The 2nd Attack!! 7
グラナアーデの孔明ことクラージュがテントを出て行って、私もそれを追っかけるように食堂を目指す事にした。さっさと行かないと昼休憩が終わる。終わってしまった後だと、確かにクラージュの言う通り、握手して回るのが面倒になる。
……と、その前に、どうしてもの片付けものだけすませておく事にした。はっきり言って今のテントの中は、葉介が竜に乗った後疲れて帰ってきても、ベッドに倒れ込む事すら許されない惨状だ。
まずは、よっこいしょ、とずるずるよろよろとお米のでっかい袋を元通りの部屋の隅まで引きずって行って、私はきちんと封をし直す。ベッドの下を確認するのに邪魔だったから、部屋の中央まで持ってきていたのだ。
うちは幹也も葉介も大食らいだしお客さんも頻繁に来るから、ちょっと珍しい二十キロ入りの袋をどかんと一気に買うんだけど、こうやって運ぼうとするとかなり大変だ。うかつに持ち上げようとしようもんなら、腰でも痛めそうな程重い。
「…………?」
……その時ふとなんとなく、違和感が私の脳をよぎる。しかし、何がおかしいのかいまいちよく分からない。
「…………」
何か忘れてたかな。さっき何考えてたかな。私は三秒だけ頭を捻ってみたものの、しかし何と言っても深く考えないのが私の良いところだ。葉介あたりだったらかんしゃくを起こしかねないような違和感も軽く流して、私はすぐ片付けに戻った。テントの入り口からベッドまでの道を作っただけだけど。つまり、ベッドの上に広がっていた葉介の服を全部いっしょくたに山にして、床の本や釣り具や洗面器なんかを何も考えずに積み上げてどかしただけ。でもまあこれだけやっとけば、とりあえず生活は出来るし、葉介が気になるならナルドがていねいに片付けてくれる事だろう。いや葉介が気にならなくてもナルドは片付けるだろう。自主的に。むしろ嬉々として。
未来の義妹に感謝して、私はテントを飛び出した。そして、早速目の前を通りがかった二人連れの兵士に駆け寄っていく。
「すいませんっ 握手してくださいっ」
「……は?」
行きずりの人に握手を求めるのはちょっぴり勇気がいったけど、ここで怯んだ姿を見せでもしたら、相手は絶対に握手なんかしてくれない。
「握手! シェイクハンド! よろしく!」
更にずいっと一歩踏み込むと、お兄さんとおっさんの狭間って感じの兵士その一は、気圧されたように右手を差し出した。ふふふ、勝った。
私はその手を両手でぎゅっぎゅっと握った。確かに、右手の薬指、小指の下には剣だこがあるのが確認出来る。では左はどうだろう。兵士その一のだらんと下ろされた左手も、無理やり奪い取るようにしてぎゅっぎゅっと握る。
念のため手の平を揉みしだくようにもしてみたけど、やっぱり怪しいタコは無い。
「隣のお兄さんもよろしくどうぞ!!」
「え? え!?」
私はその一の手を放り出して、その二の方の手も確かめた。その二は一歩後じさって私を避けようとしたけど、無理やり手を取って思う存分手の平をこする。やっぱり無い。二人ともシロだ。
「な…なんだ? どうかしたのか?」
「いや、何でもない! ありがと!」
呆気にとられた風の二人を放って、私はスキップするみたいに駆け出した。
「午後も頑張れ!」
しかしふと振り返って、大きく手を振ると、二人も戸惑いがちに手を振り返す。
よし、まずは二人だ!残り二千九百九十八人!!
私は食堂のテーブルを挟んで向かいに座った兵士の左手の平をしげしげと眺めた。
「ああ…こりゃダメだ」
「ああ!? 何がダメだって!?」
「結婚線無いよ。見事に無いよ。つるつるぴかぴかだよ」
結婚線も問題の剣だこも無い。生命線がそこそこ太くてしっかりしているところしか褒め所が無い手相だ。
「結婚線!? 無いってどういう事だ!?」
向かいの兵士その三は青ざめたけど、私もそうそう、なぐさめの言葉が上手く見つかるもんじゃない。
「……まあ…なんつーのかな……ご愁傷様というか男で探せというか……」
「…おとっ……おい、嘘だろ…!!!」
「あの…逆にさ、プレイボーイも無いらしいから気にしない方が良いよ。でも性病には気をつけてね…」
「結局どういう意味なんだよ! はっきり言えよ! 慰めるのか落とすのかどっちかにしやがれよ!!」
「はい次の方ー」
「おおいいいい!?」
これで残り二千八百三十四人。いや、四十四人だったかな。今のところ、左手に剣だこのある兵士には会えていない。
クラージュに言われた通り、最初は食堂でかたっぱしから握手して回っていたのだけど、これまたクラージュの危惧通り、確かにただ握手するだけでは、一応握らせてはくれるものの、不思議そうな眼差しがかわしきれない。
ので、またまたクラージュに言われた通り、手相を見ていますという設定にしたら、これがいやにウケた。その結果が、今のこの大賑わいである。大の男が占い大好きとか。あんたらは女子高生か。
でも本当に、クラージュの言うとおりにして良かった。この方法なら全然イケる。占い大好きのおっさん達は喜んで手を確かめさせてくれる。
『あの葉介の妹、見かけによらず毒舌だな! …ひでえな!』
『女の子に手ぇ握って貰えると思って行くとひどい目に遭うぞ…!!』
『やっぱあの噂は本当みたいだな…あのSっぷり!』
遠くの方でなにやらごちゃごちゃひそひそ言ってる人も多いけど、まあ、私も手相の事は生命線、頭脳戦、感情線、ついでに結婚線と運命線、ぎりぎり財運線くらいしか読めないからお互い様だ。
「俺は多分あるぞ結婚線とやらが!」
私は新しくにょきっと差し出された左手を取ったが、目を落とすまでもなく悲鳴を上げた。
「ちょっとおじさん、読めないよ! 手の平がさがさじゃん! クリーム使いなよ!!」
「俺はまだおじさんじゃない! ……って、クリーム? そんな女子供が塗るようなもの……」
「メンソレータムディスってんのか! 後でうちのテントに来い! ハンドクリーム塗ってあげるから!!」
「ハンドクリ……って、ちょっ、塗ってくれるの!?」
「結婚線云々は皮が復活してから出直して来い! マメのある無しすら確認出来んわ!!」
マメは確認出来なかったけど、握った手はあんなにガサガサじゃなかった。却下だ。
『女の子に塗って貰えるのかハンドクリーム!』
『あいつやりやがった…』
『飴とムチだ……』
もう済んだ人たちが、まだごちゃごちゃとやかましい。
一人三十秒くらいしかかけてないとはいえ、このペースだと三千人はけっこう大変だ。今日一日で終わりそうもない。一日五百人を目標にするか。
私は疲れた手をぷらぷらさせて声を張り上げた。
「さあ次こーい!!」
「盛り上がっているところ申し訳ありませんが、次の前に空いたお皿を下げさせてくださいね」
かかった声は、優しい感じのテノールだった。どっかで聞いた声だ。
きょろきょろ周りを見回すと、頭にターバンを巻いて髪をぎっちりしまいこんだ若い男の人が、人だかりの向こうからこっちを覗き込んでいた。
柔和な雰囲気を醸し出した、アルカイックスマイルのお兄さんで、額に緑色の宝石が一つくっついている。確かさっき、チャーハン作ってる時に葉介の事を教えてくれた人だ。
皆がぎゃあぎゃあ騒いでいる中、彼は一人で黙々とテーブルの上の物を片付けていたらしい。周りを見渡すと、私が食堂に入ってきた頃に食べていた人たちはもうほとんど全員食べ終わっていて、私の周りに集まっている。今席に着いているのは後から入ってきて今から昼食、の人たちばかりだ。皆、食べ終わるやいなや私の周りに集まってきているから、席が汚れたまんまなかなか空かないんだろう。
「ええと、さっきの……」
ハゲ疑惑の。とは言わなかった。私も一応、空気らしきものを読むのだ。ターバンのお兄さんはまたアルカイックスマイルを浮かべた。
「アジュといいます。よろしく、花奈さん」
「よろしく、アジュ。ごめんね、邪魔しちゃって」
「いいえ。皆楽しんでいるんですから。お気になさらずに」
アジュと名乗ったターバンの人は、軽く私に返事をしながら左手を伸ばし、私の目の前の大皿を取ろうとする。
「……うわっ! ちょっと待ったぁ!!」
「え?」
私が突然大声を上げたので、アジュはびっくりして左手を引っ込める。
「や…ごめん、いきなり大声出して。ちょっとさ、アジュの左手見せて」
「え…手相ですか?」
アジュは戸惑いを隠さなかった。無理もない。ちょっと唐突過ぎただろうか。でも、私にはちらっと見えたのだ。伸ばしたアジュの左手の薬指のあたりに、剣だこらしきものが。
「人助けだと思って、一つ! 時間はとらないから、お願い、アジュ!!」
ぱん! と両手を合わせてアジュを拝んだ。今までの人はこういう風にちょっと頼めばすぐ見せてくれたけど、何故かアジュはためらう。
「いえ、その…勤務中ですから」
「時間とらないって言ってるじゃん! 何かダメな理由でもあんの?」
「…いえ、そういうわけでは……」
そういうわけでは、と言いつつアジュはまだ見せてくれない。しかし、私も百六十四…いや、六十五? そのくらい見続けてやっと出会えた容疑者候補だ。引き下がれなかった。
「じゃあ、良いじゃん! それとも秘密で魔球を開発してて手がマメだらけで見せらんないとか?」
「私は投手じゃなくてライパチの方が得意ですね」
私はぐいぐい押したけど、アジュは柳のようにボケ被せて逃げる。プロならまだしも草野球でライトで八番って言うと、そりゃ得意とは言わないんじゃないだろうか。しかも今時ライパチなんて、死語にも程がある。この言葉を知ってるのは、多分私といい年したおっさんくらいだ。
『ライパチ?』『ライパチってなんだ?』という周りのざわめきを、恥ずかしげな咳払いで誤魔化してからアジュはやっと観念したように白状した。
「恋人が待っているんですよ。その人はとてもやきもちやきなので、私が他の女性の手に触れたと知ったらきっと怒るだろうなあと思いまして」
「……何だのろけか……」
虚脱感と戦いながら私は無理やりアジュの左手をとって、彼の手の平を確認した。そして内心、おおっと歓声を上げる。
やっぱり、あった。薬指と小指の下にうっすら、剣だこがある。
でも角質化はしていなくて、ふにゃっと頼りない、小さなたこだ。私が捜しているあの手のものとは何だか違う気がする。
剣だこをよく確かめようと目を凝らしたけど、私は確たる証拠よりももっと興味深いものをアジュの手に発見した。
「……生命線なっっ…が…!!」
アジュの生命線は長かった。どのくらい長いかというと、上と下の先端がくっついちゃってるくらいだ。
全体的に薄くはあるけど、親指の脇から手首へ、更に裏に回って手の甲へ行って、生命線の先と先がぺったり繋がっている。なんだこれ。永久に生きるって事か!?
あんまり珍しいのでついつい手の平をごしごしこすると、アジュの手はぴくっと震えた。かなり嫌そうだ。仕方なく私は手を離してあげた。よっぽどその彼女の事が好きなんだろう。
しかし、アジュは剣だこがあっても容疑者から除外していいことが分かっただけ大収穫だ。ちょっと手相を見るだけの事でも拒否反応が出るような人なのに、得体の知れない手を優しく撫でるなんて芸当をするはずがない。
私はもうアジュが気の毒になっちゃって、彼の左手を放り出し、さらっと見立てを言った。
「アジュは細く長く大変な長生きするでしょう。良かったね、それが一番だよ」
「……それが一番……でしょうか」
「一番に決まってんじゃん! そのラブラブの彼女と一緒に縁側で猫でも撫でて白髪を数え合いなよね」
「…ああ…そうですね。その通りです。…ありがとうございます」
アジュは静かに笑い、今度こそお皿を持って行ってしまった。私はその後ろ姿を十秒くらい見送る。
「…………」
去り際の一瞬の表情は読みづらかったけど、あれはどうも、苦笑したように見えた。
……まさか、白髪って言ったのがまずかったんだろうか。本当にターバンの下はハゲ頭で、白髪もクソもない惨状なんだろうか。
同情してしまった私の眼差しを避けるように、アジュはそそくさと洗い場へ引っ込む。
…まずい、あれは図星っぽい反応だ。悪い事をした。しかし、頭がハゲでもあれだけ整った顔をしていれば、彼女も多分髪の事なんか気にしないと思うんだけど……。
思わず考え込んでしまった私に、またしても遠くから声がかかった。
「あれ? そこにいるの、お前じゃん」
「……………」
お前じゃんって言われても、お前は誰よ。
私は突っ込んでやろうと思ってきょろきょろした。声の主はすぐに見つかる。黒山(…とはいえない、こっちの人の髪の色は色とりどりだから)の人だかりの向こうに立っていても、それでも周りより一回りも上の位置に首を乗っけているからだ。
ミュゼだ。
ライパチ…野球用語で、「ライトで八番」を意味します。プロならまだしも、草野球では大変暇で出番の無いポジションで、確かのび太くんもライトで八番ばっかり守っていたように思います。