私の親友(3)
「愛里君が心配していたよ。謝りたいのに実南が電話に出ないって」
「……別に愛里が謝ることなんてないですわ。私たちは友達でも何でもない関係ですから」
暗闇の中でお父さまの目が細くなった。てっきり叱られるものとばかり思ったけれど、お父さまはくすくす笑うだけだった。
「友達ではないのなら、ショッピングモールで何があったかなんて聞きたくないだろう。寝ているところを起こして済まなかったね」
すっくと立ち上がったお父さまに、反射的に縋り付いていた。
「と、友達ではないけれど、友達だったから、何があったかくらいは聞いても良いわ」
お父さまは、苦笑して椅子に座り直すと事の顛末を話してくれた。
「愛里君のお友達が、悪い男に浚われそうになったそうだ。そのお友達は、車に乗せられる前に大声を出して逃げ出したから無事だったけれど、悪い男は、何度も姿を見せたらしい」
「そんな悪い人間なら、直ぐ警察に言って、捕まえてもらえばいいのに!」
自分が知らない男に連れ去られたらと思ったら、ぞっとした。けれど、その友達と愛里に何の関係があるのか分からなかった。
「そうだね。だから、今日、ショッピングモールで愛里君たちが警察に協力して悪い男を捕まえたそうだ。実南は、そこに居合わせたんだよ」
お父さまは私を慮って、かなり省略して話したので私の憤りは収まらなかった。
「それなら、愛里もそう言えば良かったのに。そしたら、私も一緒に協力してあげたわ!」
「実南!」
お父さまの叱責が飛んだ。私がびくりと体を竦めたのに気付き、お父さまは、ふうっと息を吐いた。
「これは遊びではないんだ。悪い男が何をするか分からないだろう。もしも、実南がその場にいたら、実南を人質にして逃げたかもしれない。そんなことになったら愛里君たちに協力するどころか足を引っ張ることになっただろうね」
「じゃあ、愛里はどうなの?愛里だって警察の足を引っ張ったかもしれないじゃない!」
納得いかないと剥れる私に、お父さまは真実を話すしかないと決断したようだった。急に真面目な顔になったお父さまに、背中がふるりと震えた。
「愛里君は、太極拳を習っていてかなり強いらしい。それに一緒にいた男の子も。だから、お友達の代わりに悪い男に浚われたんだよ」
「……え?!」
そんなバカな!!さっき愛里から携帯に着信があったはずだ。でも、私は電話に出なかった。もしも愛里から助けを求める電話だったら?!
私は焦ってベッドの上にあるはずの携帯を探し始めた。枕の下に探していたものを見つけ、電源を入れる。愛里から、2回の着信と1通のメールが届いていた。慌ててメールを開いて読む。
『実南ちゃん。さっきは、ごめん!(´Д⊂ヽ今度、一緒にいた男の子を紹介するからみんなで遊ぼうね!』
どう読んでも助けを求めるメールではなかった。いつもの能天気なほど明るい文章だった。どういうこと?!とお父さまを見上げると、してやったりとニヤニヤ笑う顔があった。
「愛里君は浚われた後、周りで見張っていた警察が取り押さえて、直ぐに救出されたよ。愛里君は安全だから安心しなさい」
「べ、別に友達ではありませんもの!」
お父さまは、それ以上、友達云々については追及しなかった。代わりに真面目な顔になって話を続けた。
「今、愛里君が浚われたと聞いて怖かっただろう。もし実南がその場にいたら、代わりに浚われていたかもしれないんだよ。愛里君は、実南をそんな目に遭わせたくなかったから遠ざけたんだ」
自分が知らない男に浚われるところを想像し、おぞましくて鳥肌が立った。愛里は、一瞬とは言え、男と2人っきりになり、そして、勇敢にも警察の逮捕劇に役立ったのだ。それに引き換え、自分は何て無力な存在なんだろう。正にレベルが違うと絶望感に打ちひしがれた。
「つまり、愛里は優秀だから警察の役にも立つけれど、私は役立たずだから何もするなということね」
「そうではないよ。人間には色々なタイプがある。優秀かどうかは見る人によって判断が異なるんだよ」
そんなことを言われても慰めにすらならない。だって愛里は、お菓子も作れるし、鹿子さんの手伝いもした上、勉強まで出来る。太極拳も強くて警察の捜査にも協力しているのだ。
引き換え、自分には何もない。勉強が普通より少しできるくらいで、後は、ブランドのバッグや洋服を持っているくらいだけど、それすら、両親や祖父母に買ってもらったものだった。
眉根を寄せて思いつめる私に、お父さまは苦笑しながら言葉を続けた。
「確かに、愛里君は何でも出来る子だね。一人前の大人ですら敵わないと思う時が何度もあるよ。言ってみれば天才とか神童と呼ばれる類の子供かも知れない」
お父さまの言葉は、余計に私と愛里の差を見せつけるようで胸に重くのしかかった。
「彼女の周りには沢山の人が集まるけれど、中には、彼女の才能を当てにして近づく人も多いだろう。そういう輩は、自分が困った時だけ擦り寄って来て、彼女が困っている時は手のひらを反して離れていくだろうね」
「そんな礼儀知らずな!」
お父さまは、私たち子供に、人から受けた恩は決して忘れず、必ず返すよう厳しく躾けた。長じてからそれは、足元を掬われないための教えでもあると気付いたが、その頃には既に当たり前のことだと感じるようになっていた。
「そうだね。それは礼儀知らずだけれど、世の中には、そう考える人が沢山いるんだ。他にも、彼女の才能に憧れて近づく人もいるし、その結果、自分が同じ才能を得ることが出来ず、彼女に八つ当たりをしたり、引け目を感じて離れてしまう人たちも沢山いるだろう」
それは、私のことを言われているようで、つきんと胸が痛んだ。
「つまりね、才能が沢山ある人は、人を惹きつけるけれど、それだけリスクも背負っているんだよ。実南だって、覚えがあるだろう?友達だと思っていた子が、実は家の会社がバックアップしているアーティストのコンサートチケットが欲しいだけだったと知って、怒ったことがあっただろう?」
私が高天原学園の初等部に入った時、上級生から優しくされて舞い上がっていた。自分は特別なんだと。ところが、コンサートのチケットが融通できないと知り、手のひらを返したように悪口を言われるようになった。
その後、武史兄さまや玲菜お姉さまが「仇を討ったから!」と慰めてくれた。具体的に何をしたかは聞いてないけれど、風の便りで、彼女は別の学校へ転校したと聞いたわね。
今はもう、そんな愚かな人たちを相手にしないから何でもないけれど、その時は、相手の裏切りにもショックだったし、特別だと思い上がった自分にもショックだった……そうね。そのことが切っ掛けで、私は絶対に大丈夫と思う相手、つまり親同士のつながりがある相手を友達に選んだんだわ。
愛里が淡々としているのは、相手がいつ離れて行っても良いように距離を置いているのかもしれない。じゃあ、私が友達を止めたら、愛里は私のことを、愛里を利用しようとして利用できないと分かって離れたんだと思うかもしれない。
そんなのイヤ!絶対に!
「お父さま。私、愛里のちゃんとした友達になりたい。ずっと一緒にいられるような」
お父さまは、苦笑するでもなく、嬉しそうな笑顔を浮かべた。
それからの私は、そりゃあもう必死だった。手始めに、自分の身は自分で守れるようになろうと愛里たちと同じ太極拳の道場へ通ったわ。愛里たちほど強くはないけれど、自分の身を守れるくらいには上達したと思う。
それと同時に、自分は何が出来るのか、どうしたら愛里に近づくことが出来るのか考えに考え、情報収集という手段を得たの。
何しろ、私には様々な伝手があるでしょ。片山家と繋がる人たち、鴻池家と繋がる人たち、学園へ通う生徒たちや先生、理事会。彼らの話に耳を傾け、自分が知りたい情報を引き出す。それは、自分で考えたことではなく、愛里のやっていることだった。
勿論、私は愛里のように悩める人を救済したりなどしない。こちらの持っている情報と交換で新たな情報を得る。そして、色々な組織に手の内を探ってくれる人を見つけ、交換条件で協力体制を組むのよ。
幸か不幸か、私の得た情報は何度か愛里の役に立った。反面、人間の裏の顔まで見えてしまうから、かなりの人間不信に陥った。鬱々とした気分でいる私に、なんと夏彦が声をかけてきた。
「愛里は、絶対にお前を裏切らない。愛里が裏切らない限り、俺も裏切らない。それ以外に何が必要だ?」
その時、初めて夏彦に受け入れられたと思ったけれど、今から考えると、かなりなオレサマ発言かも。まあ、同じ道場へ通うようになって、夏彦がどれほど愛里を好きなのか分かったし、愛里も何だかんだ言いつつ、問答無用で夏彦を信頼しているのが分かったから、オレサマ発言くらい些細な問題だわね。
ふと先ほどの美少年が脳裏を過る。
夏彦は、彼を受け入れるのだろうか。そもそも2人は、どういう関係なのかしら。夏彦は、公立の学校へ通うような一般家庭の育ちだし、片や著名な代議士の孫……と思考を巡らせていると手元の携帯がメール着信のメロディを鳴らした。
メールは私の情報源の一つである生徒からのものだった。件名には、『ライバルの侵入者を発見!』とある。何か新しい情報でも得たのかと添付の画像を開くと、そこには、白い学ランを着た夏彦の姿があった。
真っ白の学ラン。そんな制服を着るのは、高天原学園のライバル校でもある豊葦原学院の制服しかありえなかった。我が学園より更にエリート意識が高い、というかはっきり言えば選民意識の塊ともいうべき人たち。
何故、夏彦が、その制服を着ているのよ~~~っ?!




