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The 6th Attack!! 4



「あ、待てって! 母さんがお前も風呂に入ってけって……」

「そーだよ! あっちじゃお風呂入れな……おーい、クラージュ!!」

 花奈や葉介の引き留めるのも聞かず、クラージュは多良木家の庭に出た。

 いい庭だ、と夜も更けて見通しのあまりきかない庭を見渡して、クラージュは思った。緑葉をつけた植木ばかりで花は少ないが、手入れは行き届いていた。

 その庭の奥の池に一筋明かりが射している。池の底へ向けて幹也が設置したハンドライトだ。光はどんな空間でも最短距離を進むという性質を利用した、ゲルダガンドへの道しるべである。これがなければ、『『今』の日本と一番『近い』ゲルダガンド』へは戻れない。物理的にはともかく、概念的には遠い国だ。



 池に飛び込み、暗い復路を一筋の光明に従って辿ると、やがて湖シュツルクに浮かぶ黒曜軍軍船の一等船室、ジュノの執務室に出る。船はごく、ごく、わずかに揺れている。

 クラージュは真下のジュノを避け、床へふわりと軽く着地した。

 時空の穴の番人であるジュノはランプの薄明かりを頼りに何事かの書類に目を落としているところだ。たった今戻ったばかりの友人にちらと目をやると、またすぐに手元の紙束へ視線を戻し、そっけなく出迎えた。

「……遅い帰りだな、クラージュ」

「……さよならです。ジュノ」

 クラージュはジュノの言葉を無視する。彼はうつむいたまま、単刀直入に切り出した。


「僕は軍を辞めます」


「………なんだと?」

 ジュノは意味をはかりかねて眉を顰めたが、クラージュは意に介さない。

「後任には……そうだな。タンジーとミュゼをつけてください。君が優秀だから、きっと上手くいくでしょう。大したことはしていなかったし、引継もほとんど必要ないかな。新しい電磁気力魔法使いだけ、手配をお願いします。僕は敵が多いから、きっと優秀で反骨心の強いのが後任に決まるはずだ」


 クラージュが手のひらの中でもてあそぶのは、彼がつい先ほどまで花奈のを梳いていたブラシだ。プラスチック製の、体を横向きに、顔だけこちらを向けた真っ白い猫のキャラクター製品は、ゲルダガンドにもクラージュにもそぐわない。その違和感に、ジュノは不気味なものを感じ取る。


 ジュノはすぐに立て直した。手にしていた紙束を放り出し、立ったままのクラージュを鋭くにらみつける。

「日本で何があった」

「別に何も」

「それ(・・)で何をするつもりだ?」

「……別に、何も?」

 クラージュはうっすらと笑う。

「………クラージュ」

 ジュノとクラージュ、互いに譲らなかった。ジュノがゆっくりと彼の名を呼ぶのにも、クラージュは答えない。軍船は、ジュノのテーブルの上のカップだけが感じる程度、ほんのわずかに沈んだり、浮かび上がったり、拍子をとるように揺らめいている。クラージュは湿ったブラシをくるりくるりと手の中でもてあそんでいたが、やがて億劫そうに呟く。


「ジュノ、君も分かっているはずでしょう? 『鉱の姫』は百代も入れ替わり続けるプログラムとその鍵に過ぎない。外側が入れ替わっても、おそらく何らの問題もないはず。いや、『肩代わり』するのは人でなくていい可能性すらある。

 『神の祝福は、鉱脈をどこまで区別しているのか』。これは今後、試す価値のある命題ですね」

「………………」


 ジュノはそのとき、はっきりと嫌悪の表情を浮かべた。ジュノは悟ったのだ。

「よせ、クラージュ」

「……だから、なにを?」

 クラージュはほんの少しだけ視線をあげた。

 だがやはり、彼は目の前の友人の姿を真っ直ぐ見ようとはしない。

「『それ』をするというのなら、俺はお前を糾弾せねばならなくなる」

「相変わらずせっかちなのが治りませんね、ジュノ。『それ』って、何のことです?僕はまだ何をするとも口にしていないのに。

 ………これは、僕の勘ですが、ジュノ。…あまり、僕のすることを詮索しない方がいいですよ。

 ……『いざ』というとき、共犯扱いされます」

「……………」


 クラージュがそう言った瞬間、はっきりとジュノの目に怒りが宿る。

 クラージュを火炎にたとえるなら、ジュノは氷にたとえられるのがふさわしい。凍えるほど冷たい眼差しを友人に向け、ジュノは言い放った。


「『クラージュ・コフュ・グラジットがおぞましいことを行おうとしている』。俺がただこうとだけ密告すれば、お前の脳に電極を刺しに喜んでやって来る輩は大勢いる。知性や地位や名誉も、はぎ取れるものをすべてお前からはぎ取ってゆくだろうな」

「……………」

「俺に話を通さず事をすませようなどとは、俺もずいぶん甘く見られたものだ」

 クラージュは薄ら笑いを浮かべた。

「…………何を心配しているのかは知りませんが。本当に、ただの誤解ですよ。僕がしようとしているのは人助けです。ジュノ、君だって、葉介達が可愛いんでしょう?」

「ならばそのブラシを……その髪の毛を置いて行け」

「……………ジュノ」

 ジュノはにべもない。クラージュはため息をついた。


「………ジュノ。心配してくださってありがとう。でもね、元より僕の本質は、虚ろなものです。この上何を失うのが恐ろしいでしょう? 今の僕は、誰から軽蔑されるのも、誰から疎んじられるのも、君の信頼を失うことすら怖くない。

 ……僕はただ、『僕』だけが怖い。この世で一番、僕が怖い。こんなに恐ろしいものを、あんな真っ直ぐな生き物のそばには置いておけない。だから離れる。二度と会わない。二度と会わないついでに、葉介をあの重荷から解放してあげる。それのどこが犯罪なんです?

 迷惑はかけません。君にも、葉介にも、幹也君にも、もちろん花奈さんにも。僕は僕なりに暮らしていくつもりだし、案外すぐに百代目紅玉鉱脈ナルドワンダが生まれるかもしれない。『複製』はどうしたってテロメアが短いから」


 クラージュが必要以上に能弁になるときは、怯えているとき、後ろめたいとき、苦しいときだ。ジュノはそれを知っている。クラージュはもう一度、花奈のブラシを手の中でもてあそぶ。

「……だからね、ジュノ。お別れなんです。君では僕は止められないんじゃないかな。僕は迷っていないけれど、君は迷っている。本気でない君に、遅れはとらない」


 クラージュの視線はやっとあがった。目の前に座る友人の目を、ほんの一瞬とらえたが、すぐに身をひるがえし、ジュノの船室を後にしようとする。

「よせ、クラー……」

 ジュノは反射的に声をあげ………




 その瞬間にわずかに射した光は、何の徴だっただろう。

 突如、ジュノの頭上から、うっすらと黄色みを帯びた光が落ちる。光は、前触れだ。ジュノの頭上にある『穴』が開き、穴の向こう側から人が訪おうとしている証。


 穴から少女のつま先が見えると、クラージュとジュノの心臓が鳴る。後ろめたいのだ。しかし、押し戻すこともできない。すぐにつま先、かかと、ふくらはぎが虚ろな空間から伸びてゆく。

 着地の瞬間、少女の足は一度たたらを踏んで、すぐに持ち直してすっくと立つ。


「………花奈?」

 ジュノがやっとのことで少女の名を呼ぶ。

 ほとんど乾いた洗い髪を背中に流した花奈は、二人の男とそれぞれ一瞬ずつ目を合わせ、にっこりと笑った。

「ごめん、おみやげ。手ぶらで帰したって、母さんが気にしてたから。母さんのクッキー持ってきたの。昨日の手作りだから、早めに食べてもらわなくちゃいけないけど。甘いもの、嫌いじゃないでしょ? ま、さすがに軍全員の分はないけど……」

 花奈はここまで一息に言うと、やっと、ジュノとクラージュ、二人の間に異様な雰囲気の漂うのを感じ取った。

「……ん?」

 花奈は首を傾げて、改めて二人の様子をうかがう。ジュノは、彼にしては珍しいことに、うっすらと笑みらしきものを浮かべている。純粋に笑みと呼ぶにはだいぶまがまがしいものだが。クラージュは無表情に近いが、花奈はなんとなく、この人泣く寸前だ、と感じ取る。


 花奈はおそるおそる聞いた。

「………もしかして、修羅場? 私、邪魔した?」

「いいや。珍しくいいところに来たな、花奈」

 ジュノは荒んだ笑みでクラージュを見据えたまま、そろそろと壁際に逃げだしかかっていた花奈を言葉だけで引きずり出す。

「この男が何をしようとしているか、質せ。お前の口で、質せ」

「は?」

「……ジュノ」

 クラージュは眉を顰めた。やはり彼にしても珍しい、相手を威嚇するような鋭い表情だ。

「ね、ねえ、ちょっと待ってよ。私全然話が見えな…」

 普段は怖いもの知らずの花奈も、大の男二人の板挟みになれば、さすがに多少は怯む。だいたい、花奈はクッキーだけ置いてさっさと戻るつもりだったのだ。長引きそうな話に巻き込まれるのは困る。


 花奈は。少し後じさりした。ジュノに飛びつこうと……正確に言えば、ジュノに飛びついて時空の穴への踏み台にしようとしたのだが、結局それはかなわなかった。



 突如、軍船が大きく揺れだしたのだ。

 一度船体が素早くぐらりと斜めに傾ぎ、すぐに反対側へより大きく傾く。

「なに!? なにこれ! 揺れっ、うわ! 大きい!」

 ここは湖なのに、波なんてないはずなのに、どうしてこんなに揺れるのだろう?

 船室の窓にミルク色の飛沫がかかったのを見て、花奈は震え上がった。転覆するかもしれない。

 揺れのたびに壁際の棚からごとごといろんなものが落ちていく。ほとんどは重そうな本や書類のファイルだ。花奈は条件反射のように頭を庇ってその場にうずくまることしかできない。


「揺れる! すごい揺れる! うわあ酔いそう! 怖い!」

「花奈さん…!」

 悲鳴をあげる花奈に、一瞬クラージュは駆け寄ろうとしたが、何か恐れるように、彼が花奈へ伸べた手は元通り引き戻される。

「……落ち着け」

 結局、うずくまる花奈の傍らに膝を突いたのはジュノだった。ジュノは花奈の背中に自ら羽織る長衣を覆いかぶせて庇い、揺れの収まるのを辛抱強く待つ。


 やがて揺れがほぼ収まると、花奈はそろりと頭を上げた。それと同時にジュノは長衣を花奈から引き取った。

「あ、ありがとう、ジュノ……クラージュも、無事? …ねえ、さっきのってなに? 津波? 湖だから地震? ゲルダガンドにも地震あるんだね……」

 花奈はクラージュを見上げたが、クラージュはふっと視線をはずした。

「…………いいえ、津波はたまにありますが、地震はほとんどありません。……凶兆ですね。ジュノ、震源は?」

「………さほど近くない。南……リューナの辺りか。……クラージュ、すぐに都に連絡を」

「…はい」

 クラージュはすぐさま身を翻し、船室を出た。ジュノはまだうずくまる花奈の手首を掴んで引きずりあげるように立たせる。

「花奈、お前も今のうちに帰れ。また揺れるかもしれん」

「あ…あ、うんっ」

 花奈はおろおろとクラージュの出て行った船室のドアとジュノとを見比べたが、すぐにうなずく。

 不吉な予感がする。今すぐ葉介と幹也に会いたい、花奈は震えた。




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