The 5th Attack!! 2
私たち三人はリューナにやってきた。もちろんアジュの彼女を見つけて助け出すためだ。
でも、アジュの記憶はかなりあやふやだった。
彼女と一緒に呼びだされた神殿の内部構造はかなりきちんと覚えていたけれど、出入り口がどこであるかとか、どういう感じのところにあったかだとかはほとんど覚えていないらしい。
それも当然かもしれない。そこから出たとき、アジュは意識どころか命も危ういような状態だったらしいんだから。
シュツルクには目印になるようなものがろくになかった。一応、アジュがサングリアに拾われたポイントはきちんと記録されていたから、そのへんを中心に、潮の流れも考慮しつつ(それはとても難しい、と後でわかるのだけど)しらみつぶしに探し回ることにした。
……ところで、マングローブ林にゴリラは住めるんだろうか。
私、幹也、アジュの三人組の、目下の疑問はそれになった。
ゴリラのうんこもとい、ぶつけられた泥だんごにはすりつぶされた草が混じっていた。その草はミントよりも強い芳香がある。ぶっちゃけくらっとするほどだ。
とにかく、あの泥団子を投げつけられた場所から距離を取る。狙われても気づけなかった、投げた相手が見つけられなかったことが原因だ。そんな場所にとどまるのは、とにかく危なっかしくて仕方ない。
幹也は私の顔面からこそげとった泥と草のかけらを指で確認したあと、船の外へぴんとはじきとばした。
「この草なんだと思う? 明らかにわざと混ぜこんであるよね。毒草かな?」
「ええー! やめてよー!」
うんこの次は毒だという。私は慌ててもう一度、顔をよーく洗う。
「大丈夫ですよ花奈さん、ハーブの一種のようです。毒ではありません。泥も、ただの粘土です。糞でも何でもありません。害はありませんよ」
フォローを入れてくれたのはアジュだ。幹也は目つきを険しくした。ただでさえ船酔いで顔色が悪いから、ちょっと怒った顔をするだけでかなり人相が悪くなっている。
「害? 害がないって? アジュ、それ本気で言ってる?
どこのどいつが意味もなく泥だんごを一個だけ投げつけて、それだけで満足してその場を離れるの? 理解できないね。何らかの他意があるでしょ、絶対」
「…これ以上、鉱の姫に関して探るなという警告である可能性は?」
「だとしたらずいぶん生ぬるい」
そこで私はすっと片手をあげて発言した。
「ねえ、ほんとにゴリラが投げてきた可能性は?」
「すみません花奈さん、今真面目な話をしているんです」
「ごめん…」
私は仕方なく黙った。
ややこしい話は苦手だ。指のささくれたところをひっかきながら、私はぼんやりと、今いるマングローブのトンネルの先を見つめた。
私たちが今いるのは、マングローブ林のまっただなかだ。
マングローブの細い根っこはぐねぐねうねり、水面と泥へ突き刺さって、複雑に絡み合っている。
どこからどこまでが一本の木なのか分からないほど鬱蒼と茂った、このリューナのマングローブ林には、実は細いトンネルがいたるところに作られている。
もつれたネックレスのようなマングローブの枝や根を、折ったり切ったり縛ったりして、どうにか小舟が通れるように作られたトンネルだ。太くても幅4メートルくらい、細ければ舟が一艘かろうじて通れるくらい。たぶん海賊がぐいぐい押し通って作った『道』だろう。
複雑にうねり、枝分かれするトンネルは、どこへ続くかも分からない。どこにも続いていないこともある。マングローブの枝葉をはらいながらやっとのことで進んでも、どんどん細くなっていって、いつの間にかトンネルが終わってしまうのだ。そういうときは、引き返すのにも難儀する。
まっすぐ舟を進めているつもりでも、マングローブの道はわずかに蛇行していたりしている。道を造った海賊の、方向感覚を失わせる工夫なのか、それとも生きた迷路が自然に生み出す効果なのか。
サングリアの技術の粋を集めたという重力魔法系の魔具……地図上の現在位置を正確に指し示すという針をアジュは持たされていたけど、これがなかったら間違いなく、遭難していただろう。
そういう現実的な問題をまるっと差し引いてしまえば、きれいな場所だ。マングローブが茂りに茂っているせいか、水はそんなにきれいじゃないけど、ぷりぷり太って分厚いマングローブの葉の隙間から真っ青な空が透けて見え、目にまぶしい。
こんな、水上の迷いの森と呼ぶのにふさわしい場所でなければ、森林浴を思いっきり楽しむところなんだけど。
私は大きなあくびを一つした。幸い、幹也もアジュも気づいていない。
アジュが持ってる方の地図は、アジュの魔法の針がひっかいた傷がある。
もちろん地図にはマングローブの道がどうなってるかまでは書いてないから、現状、さほど役には立たない。もっとよくこの迷路を巡ってみればだんだん使える地図になっていくだろうけど、それにはかなり時間がかかるだろう。
しんどい旅になりそうだ。
私は船縁にもたれかかり、揺れる水面へ目をやった。あんまりケンケンガクガクと議論を戦わせて息を荒らげると、またげろげろ吐く羽目になるって幹也もたぶん忘れている。
と、そのときだった。私の視界の端の水面にふっと、黒い影がよぎる。
「!」
私は慌てて顔を上げた。あたりには葉擦れの音と、幹也とアジュの声しかしない。あの水面に映った鏡像の実体はどこにもない。
でも、間違いない。にごった水面に映った影しか見えなかったけど、あれは真っ黒い獣の毛並だった。
私は興奮して幹也の服をぐいぐい引っ張った。
「幹也!! 今、ゴリラ!! ゴリラが通ったよ!!」
「ごめんね花奈、おやつあげるからちょっと黙っててね」
「ほんとだってば! ゴリラが今!!」
「花奈」
「…………」
幹也のポケットからキャンディーが一つ取り出される。私は仕方なく、キャンディーの包み紙を剥がして口に入れた。
幹也はまたアジュの方へ向き直る。
「………なんで泥だんごなんだろうね?
あんなものを投げつけるより狙撃でもした方がよっぽど簡単だし、犯人の安全も確保されるよ。
ただの泥だんごじゃ長い距離は飛ばないし、そもそもこれだけマングローブが密集している。あの泥団子はよっぽど近くまで近寄ってきて、ぶん投げたってことになる」
「………狙撃するほどの、悪意はなかったのでは。……むしろ、よかれと思って忠告したとか……」
「…警告じゃなくて、忠告ねえ……そうだね、その線ならまだ目がありそうだ。
…でも、誰が、何のために? 仮に鉱の姫の関係者がやったことだとしてだよ、鉱の姫のことは機密扱いで…たとえば葉介にしたって、直接の世話係とその土地の責任者、後はゲルダガンドのトップしか知らない。アジュの彼女のことについて、警告できるような人間がいる?」
「鉱の姫とは無関係の人物のしわざ…と、おっしゃりたいのですか?
でも、鉱の姫とは無関係の人間が私達に、いったい何を忠告するんです?」
「……。………仕方ない、心配ではあるけどこの件は保留にしよう。とにかくさっきの場所からもうちょっと離れて、警戒も怠らないようにして………。
で、アジュの彼女を探そう。とにかくアジュの彼女が捕まっている、神殿の入り口さえ見つけてしまえば、こんなゴリラもどきが潜む森からも脱出できるんだし」
今後の方針が決まったらしい。
私はふてくされるのをやめて口の中のキャンディーを噛み砕いた。アジュがうなずいて、話しだす。
「分かりました。では、とにかく体を伏せ気味にして…」
「神殿の入り口?」
それを遮ったのは、小さな女の子の声だった。
「…!?」
私は反射的に顔を上げた。そして私のすぐ目の前に、私をじっとのぞき込む、逆さまの、泥まみれの生首が…
「ぎゃああああああああ!!!!!!」
認識した瞬間、身も世もなく私は絶叫した。なんというか、脊髄反射的な絶叫で、止めようがなかったけど、生首もびっくりしたらしい。生首もぎゃっと小さな悲鳴をあげ、ごどんと重たい音をたてて、カヌーの真ん中へ胴体ごと転がり落ちてくる。
「ぎゃあああああ………ああ?」
私の悲鳴は尻つぼみになっていく。落ちてきたのは生首じゃなかった。普通の、生きている女の子だ。背中に剣を二本さして、体中泥だらけだってことを除けばだけど。
「うぐう……受け身判定失敗…」
どうも、マングローブの枝に両足首をひっかけて、体だけずるっとおろしてきていたみたいだ。背中をしこたま打ちつけたらしいその女の子がうめくと、もう一つ絶叫が上から振ってきて、汚れた女の子に覆い被さる。
「ソワレええええ!!」
どすんと落ちてきたのは真っ黒の獣で、舟は定員オーバー、転覆寸前のありさまだ。
「……えーと」
突発的な事態に弱い幹也が、一生懸命状況を整理しようとしている中、とりあえず、という感じでアジュが、あのクラージュを縛り上げたアジュの故郷の魔法、葉っぱの鎖を出してきて一人と一匹を拘束する。
何にせよゴリラは自ら正体を現したのだった。
「やー、さっきは悪かったぞ。おまえ達があんまりいっしょーけんめー的外れなこと考えてるから、つい油断しちゃってなー」
葉っぱの鎖から解放された女の子はてれてれとはにかんでみせた。正体は、よく見てみると小学生くらいの小さな女の子で、年齢は見た目十歳くらい、言葉遣いはそれよりもっと幼い。
うす茶色の髪をショートカットにしていて、泥の隙間から見える肌は日焼けして赤くなっている。まとっているのは胸と首、太股を覆う革の鎧とかざりけのないシャツとごわごわのズボン、背中には剣が二本、背中にはマント、腰にはベルト、ベルトにはずらっと、小さなナイフやなんかのツールが取り付けられていて、指には紫色の石の指輪、腕には緑色の石の腕輪がはまっている。
背負っているのが剣じゃなくて銃なら、そのまんま少年ゲリラと言ってもなんら問題ないような、ものすごく怪しい格好だ。もう慣れてきたけど。
ちなみに伴っていた動物は、ゴリラではなく狼だった。狼とはいっても、この女の子ぐらいなら乗せて走れそうなくらいの大きな狼だ。ほかの動物に例えるなら、熊ぐらいってとこだろうか。
女の子は葉っぱの拘束から解かれると、細長い小舟の真ん中で、狼と自分の紹介をした。
「ソワレだ。こっちは、ソワレの相棒のラグルリンガ。ラグルって呼んでるぞ」
「ラグルリンガ………」
私と幹也は顔を見合わせた。リンガの音には聞き覚えがある。ナルドの本名、ナルドリンガだ。ナルドについているリンガは『九十八番目の』という意味だったはずだけど……。
そういうのも踏まえて、ソワレのとりとめない供述内容をまとめるとこうなる。
ソワレは、『ラクシア』という世界の『冒険者』だった。ある日突然、この世界にワープしてきて、変な神殿で変な奴らに取り囲まれ、訳の分からないことを要求された。
不気味だったので逃げ出してきて、目下潜伏中である。ラグルリンガという名の狼は、逃げ出して来てから知り合って、友達になった。ラグルリンガと同じ名前のひときわ変な神官はいたが、そいつは知らない。
「…ねえ、幹也…」
「………うん…」
「………」
聞き終わると私たちは顔を見合わせた。
典型的パターンといっていい。異世界から拉致、無茶な要求、不気味なやつら。そして人の言葉をしゃべる狼を伴っていて、その名はラグルリンガ。
ソワレが、リューナで逃げ出したという鉱の姫の正体と思ってほぼ間違いないだろう。
ただソワレが葉介ともアジュの彼女とも違うのは、ソワレは自力で逃げ出してきた、という点。
アジュが半殺しにされた上、アジュの彼女も自力で脱出してこないあたりから考えるに、相当警備が厳しいんじゃないだろうか。
そこらへんの疑問点をつっつくと、ソワレはこともなげに、どこからともなくサイコロを取り出して見せた。
「それはソワレが、もともと隠密に向いてたからだ。『達成値』も高かったし」
「達成値……?」
「『隠密判定』の達成値は、この六面ダイスを振って、スカウトボーナスと敏捷度ボーナスをプラスして算出するんだ。この値より高い『危険関知判定』の達成値を出されなければ、どんな相手からも見つかることはないんだぞ」
「……………」
実は、私にはソワレの言っていることが少しだけ分かる。『クトゥルフの呼び声』だとか、『LAST NIGHT on EARTH』だとか、ダイスを使って遊ぶゲームがあるとは知っているのだ。
ソワレが言っている、判定方法なんかのややこしい理屈はさておき、ざっくり言ってしまえばダイス目で行動の可否が決定するということは一致している。
よく分かんないって顔をしている幹也のために私はソワレに確認してみる。
「………えーと、要するに、運任せの魔法みたいなもの、ってことだよね?」
「ソワレがしてるのは魔法じゃなくて単なる判定だけどな。想像を越えた結果が出ることがあるってとこは、お前らから見たら、魔法かもな?」
つまり想像を越えた結果を出しまくり、サイコロ二つの結果に頼って逃げ出してきたということらしい。
分かったような、分かんないような、微妙な顔をしている私たちに、ソワレは首をこくんと傾げて見せた。
「なあ、ソワレの話はここらへんにしていいか?
お前らは、神殿で捕まってる奴を助けに来たんだよな。その方法って、ソワレも助かるか? 元の世界に帰れるか?」
アジュはすぐにも話しだそうとしたけど、幹也が手を出してすっと止めた。私は幹也の服をつんつん引っ張る。幹也もうなずいた。
黒い狼ラグルリンガはソワレの『○○鉱脈の従者』だ。
私と幹也は、従者が鉱の姫に対して示す異常な執着を知っている。
ソワレの話が正しいなら、既にラグルは人間の姿のときに一度、ソワレに拒絶されている。そのためラグルは自分を狼の姿に変え、改めてソワレの元に姿を現したのだろう。
そうまでしてソワレのそばにいようとしたラグルが、ソワレが元の世界に帰ろうとするのを素直に見送るだろうか。
私は、鉱の姫の従者は『主人の命令には逆らわない』けれど『主人の意に沿わないことをしない』わけではないと、ナルドを見ていて知っている。
ここは様子を見ながらちょっとずつ、こっそり伝えるのがいいだろう。
私と幹也の様子を見ていて、含むところがあるのをアジュは察してくれた。アジュは注意深くこう答える。
「……少なくとも私の場合に関しては、帰る当てがあります。その手がソワレさんにも使えるかどうかは運次第、というところですが、ひとまず話を聞いてもらえますか?」
この続きは幹也に託してくれた。幹也は一つうなずいて、ソワレに話し始める。私はじっとラグルの様子を観察することにした。
「単刀直入に言うと、ソワレは君のある能力を利用するためにこの世界に呼び出されたんだ。なんとか鉱脈、って言葉を聞かなかった?」
「……百銅鉱脈…ってなんとか言われたような気がするぞ…」
「なるほど。じゃあ君は、銅を生み出す能力があるってことだ」
ソワレは目をまん丸くした。
「ええー! ソワレそんなこと出来ないぞ!」
「出来るようになった、というのが正しいかな。君がこの世界にいる間だけ、君の気持ちにあわせて、君の知らない容器から鉱物を湧き出させるという力だから。ここまではいい?」
「……………たぶん」
「たぶん見たと思うけど、君を呼びだした人間はとても大きな刺墨を入れていたはずだ。これが目印になる。そいつは世界と世界をつなぐパイプの入り口みたいなもので、君が自分の世界に帰れるかどうかは、そいつとの交渉次第ということになる」
「………なるほどなー」
ここは分かったらしい。ソワレはじっと考え込むそぶりを見せた。
ラグルはしっぽをゆったり振りながらソワレをじっと見つめている。獣の表情は読めないけど、少なくとも取り乱している感じではない。
幹也は続けた。
「俺たちは、まあ…平たく言えば、アジュの彼女を取り返しにいこうと思っているところだ。でも、この通りの迷宮だからね。探しあぐねているところ。なにか質問は?」
「いっこ」
ソワレは挙手した。
「お前たちは、入り口が分からなくて困ってるのか? それとも戦力的に強行突破できなくて困ってるのか?」
きた。
私たちはいっせいに息を呑む。ぶっちゃけ、ソワレがこれを言い出すのを待っていたのだ、私たちは。
アジュが、期待しすぎて後でがっかりしすぎないように、でもどうしても期待してしまう、というような、感情を殺しきれない無表情でゆっくりと言った。
「……もちろん、入り口が分からないので、困っています。戦力のことは心配していません。あちらに何らかの不確定要素さえなければ十分勝てる敵です」
なら、とソワレは言った。
私たちが待っている台詞がすぐそこまで出かかっていると分かる、満面の笑みで。
「アジュの女が捕まってるとことは違うかもしんないけど、ソワレが元々いた神殿の入り口なら、ソワレ、ちゃーんと覚えてるぞ」