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Single Attack of Y 6 "愛とは何か、とお前はたずねる。"


 クラージュを何とかしなければ和平は危うい。俺はそう計算していた。

 クラージュは、執務室からほとんど出ないジュノの代わりに駐屯地中を巡り歩き、大小さまざまなもめ事を仲裁しては、兵達の従軍中の苛立ちをなだめていた男だ。

 ただでさえ屍人兵の件で、黒曜軍のサングリアに対する感情は今までにないほど悪いものになっている。

 和平の調印が行われるとすれば、その警護にあたるのもおそらく黒曜軍であるはずだが、和平を結ぼうというそのとき、敵意に満ちた黒曜軍と、サングリアの軍隊『花菱』に取り囲まれながら、クラージュの手助けなしで無理矢理和平を結ぼうとすればどうなるか。

 ジュノが言った通り、和平が空虚な、無意味なものになることは間違いないだろうし、最悪の場合、黒曜軍の誰かがサングリア側の要人の暗殺を企てたり、クーデターでも起こるかもしれない。


 しかし、俺はもともと、誰と誰をくっつけてやろうとか、そういうお節介は粋じゃない。そもそも相手は花奈だ。後先考えずにお膳立てしても、後々もっと面倒なことになる。


 俺が何を悩んでいるのかを感じ取ったのか、クラージュはまだふらふらの顔で付け加えた。

「………清すぎる泉に魚は住めません。僕が花奈さんに触れたら、きっと花奈さんは花奈さんでなくなってしまう。花奈さんをずたずたにしてまで、思いを遂げようとは思いません。少なくとも、今のところは」

「……………」


 確かに、クラージュが言う意味で大切にされている男はいない。花奈の心は幼すぎる。恋愛ごとが出来るような、そんなところまで成長していない。クラージュみたいなやつの彼女をやるなんて、なおさら荷が重いだろう。

 でも花奈は、自分の保身のために困ってる奴を見捨てて逃げたりは絶対にしない奴だ。

 だから、最後にこう言ったのには我慢ができなかった。

「…だから、本当に逃げてください。僕が辛うじて正気であるうちに。和平なんて悠長なことを言っている暇はないかもしれませんよ。僕が本気で狂ったら、多分君たちには止められない」

「……」


 俺はそれを聞くなり椅子から立ち上がって、クラージュのベッドの縁に座る。

「……言いたいことはそれだけか?」

 俺の冷たい視線を浴びながらも、クラージュは何の痛痒も感じていないようだった。その人形めいた顔は青ざめて、ほとんど表情というものが消えている。

「……これでもまだ怯えていただけないようなら、もっと心と言葉を尽くしますけど」

「いや、もういい」


 俺は左手で、横になったままのクラージュの襟首をひっつかんで持ち上げた。右手では拳を作ったが、ぶん殴るのもなんだか変だ。俺はそのまま右手も襟首にやり、おもむろにがっくんがっくん揺さぶった。

「……何が清すぎる泉だ寒ぃんだよ!! 一人でぐるぐるすんなバカ! ちゃんと花奈と話し合え!」

「くっ…よ、うすけ…っ」

 さっきから言いたかったことをひとしきり言ってしまうと、俺は苦しげにせき込みながらも目を丸くしているクラージュを無理矢理引っ張り起こす。

「おまえに言われなくても俺たちは帰るよ。でもそれは、ちゃんと和平を結んでからだ。おまえがそんな状態じゃ、和平は結べないだろ?」

 これだから頭の良いバカは手に負えない。俺は強く力を込めて叫んだ。


「お前が何で悩んでるかは知らん。それはお前と花奈の間での問題だ。でも俺は、お前を見捨てない。花奈もだぞ、花奈もお前を見捨てたわけじゃない。花奈は絶対サングリア側で、ちゃんと和平をやり直せるようにがんばってるはずだ。花奈はすぐ帰ってくる。そしたら、ちゃんと話し合って、仲直りして、いさぎよく玉砕しろ。悩むのはその後だ。本人のいないところでぐちゃぐちゃしててもしょうがないだろ。今はすべきことが他にあるんじゃないのか?」

「でも…」

「なんだよ」

 俺はクラージュを睨んだ。彼は軽く視線をさまよわせている。


「……もう間に合わないのかもしれない。花奈さんは今、サングリア側にいます。花奈さんが無事に帰るとは限らない。いえ、きっと無事では戻れない。僕の悪意はもう僕の手に負えないところで蠢いていて、最後には花奈さんを殺すかもしれない。

 第一、和平のために働くと言っても、花奈さんは一体、何をするつもりなんです? 花奈さんが気持ちのまっすぐな人だということは分かっています。でも、話は二国間の戦争です。ただでさえサングリアは危険な国なのに花奈さんと幹也君の二人きりで働きかけるなんて、はっきり言って無茶だ…。やはり僕さえあんな事をせず、花奈さんを守っていれば、花奈さんはあんな極端な行動をとらずに…くはっ」


 最後まで言わせる前に、俺はもう一回クラージュを揺さぶった。苦しそうにうめいたクラージュの襟を更に締め上げながら凄む。

「良いか、お前が全然聞いてないからもう一回言うぞ。方法は分からん。分からんが、花奈と幹也は絶対、和平が結べるようにサングリアを片づけて、帰ってくる。そのために俺はゲルダガンド側の、お前らみたいなどうしようもない奴らをとっつかまえて更正させて回ってるとこなの。オーケー? お前がしゃんとしないと、和平も出来ないし花奈も俺も幹也も、家に帰れないの。これもオーケー?」

「葉介…」

「花奈を帰らせろって言うばっかじゃ何の解決にもならないだろ。お前がそんなことした理由が『花奈のことが好きだから』だろうと『お前が自己中だから』だろうと関係ない。今直さないといつか絶対また花奈以外の誰かに同じことをする。

 仮に俺たちを帰らせて、それでその後、お前どうするわけ? 花奈程度の人間から逃げたお前が、今まで通りやれると思ってるの? 無理だろ。サングリアとの和平なんか、ただでさえ難しくなってるのに、やれるわけない」

 俺はひたりとクラージュの目を見据えたが、クラージュとはどうしても視線が合わない。俺を見ろと念じながら、俺は更にきつい口調で続けた。

「怒りに身を任せないですむようになれ。俺にとっては花奈も大事な妹だけど、お前も大事な友達だ。見捨てて帰ることは絶対にしないし、精一杯支えてやるから、まずやってみろ。逃げるな」


「………」

 クラージュは目を泳がせる。俺は襟首をつかんだまま……締め上げるというよりはむしろ、クラージュを支えるようにしながら続ける。

「ジュノが言ってた。恨んだり憎んだり、そういうネガティブな感情でぐちゃぐちゃしてる奴がいると、和平は上手くいかないって。

 言い方悪いかもしれないけどさ、やっぱり和平を結んだ後も、サングリアは敵だ。それは変わらない。

 もう戦わないから和平するんじゃない。和平は、戦わないですむようにする、ただの下準備だ。

 だから和平するなら、まずこっち側の憎しみを全部集めて回って、消せないまでもコントロール出来るようにしなきゃいけない。それが出来ないなら、和平なんかしない方が良い。じゃなきゃ、今まで以上に余計な血が流れるだけだ。

 クラージュ、最初はお前もそれが出来るつもりでいたんだろ? サングリア相手に、憎しみと怒りを飲み込んで、信じてやることが。それをどうして花奈にもしてやれないんだ? どうして花奈にだけ逃げ腰になるんだよ」

「………」

 クラージュは目がうつろだ。聞いてるんだか聞いてないんだかも分からないような顔色をしている。こいつを、何とか現実へ引き戻してやらなくちゃならない。言葉に詰まりそうになりながらも、俺は必死だった。

「和平を本当の和平にするためには……敵意を溶解させ、敵対関係を好転させるためには………、クレバーにならなくちゃいけないんだと俺は思う」

 こっちは幹也の受け売りだ。……人の受け売りばっかの自分に軽く嫌気が差さないでもないが、今はそれどころではない。

「目の前の怒りに振り回されんな。賢く立ち回れよ。クラージュはそういうの、めちゃくちゃ得意だったじゃねえか。どうして花奈にだけ出来ないなんて思いこんじゃうんだよ。花奈に対して出来ないことが、サングリアに対しては出来るってどうして言える? サングリアに対してやるつもりだったことを、花奈にもしてやれよ。花奈には出来ないって思いこんでるんなら、それは単に…」

 最後まで言ったら、友達を失うかもしれない。俺は最後の最後で怖じ気付き、口ごもった。


 花奈にだけ手加減してやれないって言うならそれは、単なる妄執だ。花奈が好きなんでもなく、クラージュが自己中心的な奴だっていうんでもなく……。

 もしそうなら、俺に出来ることはない。クラージュの言うとおり、和平も放り出し、花奈を抱えて、幹也と日本へ逃げ帰るしかない。日本へ続く道を守る門番という孤独な役目をジュノに託して、ナルドを置き去りにして。

 ジュノは狂ったクラージュを止められるだろうか。多分全精力を傾けなきゃいけなくなるだろう。もしかしたら、殺すしかなくなるかもしれない。クラージュは、シュツルクに血を流せば、あわてて花奈が戻ってくるかもしれないから、とはっきり言葉にしている。


 話し終わっても、クラージュとはとうとう視線が合わなかった。クラージュの襟首をつかむ手からも、力が抜けていく。

 クラージュの首をゆっくりとベッドに戻し、俺もその目の前でうなだれた。どんなに言葉を尽くしても、クラージュの心には届かないんだろうか。俺ではやっぱり、役者が不足なのか?

 無力感で死にそうになりながら、俺は、最後に絞り出すようにこうつぶやいた。


「……頼むよ。逃げないでやってくれ。幹也はともかく、花奈はお前のことも助けてやろうと思ってサングリアに行ったんだぞ。お前達ゲルダガンドの人間が、もう戦わなくてすむように。これじゃあまりにも、花奈が報われない」



 しばらく俺たちは黙って、微動だにしなかった。動けなかったという方が正しいのかもしれない。俺は息を殺してクラージュの様子を窺い、クラージュもまた、自分が今何を考えているのか、耳を澄ませて感じ取ろうとしているようだった。

 やがてクラージュは、静かに俺の方を見た。まだ目を見る勇気はないようで、俺のつむじのあたりに視線がある。


「………瞋恚の焔を抑え込むには、どうしたらいいんでしょう」

「…そういうことは坊さんにでも聞け」

 やっと前向きになってきたらしいクラージュだったが、まず俺はすっぱり切って捨てた。そこまでのカウンセリングは俺には難しい。

「でも花奈に関しては、全面的に俺がフォローしてやる。

 花奈を傷つけるのが心配なら、俺が四六時中横に張り付いて見張っててやる。お前が何かマズいことをやりかけたら全力で止めてやるし、止めて駄目ならそのときは、必ず世界の果てまで逃げてやる。

 だからもううじうじするな。そんなことよりこれからどうしたら、この前みたいな気分にならないですむのか考えろ。じゃないとそれこそ花奈と幹也がサングリアから帰って来らんないだろ」


 ……と、ここまで言ったところで、俺はふと不安になった。

「………一応聞いとくけど…両思いになりたいんじゃないんだよな?」

 クラージュは薄ら笑いらしきものを浮かべる。

「……とてもじゃないですけど、そんなの無理です。花奈さんを見ていると、つらい。自分があまりにも救えない、まともでないと思い知らされます」

 またこれだ。いい加減うんざりしてきた俺は、あからさまに顔をしかめて言った。

「お前がまともじゃねーのくらい自分でも分かってたんじゃねえのかよ」

「ああ、そういえばそうでした」

 クラージュは皮肉っぽく口元をひきつらせた。しかしさっきまでよりは断然、まともな笑みに見える。

「僕はまともじゃない。意地悪で、気まぐれで、子供っぽくて、感情を制御することもできなくて、もう何人もこの手で殺しているのに気の毒なその人たちを夢に見ることもないし、好きな女の子まで傷つける悪人で……」

 自虐的なことを言い連ねていくうちに、クラージュの顔がくしゃっとなる。

「僕は……」

 それきり、何かをいいかけたままクラージュは黙りこくった。この上何を言うつもりなのだろう。辛抱強く待つべきか、こっちから何か働きかけてやるべきか迷っていると、クラージュはぽつりとつぶやいた。

「葉介、僕は、善人になりたい」


 その台詞は、シンプルで、あまりにも真に迫った、切実な響きを帯びていた。なによりも、あのクラージュが助けを求めているのだ。あの、人を助けたり手玉に取ったりし続けたせいで、自分自身が誰かに頼ることが出来なくなっていたクラージュが。

「……いいよ、クラージュ。俺がお前を善人にしてやる。どこに出しても恥ずかしいくらいの、桁の違う善人にな」


 俺が出来る限り柔らかく、冗談めかして請け負うと、とうとうクラージュは、手のひらで目元を覆い隠してしまった。

 指の間から一滴、水が漏れる。

「……僕は、花奈さんが好きかもしれないと、思っていても良いでしょうか?」

「……せいぜい上手に失恋しろよな」

 慰めの言葉も浮かばなかったが、俺はもうしばらくの間だけ、こいつの側にいてやることにした。あの襲撃の日以来、一番心細い思いをしていたのはこいつであったに違いないんだから。


愛とは何か、とお前はたずねる。たちこめる霧に包まれたひとつの星だ。『新詩集』ハイネ

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