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私の親友(1)

 愛里が慌ててバタバタ走り去ると、隣に座っていた美少年、神条真人かみじょう まさとも立ち上がり、優雅な仕草で一礼して出て行く。


 ふ~~~~~~~~~~~っ!


 ほっと一息ついたら背中から汗がどっと吹き出たわ。新品の制服に汗染みが残ったらどうしてくれよう!別に、制服を新しく買うのは金銭面で問題ないけれど、エコという面では問題だもの。


 あの子供、黙っていれば天使だけれど、愛里は自分のモノだと明確に主張していた。祐輔さまは、果敢にも勝負に挑んでいらっしゃったけど、私は黙っているのが精一杯だった。いっそ、何も感じず、アイドルを見たかのように興奮して舞い上がっている玲菜お姉さまたちの方が強心臓かも知れないわ。我ながら不甲斐ない。


 もっとも、たかが小学生と侮るなかれ。あの他者を威圧する風格は、ただものじゃない。流石は加茂黒富久蔵かもぐろ ふくぞうの孫といったところかしら。それにしても、純和風の正に公家顔といった雰囲気の加茂黒から、たった3世代でギリシャ彫刻が誕生するなんて、遺伝子も相当無茶ぶりを発揮したと言えばいいのかしら。生命の神秘だわ。


 あら、話が逸れたわね。


 けれど、私の人を見る目は間違っていないはず。それが証拠に、彼は『夏彦』と、あの愛里にしか懐かない狂犬を呼び捨てにしたもの。つまり、八雲夏彦やくも なつひこを同等、あるいは歯牙にもかけない存在と看做みなしているということ。どちらにしても普通では有り得ないことだわ。


 愛里は、私を親友と呼んで慕ってくれるけど、彼女は私より数段、格上の存在。預金通帳の残高とか家柄とか、そんな俗物的な意味ではなくて『人格』というか。上手く説明できないのがもどかしいけれど、彼女の周りには様々な人間が集まってくる。年齢も性別も地位すら関係なく、ね。


 彼女は一見すると普通よりやや可愛い部類で、誰もが見惚れるような美しさはない。頭の回転は速いけれど、特別な才能があるわけでもない。だから、大抵の人たちは彼女の凄さに気付かず、一時的な邂逅の後、通り過ぎていく。


 傍から見れば本当に他愛もないことだけど、彼女と話をしていると、自分の中の迷いが吹っ切れ、進むべき道が見えてくるの。本当に不思議だけれど、その道を進めば必ず上手くいくし、反対に、懐疑的になって違う道を行くと必ず失敗する。


 神がかりとか洗脳とか、そんな世迷いごとではない。愛里は、只管、相手の話に耳を傾け、ごちゃごちゃになった思考を解きほぐし、整理してくれるのよ。


 たったそれだけ?!


 などという人間には、それだけのことがどれほど難しいか、一生、理解できないわね。だからこそ、彼女に窮地を救われた人間は、恩を忘れず、彼女を助けるために出来る限りのことをする。そんな人間たちが愛里の周りには大勢控えている。


 ふっと、彼女に出会った頃のことを思い出す。私は、彼女の凄さも分からず、ただただ彼女が大嫌いだった。


 そもそもの始まりは、玲菜お姉さまがインターネットで愛里と祐輔さまの御母堂である鹿子かのこさまのお菓子を買ったことだった。


 ある日、玲菜お姉さまに呼ばれ、部屋へ行ってみると、小さな花柄の箱に入ったクッキーとチョコレートの詰め合わせを差し出されたわ。我が家で、おやつを出す時は、お手伝いさんたちがお皿に盛り、お茶と共に供されるので、箱詰めのままというのは初めてだった。


「どうしてお皿に乗ってないの?玲菜お姉さま」

「ふふっ、お母さまたちに内緒で私が買ったものだからよ」


 今から考えると、玲菜お姉さまは昔から大胆だったわね。当時、まだ小学生だというのに、インターネットで見て美味しそうだったからいう理由で、こっそり購入したんだもの。


 もっとも、お父さま(と部下の人たち)が私たち子供用パソコンの閲覧履歴を管理しているので、お姉さまの冒険は直ぐにバレてしまうのだけれど、秘密のお菓子は、それまで食べたどんな高級品より美味しかった。


「このお店ね、実南と同じ年の子がお手伝いしてるんだって!まだ小学2年生なのにすごいよねっ!」


 お姉さまは、チョコレートを食べ終えた後、インターネットを立ち上げ、お店のホームページを見せてくれた。花やおもちゃの画像を散りばめ、とても可愛らしく、美味しそうなサイトだった。


 そして、仲良くなったという子供のメールを見せてくれた。同じ年だと言うのに、私の知らない漢字が沢山並んでいる。片山家の娘として恥ずかしくないよう、両親が家庭教師をつけてくれて、高天原学園初等部のテストでも常に上位に入っているのに。


 私は即座に、その子供を嫌いになった。私より勉強が出来て、私より玲菜お姉さまが褒める存在。今まで片山家の末っ子として家族から一身に愛情を受けていた盤石な地面が、ぐらぐら揺らいで崩れ落ちそうな錯覚に囚われたのを鮮明に覚えているわ。


 私の嬉しくない予感は当たった……というか、当時、子供だった私の世界はとても小さなものだったから、あっけなく崩れ落ちた。その時は、世界の終わりとばかり嘆いたけれど、今考えれば、私の小さな世界が壊れることで、より広い世界が広がっただけのことだった。


 思い出すと黒歴史だけれど、子供の成長記録ってことで勘弁して頂戴。


 とにかく、鹿子さまのスゥイーツは、瞬く間に両親に気に入られ、あまつさえ母の実家である鴻池こうのいけの祖父母たちにも気に入られた。それと同時に、愛里が我が家を訪れることも増え、誰もかれもが愛里を可愛がった。


 もちろん、それは世間知らずな私の被害妄想だった。お父さまたちは、取引先とその家族として一般的な対応をしたに過ぎないし、武史たけしお兄さまや玲菜お姉さまは、新しい友達が増えたくらいの感覚だったでしょう。


 でも、8歳の甘やかされた私には、世界が崩壊する衝撃だった。そして、愛里に決闘を申し込んだのよ。


 決闘というのは穏やかではないけれど、当時、時代小説にハマっていた武史兄さまの影響ね。私は、タイトルに『決闘状』と入れたメールを愛里に送り付けたの。内容は、『次の日曜日、私の部屋で決闘いたしましょう。』だった気がする。


 ああ、本当に私の過去は消し去りたい黒歴史ばかりで、お目汚しお許しくださいませ。


 メールを貰った愛里は、何の事だか分からなかったんじゃないかしら。それでも、手土産持参で来てくれて、私は彼女に思いつく限りの悪口を言ったわ。上品な言葉しか話さない我が家だから、せいぜい「お馬鹿さんねっ!」とか「可愛くないですわっ!」とか、そんな程度だったけどね。


 愛里は、最初こそ、ぽかんっとしていたけれど、何か思うことがあったのか、途中からは静かに私の拙い悪口を聞くだけだった。私はといえば、悪口を言えば言う程、心が痛んできて、最後にはわんわん泣き出す始末。


「はい、これ。冷たくて美味しいよ」


 泣き止んだ私に、愛里は、小さな保冷バッグから取り出した、ころんとした瓶に入ったプリンを手渡した。愛里は、この頃から既にお菓子を持ち歩いていたんだわ。お菓子にかける執念って凄いわね。


「私が作ったんだ。卵と砂糖と牛乳だけなんだけど、私、一番好きなんだよね。シンプルで、素材の味が分かるっていうか」


 差し出された薄黄色のぷるぷるした物体は、普段、我が家のおやつとして出されるクリームブリュレと違い、口に入れると、ひんやりとした塊が砕け、つるんと喉の奥へ滑り込んでいった。


「……おいしい」

「でしょ?」


 2人で黙ったままプリンを食べて、ふっと窓を見ると、部屋の中にきらきら光が差し込んで輝いて見えた。何だか、天使が舞い降りて祝福しているみたいだと思ったのをよく覚えている。


 今なら癇癪を起こして部屋の埃が舞ったんだろうとしか思わないけれど、8歳の私は、頭の中がファンタジーだったわね。


「あのさ、私、実南ちゃんと同じ年じゃない?」

「……それが何ですのっ!」


 プリンを食べ終えた愛里は、名案が閃いたという感じで切り出した。私は、まだちょっと不貞腐れていたのと恥ずかしかったのとでぶっきら棒に言葉を返すのが精一杯だったっけ。


「私たち友達になれると思うんだけど、どうかな?」

「……どうしても私と友達になりたい、っておっしゃるんだったら構わなくてよ」


 愛里は、私の生意気な口に気を悪くする様子もなく、「どうしても友達になりたいっ!」と言った。そうして私たちは友達になったワケだけれど、実の所、私は愛里を友達というより家来か召使のように扱っていた気がする。


 言い訳と言われればそれまでだけど、当時の私は『友達』という関係が良く分かっていなかった。高天原学園の幼稚舎からずっと通っていて、それなりに『友達』と呼べる人もいたけれど、それは家同士の延長線上の『友達』だった。


 親同士、仕事上の付き合いがあるから、同じ学校の同窓生だから、仲が良いから、という前提で仲良くなった友達であり、家と関係なく、単純に相手と気が合うから、好きだからという理由で付き合うことはなかった。


 とどのつまり、私は愛里と何を話して良いのか分からず、学校の友達と会話する時と同じ様に、ブランドのバッグを買ってもらったとか、有名なレストランで食事をしたとか、自慢話ばかりしていたわね。


 愛里は、「ツンデレだなぁ」と意味不明なことを呟きつつも、にまにましながら耳を傾けてくれていたから、尚更、自分の話が羨ましいのだろうと勘違いした。ああ、本当に自分が恥ずかしいわ。


 そんな自惚れを粉々に打ち砕いたのが、八雲夏彦だった。


 初めて彼を見たのは、愛里の家へ向かう途中、車の中からだったわね。


 彼は、路上で友達に囲まれて立っていたけれど、すらりとした身長と、その佇まいに品があった。明らかに一緒にいる男の子たちとは違っていたから、車の中からでもはっきりと彼の姿が分かった。


 ちょっとカッコいい人だな、と思った瞬間、彼がこちらを向いた。


 白い髪に銀髪が混じり、少し長めにカットされている。遠目からでも人目を引くほどの整った顔立ち、そして切れ長の黒い瞳が印象的だった。そのまま車は彼から離れてしまったけれど、何故だか胸がドキドキしたものよ。


 その後も、愛里の家へ行くたび、彼の姿を見つけたわ。車にはスモークガラスが張られているので彼から私が見える筈はないけれど、いつも彼の視線を感じた。玲菜お姉さまの大好きな恋愛小説のヒロインになった気分だった。


 正直なところ、彼は私の初恋だった。


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