その力の対価
騎士団員の選定基準は諸々あるが、最大の選定基準はやはり腕っ節があるか否かである。
それはこの誉れ高き近衛騎士団に於いても、違いは無い。
騎士たるもの精強たるべし。
この不文律は、騎士が騎士である以前に戦士としての性質を持つ以上、変わる事は無いだろう。
しかし、それだけで騎士が務まるかと言えば否である。
しかもそれが、この帝都を守護する近衛騎士団であるのならば尚の事だ。
腕っ節がある事は当たり前の大前提として、その上で如何に「御行儀良く」礼儀作法を熟せるかが此処では重要なのだ。
故、今回のような野外演習に於いても、身に纏う事が許されるのは式典用の重甲冑である。
「ふざけているのか全く」
誰にともなくそう呟いて、山小屋の中で俺は呟いた。
入団初の野外演習中。突如、狼の群れと遭遇した我らが小隊はあっと言う間に潰走し、全滅。
そのまま、今に至る。生き残りは俺だけだ。
当たり前だ。こんなもん装備してて、俊敏なうえに狡猾な狼共から逃げられるワケがない。
式典用重甲冑……所謂パレードアーマーは実戦ではタダの錘でしかないのだ。
「クソが……」
冬山の中で訓練をさせる事も正気ではないが、装備すらこの何の役にも立たない飾り甲冑とは恐れ入る。
いや、逆に言えば、それだけの苦難苦境の中でも誇りを胸に生き残れる騎士でなければ、近衛騎士団には不要であると言う事か。
いずれにせよ、碌でもない話だ。
「狼共は……まだいるか」
微かに吹雪いて来た上に、日は沈みかけで灯りも無い。
山小屋の中はざっと漁ったが、あるのは僅かな狩具と毛布だけだ。
どれもこれも、狼を遠ざける役には立たない。
となれば、出来ることは籠城だけだが、薪も火も無いので暖も取れない。
全くとんだ野外演習だ。
いずれにせよ、朝になるまで活路は見出せそうにない。
少しでも体温を維持する為、毛布に手を伸ばしたその時。
「――如何した、人の子よ。獣に追い立てられるとは地に墜ちたモノだな。彼奴等を狩り立てるのは、本来、汝等の所業であろう?」
山小屋の隅……暗がりから、男とも女ともつかぬ声が聞こえた。
姿は見当たらない。
「何者だ」
山小屋に入った時点で、人気はなかった。
無論、戸も開けてなければ、何者かが潜んでいた痕跡もない。
「化生の類。夜魔の者か」
暗がりに向け、声を掛ける。
剣の柄に伸ばした手を、静かに握りこみ、息を飲む。
暗がりは、古木が軋む様な声で嗤った。
「然り……だが、化生である事は余も汝も相違あるまい?」
「薄汚い魔族風情が、何が言いたい」
俺の問い掛けに、暗がりは一層、可笑しそうに嘲笑を漏らし、嘯く。
「人道を外れた位置に居るという意味では……余も汝も同じであると云っているのだ」
「……貴様」
クソが……いや、当然と言えば当然か。
奴は夜魔に潜む者。山の化生と言うのならば、それは『見られて当然』か。
「『土壇場で足手纏いを切り捨てる』のは戦場の心得だ。人道を外れたとは思っていない」
「くく……仲間に足を掛けて狼に喰わせて於いて、そう居直るか。好ましい性分だなぁ、人の子よ」
「全滅か、俺一人助かるか、なら後者の方が良いに決まっている。それだけの話だ……少しばかり先に騎士になったからって、先輩風吹かせるだけの無能は狼の餌で丁度いい」
全部、見られていたなら隠す必要もない。
それに、俺はこれが人道を外れているとは微塵も思わない。
常在戦場を謳うのならば、何時背中を刺されようが良いという事だ。
上官や先達の戦死を踏み台にして立身出世するなど、戦場では当然の事でしかない。
野外演習と言えど、それに変わりは無かろうよ。
「それで、一体俺に何の用だ魔族。見ての通り俺は忙しくてな。銀の刃で切り裂かれたくないのなら、とっとと失せろ」
「知れた事。魔族が人に持ちかける話は……何時の世も唯一よ」
じわりと、物陰の暗がりが広がる。
……邪霊のような低俗な魔物ではなく、思ったよりも力を持った魔族らしい。
狼よりも厄介な手合いに捕まってしまったようだ。
覚悟を決めて、俺は問い返した。
「……言ってみろ」
「汝と取引がしたい。人の子よ」
「確かにお決まりな魔族の誘惑だな。今はどんな誘惑をくれるんだ?」
「其れこそ、知れた事……この窮地を脱する力を与えようではないか」
成程、それは確かに都合が良い。
「対価は?」
「要らぬ」
「はぁ?」
馬鹿な。魔族との取引と言えば対価があって然るべきだ。
「言の葉にて嘲弄すると言うのなら、今すぐその闇ごと斬って捨てるぞ」
「くく、早合点するな……既に、対価は受け取っている。故、要らぬのだ」
「どういう意味だ」
途端、闇が膨れ上がる。
視界を隅々まで覆ったそれは、最早山小屋を丸ごと包み込んでいた。
「これも、先程言ったはずだ。余から見れば……汝に自覚なくとも、その有様は人の道を外れたもの。魔の祝福を受けるに相応しい」
「……お前の理屈を肯定するつもりはないが、貰えるというのなら貰えるものは貰っておく。確認するが、本当に対価はないのだな?」
「案ずるな、魔族の契約は絶対だ」
魔族は誘惑はしてくるが、契約に嘘は吐かない。いや、つけない。
一度契約と口にした以上、連中の言う事は人間よりも遥かに信用できる。
「良いだろう。なら、貰えるだけ力は貰っておく」
「なら、受け取るがいい。狼など物の数でもない。しかし、努忘れるな……その力は余の祝福を受けた闇の力。契約を違えることがあれば、汝は即座に灰となるであろう」
「……御託はいい」
「同胞との契約……違えられぬ事を期待する」
それきり、暗がりから気配は消え……やけに部屋が明るくなる。
それほどまでにあの魔族の発した夜陰は色濃かったという事か。
まるで、最早朝焼けの中に居るかのような……いや、違う。これは。
「夜目か」
何とも分かりやすい祝福もあった物だ。
周囲は夜の上、吹雪はいよいよ強まって来ている。
だと言うのに、俺の身体はまるで冷気を感じず、視界は真昼の如く明快である。
物は試しと思い、山小屋を出てみたが……吹雪を幾ら浴びても、何も感じない。
暖気はないが、寒気もない。
ただ、平静と、宛ら魔族の如く、その寒気の中を過ごせる。
試しに一度、剣を振ってみれば……剣筋に合わせて吹雪が千切れ、空に切れ目が出来たではないか。
「ははははは、魔族め。中々気前がいい。これならば、今すぐ下山も可能であるな」
この素振りの感触が正しければ、何を煩う事もない。
吹雪も最早、俺に痛痒すら与えない。ならば、地の利既に我に在り。そのまま下山をすれば良い。
いざや、颯爽と、俺は山小屋を出て、寒気を物ともせずに夜の山道を下る。
さて、しかし俺を残して全滅ではあるが……俺だけ生き残ったのであるのなら、功績も俺一人の物であるな。
斯様に劣悪な環境下での演習で、しかも不測の事態が合っての帰参だ。
さぞや上への覚えも良くなるに違いない。
栄達に満ちた今後を夢想しつつ、時たま、雪道に現れる邪魔な獣を蹴散らしながら、俺は進む。
狼も熊も、最早敵ではない。試しに剣を振るってみれば、それこそ雪の様にさっと斬れる。
戦場で人に試したらどうなるのか。
想像するだに、胸が躍る。
「ははは、我が騎士道に誉在り」
胸高鳴らせ、往く道の先も人里に近づき、吹雪も止んできた頃。
唯、近道をしてやろうと、平時なら避けて通る獣道を進んだ時。
まず俺は、狩人に出会った。
「やぁ、狩人。どうした。遭難でもしたか」
気安く俺はそう声を掛けた。
しかし。
「!? ひ、ひぃ!!」
短くそう叫んだ狩人は、すぐさま俺に矢を放ってきた。
即座の誰何に驚いたとは言え、騎士たる俺に何たる不敬か。
「不敬な」
飛来する矢ごと狩人を剣で叩き斬る。
先に手を出したのはあちらだ。俺に非はない。
鼻息荒く死体を跨ぎ、人里へと向かう。
すると、今度は俺は荷馬車に乗った行商人と出会った。
吹雪が止んで、街に戻るところか。
丁度いい。そう言えば、腹が減った。
「おう、商人よ。俺は騎士だ。少しばかり食べ物を分けてくれ。きかぬなら徴発だぞ」
行商人共は最初に少し脅し付けねばすぐに値段を吊り上げる。
いつものように俺は居丈高にそう商人に声を掛けたが。
「ひ、ひぃいい! お助け!!!」
そう言って、商人は一目散に馬車を走らせてしまった。
幾ら最初に脅し付けたとは言え、騎士たる俺に何たる不敬か。
「不敬な」
即座に追いついて馬ごと剣で叩き斬る。
騎士の徴発を断ったのだからこうなる事もまた当然だ。
鼻息荒く馬にかぶりつき、咀嚼する。やはり肉は新鮮なものに限る。
そのまま、死体を踏み付けて人里へと向かう。
当然、向かう先はそこにある屯所だ。
まずは駐在の自警団と木端騎士共に話を通さねばなるまい。
町外れにあるそれはすぐに見つかった。
「御苦労。俺は近衛騎士団のものだ。野外演習中に狼の一団に襲われて……」
そう、俺は手早く説明した心算だったのだが。
「ひ、ひぃいい!!」
「バケモノ!」
何を勘違いしたのか、屯所の連中はそう叫んで襲い掛かって来た。
幾ら返り血を浴びているとはいえ、騎士たる俺に何たる不敬か。
「不敬な」
即座に横薙ぎに剣を振るって纏めて叩き斬る。
たかが地方の自警団員と平民あがりの木端騎士が、近衛騎士たる俺に早合点して襲い掛かって来たのだ。
こうなるのは必然であり、当然の罰でしかない。
木端共の脆弱な体は死体になっても惰弱で矮小だ。枯木の様なそれを踏み砕いて、一度屯所を出る。
……いや、どうしてこんなに入口が狭いんだ?
可笑しいな、入る時はそんな事無かったのに。
まぁいい、叩き壊して出てしまえ。
「ひ、ひぃいいい!!」
屯所の戸を破って出てきた俺をみて、通り掛かった娘が叫ぶ。
俺の姿を見るなり叫ぶとは何たる不敬か。
「不敬な」
剣を振るうまでもない。小手から突き出した爪を振るって叩き斬る。
敬い傅いて然るべき騎士に対して不敬を働いたのだ。死ぬ他ない。
全く下らない連中だ。
「どいつもこいつも、この里には碌でもない奴しかいないのか」
敬意の無い民に対して只管呆れていた俺であったが、その時、一人の子供が俺の前に現れた。
不敬を働くかと思ったら、ただ見上げてくるだけだ。
「如何した小僧。俺に用があるのか?」
腰を大きく屈めて子供の顔を覗き込むと、子供は真っ直ぐ俺を見て呟いた。
「魔物さん! ちからもちの魔物さん! かあさんをたすけて!」
俺を魔物呼ばわりとは何たる不敬か。
いや、しかし、今の俺は返り血塗れの全身甲冑を着ている。
子供から見れば勘違いする事も已む無しか。その不敬、一度は許そう。
「良いだろう。どう助ければいいんだ」
「かあさん、そこに埋まってるの! たすけて!」
見れば、先程粉砕した屯所の扉が突き刺さり、出店が半壊して崩れている。
姿は見えないが、確かに女の匂いがする。瓦礫に潰されているのだろう。
この匂いなら、まだ生きている。
「いいだろう。騎士たる俺が救ってやる」
鉤爪でしっかりと積雪を踏みしめ、半壊した出店に向って歩いて行く。
この程度造作もない。片腕で瓦礫を弾き飛ばせば、すぐに気を失った女を見つけた。
これが恐らく、あの子供の母であろう。
「命の匂いがする。致命傷ではない。適当に医者か教会の坊主共にでも見せてやれ」
指先でつまんで子供の隣に降ろしてやると、子供は涙ながらに礼を述べてきた。
「ありがとう! ありがとう、やさしい魔物さん! あの、なにか、なにかお礼はいりますか! 山の魔物さんにお願いをしたら、絶対にお礼はしなきゃいけないって……」
まだ俺を魔物だと思っているのか、仕方のない子供だ。
「要らん。騎士は善行に対価など求めん」
当然の事を俺はしただけだ。
はっきりと謝礼を断る。
騎士として当然の事だ。
何度も礼をいう子供に背を向け、一歩道を踏み出した時。
「――そうか、では契約を違えたな」
視界が、じわりと歪んで。
俺の身体が、突如、青白い炎に包まれる。
「あ、あががが!? おごご、ご……!? ま、魔族か! くそが、話が違うぞ!!」
白濁していく視界の中で、奴が語り掛けてくる、
「いいや、最初に話した通りだ……汝は契約を違えた」
「な、何故だ、対価は既に受け取っていると最初に言ったのは貴様だろうが!」
「然様。既に対価は受け取っていたが……その対価とは汝が道を違えぬこと」
「ならば、何故!」
話が違う。俺は、俺は最初から俺の思うままにただ騎士道を歩んでいる。
だが、奴は嘲笑うように、何処からか俺に嘯く。
「汝は既に道を違えたからだ……魔道を違え、人道に一歩踏み戻った汝に……魔は祝福を与えない。魔道を歩む同士であるなら……契約の対価は取り立てねば成らぬ。それを無碍に断る不躾は……正に人の子の持つ不義不敬その物よ」
馬鹿な、何が魔道だ。俺は最初から人道を歩む騎士であるぞ。
「不敬、不敬な、魔族風情がこの俺に……!」
それきり、視界だけでなく、思考も徐々に濁っていく。
たかが、魔族の甘言などに踊らされた俺が悪かったのか?
いや、俺は悪くない、断じて悪くない。悪いのは、全て――。
「魔王様。まだとっておきのお話があります。聞いては頂けませんか」
「佳かろう……ならばその話を聞くまでは、決して汝を**すまい」




