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Single Attack of Y 3"to be or not to be"

 あの書き置きを信じるなら、花奈と幹也は一度破り去られた和平の条約文書を接ぎ合わせに行ったのだ。

 それも、セロハンテープで貼ってそれでおしまい、というわけにはいかない。

 いま糊を必要としているのは、一度きっぱりと離れてしまった人の心だ。

 ゲルダガンドとサングリア、どちらの国にも縁のない二人が、和平を改めて取り結ぼうというのだ。花奈お得意の、愛と勇気と時の運で和平が締結されるなら世話はない。



 正直言って、花奈と幹也がいったいどうやってサングリア側のごたごたを片づけるつもりなのかは全く見当もつかないが、何にせよ俺はここからは動けない。俺に出来ることをするだけだ。





 俺に出来ること、その1。ジュノとの交渉である。

 正直言って、気が重い。なぜか。約束を果たしていないからだ。

 言っておくが、ジュノ本人とではない。和平を結ばせ、外貨を稼ぐためのルビーの特需に終わりを告げさせる。それまでは、ゲルダガンドの人々のために、おとなしくルビーを生み出し、平和のために尽力するとの、死んだ人間との約束だ。



 ナルドと手をつないだ俺がジュノの執務用テントへ滑り込んだとき、ジュノは相変わらず机に向かって何か書き物をしていた。

 クラージュの魔法のペンが5本もジュノの周囲を踊り狂い、同時に何通もの手紙だか書類だかをしたためている。


 俺は、言うならジュノの気がそれている今のうちだ、と思い、挨拶もないまま単刀直入に宣言した。

「………俺、帰るから」

 しかしジュノの返した言葉は、俺以上に端的だった。

「そうか。いつだ?」

 …いつかは俺も分からない。幹也と花奈の都合次第だ。現時点で言えることは、これだけ。

「……………近いうち」

「和平はどうする?」

 聞きはしても、ジュノは何事もなかったかのように、羽ペンの指揮を進めている。俺に、何も求めていないようだった。

 俺は奥歯を噛みしめた。ここからが俺の戦いと言ってもいい。泥臭いまねをするのは、多分花奈にも幹也にも出来ない。


 和平成るまでは、俺は帰らない。だからなんとしてでも成らせる。俺は両手を机について、天板に頭突きするほど勢いよく頭を下げた。

「和平のことは、サングリアで花奈と幹也が何とかする。だから、ジュノもこっちで根回しを頼む」

「……」

 ジュノは俺の頭のてっぺんを見つめているようだった。

「和平を結ばせるのは、お前ではなかったか?」

「俺じゃ無理だった」

 俺は短く答えた。俺では無理だが、花奈と幹也なら何とかするだろう。そう感じた末での申し出だった。

 自分が無力だと認めることほど、辛いことはない。



 花奈は多分知らないだろう。幹也はもしかしたら誰かに聞き込んだかもしれない。

 ありがちな話だから、詳しくは語らない。

 家族から引き離されて荒れる俺を辛抱強くなだめ、人並みに戻してくれた優しい戦災孤児の密かな死の話は。


 戦争で人が死ぬのは当たり前のことだ。その人の死を悼み悲しむ人間がいることも。

 死んだのがあいつで、泣いてるのが俺だということでしかない。


 あいつはゴーグルとグローブを与え、翼竜にまたがる楽しみを一生懸命に教えてくれた。

 抱卵をやめてしまった、ステイルという名の親竜の代わりに大切に温めていた卵を、俺にだけ預けてくれもした。

 多分あいつの死は記憶と歴史の砂に埋もれていく、とるにたらない出来事でしかないのだろう。

 『俺のために、戦争を終わらせてくれ』と。あいつの死をきっかけに俺が立ち、俺が戦争が終わらせるなら、あいつの死は意味あるものになる。

 和平は、あいつの望みだったのだ。


 俺はいいわけがましく言葉を選びながら俯いた。

「俺も、本当は、和平結びたかったよ。あいつとの約束だったからな。

 でもやっぱ、俺じゃ駄目だった。直接屍人兵を見た俺じゃ、もう無理だ。恨みが募って、憎むことしかできない。このままじゃ、和平は結べない。花奈と幹也に任せたい。

 花奈と幹也なら絶対なんとかすると思うから、悪いけど、俺じゃなくて二人を信じて」

「葉介」


 くどくど言い連ねかけた俺をさえぎるように、ジュノは短く俺の名を呼ぶ。

 椅子にかけたまま手を伸ばしたジュノが、俺の額に指を当て、下げた俺の頭を上げさせる。

 出会った頃……半年前には剣だこでごわついていたジュノの指だが、今は薄らぎ、代わりに染み着いたインクで汚れている。

 ジュノの手は、この半年の間で急速に戦うための手ではなくなってきていた。


 ジュノは、慣れないうちは相手を萎縮させるだけの、いつもの冷ややかなまなざしで俺を見つめる。

「お前に頼みがある」

「…………なに」


 いつもジュノは決めたことを命令するだけだった。頼みがあるなんて言い方はしない。

 言われたのは、予想外のことだった。

「黒曜軍の士気は落ち、不安要素が多い。このままではサングリアがどうでも和平は成らない。サングリアで花奈と幹也が動くなら、お前はここで和平が成るよう皆に説いて回れ」

「…………」


 和平が成るまでは帰らない。

 和平が行われるなら、ルビーが溜まり次第すぐにでも帰る。

 俺はそのつもりでこの半年間、耐えていたつもりだった。


「今までよく耐えた。こうとなったら成らせて見せろ。

 人には自分が代わりに憎むからお前は恨むなと言え。

 そうして、自分の憎しみも、他人の恨みも、心の内に吸い取って石に変えてしまえ。お前はそれを許された、世界でも希有な存在だ。

 花奈も幹也もお前ほど辛抱強くはないと見える。お前は艱難辛苦を呑み込める男だから、紅玉鉱脈にも選り出されたのではなかったか。

 花奈も幹也もいない今、やがては異界に去り、憎しみも悲しみも持ち去れるお前がゲルダガンドの正面に立つほかないと俺は信じる」


 ジュノはいつになく饒舌になっていた。言葉は力強く頼もしかったが、こういうときのジュノはただ、相手が自分の言葉に同調するか、それとも反発するか、様子をうかがっているのに過ぎないのだ。

 それを知っていたから、俺は拗ねたことを言う。

「俺じゃなくてもジュノかクラージュで十分だろ」

「俺では成らん」

 だがジュノは短く答えた。

「人の恨みを買いすぎた。俺の力では、国を動かすことは出来ようが、人の心は動かない。クラージュでも成らん。というより、成らせてはならん。クラージュは心が冷えている。クラージュの結ぶ和平では、いつか忘れ去られる口約束にしかならない」

 ここでジュノは息を継ぐ。


「サングリアでは花奈と幹也が力を尽くすと請けあうなら、俺はここに残ったお前に期待をかけよう」

「……………」


 俺はジュノに背を向け、テントを出かかった。

 花奈と幹也のことにふれられると、俺は弱い。……と言うのは逃げだろうか。とにかく、なかなか訴えかけてくるところのある演説だった。

「……とりあえずクラージュの様子見てくる」

「ああ」

 ジュノの表情は確認出来なかった。あまりにも気恥ずかしい。

「……ステイルの卵はとりあえずミュゼとベルに預ける。もういい加減、孵化してもいい頃のはずだ。ナルドのことは、悪いけどちょっと考えさせてくれ。二人で相談して決める」

「お前に任せよう」

「……………」

 俺はちらっとだけジュノを振り返る。ジュノはいったん止めていた五本の羽ペンの指揮を再開し、もはや俺には目もくれていなかった。

 ジュノって、前からこういう奴だっただろうか。お前に任せるとか、頼むとか、そういう委ねるようなことが出来るような男だったか?

 それとも、剣を振るうのからペンを滑らすのに仕事を切り替えたら、嫌でも人に頼ることが身についてしまったのか。


 しかしジュノの変化について考えていても仕方ない。俺がジュノの彼女かなんかだったなら話は別かもしれないが。


 そうしていよいよ、俺と、俺と手をつないだナルドがテントを出かかったとき、ジュノは突然引き留めた。


「ナルドリンガ、お前は残れ」

「………………」

 ナルドは俺とつないだ手を離さないままほほえんでいる。まったく聞く耳持っていない。相変わらず、いつまでたっても、直せと言ってもどうも直らない、ナルドの悪癖だ。

 俺はため息混じりにナルドを促した。

「………ナルド。なんかジュノが用があるんだってよ」

「………はい、葉介」

 ナルドは無念そうに、しかし素直にうなずいた。

 羽ペンの指揮をやめないジュノの様子を見るに、きっと大した用件ではないのだろう。

「じゃあ、先行くわ」

 俺がナルドと離した片手を肩の位置まで軽くあげると、ジュノは一つうなずいた。ナルドは深々と頭を下げる。ジュノは最後に、一言言いおいた。


「なかなか退屈しない半年間だった」


「……まだしばらくは残るけど。……ジュノ、お大事にな」

 俺はジュノのテントを出た。








 葉介が出ていくと、ジュノは五本の羽ペンを文箱におさめ、ナルドに向かって、執務机を挟んで置かれた小さな椅子を視線で指した。

「座れ」

「はい」

 ナルドは座った。腰掛けるとナルドの小さな体は、うずたかく積み上げられた書類に埋もれてジュノとは顎より上しか見えなくなる。

 ナルドはテントのそばから葉介の気配が完全に消えたと感じるや、うつむきがちに口を開いた。


「ジュノ様、お願いがあります。私も葉介と日本へ行きたいのです。それにはどうしたらよいか、教えてくださいませ。それでなければ、あちらとこちら、自由に行き来できるようにしていただきたいのです。

 そのために必要なものがあるならば、なんなりとおっしゃってください。強力な重力魔法の使い手が必要なら、サングリアからさらって参ります。財が必要なら、いかようにも工面いたします。人の生き血が必要なら」

「ナルドリンガ」

「……………」

 ナルドは黙った。



 ジュノは眉間に濃い皺を寄せて、強く力をこめて目を閉じた。

 男としては脂の乗り切った頃だが、さすがに体力的には衰えが見られ始めている。ほんの半年ほど前まではほとんど三日も不眠不休ですんだが、今は一日少しでも目を閉じないと、頭痛がとれなくなっている。

「男体化したな」

「はい」

 ジュノが眉頭をおさえたまま短く問うと、ナルドも短い言葉ではっきりと認めた。

「葉介とは結ばれないからか」

「はい」



 『ナルドリンガ』はそっくりそのまま、『紅玉鉱脈の九十八番目の従者』を意味する言葉だ。ナルドリンガは、紅玉鉱脈の九十七番目の従者………ナルドリンナを父に生まれた。

 いつかはナルドリンガも、ナルドリンドを…紅玉鉱脈の九十九番目の従者を、産むか作るかしなくてはならなくなる。次代の鉱の姫のために、どうしても必要な作業だ。


 鉱の姫の従者は、自らの鉱の姫をしか愛せない。

 鉱の姫は、処女を失えない。

 鉱の姫の従者は、次代の鉱の姫のため、次代の従者を産み出す本能的義務がある。次代のとはいえ、愛した姫と同じ種類の鉱の姫だ。その姫を孤独にすることは、紅玉鉱脈の従者に限らず、すべての従者がおそれることだ。


 矛盾。



 葉介と元々のナルドのような例外もあるにはあるが、本来鉱の姫は女で、対の従者は男である。従者はそも、性別などあってなきがごとき生き物だ。異界に喚び出されてよるべなく心細い鉱の姫を包み込めるよう、鉱の姫と対になる性別へ次第に分化する。

 当初ナルドも葉介にあわせて様子を見ながら、女の姿をとっていった。しかし葉介はナルドに女性を求めなかったから、ナルドは男になることを決めた。それだけにすぎない。


 花奈は、ナルドが男になることを、ずいぶん心配していたようだが。

 そのことを思うと、ナルドの心がほんの少し和む。自らの主以外は塵か芥かのようにしか思えない従者にとって、これは驚異的なことだ。


 男と違って女では、妊娠しなくてはならない。数十年の後、死した葉介のそばによりそいながら、他の男に身を委ね、次代の従者を十月十日腹で育み、産み落とすことは、おそらくきっと、辛いことだろうと思われた。

 射精の他することのない男の方が、まだきっと楽だろう。従者たちが好んで男の姿をとるのも、その理由も含まれていたのではと、今のナルドは思う。もちろん、対となる鉱の姫にかたちよく寄り添うためもあるだろうが。


「ナルドリンドは、花奈ちゃんに産んでもらおうと思っています」

「……………」

 ジュノはまた、頭痛をこらえるそぶりを見せた。

「……………花奈には言ったか」

「いいえ、まだ。次会ったとき、お願いします」



 ナルドは、よい方法を見つけたと思っている。

 ナルドの父親は、愛する鉱の姫を裏切ることに耐えきれなかった。74の齢を数えた、先代の紅玉鉱脈が処女のまま死んだのを見届けた後、同じく歳を重ねた父親が、たった一度だけ牝馬とつながり産ませた子がナルドリンガだ。父は牝馬が妊娠の兆候を見せるのすら待たず、愛しい紅玉鉱脈の後を追って自ら死を選んだという。


 ナルドリンガも、そのはずだった。愛しい主が生を全うするまで髪一本にいたるまですべてを捧げ、主が命終えた後は次代の従者の種を蒔き、後を追って死ぬという、父と同じ運命をたどるはずだった。

 ほんの数週間前、葉介の姉だか妹だか、花奈が異世界からやってくるまでは。


 ナルドはわずかにほほえんだ。まだあまり発達していない、小指ほどのペニスが、今ナルドの足の間に生えている。

 これがナルドにとって、一番辛くない選択だったのだ。ナルドはこうつぶやいて、締めくくった。

「葉介の妹の子供なら……花奈ちゃんの子供なら、私にも愛せると思うのです」



 ジュノはしばらく黙りこくっていて、何の返事もしなかった。


「………好きなように通えるようには、おそらく出来る。が、日本の方から『はしご』をかけさせ、固定する必要がある。そのあたりは幹也と協議した。まずは幹也の戻るのを待て。

 そして、お前が日本へ行けるかどうかだが………」





To be or not to be, that is the question. (ハムレット シェイクスピア)

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