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Single Attack of Y 1"体の一部がなくなっても"

しばらく葉介のターンです

 朝だ。あの事件から二日経った今も、ナルドは相変わらず竜の翼姿のまま、狭いテントに身を縮め、俺の腹にその広い額と狭い頬を寄せて眠っている。


 俺の貧相な審美眼を通して見ても、ナルドはきれいな竜になった。まだ子供の竜だが、小粒の鱗は一枚一枚つやつやと光り、なめされたようにしなやかだ。背筋にはつんととがった小さな角が一列に並び、鼻筋はすっと通っていて、こめかみには立派な二本の白い角がぐねりと曲がって頬へ垂れ落ちているが、このうち右の角は一昨日、地面に衝突した時に折れてしまったらしい。


 このきれいな竜は、元は人だった。俺のそばに付き従っていた、女の子だった。

 俺がそう言っても、たぶん誰も信じないだろう。人間から竜の姿に変わったナルドが俺の眠っている間にまた苦しむんじゃないかと思うと、ほとんど一睡もできなかった。


 背骨が歪んで引き延ばされた時、きっとどこか神経を傷つけただろう。竜の小さな頭蓋骨に押し込められた脳味噌に、何の影響もないとは思えない。真珠のようだった歯を食い破って突き出た牙は、口の中に血溜まりを作ったかもしれない。あんなにしっとりとなめらかだった手の甲が、逆撫でるとぱりぱり鱗に引っかかるようになって、辛くないわけがない。



 なぜだ。何故、ナルドがこんな目に遭わなければならなかった。


 俺の怒りに反応してか、ナルドの瞼がわずかに震えた。俺は慌ててナルドの鱗を撫でてやる。翼竜は、一枚だけ逆さまについている喉元の鱗を、真に信頼する者にしか撫でさせない。

「あ…悪い。寝てていいぞ、ナルド」

 ありがとうございます、葉介。と、ナルドはつぶやくと、また元通り緩やかな寝息を立て始める。俺はほっと息をついた。


 何故ナルドがこんな目に遭わなければならなかったか。

 簡単だ。俺が、利用価値の高い弱者だったからだ。俺のせいだ。


 困っているらしいからと人の力になりたいなんて甘ったれたことを思い、家族を悲しませ、あげくには一昨日の事件だ。花奈を危険な目に遭わせ、ナルドもこの姿だ。俺はその間どうしていたか。眠り薬をかっ食らって熟睡していたのだ。花奈とナルドが食べきれない分を受け持ってやっただけ、なんて、上っ面だけの善意が、守ってやらなきゃいけなかった二人を傷つけた。


 もっと警戒すべきだった。もっと意志を強くもつべきだった。もっと人の気持ちを思いやり、もっと人の悪意に敏感になるべきだった。幹也は俺を一言も責めないが、言いたいことはきっと山ほどあるに違いない。



「コンコーン、葉介?」

 そんな風に思ってばかりいたからというわけじゃないはずだが、そのとき突然、花奈の声がこのテントよりも一つ手前のテントから聞こえてきた。テントの柔らかい布の壁じゃノック出来ないから、口でコンコンと言っているらしい。

「花奈か?」


 俺が返事すると、花奈はドア代わりの垂れ幕を跳ねのけてテントに入ってくる。幹也も後に続いてきて、花奈の隣に立った。

「どう、ナルド、寝てる?」

 ノックのときよりも少し声を抑え気味にして、花奈は首を傾げた。

「今は、熱も下がってる。そろそろ起きるかもしれないけど、もうしばらく寝かしときたい」

「そっか」


 花奈は痛ましそうに顔をゆがめた。

 ナルドが変身したところは、花奈だけが目撃している。相当痛そうだったけど、ナルドがんばってたよ、としか花奈は言っていないが、いつもうすらぼんやりとしている花奈が相当痛そうだった、とまで言っているのだ。ナルドが受けた痛みは、想像を絶する。しかし、ナルドはそのとき、悲鳴もあげなかったのだろう。ナルドはそういう奴だ。



 重苦しくなった空気を振り払うように声を出したのは、やはりというか、花奈だった。花奈は、えへっ、とぎこちない笑いを浮かべながら、拝む形に合わせた両手をくねらせる。

「あのねえ葉介、実はそのぉ、原付をですねぇ、貸してほしーなー、って思ってですねー」

 俺はすげなく言った。

「語尾を伸ばすな」

 花奈は素直に改める。

「葉介様原付貸してくださいっ」

「鍵は俺の机にあるから勝手に持ってけ」

 何か含みがある様子だが、深く追求するつもりにはなれない。

 花奈一人で原付に乗るだとか言い出したんなら、絶対に鍵は貸さないが、花奈の隣には幹也がいる。たぶん二ケツして駐屯地を巡って遊ぶのだろう。


「ありがとー」

 眠っているナルドに遠慮してか、花奈は目的を果たすとさっさとテントを出ていこうとした。が、それを幹也が引き留める。背を向けた花奈の手を握って、幹也は口を開いた。

「葉介に言っときたいことがあるんだけど」

「………なに?」

 とうとうなじられるのだろうか。家族から離れ、花奈を巻き込んだことを。

 しかし、身構えた俺に降り懸かった言葉は、予想だにしないものだった。


「『体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましである』。俺はそういうつもりでここ三日くらい色々がんばっている」

「………は?」

 いったい何を言わんとしているのか量りかね、首を傾げる俺をよそに、花奈がわくわくしたような声音で口を挟んだ。

「そういえばハンターハンターのさ、幻影旅団がそんな感じのノリだよね。そういえばハンターハンターはいつ連載再開するの?」

「花奈の脳味噌ってさ、どうしていつもそうなの? なんでそういえばをワンセンテンスごとに使うことができるの?」


 そのままどんどん話は右へ左へ逸れていく。あっけに取られている俺のことなどおかまいなしにだ。

 そのうち幹也は花奈の相手をまともにするのを諦めて、俺の方に再度向き直った。

「そういうことだから、まあ葉介もがんばって」

「………おう」

 俺はよく分からないなりに一応返事する。幹也はそれだけで満足そうにうなずいて、更に続けた。

「ついでにもういっこ言っときたい」

「………いいけど」

「『第一に、忍耐と寛容をもってすれば、人間の敵意といえども溶解できるなどと、思ってはならない。第二に、報酬や援助を与えれば、敵対関係すらも好転させうると、思ってはいけない』」

 ……ますますなんだか分からない。俺はとうとう素直に聞いた。

「………なにそれ?」

「マキアヴェリの政略論」

「何だかおどろおどろしいな」

 俺は薄く笑ったが、幹也は笑わなかった。

「ここで重要なのは、じゃあ『敵を御するにはどうしたらいいのかな』ってことを考える際、怒りや敵意や暴力をぶつけることは、論外すぎてマキアヴェリも書いてすらいないっていう事実だと俺は思う」


「じゃあどうすればいいの?」

 きょとんとした顔の花奈が俺の代わりに聞く。幹也はちらっと隣に立つ妹の顔を見た。花奈と幹也の背は拳一つ分くらいしか違わない。

「花奈はどう思う?」

「……勢いと根性!」

「まあ、答えは人それぞれあるよね」

 幹也は花奈のどや顔と回答をまとめて無視したが、花奈はめげない。

「じゃあ私からもなんか良い言葉を」

「いやお前はいいよ」

 俺も幹也と同じく冷たく言った。アホの花奈が突然『子曰く…』なんてやり始めたらこのシュツルクに隕石が降り注ぐだろう。

 しかし、やっぱり花奈はめげない。俺が聞いてるのか聞いてないのかも確認しないうちから、勝手に叫ぶ。

「私は、私の弟は、出来る子だと思っている!」

「誰が弟だ」

 俺のつっこみも何のそのだ。花奈は寝ているナルドに遠慮しつつ、小声で、しかし力強く言った。

「葉介は、追いつめられてからパワーを発揮するタイプだと思います!」

「そりゃどうも」

「葉介は、出来る子です!!」

「………ああ、そう」

「ファイト葉介!」

「うん…」

「大好きだよ葉介!」

「いや、もういいよ……」

 そう返事するのが精一杯だった。何が言いたいのか一から十まで分からないが、アホの花奈なりに、一応、俺を励まそうとしているということだけは分かる。


「たとえば君が傷ついて! くじけそうになったときは!」

「いやもう十分でしょ」

 まだ何か言おうとしている花奈を押しとどめ、幹也はもう一度繰り返した。

「そういうことだから、頑張れ」

「………おう」

「じゃ、私たち行ってくるから。ナルド、お大事にね」




 そういう風にやりながら、花奈と幹也はぐだぐだとテントを出ていった。

 ぐだぐだと締まり無く出ていったものだから、そのまま二人が俺の原付に乗って駐屯地を出ていったと発覚したのは、俺と二人が別れてから、四時間も後のことだった。






体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましである…『マタイによる福音書(05:29-30)』が出典ですが、姦淫を戒める意味合いで使われた言葉(もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである。)なので、よくわかんないことになっています。つまり幹也は、聖書とはまったく正反対の意味でこの言葉を使っています。



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