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Single Attack of Y 5 "嫉妬は堅くして陰府にひとし"

 俺はタランテラと別れ、一人でクラージュのテントへ戻った。

 クラージュのテントは、雑多な物で満ちている。金の靴、銀の鎖、銅の剣、青い水を満たしたガラスの杯、その他の呪物が机の上にごろごろと無造作に置かれたままになっている。杯の水面には埃がうっすらと浮かんでいた。

 クラージュはジュノが駐屯地中をうろつき回って仕事していたのは、ジュノの代わりとして駐屯地を見回っていたのだと思っていたけど、どうも、理由はそればかりではないかもしれない。この机じゃあ、座って仕事をする気にならないのも当然だ。


 天井からはランプがいくつもつり下げられている。ランプの上には笊が乗せてあり、その笊では錆び付いた魔具が黒色の粉末に埋め込まれて炙られていた。

 一抱えもある大きな宝石箱の蓋は開け放したままにされ、錆びて黒ずんだ宝飾品が山積みにされていた。これも、今焼かれている魔具の錆が取れたら、ランプの火で手入れされるのだろう。

 入り口そばには透明の正座早見盤によく似た計算尺が立てかけられている。さすがにこれだけは手に取りやすいところに置いてあるらしい。

 俺はその計算尺を蹴っとばさないように気をつけながら、そろりそろりとテントの中へ歩みを進めた。青ざめた表情のクラージュはシャツだけ身につけ終わっていて、ぐったりとベッドにその体を横たえていた。上着は椅子の背に二つ折りにひっかけられている。

「………具合悪そうだな」


 もっと何か、気の利いたことが言えたら良かったんだが、あいにく俺にはこれが精一杯だった。クラージュは薄目を開けて俺を見た。クラージュの片手は自分の腹の、ちょうど怪我したあたりに乗せられている。

「いえ、体調は悪くないんです。ただちょっと……」

「ちょっと?」

「……いえ」

 クラージュは俺から顔を背けてそれきり黙った。俺は、椅子に引っかけられていた上着を散らかった机の上に放り出すと、空いた椅子に腰掛ける。

 嗚咽の一つも漏らしていないが、自分が弱っていると告白するのは、クラージュには疲労の大きいことらしい。

「言えよ。聞くから」

 俺は長期戦を覚悟しつつ、クラージュを促した。



 タランテラからはこう聞いた。

 咥内の発電装置は自殺用。だが、どうしても他人に使いたいと言うなら、方法はある。

 奥歯を噛みしめた状態で唾液と相手の体液を触れ合わせ、直接通電させれば良いのだ。


 花奈の人魚の呪がクラージュの口の中の発電装置を使ったものなら、つまり、そういうことになる。



 俺は握っていた手のひらを少し開いて、隠し持っていた鉛の箱をテーブルの隅に置く。ごとんと小さな見た目に反した重い音がした。

 その音が呼び水になったのか、クラージュはゆっくりと口を話し出す。顔は背けたままだ。

「………タランテラから…なにか、聞きましたか…?」

「ほとんど何も。発電装置の使い方を聞いただけだ」

 俺は鉛の箱を爪で叩く。

「この発電装置で花奈を助けてくれたってほんと?」


 まさかキスなんかで『人魚の呪』をかけていたとは思わなかったが、花奈が『詫びを入れろ』と言った理由はこれで解決だ。俺の方に不満がないことには変わりない。たかがキスだ。知ったのが幹也だったならどうなっていたか分からないが、そこらへん、幹也と違って俺はドライだ。その程度のことで花奈の身の安全が守られたんなら安いもの。ちゃんと説明すれば、花奈も納得するだろう。

 クラージュは俺の問いには答えなかった。代わりに聞き返す。

「ねえ、葉介、さっきの話ですけど……花奈さんがお礼を言っていたなんて、嘘でしょう…?」

 俺は一瞬、言葉に詰まらざるを得なかった。……嘘ではない。本当でもないが。本当でもない関係上、仕方なく俺は言った。

「……助かったって言ってたよ。……多少、むっとはしてたみたいだけど。でもお前、花奈のことを助けるつもりでやってくれたんだろ?」

「……それどころか……」

「…それどころか?」

 俺は眉をひそめる。随分な言葉だ。こいつは一体何を言おうとしているんだ? クラージュは寝返りを打ってこちらを向く。

 次の瞬間にクラージュの口から出たのは、場違いなほど不穏当なせりふだった。


「助けるどころか。ねえ葉介、その発電装置、花奈さんをずたずたにしてやろうと思って使ったんですよ」




 クラージュは強く息を吐いた。勢いをつけるようにそうした後、堰を切ったように話し出す。

「……ねえ葉介、僕があのとき、何を考えたか分からないでしょう。

 既にサングリアの工作兵がエリア3まで乗り込んできていて、君とナルドは行方不明。花奈さんも含めて居残りの兵はほとんど重力魔法に頭をやられていて、敵が来たことすらも気付けなくなっていました。

 やっと追いついた花奈さんはよりによって銅鍋の中なんて、わけの分からないところに隠れてる。あれじゃ逃げ場がないどころか、外から軽く50Vも流されたら一巻の終わりじゃありませんか。

 その後も、せっかく庇っていた花奈さんが無思慮にも、相手の口車に乗って敵軍へ乗り込んでいくって言うんです。紅玉鉱脈であるという誤解を解かずにですよ。自分は動けなくて、使える魔具も底をついている。僕に取れる手は限られていた」


「…そりゃそうだ。身動きとれない状況でよく花奈をかばってくれたと思うよ」

 俺は認めた。クラージュの言うとおりだ。むしろ、味方なし、打つ手なし、足手まといは自覚なしという敗北要素しかない状況で、よく花奈の最低ラインを防衛する方法を考え出してくれたと思う。口の中の発電装置は奥の手中の奥の手で、これを使った後、完全に無防備になった自分の身に何が起こるかも分からなかったというのにだ。実際、クラージュが剣で刺されたのは花奈と別れた後、発電装置が使えなくなった後のことだ。

「……かばったなんて、そんなんじゃないんです」

 しかし、クラージュは皮肉げに唇をゆがめた。そして、心臓の上あたりを、手のひらで覆うようにする。


「『人魚の呪』がどれほどのものでしょう。あの時花奈さんを行かせた時点で、それはもう見捨てたも同然なんです。僕と別れた後、乱暴されるかもしれないと、気づいていたんですから。

 ねえ葉介、分かりますか? 目の前の女性が、ひどく踏みにじられることを予感しながら、ろくな打つ手もないときの人間が、一体何を感じるか。

 多分、絶望感とか、焦燥感とか、悲嘆とか、無力感とか、そういう感情なんじゃないかな。少なくとも僕の理性は、そういう感情が沸き上がってしかるべきものだと、そう言っています。

 でも僕が感じたのは、怒りだった。それだけだった。怒りの火炎が僕の胸を舐め上げていて、それをコントロールしようとも思わなかった。それとも、思えなかったというのが正しいのでしょうか。


 葉介。僕はね、こう思ったのです。『裏切らせない』と。

 ……足を固くよじり合わせ、声も堅く封じていれば、花奈さんが僕を裏切ることはない。そうやって最低限、僕だけは傷つかないように細工しました。花奈さんはサングリアで怖い目に遭えば良い気味だし、しばらくしてから助けに行ってやれば、花奈さんは十分後悔して、もう僕の意に添わないことはしないだろうと思った。

 ほんの一瞬前までいじらしく僕を守ろうとしていた彼女が、葉介、君という他の男のために、他の男のところへ行くのが許せなかった。こっちの気も知らないで、無邪気に、無防備に、賢しらに、拙い計算なんか働かせて、僕から離れるのが我慢ならなかった。

 嫉妬とも独占欲とすらも呼びがたい、僕のおこがましい妄執が、花奈さんを守るという使命を放棄させました」




 情けないことだが、俺は絶句していた。

 人間の深淵というか、制御できない天変地異みたいな感情を初めて見せつけられたせいももちろんあるが、その凶器めいた理不尽な怒りが自分の妹へ向けられていたことに戦慄していたのだ。


 俺の戸惑いを感じ取ったらしく、クラージュはますます露悪的で自虐的な、笑みめいたものを顔に浮かべる。

「何か言い交わしたわけでもないのに、花奈さんが他の男と去ると思っただけで、僕の心は荒れ狂いました。

 僕自身が花奈さんを裏切ったことなど数知れないのに、花奈さんが僕の意に沿わない選択をしただけで、僕は、花奈さんをずたずたに引き裂いてやろうとしたのです。

 …あのとき、花奈さんを守ろうとか助けようとか、そういう人間らしいことはちらとも考えなかった。心を灼く火炎に身を任せて、僕は僕のことだけに躍起になって、花奈さんを見捨てました。

 剣も自分から刺されてやったんです。僕の体の金属部分に強く差し込めば、なまじな力では抜けません。怪我さえしていれば、花奈さんをみすみすさらわれたことも、助けに行かないことも、言い訳が立つと思ったから。僕は本当に、二三日は花奈さんを怖い目に遭わせておこうと思っていたんですよ。

 状況はすべて僕の味方でした。花奈さんのために、人魚の呪をかけた。あの長剣を触媒にして魔法らしきものを使っているアジュの武装解除をするために、敢えて刺された。みんなそう思っている。誰も僕の凶暴性に気づいていない。花奈さんさえ、僕の善意をちらとも疑っていないんです。

 …花奈さんのそばにいると、気が変になりそうなんです。いえ、もう狂ってるのかも。なのに誰も僕という異常者の犯罪に気付かない。…このまま花奈さんの顔なんか見られるわけ、ないじゃありませんか。もしかしたら今度は、取り返しのつかないことをするかもしれないのに」



 クラージュはとうとう話し終わって、それ以上話さなかった。俺は、何から言葉にすればいいか、なかなか思い当たらなかったが、沈黙はクラージュを孤独にするだけだ。

 自分が選べる手段の少なさに、ほとんど舌打ちが出かかる。それを俺はこらえた。

「……おいクラージュ、お前さ、まさかとは思うけど……」

「いいえ、大丈夫、ありがとう。今のところはまだ正気のようです。花奈さんを傷つけてはいけないという理性が戻ってきています。平気です、大丈夫。ずっとは保証できないけど」

「いや、そうじゃなくて」

 俺はかぶりを振った。違う、俺が聞きたいのはそこじゃない。クラージュは確かに正気だ。気違いは自分を、誰よりもまともだと思ってるものだから。そうじゃなくて、だから……。


「………お前……花奈が好きなの?」

 俺の口から、言葉がぽろっとこぼれでた。

 まさか。そんなそぶりは全く見せていなかった。俺の知らないところでは二人でたまにじゃれあっている、というようなことはミュゼから聞いてはいたが、それだって恋愛沙汰に発展するような、色っぽいものじゃなかったはずだ。

 クラージュもわずかにかぶりを振った。

「…どうかな…。僕には、それすら茫としてはっきりさせることができないのです。好きになる理由もないし、好きかも、とすらあの時まで思わなかった。ころころとおもしろいように踊らされてくれるから、好ましいとは思ってましたけど」


 クラージュはふうっと息を吐いた。それだけで、クラージュの体が一回り小さく縮んだように見えた。クラージュは弱っている。それも、俺が今まで見たことがないくらいに。

「…でも、好きでないならいいな、と思います。

 僕が花奈さんが好きで、嫉妬のあまり花奈さんを危険な目に遭わせたのだとしたら、それはつまりこれからも、花奈さんを、花奈さんだけを、手段を問わずに傷つけるかもしれないということになるでしょう?

 僕が単なる自己中心的な発想の男で、ただ意に添わない選択をした人間を排除しようとしただけなら、僕が唾棄すべき男であるというだけです。僕が花奈さんとは二度と会わないようにすれば、花奈さんを傷つけずにすみます。……あれ、どちらにしてもこれじゃ、まるで告白ですね」

 クラージュは苦笑いした。


「……ああ、そのことに早く気付けばよかったな。そうすれば、花奈さんを傷つける前に理性が戻ったかもしれないのに。

 葉介、お願いだから、早く花奈さんたちをサングリアから連れ戻してください。そして、日本へ帰って。もう二度と、僕の手の届かないところへ。

 また僕が、花奈さんが僕を裏切っただなんて、被害妄想を抱く前に。君が日本へ戻る条件の、和平さえ駄目になれば、花奈さんも君と一緒に僕の元へ戻るだろうなんて、狂気を現実にしようとする前に」



 ……クラージュは、グラナアーデと日本の間で自由に行き来ができるように、うまい方法を探しているところだということを知らないらしい。

 それとも、和平を取り結んで俺たちが日本へ帰ったら、そのまま永久に会えない、もしくは会わないと考えていて、それでもクラージュは俺たちに帰れと言っているんだろうか。

 こんな、気が変になりかかってまで。

 びっくりした次にはだんだん腹が立ってきて、俺はため息をかみ殺した。



其の愛は強くして死のごとく 嫉妬は堅くして陰府にひとし(ソロモンの雅歌八章六節

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