The 1st Attack!! 7
私達……ナルドとクラージュと私、三人連れだってテントの出入り口をくぐりかける。くぐりかけたけど、先頭だったクラージュがすぐ立ち止まったので、私は危うくクラージュの背中に顔面から突っ込みそうになる。あっぶね。マジギリセーフだった。顔面衝突事故なんか起こしたら間違いなく、
『あぁっ花奈さん大丈夫ですか?』
『お気づかいなく! お気づかいなく!』
『鼻血出てますよ』
『すみませんすみません! どうかお気づかいなく!』
みたいな、ぐだぐだでハートフルな感じになってしまう。和むのはだめだ。和んだらますます葉介を連れて帰れなくなる。
クラージュの背中から5センチしか離れていないところで、私はこっそりばくばくする心臓を抑えた。
クラージュが立ち止まったのは、出てすぐのところでベルとミュゼが待ちかまえていたからだ。何でだかは知らないけど。目の前のクラージュは私を振り返りもしないまま、一言「驚かせてすみません」と謝った。このスーパードルフィーには後頭部にも目がついているらしい。不良品だから返品しろ。
「ミュゼ、ベル。もう休憩時間はもう終わっているはずですが? 訓練に戻りなさい」
クラージュが静かに問うと、クラージュよりも背の高いミュゼが、真っ青になって直立不動の体勢になった。
「申し訳ありません、副司令!!」
ミュゼの代わりにベルが言う。
「クラージュ様。おれを花奈の護衛にして」
ベルが言ったけど、一体何が言いたいのかは分からなかった。護衛って何の事だ。私は葉介と今すぐ帰りたいんだから護衛もいらない。
クラージュはゆったり、穏やかな口調で言った。
「まず一つ。副司令って呼ぶのをいい加減にやめていただけませんか。次に呼んだら今度こそ処罰します。二つ、僕は訓練に戻れと言いましたよ。そもそも時間通りに行動しない事は、明確な軍規違反ですよね。三つ、何を先走っているのか知りませんが、花奈さんは単なる葉介のご家族として一時的に訪れていらっしゃるだけです。護衛が必要かどうかは、これから判断します。四つ目、ベル、あなたは葉介の護衛ですよね? 任務を投げ出すのですか?」
クラージュの穏やかなのは口調だけだった。他人事の私ですら背筋に嫌なものが這うくらい怖い。ミュゼもベルもたった一言ずつしか言ってないのに、四倍以上になって返ってきている。ミュゼはますます青ざめて全身を固く強ばらせたけど、ベルは何故か怯まない。
「葉介も守るし、花奈も守る。おれが護衛につけば、花奈もここにのこれる」
「…君は、花奈さんから合気道を習いたいだけですよね?」
「それもある。でも、花奈はぜったい葉介といっしょにいたいはず。家族なんだから」
後ろで聞いていた私は感動して、ぐっと拳を握りしめる。
誰も…葉介すら私の気持ちを汲んでくれなかった異世界で、ほとんどおしゃべりもしていなかった上にベルセルク呼ばわりされていた(ベルセルクって何だか分からないけど)ベルだけがたった一人、私の気持ちを分かってくれるなんて思ってもみなかったからだ。
まあ、方向は微妙にずれてるけど。私は葉介と帰りたいのであって、葉介とここに定住したいのではない。
「………………」
クラージュはベルに言われたきりしばらく黙り込んだ。その隙に私はクラージュの横からぴょこんと顔だけ出して、ミュゼの顔をまっすぐ見た。言ってやりたい事があったのだ。
ミュゼは…こうして見ると、本当に大きい。まるで巨人だ…。近くにいると首が痛い。多分190越えている。ここまで高いとちょっと気持ち悪い。私は意地悪な気分になったので、つんと顎を上げて遥か頭上のミュゼに言った。
「どう? 写真より可愛いでしょ」
ミュゼはクラージュに叱責されているのも忘れたように、私の顔をまじまじ見つめた。
「……お前……なんつーか、ほんっと自信満々だな…」
明らかに呆れられていたけど、まあ溜飲は下がった。すっぴんをバカにされたのがさっきからものすっごく、気になっていたのだ。
私はますますつんと顎を上げてそっぽを向いた。ミュゼががっくり肩を落としたのが視界の端に映る。クラージュは、私とミュゼがけんかしているのを黙って聞いていたけど、やがて言う。
「―――護衛の件は、考えておきましょう。とにかく二人とも訓練に戻りなさい」
二人とも、それ以上食い下がろうとはしなかった。ミュゼはほとんど直角90度のおじぎを、ベルは私にさっきしたのと変わらないような角度の浅い会釈をして、どこかへ走り去っていく。それにしても、ベルはともかくミュゼは一体何しに来たんだろう。
クラージュは二人の後ろ姿を少しの間見送った後、さりげなくこちらへ手を伸ばす。それが本当にあんまりさりげなかったせいで、私は思わずその手を取ってまんまとテントから出るのにエスコートされてしまった。クラージュの仕草はいちいち洗練されているのだ。私は、この仕草は鼻につくんだ、嫌味なんだ、こいつは悪い奴なんだ、と自分で自分に言い聞かせる。
「――背の高い方がミュゼ・トスカ・ブランネイド。背の低い方がベル・ラグランジュ。どちらも葉介の友人なんです。花奈さんの事も写真で知っていましたよ」
「はい。さっき、実物はブスだって言われました」
「あれ、おかしいな。ミュゼは花奈さんの事、可愛いって褒めてたんですよ。さすが葉介の家族なだけあるって」
「…………」
ほら、息をするようにお世辞を言う。私には、直接褒めるよりも兄弟と一緒に褒める方が効くって事も多分もう既に見抜いていてこう言ったんだろう。やっぱりクラージュは悪い奴なんだ。すぐだまされる自分の性格をよく知ってる私は、何度か深呼吸した。クラージュは多分、息の深い私の様子は知らんぷりしているんだろう。
「葉介は、ミュゼやベル以外にも友人が多いんですよ。皆の様子を、見てやってください。あなたから贈られる珍しい品物を楽しみにしていたのは葉介だけじゃないんです。本人が来たと知ったら、皆驚くだろうな」
「………」
葉介を褒めるふりをして私をおだてている。だまされてたまるか。私は何度も何度も深呼吸をした。まったく、過呼吸になりそうだ。
その後クラージュは私の手を引いて、長い時間をかけて駐屯地を大体ぐるっと一周した。
荒野シュツルク。どこを見ても、岩と、砂と、西部劇に出てくるようなぼさぼさでみすぼらしい茂みしかない、殺風景な場所だ。
でも、ここには人がいる。大勢の人ががやがや騒ぎながら、テントの周りをうろうろしていたり、剣と剣とで訓練試合らしき事をしていたり、食事の準備をしていたりした。いちおう、意味深な視線を送ってきたりする、葉介の友達らしい人はあちこちで見かける事が出来たけど、ちらちらと視線をやるばかりで、何故かあんまり近寄ってこようとはしなかった。クラージュはまあまあ偉い人らしいから、近寄りがたいのかもしれないし、仕事の時間で手が放せなかったからかもしれない。気になる事は気になるけどまあ、どっちでもいいや、と私は思った。大事な友達なら、葉介本人が紹介してくれるだろうから。
葉介の友達の存在を匂わせただけで、紹介しようともしないクラージュは代わりにこのへんの土地の説明をのんびりと始めた。
「ご覧の通り、何もありませんが、国防上大変重要な意味合いを持つ場所です。隣国サングリアとの国境地域ですから。現在我々はここにジュノ・リブラン・コルトワールを指揮官として、約三千人規模で駐屯しています。このあたりが交戦地域でなくなったのはほんの一ヶ月ほど前の事ですが、その頃は約一万人揃えていました。ああ、葉介を前線に出した事はありませんから、ご心配なく」
それは何よりだ。葉介はものすごく剣道が上手いけど、さすがに実戦で通用するようなものじゃないだろうから。心配事が、一つだけだけど解消されたので私はふうっとため息をついた。でも、心配事はこれだけじゃない。
なんでそもそも葉介が軍隊となんか一緒にいるんだろうか。前線に出されなくても流れ矢やら流れ弾やら、もしかしたら流れ魔法やらに当たる事もあるだろうし、それに戦場でビタミンCはちゃんと取れてるのか、お芋ばっかり食べさせられてるんじゃないだろうか、ていうか葉介はあのミュゼとかいう性格の悪いデカにいじめられてるんじゃないだろうか。初対面の私に対するあの態度を思い返すと、ありえない事じゃないはずだ。
そういう事を考えると、手が震えるほど恐ろしい。
クラージュは私の思い悩みに気付いたんだろうか。手を繋いだままだったから。彼はさりげなく歩き出した。私も手を引かれて歩き出す。
「――見ての通りの荒れ地です。村も森もありません。水は辛うじて少し湧いていますが。庇護すべき、鉱の…」
クラージュは鉱の…と何か言いかけたけど、ふっと微笑んだ。そして言い直す。一体何を言いかけたのか知らないけど。
「本来なら、手厚く庇護すべき対象を連れてくるべき土地ではありません。しかしこと紅玉鉱脈に関しては、このシュツルクが大変適した環境なんです」
「どうしてですか? 葉介はあなた達にとって、金のなる木みたいなものなんですよね? どうして、せめて、危なくない所に守っておいてくれなかったんですか?」
握る手にも力が入る。怨念も入る。葉介を帰してくれない上に危ない目にも遭わせてたんだとしたら、許せなさすぎる。
「鉱の……」
クラージュはまた何か言いかけてやめた。ますます感じが悪い。
「何ですかその鉱のうんたらって」
「……いえ。言うと葉介にきっと怒られますから」
クラージュは何故か思わせぶりに微笑んでいる。悪い奴オーラを放つスーパードルフィーとはまたなんとも珍しいものを見てしまった。さすが異世界だ。ちょっと引いた私はクラージュから少し距離を取ろうとしたけど、クラージュの手は離れない。
「とにかく、紅玉鉱脈に限らず、黄金鉱脈、遊玉鉱脈、翠玉鉱脈、真珠鉱脈、他の者も皆心の動きに応じて宝玉を産み出しますが、それぞれ『産み出す事に向いた』感情というものが決まっています。黄金鉱脈は『充足感』、真珠鉱脈は『よろこび』、翠玉鉱脈は『安らぎ』………」
「………」
出来れば、葉介と関係ない話はあんまりしないで欲しいな、と私は密かに思った。なにしろ私の集中力といったらハムスター並なのだ。このままだと、さりげなく大事な話をされても聞き流してしまうかもしれない。
ていうかクラージュは私をどこに連れて行くつもりなのか。まさか体育館裏に連れてってボコにした上で私一人を日本に叩き帰すつもりじゃないだろうな、と私が疑い出した頃、クラージュはどこからともなく、赤に透き通って、昼の太陽光を受けて輝く小函を取り出した。蓋といい側面といい、優美な鳥の彫刻が施されていた。じっと観察すれば分かる。これは、継ぎ目一つ無いルビーで出来ている。
一体どうやって作ったのだろう。元々は、多分とても大きな大きな、ひとかたまりのルビーだったのだろう。それを薄く削りだして文様まで彫り込むなんて、並の技術ではないはずだ。確かルビーっていうのは、ダイヤモンドほどじゃないとしても、二、三を争うくらい固い宝石のはずだし。
更に驚くべき事に、クラージュがそのルビーの小函の蓋をそっと開けると、後から後から真っ赤なルビーが湧いて出ているのが見てとれた。私が葉介からさっき貰ったのと同じルビーが。からからきん、と涼やかな音をたてながら、小箱の底から一粒一粒湧き出すルビーは小函の縁まで盛り上がり、溢れる、と思った瞬間、いずかたへか消え去る。多分、葉介を水底からで違う場所へ連れて行ったのと同じような魔法が、この小函にもかかっているんだろう。
クラージュは小函の蓋を静かに閉めた。
「紅玉鉱脈は『熱情』です。怒り、正義感、反骨心、感動。葉介が激しい火炎で心を灼くほど、この『紅の函』からはルビーがこんこんと湧き出ずる」
そうして、行く先にあるものを視線で指す。私もクラージュの視線を追って、前方を見た。
そこにいたのは、葉介達だった。葉介が木刀をふりかざして、ベルに挑みかかっている。ベルとミュゼは鍛錬の時間だってさっき言ってたから、葉介もそれに参加しているんだろうか。鍛錬って言っても、素振りとかじゃない。周りはもう木刀を素振りする事もしないで、ベルと葉介の試合に見入っている。見稽古みたいなものだろうか。
ベルは強かった。さすがベルセルクのベルだ。ベルセルクって何なのか分かんないけど。葉介が何度斬りかかっても、十合以上打ち合う事はない。ベルはすぐに葉介の木刀を絡め取り、葉介の身体をはじき返してしまう。葉介は何度も強く地面に叩きつけられ、砂埃を巻き上げた。でもすぐに、葉介は起き上がってまた木刀を構え直す。
「…………」
もう、見てらんないくらいだった。全国大会で優勝し(かかっ)た時の勇姿はどこ行っちゃったんだろう。とうとう葉介が起き上がらなくなると、ベルは器用に木刀を腕で大車輪みたいに回しながら軽く首を傾げた。
「もうおわり?」
「『もう』じゃねーよ…『まだ』だよ……。もう鍛錬の時間とっくに過ぎてんじゃねーかよ……」
荒野の大地に仰向けになったまま、ぶつぶつ葉介が言っている。ベルはしばらくそれを見下ろしていたけど、ふと葉介から視線を外して私をじっと見つめた。私はびっくりしてまばたきを繰り返す。見物している人混みに紛れていたから、私とクラージュに気付いているなんて思いもしなかったのだ。しばらく私と視線を通わせた後、やがてベルは葉介の顔の上へ屈み込み、何事かをぼそぼそと呟く。
効果はてきめんだった。一瞬にして葉介は起き上がる。ベルは跳ねるような動きで軽やかに葉介の頭突きを避けて、また間合いを取った。葉介は砂埃も払わずにぼろぼろの身体で木刀を振りかざして叫ぶ。
「――まだまだぁぁああッ!! 花奈を引き合いに出すなぁああッこんのくそったれぇええッ!!」
裂帛の気合いと共に、クラージュが手に持つルビーの小函からじゃらじゃらじゃらじゃら、ととめどない音が漏れ聞こえ出す。前に幹也と葉介と三人で聴いた、熱情ソナタも真っ青の勢いだ。大決壊だ。大瀑布だ。今がちょうど、『葉介が激しい火炎で心を灼』いている最中なんだろう。
………それにしてもベルは一体何言ったんだろう。『お姉ちゃんが見てるよ、かっこいいとこ見せなくていいの?』みたいな事だろうか。でも、残念ながら葉介のかっこいいところは見られそうもない。ベルはそれだけ強かった。ベルは、下から切り上げられた木刀をいとも簡単になぎ払い、その勢いのまま葉介の肩口へ打ち込む。辛うじて葉介がそれをかわしても、ふくらはぎをしたたかに打たれて葉介はまた崩れ落ちた。でもまた、すぐに起き上がって叫ぶ。
「負…け…て…!たまるかぁあああああッ!」
「一度も勝ったことないくせに態度おおきいよね、葉介って」
言葉だけはけだるげにベルはため息をついたけど、その唇はにっと形の良い弧を描いている。
「次こそ勝つっつってんだろうがぁあああッ!!」
「次っていつ?」
「明日って今だあああああッ!!!」
ふざけてるわけでもないのに漫画の台詞が混ざっちゃってる所をみると、今の葉介はかなり錯乱してる感じだ。明らかに頭に血が上っている。打たれ、倒され、また起き上がる。受け身の練習してるんじゃないんだから、って突っ込みたくなるくらいだ。
「…ナルド、止めなくて良いの!?」
「葉介から、いかなる場合でも決して止めないようにときつく言い渡されておりますから」
負けっぱなしの事も心配だけど、このままじゃ葉介は、頭の大事な血管を切っちゃいそうだ。真っ青になって私はナルドを振り返ったけど、ナルドは伏し目がちに、こうとだけ言う。
さっきの私は、一体どうやってベルに勝ったんだったろう。私の大事な葉介を叩きのめしてるベルを、どうにかして止めてあげられればいいのに。
でも今の葉介は、弱いのに、負けっ放しなのに、私が知ってる葉介よりずっとずっとかっこいい。葉介はいつの間に、こんなに大きくなっちゃったんだろう。擦り傷だらけになっても戦い続ける葉介は、私が知ってるよりずっと凛々しい。
「……………」
なんか、情けなくて泣けてくる。
よわよわなのにへこたれない葉介も、葉介を助けてあげらんない自分も。
明日って今だ…1987年から週刊少年ジャンプで連載されている『ジョジョの奇妙な冒険』での台詞です。本来は「明日って今さ」となっています。