少女の望む獅子
私の日課は、深夜の動物園に行く事だ。
児童公園に併設された近所の動物園は、深夜になってもロクに施錠されておらず、子供の私でも容易に忍びこむ事が出来る。
忍びこむ理由は簡単だ。ライオンの檻にいくためだ。
「こんばんは、ライオンさん」
「こんばんは、少女」
いつものように、そうライオンさんと挨拶を交わす。
彼は昼間には喋らない。夜に来ないと喋ってくれないのだ。
いつか理由を聞いたら、彼は「猫は夜行性だから」と素っ気なく返事をした。
「でもライオンって、故郷だと昼間に活動しているんじゃないの?」
「日本のライオンは飼いならされて猫と大差がない。だから猫と同じような生活習慣になる」
「そういうものなの?」
「そういうものなんだ」
彼はそう答えて、尻尾を振った。
いつも彼はこんな調子だ。
「なんで私にだけ喋ってくれるの?」
「少女が喋って欲しいと夜に願ったからだ」
「なら、私以外の人も願えばライオンさんとお喋りが出来るの?」
「勿論、出来る」
「でも私以外にライオンさんと喋っている人なんて見た事がないわ」
「それは願いが足りないからだ。懐疑と夜に対する畏敬が足りない。その両方が足りていれば、夜はいつでも願いに足る虚構を与えてくれる」
「難しくてよくわからないわ」
「よく分かるようになったら私とは喋れなくなる。それでいい」
檻の鉄格子に背を預けて、彼と夜の間はずっと会話をする。
彼との会話は、大半はなんでもない世間話だ。
昼間にあったことをお互いに喋りあう。
学校で今日はテストがあったとか、今日は昼間に来た子供に笑われたとか。
今日の給食は美味しかったとか、今日もエサの味は変わらなかったとか。
「ねぇ、ライオンさん。外に出たいとは思わないの?」
「思わないな」
「どうして?」
「少女がそれを望まないからだ」
「あら、私は外でライオンさんと喋れるようになったら素敵な事だと思っているわよ」
「だが同時に外に出たら喰われるのではないかと思っている」
「そんなことないわ」
「そんなことない方が問題だからそういうことにしろ」
「はぁい」
ライオンさんは優しかった。
いつでも、私が望む答えと私が望む会話をしてくれた。
まるで、私の事ならなんでも分かっているみたいに。
薄々内心では分かっている、多分これは私がライオンさんと喋っていると思いこんでいるだけなんだって。
それでも彼は喋り続けてくれる。物陰の暗がりから静かに返事を続けてくれる。
なら、それ以上に素敵なことなんて、今の私にはない。
今の私には、これで十分だ。
「ねぇ、ライオンさん」
「なんだ少女」
「ありがとう」
静かに、きっと夜に溶け込むであろう独り言を、私は呟いた。
「魔王様。まだとっておきのお話があります。聞いては頂けませんか」
「佳かろう……ならばその話を聞くまでは、決して汝を**すまい」