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The 1st Attack!! 8

 もう、駄目だ。見てらんない。私はどうしても離れないクラージュの手を、仕方ないのでぎゅうぎゅう引っ張ってその場から離れる。クラージュは、私がこんなの最後まで見ていられないって分かってて、ここに連れてきたんだろうか。だとしたら最低だ。クラージュは私に引っ張られながら、ナルドに言った。

「ナルド。あなたはここに残ってください」

「はい、クラージュ様」

 ナルドが静かに返事したのも聞こえないふり、誰かの声が私達の背中にかかったのも聞こえないふりだ。


 誰もいない所に行きたいのに、誰もいない場所なんてどこにもなかった。怒ったような顔をして涙をこらえる私の背中に、無情なクラージュの声がかかる。

「ご覧になって、分かってくださったと思いますが」

「……言わないで」

 私の気持ちなんてクラージュにはどうでもいい事らしかった。クラージュは私が止めるのも聞かずに、言いたい事だけ言い続ける。

「葉介から責任とやりがいを奪う気ですか? 弟を縛る権利なんて、どんな姉にも無いはずですよ。葉介はゲルダガンドに来て変わったでしょう? きっと、あなたが知るどの葉介より生き生きしているはずです」

「……何、言ってんのか分かんない」

 私は辛うじてそれだけ言った。クラージュが一体どんな顔をして私に話しかけているのか、まるで想像出来ない。

「葉介はいつも君と幹也君の間に挟まれていたんだそうですね。君はいつも自分のしたい事だけをしていて、のびのびとしていて、幹也君はご両親の期待を一身に受けている。自分はこれと言って才能が無いから、居心地が悪かったと言っていました」

「………」

 頭を後ろから思いっきりぶん殴られたようだった。そのくらいショックだった。

 でも、でも、でもそんなの、嘘だ。だって、みそっかすはいつだって私だったのだもの。葉介は要領が良くて、剣道が上手くて、無気力だけど私と幹也にはいつも優しくて………。それに、それに、あんなに私達、仲の良い兄弟だったのに。

 ほんの、たった、一時間前までそうだったのに。

 私の弟の葉介が、私の知らない所で友達を作って、私の知らない所で将来を決めてしまって、私の知らない所でずっと暮らしていく決心をするはずがない。

 私が必死で奥歯を噛みしめて耐えていたのに、クラージュは優しげに聞こえる声音で囁く。

「葉介の気持ちは分かったでしょう。もう葉介も君も十七歳でしたね。そろそろお互いに自立すべき年齢です。あんまりお姉さんがべったりくっついていては、葉介がかわいそうですよ」

「……………」

 もう私には、返事をする元気もない。

「あなたは帰りなさい、花奈さん。もう葉介を困らせないで。葉介は帰りたくなった時には自分で帰ると思いますよ。…僕らも、全力で引き留めますけどね」

「………!!!」

 もう限界だった。私は無理やり、クラージュの手を振り払う。私に手を振り払われて、クラージュはびっくりしたようだった。多分手に剣だこの一つも無いような女の子に、力で負けるとは思いもしなかったんだろう。どっこい私は合気道の達人である。いや達人ってほどじゃないけど、合気道の「あ」の字も知らない相手の腕を振り払うくらい、朝飯前の歯磨き前だ。

「うるさい! あんた達のやり口は卑怯だ! ばかやろう、死んじまえ!」

 口から出た罵倒の言葉はそれっきりだった。もっとありとあらゆる言葉で貶めてやりたいのに、私の口からはそれ以上言葉は出てこない。

 私は全速力でその場を駆け去った。誰もいない所へ行きたい。

「花奈さん!」

 クラージュの声が私の背中を追いかけてくる。クラージュは、私を呼び止めたとして一体何がしたいんだろう。ますます私の事を傷つけたいんだろうか。だとしたら最低の底が抜けてますます更に最低だ。私は立ち止まらないで、ただひたすら人気の少ない方へ少ない方へと走っていった。




「花奈! クラージュ!!」

 花奈とクラージュが葉介の所から去っていったその時、ちょうど葉介は十二度目にベルに突き飛ばされた所だった。葉介はまたすぐに起き上がったが、しかし十三度目にベルに挑みかかる事はしない。代わりに人垣から逃げるように去っていく妹とクラージュの背中に叫ぶ。妹とクラージュの、尋常ならざる雰囲気を敏感に感じ取ったのだ。

 折しも強く吹きだした風のせいで葉介の呼ぶ声は弱められてしまったらしい。やがてクラージュ一人だけが疲れた面持ちで戻ってくる。

「…変だな。痛む良心がまだ残ってたなんて」

 一人つぶやきながら衣服の胸を軽く押さえていた彼に、葉介とベルは詰め寄った。

「おいクラージュ、花奈は?」

「クラージュ様。花奈に何言ったの?」

「本当の事を、少し脚色して」

 クラージュはただそうとだけ答えた。いや、だけ、ではなかった。クラージュは美しい相好をほんの少しくしゃっとさせて苦笑する。

「――しかし、言い過ぎてしまいました。嫌われてしまいましたね、あれでは」

 ミュゼは葉介の背中についた砂をはらってやりながら言った。

「いやー俺の見た限りじゃ、あの葉介妹、葉介のテントから出てきた時点で既にもうかなり副司令の事嫌いになってたと思いますね」

「君が言えた義理ですか。どうせ、君も花奈さんの事を無理に挑発したんでしょう」

「挑発した事はしましたけどぉ、でも葉介妹、ぜんっぜん聞いてなかったしぃ」

「………二人とも、俺のいない所で、花奈に一体何をしたんだよ?」

 ぽんぽんと言い合う二人に割って入るようにして、葉介が自分より頭一つ半ほど背の高いミュゼと、それより少し低いクラージュをそれぞれじろりと睨み上げると、ミュゼは決まり悪そうに言った。

「ごめん、葉介。でも俺も、お前の妹によかれと思ってさ…」

「謝るなら花奈にだろ」

 葉介は冷たくミュゼをあしらって、擦りむいた肘の砂をはらった。その肘を、さりげなく近寄ってきたナルドが丁寧に捧げ持って口元へ近づけていったが、葉介はそれを振り払い、代わりにナルドのふわふわした髪を乱暴に撫でてやる。クラージュは苦笑したまま言う。

「…仕方無いでしょう、葉介。花奈さんには帰って貰うしかないんです。我が軍の結束がどんなに堅くても、三千の数がある。それだけいれば、よからぬ事を企む者がいるものです。ナルドにちょっかいを出せるほどの猛者は少ないから良いとしても、花奈さんのように可愛らしい女の子がその辺りをうろうろしていては、嫌な目に遭う事があるかもしれません」

 クラージュは息でもするようにさりげなく花奈の事を褒めたが、花奈とは違って葉介は、自分の妹が褒められても渋い顔をするだけだった。話が彼にとって看過出来ない問題を孕んでいたからだろう。

「だから俺が葉介ごとまもってやるって言ってるのに」

 機嫌悪そうなベルが呟いたが、

「それに」

 と、クラージュは続けた。

「サングリアがこちらに探りを入れだしているようです。単なる和平交渉にあたる為の下調べであるなら良しとしても、どうもきなくさい」

 クラージュは、深い深いため息をついた。

「また、戦いが始まるかも知れません」






 駐屯地はほんとに広かった。五分後、息が切れて私がぜえぜえ言いながら歩き始めた時も、まだ周りに人がいたくらいだ。私は、今どこを歩いているのかも分からなくなっていたけど、構わずずんずん歩いた。

 見慣れないかっこうの女の子がいたのが物珍しかったのか、それとも不審人物だと思われたのか、厳しい目で近寄ってこようとする人もいたにはいたけど、大抵の人は私の事を放っておいてくれた。多分、瞳孔が開いているからだろう。それに堂々としていたのも良かったはずだ。競歩なみの早歩きも功を奏していたかもしれない。

 歩いている間ずっと、『今私を見てる人たちは皆、葉介の友達で、私の事を葉介を連れ戻しに来た敵だと思ってる』という考えがちらちら脳裏をよぎったせいで、視線がちょっぴり怖かったけど、それならそれで良いとも思った。どいつもこいつも皆ぼこぼこのぎったんぎったんにして、葉介を引きずってでも日本に帰りたい、と思うぐらい、私は頭に血が上っていたのだ。出来るはずのない事を本気でしたい、と思う程度には。


 しかしとうとう私は人気の少ない所を見つけ出した。地面が3メートル盛り上がっただけ、みたいなそっけない丘だ。砂色のテントと、駐屯地をぐるりと囲っているらしい石造りの壁と、それにくっついた十メートルほどもある高い物見櫓が建っていた。私は、その丘の斜面に猛然と穴を掘る。落ちていた枝の先がすり減ってブラシみたいになっても、爪の間に砂が入って痛くても掘り続けた。


 そして、やっと出来た洗面器と同じくらいの大きさで、それより少し深いくらいの穴に顔を突っ込んで、私は叫んだ。


 自分の叫び声が小さな穴で反響する。鼓膜がびりびり不愉快だったけど、私は喉が枯れるまで叫んだ。

 


 やがて気が済むと、私は顔を上げた。穴の中は私の息で蒸れていて、顎から髪の生え際まで軽く湿っていた。それを、荒野の乾いた風が冷たく乾かしていく。

 泣いたって叫んだって誰も慰めてくれやしないのだという事が、ここでは逆に、救いだった。

 私はもう一度穴に頭を突っ込んだ。もういい加減疲れたから、叫ぶのはなしだ。代わりに、呟いた。

「………死んじまえって言っちゃった……」

 思い返すと、胸が潰れそうだった。どんなにムカついててもどんなに傷つけられても、軍隊にいる人に死んでしまえなんて、口が裂けたって言って良い言葉じゃなかった。あれは明らかに逆ギレだ。もちろんこの世界の何もかもが許せない事には変わりないけど、その中でも一番クラージュが許せない事にも変わりないけど、でも、日常的に死の恐怖に晒されるような人を相手にして言っていい言葉では絶対無かった。

 自分の事が恥ずかしくて、消えてしまいたかった。

 葉介が悩んでる事なんて何にも知らなかった。我が家の天才である幹也の事はともかく、葉介が一体私の何に対してコンプレックスを感じていたのか、まるでわけがわからない。悩んでたって事を勘定に入れても、葉介が私達のいないどこか違う所を居場所に決めてしまったって事もものすごくショックだった。でも確かに、日本にいた頃、葉介はいつもつまらなそうな顔をしていた。口癖は『だるい』『めんどい』『やりたくない』。葉介はいつも私か幹也の後ろで、冷めた目をしていたのに。

 つまり私は、弟離れ出来てなくて、葉介の事を上っ面しか見ていない、だめなお姉ちゃんだったのだ。今までそんな事にも気づけなかった。


 でも。

 私の心の弱い部分が、救いを求めて言い訳をする。

 私達は、もう十七歳。その通りだ。

 弟離れしなくっちゃ。まったく、その通りだ。

 楽しんでる葉介の邪魔をしちゃいけない。本当に、返す言葉もない。


 でも、でも、でも。


 世の中の姉というものは、みんなもっとマシな方法で弟離れをするはずだ。これじゃあんまり、ひどいじゃないか。

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