僕の妹(2)
僕自身、ほんのちょっと愛里との結婚を考えたけれど、直ぐにあり得ないと思い知った。愛里本人からキッパリ断られたからだ。僕も恋愛感情があった訳じゃないから、理由を聞いて納得できたけどね。
いつだったか、こんなことがあった。
「この間ね、鹿子さんが、私の結婚式には盛大なウェディングケーキを焼いてくれるって。しかも、今からデザインを考えてるんだって。だから、祐兄の方が先でしょって言ったの」
「……まあ、順番にいけばね」
ドキッとした僕の胸の内など察することもなく、愛里は、さもおかしくて堪らないと笑いながら話を続けた。
「そしたらね、祐兄と結婚すれば問題ないでしょ、だって!」
言い終えて、けらけらと笑い転げる愛里に、そんなにおかしいのかと思って、ちょっとムッとなった。自分で言うのもなんだけれど、学校の女の子たちからはカッコいいって言われるし、中には「大きくなったら結婚して!」とか言ってくる女の子もいるのに。
そんなに僕が嫌いなのかと思ったら、つい口から言葉が飛び出していた。
「僕と愛里が結婚したら、僕たちは本当の家族になれるよ」
ああ、そうか。あれはまだ『家族』としての形が、戸籍の上でも実際の生活でも出来てなかった頃だ。多分、愛里が小学校に上がったばかりで、僕も、母も、愛里の父も、初めての関係に戸惑っていた頃だ。
一緒に住んでいるようで別々の家があり、一つの家族のようで別々の家族という不思議な関係だった。だからこそ、手っ取り早く子供同士が結婚すれば収まりが良いと考えたのだろう。
ただ一人、愛里を除いて。
彼女だけは、戸惑うこともなく、当たり前のように受け入れていた気がする。僕と彼女の結婚という、みんなの願望というか現実逃避というか、漠然と誤魔化していた思いをこっぴどく拒絶したのだった。
「本当の家族ってなに?戸籍という紙切れ一枚で、世間から『あなたたちは家族です』って認めて貰うのが、そんなに重要?」
「そうは言っても、愛里だって知ってるだろ?近所の人たちが、『家族でもないのに一緒に住んでて、ふしだらだ』って噂してるのを!」
母たちが気にしているのを知っているから気づかないふりをしていたけれど、僕は嫌だった。周りから噂されるのが。僕が知ってて、聡い愛里が気づかない筈がない。
「知ってるわよ。でも、それは、私と祐兄のことじゃないわ。父と鹿子さんのことでしょ?私と祐兄が結婚したって何も変わらないわよ」
「……」
確かに、子供たちが結婚しても異性の片親同士が同居するなんてありえないから、『ふしだら』という噂は消えないだろう。
「噂を消す解決策は、2つよ。鹿子さんと父が結婚するか、もしくは何もなかったように別れて暮らすか」
「でも、2人とも愛里のお母さんの七回忌が済むまで再婚しないって……」
「じゃあ、別れて暮らす?そうね、2~3週間に一度、外で食事するくらいだったら噂されることもないわ」
「嫌だっ!!」
咄嗟に、愛里たちが来る前、母と2人きりの生活が脳裏に過った。同じ屋根の下に居ても、母は調理場に詰めっぱなしで話しかけることも出来ず、ぼんやりとテレビを見ている自分。クリスマス前の多忙な時期は、何日もお互いの顔を見ることさえなかった。
今では、母が忙しくても愛里がいる。早く帰った時や休みの日は、愛里の父親が勉強を見てくれたり、あちこち連れて行ってくれたりする。母も僕と2人っきりの時は気を張り詰めっぱなしで強張った顔をしていたけれど、最近では余裕が生まれたせいか、ころころと笑うことが多くなった。
僕は何て勝手なんだろう。噂されるのは嫌でも、一度覚えた楽しい生活を手放したくはなかった。
「だったら噂されるくらい良いじゃない!それに、例え鹿子さんと父が再婚したって噂されるわ。伴侶を亡くしたばかりなのに、ふしだらだってね!」
愛里は、さも愉快そうに笑った。その様子を見ていると、段々、噂されることが、取るに足らないちっぽけなことに思えてきた。
「愛里は、噂されるのが気にならないの?」
僕は、どうしたら愛里のように堂々としていられるのか気になって聞いてみた。
「全然!だって、どんなに良いことをしたって世界中の人から喜んで貰うことは出来ないのよ。だったら気にするだけ損だわ」
「でも、伝記に書かれているような人たちは、みんなから偉いって言われてるじゃないか」
僕の拙い反論に、愛里は容赦なく切り込んでくる。
「みんなって誰?」
「……先生とか、隣のおばさんとか」
「みんな、じゃないじゃない」
「……う」
僕の言葉が詰まったのを見て、愛里は話を続けた。
「例えば、どこかの国の王様が、自分の国を大きくしたいからって隣の国に戦争をして国を奪っちゃうの。そうすると、王様の国の人たちは自分たちの領土が大きくなったって王様を褒め称えるけど、国を奪われた人たちは自分たちの国を盗った悪者だって王様を憎むわ」
愛里の目が遠くを見る。大昔に世界戦争は終わったけれど、小競り合いや内紛は、今日も世界中で続いている。自分の生まれた国が平和で良かったと、僕はまたもや身勝手なことを考えていた。
「でね、ある日、隣の国の人たちが抵抗組織を作って、王様をやっつけちゃうの!その組織のリーダーは戦いが上手くて救世主って褒め称えられるけど、平和になった国での政治は上手くなかったのね。そうすると、今度は圧政を強いる悪い人だってことになって、反乱が起きて処刑されちゃうの。そして、ようやく隣の国は平和を取り戻すのよ」
愛里の話は妙に詳しくて、僕は思わず引き込まれてしまった。
「平和になった世界では、抵抗組織のリーダーは悪者で、彼を倒した人がヒーローとして伝記に書かれるのよ。彼がいなければ隣国の支配下から抜け出せなかったくせにね」
「……それって小説か何かの話?」
僕の記憶にある限り、そんな歴史は世界中のどこを探してもなかったはずだ。恐らく、小説かマンガでも読んだのだろう。いずれにしても、愛里が言いたいことは理解できた。
勝てば官軍負ければ賊軍。
伝記に載っている偉人たちだって、生きていた当時、全ての人たちから尊敬されるなんてありえなかっただろう。だったら、たかだか小学生の僕が、全ての人たちから良く思われるなんて全くもって不可能だ。
そして、その不可能なことを可能にするため、自分の家族や自分の気持ちを犠牲にするのは無意味だと言いたいのだろう。
愛里は真っ赤になって、「小説っていうか、むにゅむにゃ……」と照れながら呟いていたけれど、僕は目から鱗が落ちたようにすっきりしていた。
それ以来、僕は他人の思惑を気にしないようになった。別に悪さをするわけじゃないし、余計な噂を立てられるのは面倒だったので、表向きは品行方正にしていた。その一方で、興味のあることは何でもやった。
公立の小学校だったから、生徒会もなく、部活に強制加入させられることもなかった。だから、家の近所にある太極拳の道場へ通い、愛里の父親に教えてもらいながら株の取り引きやFXもやった。一度、FXで失敗したことがあったけれど、損失分は利子をつけて義父に返済した。
その時、義父から「お金を得るために投資をしてはいけない」と教えられた。例えば、不正をして金儲けをしている会社の株を買えば、お金は増えるかもしれないが悪事に加担しているのと同じだし、また、自分が納得できる会社の株を買って、お金が儲かったからと株を売却すれば、その会社の経営が不安定になる。
自分が行動を起こすことによって、どんな結果が生まれるのか、もし失敗しても自分で責任が負えるのか、様々な可能性を考えて動かなければいけないと学んだ。今でも肝に銘じて行動するようにしている。
そんな風に実地で社会や数学、語学を学んでいたから、同級生たちのように塾や予備校へ通うことはなかったが、成績は常にトップクラスだった。そして、放課後、みんなと一緒に遊ぶことは少なかったが、イジメられることもなく、一目置かれる存在となった。
高天原学園に入ってからは、玲菜と過ごす時間が増えたので学校にいる時間は更に減った。部活も面倒だし、生徒会の派手なヤツラと付き合う気もない。先生たちの心象を良くするためと、自分の縄張りを持つために風紀委員をやってるぐらいだ。
とはいえ、今でも愛里と分担しながら家事をこなしている。特に、和食に対するこだわりは、我ながらプロになれるんじゃないかと思う。自惚れではなく、玲菜の家の料理人も驚いていたくらいだ。
余談だが、我が家の冷蔵庫には常に水出ししたダシがポットに入っている。言うまでもないが、ダシも料理に合わせて産地の異なるものを数種類、揃えている。ほんと、産地が違うだけでダシの味が全然違うのには驚きだ。
これも愛里の入れ知恵だけど、愛里自身は、その場の閃きで料理をするからダシを取り忘れるんだよね。時々、僕が使う予定だったダシや食材を勝手に使われてムッとするけど、愛里の作る料理も美味しいから、まあ、許してやるかという感じだ。
愛里も僕同様、好き勝手にやっている。小中学生の頃、ガキ大将だったと話をしたが、何やら自警団めいたことをしているらしい。愛里は見かけ可愛い女の子だけれど、僕と一緒に太極拳を習っていて、かなり強い。
あ、そうそう。太極拳というとお年寄りが健康のためにやっているイメージが強いけれど、僕らが習っているのは武術としての太極拳だ。特に師範同士の推手(相手との組手)などは、気迫に満ちていて、見ているだけで背筋が凍るほどだ。
いや、背筋が凍るのは、師範じゃなかったな。愛里の同級生で、一緒につるんでいる八雲夏彦だ。アイツの推手は正に狂犬という感じだ。
僕も知り合った頃、愛里に手を出すなと脅された。当時、ヤツはまだ小さかったし、僕の方が太極拳の習得歴も長かったので返り討ちにしてやったが、今やったら危ないと思う。最も、その後は愛里に懇々と叱られ、僕に絡んでくることはなくなった。
その姿は、『美女と野獣』というより、『猛獣使いと狂犬』だった。まあ、話が逸れたけど、僕と愛里の関係は間違っても恋愛に発展することはないってことだ。
それに、自分の将来は、大体の青写真が出来ているけれど、愛里は全くの未知数だ。本人は母の店を手伝うと宣言しているけれど、そんな小さな器に納まるタイプじゃないし、愛里に関われば面倒事に巻き込まれるのは分かり切っている。
ああいうのは、傍で見ているから面白いのだと言える。とはいえ、もしも愛里が困っていたら出来る限りのことはするつもりだ。生徒会の連中とも揉めるようなら打つ手はいくらでも用意している。
今まで一度も使ったことはないから、恐らく、今回も問題ないと思うけどね。
兎に角、愛里は尊敬できて、破天荒で、面白くて、強くて、そして大事な大事な僕の妹なのである。
表記を少しだけ変更しました。