御伽噺の魔王
昔々、あるところに魔王がいました。
その魔王には、名前がありませんでした。必要がありませんでした。
何故なら、魔王は魔王だからです。
火に火以上の名を与えるものがいるでしょうか。
空に空以上の名を与えるものがいるでしょうか。
いたとしても、きっと多くはないでしょう。
つまり、魔王もそういうものでした。
魔王は魔王という記号そのものであり、それ以上でもそれ以下でもありません。
御伽噺の悪役には、それ以上の意味もそれ以下の意味も必要ありません。
魔王とは、そういうものでした。
故に、今日も、魔王は嗤います。
笑うのではなく嗤います。
魔王とは、そういうものだからです。
沼地の奥にあるといわれる、幻の城の中で、魔王は今日も嗤います。
くつくつ、くすくす、嗤います。
ゴブレットを片手に、髑髏の面をカタカタ揺らして、今日も魔王は嗤います。
哀れな誰かを前にして、今日もくつくつ、くすくす、嗤います。
「魔王様。まだとっておきのお話があります。聞いては頂けませんか」
誰かがそう呟きます。昔々、どこかで誰かがそう呟きます。
そして、魔王もまた呟きます。昔々、どこかで魔王がこう呟きます
「佳かろう……ならばその話を聞くまでは、決して汝を**すまい」
どこかで魔王が呟きます。どこかの誰かを前にして、嘲り交じりに呟きます。
何故なら魔王とは、そういうものだからです。
今日も、昔々、どこかの誰かが語ります。どこかの誰かの物語を。
どこかの誰かと魔王の為に。
小さな声で、呟くように……囁くように……語ります。