The 5th Attack!! 7
元々二十畳の広間だった離れを改装して三等分したのが私たちの部屋だ。
一番奥の西南の部屋が葉介の部屋、一番手前の東南の部屋が幹也の部屋、間に挟まれているのが私の部屋。
朝はまず葉介が5時頃起きて、剣道部の朝練に出る。次に6時半頃、特進クラスの幹也が0時間目の授業のためにしぶしぶ起きる。最後に私が7時45分に飛び起きて、日焼け止めがわりの化粧下地と粉をはたいたほぼすっぴんで家を飛び出していく。
しかし、今朝は違う。私たち三つ子の、帰宅以来初めての登校日だからだ。一週間休むことになった学校へは、三人そろってインフルエンザにかかったということで話が通してあるらしい。診断書があれば一週間分も登校扱いになるけど、さすがにそれは偽造できない。
私たちが帰ってきたK県K市は、あの池の大掃除の日から一週間の時間が過ぎたところだった。これは幹也の大朱勲なんだけど、グラナアーデと日本の時間の流れを、幹也が来た日以来、一致させてあったのだ。幹也とジュノが相談して、光線軌道エレベータとかなんとかいう、すごい噴水みたいなもので処置をしたらしい。エレベータなのか噴水なのかどっちかにしてくれないと理解しがたい。
自転車に乗った私、幹也、葉介の三人が連れだってK県立台弐高校の校門へ滑り込むと周りから、ちらっちらっと視線が送られるのが分かった。
よくも悪くも有名なのだ。三つ子の兄弟全員が同じ高校に通っているだけでもなかなかおもしろいのに、IQ平均190の天才幹也、剣道で全国大会上位入賞を果たしている猛者葉介、そして暴れウナギの異名を持つ紅一点の私である。……まあ暴れウナギは置いておくとして。ただでさえ三つ子として有名で、キャラも濃いめの私たちが三人そろって校内をうろつくのはちょっと珍しい。
慣れっこなので視線なんか気にせず、私たちはまず職員室へ向かった。葉介と幹也の用事がなんだったのかは知らないけど、私は私の用事をすませ、教室に入る。すると、私の隣の席でカバー付きの文庫本を読んでいるショートカットの女子がまず最初に目に入ってくる。
「おはよーおはよー。……洋子もおっはー」
席までの道にいる子たちにも挨拶しながら、鞄を机におくと、文庫本からちらっとだけ目を上げて、ぞんざいな挨拶をした。
「かなぽんおっはー。インフル治った?」
彼女の名前は山本洋子。読んでいる文庫がターンエーのノベライズ版であることからも分かるとおり、懐アニ系が好きなタイプのオタクだ。私は広く浅く、流行に乗っちゃうタイプのオタクなのであんまり萌えのポイントは合わないけど、どうしてか馬は合って、学校ではだいたいいつも一緒にいる。これで幹也と葉介で三次萌えさえしなければ最高の友達なんだけど、世の中完璧な人間はいないものだ。
「今日で葉介くんと幹也くんも学校復帰でしょ? 同時にインフルにかかるなんてほんと萌えるわーって思ってた」
ほんとに、これさえなければ。
いちいち付き合ってらんないので軽くスルーし、一週間分のノートを一生懸命写していると、担任のチュウ先生がやってきて朝のホームルームが始まった。
今日は国語の谷先生がお休みなので、チュウ先生の歴史と授業が入れ替わる。英語の小テストがあるらしいけど、範囲は聞き逃した。ノートを写すのに忙しかったからだ。仕方ない、小テストは捨てよう。写さなくちゃいけないノートが多すぎる。
ホームルームもほとんど聞き流し、ひたすらに内職に勤しんでいた私を、チュウ先生は突如手招きした。
「多良木。お前、ちょっといいかぁ」
忙しいんだけどなー。私はしぶしぶ席を立って、チュウ先生と廊下に出る。
「これな、読ませてもらったけどな」
チュウ先生は、私がさっき職員室に置いてきた、モナナーのメモ帳をぺらっと広げた。そこには一言、こう書いてある。
『チュウ先生へ! 希望進路変えます。
家政学→素粒子物理学
よろしくね! ☆多良木☆』
チュウ先生はめがねをかけていて、ちょっといかつくて、しゃがれ声の男の先生だ。そろそろ定年が近い。下の名前がただしといって忠と書くので、それを音読みしてチュウというのが、五十年来のあだ名なんだそうだ。厳しいところはあるけど、授業が分かりやすくておもしろいので、皆から好かれている。もちろん私も好きだ。頼りにもしている。
「これ、本気かね?」
「うん」
チュウ先生はしゃがれ声で聞いた。明らかに困っているようだ。
「多良木の選択科目は生物で、物理学はとってなかったな」
「うん」
「勉強は間に合うかね?」
間に合うかどうかは、そんなに問題じゃない。グラナアーデへ逃げ込めばいいのだ。今は日本とグラナアーデの時間の流れを一致させてるけど、幹也に頼めばちょちょいのちょいで時間稼ぎができる。
……と、チュウ先生に説明することはできない。
「間に合うと思う」
だから私の答えは、チュウ先生にはとっても頼りなく聞こえたらしい。
「多良木が本当によく考えて、それで決めたんなら先生からは何も言えん。でも先生はなあ、あんまりお勧めせん」
「…………」
「結論を急がんで、もうしばらくゆっくり考えときなさいよ。本当にそう決めたんなら、親御さんとも話し合わなきゃいかん」
チュウ先生はだぼだぼのスーツを履いた短い足を引きずって、廊下を去っていった。チュウ先生に心配かけてるのが心苦しくて、私はそれをしばらく見送ったけど、しょうがないのでまた、教室に戻った。
その後とくに何事もなく六時間の授業が終わった。帰りのホームルームと簡単な掃除を済ました私は合気道部の活動の準備のため、胴着なんかをまとめて教室を出ようとする。しかしそのとき、誰かがものすごい勢いで駆け寄ってきて、私の肩をつかんだ。
「おい、多良木妹!! どういうことだ!?」
「妹じゃなくて姉!」
反射的に返したあと、私は振り返ってその無礼なやつが誰なのかを確認する。
そいつは、下川だった。葉介が所属している剣道部の部員だ。剣道部と合気道部は練習場所がほぼ一緒なので、顔も互いに見知っている。
「なんかあったの?」
私が首を傾げると、下川は足を踏みならして大声を出した。
「知らねーのかよ! 多良木のやつ、剣道部の退部届け出しやがった!! 多良木兄も特進クラスから普通クラスに転コース希望!! 職員室じゃちょっとした騒ぎになってる。 お前本当に知らねえの!?」
「…………!!!」
ショックのあまり、私は言葉を失った。
部活なんかやってる場合じゃない。合気道部を休んで私はマッハで学校を飛び出した。
二人ともいったい、どうしちゃったって言うんだろう。
葉介はせっかく、せっかく、全国大会優勝くらい剣道が上手かったのに、おじいちゃんより強くなるまでは絶対続けるって言ってたのに、やめちゃうなんて。
幹也だってそうだ。幹也が特進クラスを外れるなんて、全人類の損失だ。
自転車をしゃこしゃこ漕いで汗だくになりながら、私は玄関じゃなくて、庭へ直接自転車を乗り入れた。こっちの方が早いのだ。
転びそうになりながら自転車から飛び降りる私を、縁側廊下を歩いていたお母さんがお迎えした。手には大きなお盆を持って、お客さん用のお茶碗を五客乗っけている。
「あ、花奈ちゃん。お帰り。お客様が来てるよ」
「お母さん! 幹也と葉介は!?」
「二人とも帰ってきてすぐナルドちゃん達のところに行っちゃった」
「早ぁぁっっ!」
二人とも七時間目と部活はばっくれたらしい。私も掃除なんかしてるんじゃなかった!
「あのね花奈ちゃん……今来てるの、外務省の方なの。グラナアーデのことを聞きたいんですって。ちょっといったん帰ってきてって、二人に伝えてきて」
……外務省? 東京の人が、わざわざK県まで?
私はじゃまな鞄を縁側廊下に放り出し、すぐさま幹也達を追いかけようとしていたけど、外務省の言葉に引かれてほんの一瞬、応接間の方を見上げた。
障子を開け放たれた応接間では床の間を背にして、すらっとした一人の女の人が正座していた。顔はかなり美人だったけど、灰色のつまんないスーツを着て、化粧もファンデーションを厚塗りして眉を引いただけくらいの、そっけないかんじのものだ。
「相澤と申します」
私はその人の顔をじっと見つめていると、彼女が名乗った。声も落ち着いていて穏やかだけど、やっぱりどこかそっけない。笑顔が愛想笑いにしてもひかえめだからだろうか。
「すいません、やめにしてください!」
興味を失った私は一言だけ叫ぶと、くるっと踵を返してローファーを脱いで両手に持った後、池へ飛び込んだ。
池は、幹也が作った光線軌道エレベータが取り付けられている。お客さんは応接間からこれを見ていただろうけど、たぶん意味は分からなかっただろう。名前は仰々しいけど、何のことはない、めちゃくちゃ強い光を放つライトが池の底へ照らしているだけのしろものだ。
その光をたどって行き着く先が、目指すべきグラナアーデのジュノの頭の上に開いてる穴だ。光はどんな空間でも最短距離を通ろうとするので、こういうところの道しるべには最適とかうにゃうにゃ幹也が言ってたような気がする。とにかく時空の穴はいろんな時間に通じていて、この光をきちんとたどって行かないと、目指したところに到着しない。また、葉介たちとすれ違ってしまう。
異世界に通じる穴は、電車にたとえるとわかりやすい。
電車は行く時と帰る時、路線は同じでも、それぞれ別々の線路を使う。時空の穴も同じだ。すなわち、日本からグラナアーデに行くみちと、グラナアーデから日本に行くみちは、似て非なるものなのだ。
そしてこの線路は無数の駅とつながっていて、その無数の駅は、さらにまた、それぞれ無数の線路とつながっている。乗った電車が止まらない駅もあるし、駅自体が勝手に線路の上を走っていってしまって、いなくなっていたりすらする。
だからこの時空の穴を使うにあたり、何よりも重要なルールが二つ存在する。
いつもと違う駅は、できる限り使わないこと。
一回だけ違う駅で降りてみるくらいならいいけれど、もしそうしたら、次は必ず、印のついた線へ戻らなくちゃいけないこと。
でないと、幹也とジュノがつけた光の印を見失って、永久のまいごになってしまうかもしれない。
もしいつもと違う駅に降りて、さらに別の線に乗り換えて違う駅に降りてみちゃったりなんかすると、もうダメ。どこからどう乗ればいいのか分からなくなってしまう。電車は地面に近いところだけを二次元的に走るのに、時空の穴の乗り換えは縦横高さ、さらに時間が加わって四次元になるのだ。
なのにここには駅員さんがおらず、案内図もない。となったら遭難である。元の世界の、元通りの時間軸に戻るのは困難を極めると思わなくちゃいけない。
迷子は嫌だ。注意深く光の道をたどって、光の射す穴めがけて飛び込むと、突然視界が開けて明るくなった。グラナアーデ、ジュノの上だ。私は前みたいにジュノの目の前の机へ落下している。
「……よっ!!」
私は着地と同時に軽く足を曲げて、衝撃をやわらげる。我ながら相変わらずなかなかの着地だ。しかし、やっぱり靴は履いていた方がいいかもしれない。
踵にずしーんとくる鈍痛に耐えながら、私は元気よくジュノに挨拶した。
「こんにちは、ジュノ!」
「………」
ジュノは私に見下ろされながら、まるで、早く失せろとでも言いたげないやな顔をしている。私は踏んづけていた書類の上から床の上へ移動すると、脱いでいたローファーを履き直した。
「ねえ、幹也と葉介はどこ!?」
「ナルドリンガの元だ」
「ありがと!」
私は元気よくジュノの船室を飛び出した。
現在、黒曜軍が駐留していた荒野シュツルクは水没し、現在は湖シュツルクに名を変えている。当然、今まで通りテントを張って生活するわけにはいかないから、今の黒曜軍は大きな船で船団を組み、そこで暮らしている。
木製のドアの向こうは、布っぽい質感の床材を敷かれた甲板だ。日除けの傘が張り出しているから甲板はそれほどでもないけど、湖を見ようとするとミルク色の水がギラギラ太陽の光を反射していて、ひたすらまぶしい。今度きたときはサングラスを持ってこなくちゃいけない。
ナルドの船室はすぐ近くだ。四畳半くらいの広さで、簡素ながらもなかなかいい感じの洗面台がついている。ナルドの船室の隣が葉介の船室、さらにそのまた隣が私と幹也、さらにさらに奥がミュゼとベルの船室だ。つまり、ぶっちゃけテント暮らしとあまり変わりがない、いつもの面子でここで暮らすことができるってこと。
ナルドの船室の前まで突進すると、私はノックもせずに船室のドアを開けはなった。
「やっほーナルド! 幹也と葉介いるー……!?」
私の元気よかった挨拶は、尻つぼみになって消えていく。でもきっと、誰だって無理ないことだ。それくらい、目の前で繰り広げられていた光景は衝撃的だった。
まずナルドは、シャツの前を完全にはだけた格好でベッドに横たわっていた。その上に葉介がのっかっている。葉介は制服を着たままだ。ナルドの細い足が葉介の腰に絡みついている。幹也がそれをそばで、一生懸命ひっぺがそうとしている真っ最中だったようだ。
そして室内にいる三人全員が、大声をはりあげた乱入者……つまり私を、動きを止めて注視している。
「……………………」
私はそっと、船室のドアを閉めて、見なかったことにした。