、バカにするように、いや、実際、バカにした口調で呟くと、意外にも相手は頷いてみせた。 


「そうだな。全く役に立たない能力だ。見えていたのに、こいつを2度も死なせてしまったんだから」


 そう言うと、神条は小さな子供の手で額にかかっていた愛里の髪をそっとかき上げた。触れると壊れてしまうと言わんばかりの繊細な手つきの割に、眉根を潜めた険しい表情だった。


「……2度も死なせたとは、どういう意味だ?」

「言葉の通り。過去世で2度、こいつは殺された。俺は、全てを見ていたのに何も出来なかった役立たずだ。……そして、今度も近いうちに狙われる」


 え?


「そうさせないためにも、俺たちに力を貸して欲しい」


 吐き出された言葉が胸の中で凍り付き、きちんと意味が理解できないままでいると、神条が頼むと頭を下げる姿が視界に映った。


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