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還る場所

小さな女の子が音楽室に取り残されている。つい先程まで、担任の先生が彼女を叱っていた。


 ―歌子うたこちゃんは、どうして音楽の時間に歌を歌わないのかしら


 ―とってもきれいな声だから、歌ったらステキだとおもうんだけどな


彼女は、何も言わず俯いたまま。


 ―どうして、何も言わないの?先生が聞いてるのよ


 ―そんなに先生と話したくないなら、話したくなるまでここにいなさい


業を煮やした先生は、そのまま出て行った。すると、同じクラスの悪戯っ子たちが入って来て、女の子を取り囲んだ。


 ―おまえー、歌子うたこなんて名前なのに、なんで歌わないんだー


 ―歌がへただからだろーだから捨てられたんだー


 ―やーい、施設そだちー


 ―ちかよるなー、歌がへたになるぞー


女の子は、黙ったまま、ずっと座っていた。陽が暮れて真っ暗になり、見回りに来た用務員のおじさんが気づいてくれるまで。






女の子は、中学を卒業すると、地元の食品工場へ勤めた。就職と同時に施設を出て、工場の寮に入った。荷物は、リュックに納まるほどしかなかった。工場と寮を往復するだけの毎日だったけれど、たった1つだけ楽しみがあった。休みの日に、近くの図書館へ通うことだった。


 ―あら、もう読んじゃったの?


 ―ここも予算が少ないから中々、蔵書が買えなくて。昔の文学全集とか辞書や図鑑ばっかりだから若い子には面白くないわよねぇ?


 ―はい、これ。最近、発売された小説よ。私は読んじゃったから、あなたにあげるわ。


女の子の手に、マンガのようなイラストが描かれた本が乗せられた。『荒野の歌姫』と書かれていた。






その本は、女の子の世界を変えた。何年もコツコツと貯めた貯金で、同じ作者の本を全部そろえた。中古本が精一杯だったけれど。それから、『荒野の歌姫』がアニメ化されると聞き、テレビを拾った。リサイクル品でも高かったから同じ寮に住む同僚が捨てたものだった。


 ―聞いた?彼女、捨ててあったテレビを拾ったのよ。


 ―そこまで守銭奴なのもどうかと思うわねぇ。


 ―恋人もいないんだから、貯め込んだお金でお洒落でもすれば良いのに。


 ―彼女、いい年でしょ?一生、こんな工場にいる気かしら?


 ―結婚もしないで?まあ、彼女ならありえるけどー!


女の子は、同僚たちの口さがない噂も聞こえていたけれど、物心ついた頃から悪口が当たり前だったので何とも思わなかった。ただただ、アニメが待ち遠しいだけだった。






ある日、女の子の住む町から電車で2時間ほど離れた街で、サイン会があると聞いた。『荒野の歌姫』の作者と、彼女の夫である英雄をアテた声優さんのイベントだった。女の子は、生まれて初めて無断で工場を休んだ。学校だって1日も休んだことなかったのに。


 ―名前は?本にサインするから。


 ―うた、いえ、カコです。


 ―そう。良い名前だ。


 ―それに、とっても素敵な声だわ。


その日から、モノクロだった女の子の世界が鮮やかに広がっていく。






女の子は、2人の養女になり、都会で暮らした。知識の豊富な養父母から、沢山のことを学び、聡明で美しい女性に生まれ変わった。


 ―そんなに本が好きなら、出版社で働きませんか?


養母の編集者から誘われ、出版社で働くようになった。養父母はお金に困っていなかったけれど、女の子は、お金がないと不安で不安で仕方がなかった。それは、施設で染みついた癖だった。小説家も声優も、いつどうなるか分からない。だったら自分が働いて、2人が困った時に恩返しがしたかった。養父母は、彼女を良く知っていたから少し寂しかったけれど、毎日、会社へ送り出した。


外へ出た彼女は、何人もの男性にアピールされたけれど、彼女は誰にも首を縦に振らなかった。養父母と一緒に過ごす時間が、何よりも幸せで、大切だったから。






そして、彼女の幸せな生活は終わりを告げた。


 ―あんたさえいなければ、彼は私と結婚してくれたのに!


かつて女の子を出版社で働けるよう誘ってくれた養母の編集者が、幼馴染だと紹介してくれた女性が向かって来るのが見えた。手には、光るものが握られていた。


どすんと、女性がぶつかった後、女の子の体から沢山の血が失われた。






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