獣面の男
アルパカという動物を御存知だろうか。
高山地帯に棲んでいるラマの亜種のような動物だ。
生憎と私は生物学者ではないのでその動物についての仔細は知らない。
だが、そういう動物がいるということだけは知っていて、今目の前にある動物の面がソレであるということも知っている。
そう、今私の目前にはその面を被っている男がいる。
体つきから男と判断したが、無論正確な性別はわからない。
馬面のラバーマスクなども売られている昨今だ、そう言う物が売られていても何ら不思議ではないし、そういう面を被った人物がいても時と場合によっては不思議とは思わないだろうが……だいたいの場合でいえば、そんな面を被って歩きまわっている男は不可思議以外の何者でもない。
今現在の状況に置いても、それは例外ではないといえる。
何故なら、今私がいるのは富士の樹海の奥地であり、今正に私が首吊り自殺を敢行しようとした矢先に、そんな男が森の奥から現れたからだ。
そのアルパカのマスクをつけた怪人は、男とも女ともつかない奇妙な声で私に語りかけてきた。
「これから死ぬのかい」
そう、空気だけを振動させたかのような薄気味悪い声で、彼は喋った。
私は不気味に思いながらも、どうせこれから死ぬのだからと半ば自棄になって、陽気に返事をした。
「ああ、そうさ。これから死ぬんだよ。君も、こんなところにいるということは私のお仲間かな?」
「いいや、俺はアンタを嘲笑いに来ただけだ」
「私を……? すまないが、どこかで会った事があるかな?」
「こんな獣面の男と会った覚えがあるとでも?」
「そりゃあ、そんな宴会で使うようなマスクを常日頃から被っている知り合いは確かにいないが……」
そう、私が言い淀んだとき、彼は笑った……いいや、嗤った。
何かが擦れるような……いや、何かが沸騰するような……どうにも判別が付かない、奇妙な声で嗤ったのだ。
アルパカの口を大きくあけて。
「マスクだなんて都合が良い解釈をするなよ、恐ろしいものから目を背けるのは本能かもしれないが、それは真実とはかけ離れている」
そう、彼は言った。アルパカのマスク……いいや、違う、アルパカですらない。
真っ白で首の長い、奇妙な白い体毛に顔が覆われた怪人は嗤った。
「なぁ、どうせ死ぬならいいだろう。アンタの首を俺にくれないか。今の首じゃあ世間に溶け込むには不便なんだ」
そういって、獣面の男は一歩つめよってくる。良く見れば、右手には大振りな……血で真っ赤に汚れた鉈を持っている。
私は、全身が総毛立つのを感じた。そうだ、マスクだなんてそんなもんじゃない。
最初からわかっていて、目を逸らしていただけだ。コイツは……正真正銘の……!
「うううぅ、うぁわあああぁあああああああああぁあああああああああああああ!」
気付けば、私は形振り構わず走り出していた。
息を切らして森から道路に出たとき、既にその男の姿はなかった。
あれは、私の生への執着が見せた悪夢だったのだろうか。
それとも本当に……いや今となっては、もう確かめようのないことだ。
最早、真実は闇の中であった。
「魔王様。まだとっておきのお話があります。聞いては頂けませんか」
「佳かろう……ならばその話を聞くまでは、決して汝を**すまい」