多くを願うまでもなく
赤黒い煙が、空に舞っていた。
十二分に血と脂を吸い上げ、悲鳴と嘆きを巻き上げた戦塵は、ただ空に舞っていた。
戦争は終わった。
双方、疲弊し、最早どちらの陣営にも戦う余力など残っていない。
刀折れ矢尽きるとは、まさにこの事であろう。
戦馬は虚ろな眼を曇天に向けたまま事切れ、騎士は背に傷を受けて斃れる。
戦の矜持などというものは、此処にはない。
凄惨な殺戮の結末がただ横たわるのみだ。
「いつものことだったな」
誰にともなく俺は呟き、空を眺める。
それくらいしかできない。
もう利き足がないせいで、立ち上がる事すらままならないのだ。
止血も間に合わない。救助が来る様子もない。
此処までか。
ただ俺は小さく微笑む。
思えば、戦ばかりに身を置いた一生であった。
このように空を眺めたのも、何時振りであろうか。
最早、思い出す事も叶わない。
それでも今は、ただ、空を眺める。
昔はなんとも思わなかったそれが、今はやけに美しく思える。
「今際の際というものは……思った以上に詩的な気持ちになるものなのだな」
何時になく穏やかな気持ちで、独白を続けながら苦笑する。
もう少しだけ、空を眺めていたい気もするが……この傷では、それも叶いそうにない。
ゆっくりと流れる血と共に意識が薄れ……暗闇が訪れる。
いよいよか、そう思ったそのとき……気配を感じた。
当然目は開かない。
暗闇の向うを見通すことも叶わない。
俺はつい呟いた。
「そこに、誰かいるのか?」
部下か、それとも敵か。
俺は逡巡したが……答えはすぐに帰って来た。
「どちらでもない」
男とも女とも……いや、人と思えないような声で、それは言った。
俺は、つい納得したように呟いた。
「死神か」
「似たようなものだ」
「わざわざ、俺を迎えにきてくれたのか?」
「いいや違う。取引をしにきた」
「取引?」
「そうだ、取引だ」
死神は小さく笑ってから、俺にこういった。
「汝が望むのなら……その命永らえさせてもいい」
「それは気前がいいことだな、なら、頼む」
「話が早いな人の子よ、永らえる時間はどれほどだ。時間に応じて対価を頂く」
そう呟く死神に、俺は笑って答えた。
「なら、あと数秒でいい。十秒もあれば十分だ」
「随分と欲がないな」
「欲がないんじゃない、俺はここで死にたいんだ。俺は騎士だ、戦士だ。俺が死ぬべき場所は戦場以外にはありえない。ここ以外では死にたくない。だから、ここで死ねるほうがいい」
空を見上げて、俺はいった。
見えない空を見上げて。
「でも、もう少しだけ、俺は空をみたい。だから、あと数秒でいい」
そう答えたとき、既に死神の姿はなく、俺の目はわずかに光を取り戻していた。
「……やれやれ、数秒程度なら、大目にみてくれるってことかね?」
空をもう一度、満足に眺めて、俺は笑った。
「魔王様。まだとっておきのお話があります。聞いては頂けませんか」
「佳かろう……ならばその話を聞くまでは、決して汝を**すまい」