暗闇の底で
音の正体とはなんだろうか。
学の無い俺には分からない。
教会は精霊だの神の加護がどうだのいってたし、魔術師はエーテルのようなものが心に伝わっているというし、錬金術師は空気が揺れるとかなんとかのたまっている。
どれが正しいのかなんて、当然俺には分からないし、分かったつもりになったところで本当に分かった事にはきっとならない。
目に見える物ですら確かめる事は難しいというのに、目にすら見えないものをどうやって確かめろというのだろうか。
学の無い俺には分からない。
とりあえず、そんな学の無い俺が何故突然音の正体を知りたがったのかといえば、簡単な話で、突然、俺の世界から音という音が消え去ってしまったからだ。
先ほども試しに何度か声を出してみたけれど、何も起きない。何も聞こえない。
普段聞こえて然るべき音が何も、今の俺には聞こえない。
真っ暗闇の洞窟で過ごして、もう長いからだろうか。
自警団の手から逃れて数日。
いや、数日なのだろうか。よくわからない。
なにせ、この暗い洞窟の中で俺は息を潜めて、持ち込んだ食糧を少しずつ食べているだけなのだ。
時間感覚など、とうの昔に無くなっている。
不思議なことに生き物の気配がないこの洞窟では、音がない。
聞こえた音は俺が身じろぎする音だけだ。
その音すら、今の俺には聞こえない。
由々しき問題だ。
亜人である俺にとって、音は世界と繋がる為の大事な情報源だ。
この暗い洞窟で目に頼らずに生きてこれたのも音があってこそだ。
その音が聞こえなくなってしまっては、途方にくれる他ない。
光はまだいい。なければ確かに不便ではあるが、致命的ではない。
だが、音は違うのだ。
音が聞こえなくなってしまえば、最早生きていく事は難しい。
故に俺は、俺にすら聞こえない声で祈る。
俺は神などしらない。
だが、信仰は持っている。
上手く言葉にできないが……俺はこの暗闇自体を、夜そのものを信奉している。
亜人の中では珍しい事でもない。
自然を、現象を、とにかく言葉に出来ない何かを信奉するのが、俺達亜人の間では常識だからだ。
言葉に出来ないからこそ、意味を定義できないからこそ、そこに神秘が宿ると俺たちは考えている。
だからこそ、俺はこの夜を、闇そのものを信奉している。
この真っ暗な洞窟に逃げ込んだのだって、それが理由だ。
俺は、自らの信奉する闇に祈った。一心不乱に。
今一度、音をこの身に与えてくださいと。必死に頭を垂れて。
闇の中で、声にならない声をだして祈った。
そして果たして……闇は、答えた。
「ならば供物を捧げよ」
そう、闇は奥底から答えた。
何者とも思えない声で答えた。
聞こえない耳ではなく、闇を伝って体全体に届いた。
少なくとも俺はそう感じた。
「供物とは何か」
俺は闇に問い返した。
声にならない声で問い返した。
声は闇の中で不思議と木霊し、音が届かないはずの俺の身すら揺らした。
錯覚かもしれない。だが、そう確かに俺は感じたのだ。
闇はまた答えた。
「闇を捧げよ。光の一切を拒否するのなら、汝に音を返そうと」
「返すということは……アナタはもしや……音を奪う代わりに俺を此処まで逃がしてくれたのか?」
自警団から逃げる際も、こうして俺は祈っていた事を思い出し、俺は闇にそう問い返した。
闇は答えなかった。
だが、しっかりと、俺の尻尾が岩を叩く音だけは聞こえた。
代わりに、先ほどまで暗闇の中でも多少は見えていた洞窟の輪郭が、まるで見えなくなる。
完全な闇だ。一歩先すら目では見通せない闇だ。
光の一切を拒否する……その言葉の意味を吟味し、俺は光を失った事を理解した。
だが、大した事ではない……元々、俺達亜人は目に頼って生きてはいない。
瑣末な問題だ。
俺は闇に再び感謝して、洞窟の中で頭を垂れた。
偉大なる闇の主へ畏敬を持って、厳かに。
「魔王様。まだとっておきのお話があります。聞いては頂けませんか」
「佳かろう……ならばその話を聞くまでは、決して汝を**すまい」




