新しい家族の話。( *´艸`)
鹿子さんは、私が記憶喪失になる3年ほど前、ご主人を病で亡くしている。その後、私より2歳年上の息子を女手一つで育てていたところに、私という存在が転がり込んだ。
父親も私も、母親が亡くなった原因が鹿子さんにあるとは微塵も考えていなかった。そもそも私が飛び出さなければ良かったのだし、母親も5歳児を連れているのだから注意を怠るべきではなかった。
わざわざ店を離れてまで釣銭を届けてくれた鹿子さんを責めるなどとんでもないことだったが、鹿子さんは自責の念を感じて、父親が働いている間、私を店で預かると申し出てくれたのである。
父親は最初、断っていたが、最終的には賃金を支払う『仕事』としてお願いすることになったのだ。金銭を受け取るのを拒否した鹿子さんだったが、父親は譲らなかった。
実際問題、近くに頼れる近親者がおらず、父親は親友と二人で会社を設立したばかりだった。当然、残業続きの日も珍しくない。母親の存命中、私は幼稚園に通っていたようだが、保育所より時間の短い幼稚園のお迎えを父親が行うのは不可能である。
保育所に夜まで預けるとかベビーシッターに来てもらうとか、父親も考えていたようだったが、運悪く(良く?)立て続けに幼児が怪我をする事件が起こり、ニュースで連日報道されたため、決心がつかなかった様子。鹿子さんも、同じことを考え、申し出てくれたのだろう。
私としては、菓子店の裏側が見られるなんて興味深々だったし、鹿子さんの天然ブリも面白かったので二つ返事で鹿子さん家へ行くことを了承した。
鹿子さんの息子に会うのは、ちょっぴりドキドキしたけれど、会ってみれば(鹿子さんに似ず!)素晴らしい息子さんだった。
さらりとした栗色の髪は、陽に当たるときらきら光る。瞳はラピスラズリというのか、濃い紫色だった。すっきりとした和風の顔立ちだが、絶妙なバランスで配置されている。まだ7歳だというのに、今すぐアイドルとしてデビュー出来そうだった。
「こんにちは。君が愛里ちゃんだね。僕は北村祐輔です。よろしくね」
「は、はじめまして!あ、天野愛里です!よろしくお願いちましゅ!」
7歳でこれだけ立派な挨拶が出来たら、祐輔君だって天才児だろう。思わず、私の方が噛んじゃったよ、恥ずかしい~!まあ、見かけは5歳児だから愛嬌ということで誤魔化されてくれたみたい。やれやれ。
出会った当初、祐輔君は小学一年生だったから日中は学校へ通っていた。最近では、ゆとり教育の反動か、一年生でも午後の授業があるらしい。もちろん、昼は給食が出される。
故に、幼稚園に通う私に持たせるため、念願だったお弁当が作れる!と鹿子さんはキャラ弁の本を片手に盛り上がっていた。祐輔君は、食事完備の保育所へ通っていたので、今までお弁当を作る機会がなかったらしい。
だが、預けられて直ぐ、というか初日の朝に判明したのだが、鹿子さんは料理が出来なかった。ついでに掃除・洗濯も。それはもう壊滅的に。
不思議に思って、今までどうしていたのか尋ねると、なんと祐輔君がやっていたと返答が。7歳にしてはプロ級の腕前で、盛り上がる鹿子さんを余所に、さっさと朝食とお弁当2つ(1つは私、もう1つは鹿子さんの分)を作って登校していった。
その様子を、父親が涎を垂らさんばかりに見つめていたので、翌日から4人分の朝食と3人分のお弁当が用意されることとなった。
父子家庭になって以来、コンビニ弁当か外食の日々が続いていた父親は飛び上がらんばかりに喜んだ。私も久々にまともな食事が出来ると感激したが、余りに申し訳ないので祐輔君のお手伝いをした。これまた前世の記憶(仮)か、何とか料理の下ごしらえが出来たのでホッとしたよ。
だって、大の大人3人(私も含む)が7歳児に頼りっきりなんて、申し訳なさ過ぎて身の置き所がないものね。
ちなみに、鹿子さんの家の台所は祐輔君の身長に合わせて床に台を敷いてある。テキパキと食材を洗い、フライパンを操り、汚れ物を洗う。私も手伝いたかったが、身長が届かないわ、手が小さくてしっかり持てないわで洗い物は断念した。
その代り、卵を割って掻き混ぜたり、調味料を手渡したり、お皿を並べたり、助手としては中々だったと思う。祐輔君も「5歳なのに偉いねぇ!」と誉めてくれたし。
7歳児に褒められて、内心は複雑な心境だったけれども。(;^ω^)
せめてものお詫びとして、幼稚園から帰ると、掃除と洗濯をした。と言っても、乱雑になっていた本や書類を仕分け、色物を分類して洗濯機のスイッチを押すだけ。掃除機をかけるのと洗った衣類を干すのは小学校から帰ってきた祐輔君の仕事だ。
本当は全部自分でやりました!と言いたいところだったけれど、これまた、身長に無理があるので出来なかった。むう。あまりに申し訳なくて、早く大きくなって祐輔君を楽にさせてあげたいものだ、と謝ったら祐輔君に苦笑された。
「愛里ちゃんは、何もしなくても良いんだよ。これは僕の家の掃除と洗濯なんだからね」
祐輔君も鹿子さんも、そう言っては私に遊ぶよう促したが、子供用オモチャで遊んでも何も楽しくなかった。それに、父親の仕事が遅くなる日は泊まることもあるので、必然的に私の服や荷物も増えていく。いくら賃金を払って預けられているとはいえ、ぐうたら遊んでいられるほど鈍感でもなかった。
それから一ヶ月後、鹿子さんは父から金銭を受けることを拒否し、逆に、愛娘である私を働かせてしまって申し訳ないと預かるのを止める申し出をした。その代りと言って、家から父親の会社辺りにある優良な保育所とベビーシッター派遣会社のパンフレットを渡した。
いくらインターネットがあるとはいえ、いくつもの施設のパンフレットを集めるのはさぞかし苦労しただろう。しかも、仕事の合間を縫って実際に足を運んだから良い所なのは保証するとまで告げた。
「私、鹿子さんが良いっ!鹿子さんじゃなきゃヤダッ!」
ただでさえ、幼稚園で怪しまれないよう幼児として過ごす時間が苦痛なのに、さらに長時間、幼児の振りをするなんて耐えられないと思い、涙ながらに鹿子さんへしがみつくと、父親は苦笑しながら私の頭を撫でた。
「娘もこう言っていることですし、これからも宜しくお願いします」
「愛里ちゃん。……分かりました。その代り、金銭は一切頂きません。それだけは譲れませんから!」
今考えると、当初、父親が金銭関係を持ち出したのは、なあなあになる関係を排除し、きっちりとした契約を結びたかったのだろう。最初の頃は、まだ鹿子さんの人柄も知らなかったし、私に万一のことがあったら契約を結んでおいた方が対処し易い。同時に、契約を露わにすることで鹿子さんに釘をさすことも出来る。
だが、一ヶ月の間に、鹿子さんと祐輔君の人柄を知り、私の懐き具合を知り、絆されたのだろう。結局、金銭のやり取りは一切なかった。そして、後から思うに、仕事ではなくなったことで、少しずつ、少しずつ家族の形が出来上がっていったのだと思う。
私ばかりか、父親が鹿子さんの家に泊まることも増えた。最初はぎこちなかった祐輔君も次第に父親に打ち解けていった。やがて、会社経営が軌道に乗った父親は、それまで住んでいた分譲マンションを売り払い、鹿子さんの自宅兼店舗の隣にあった土地を買って家を建てた。
いつまでも私と父親が居候しては申し訳ないからと説明したが、鹿子さんを好きになっているのは明らかだった。だが、鹿子さんの性格からいって、父親の気持ちは、これっぽっちも伝わっていなかった。
そんな二人を見ているのは面白かったけど、次第に、二枚目ダンディな父親の姿が情けなくなっていくので、ついには、祐輔君と一芝居打って2人を恋仲にさせた。
祐輔君の父親と私の母親には悪いかなぁと思ったけれど、鹿子さんと父親が幸せそうに笑うのを見たら、きっと天国で許しくてくれるよ、と都合よく解釈した。
そうして、新しい家族が出来たのだった。
年齢が間違っていたので訂正いたしました。ご指摘ありがとうございました~!<(_ _)>