The 1st Attack!! 9
「また、戦いが始まるかも知れません」
クラージュの言葉に、やっと終わらせたはずの戦争の残り香を感じ取り、葉介達の間には重苦しい沈黙が落ちた。
「……そうか。そういう事なら、しょーがないな。……じゃあ、危ないよな。花奈を迎えに行ってやらなきゃ」
その沈黙を割るように、ふうと葉介はため息をついて、埃塗れの髪をがりがり掻いた。クラージュは気遣わしげに少し眉をしかめる。
「…もうすこし、一人にしてあげたいものですが。そうもいかないでしょうね」
クラージュはついさっき、花奈に思い切り手を振り払われたばかりだ。しかし、葉介は軽く口元を緩ませた。
「良いんだよ。あいつ意地っ張りだし、どうせ一人じゃ戻って来れないからさ。花奈、俺が迎えに来るの絶対待ってるはずだ」
「とにかく、手分けして探しません? 俺が見つけても、葉介妹、ついてこねーかもしれないけど」
ミュゼがかたをすくめると、今度は葉介は、わずかに眉をひそめた。
「俺以外の奴が見つけると面倒だな。花奈に説得されちまうかも」
そんな密談がなされた事は知るよしもなかった私はと言うと、ちょうどトマト農家に思いを馳せていた。後悔するのにもしょんぼりするのにも飽きていたのだ。私の集中力の無さはごくまれに役に立つ。なんでトマト農家について考えていたのかというと、この時私は、葉介の今後を憂いていたのである。
最近珍重されるトマトで、小振りだけれど甘くて実が引き締まってるフルーツトマトっていうものがある。別にそういう品種がある訳じゃない。栽培法が特殊なだけの普通のトマトなのだけど、その栽培法っていうのがもう、本当にもう、変態的なのだ。
詳しくはノウハウの問題だからよく知らないけど、とにかくそのトマトは雨も風も当たらない温室で、手を尽くし、いとおしまれ、一滴の水も与えられず、惨いほどいじめ抜かれるって事だけは知っている。トマトという植物は、過酷な環境に置かれるほど、実は甘く引き締まり珍重される。しかしその価値も、人間から見ての話だ。トマトにしたらたまったものじゃない。葉も茎もしおれて、からからに乾いた地面にうなだれて、這々の体で実を付けさせられるんだから。
まあこんなところでトマトについて語ってもしょうがないけど(トマトを育てるにはまあまあ良さそうな場所だけど、ここは)問題は、クラージュ達がトマトにも家族があるって事を今まで深く考えてなかったんじゃないか、って事だ。
葉介本人が気にしてないのにつけ込んで自分の国の復興支援を恥ずかしげもなく任せちゃってるし、私達家族を過去の物にしちゃってる感じがひしひしとする。
『熱情』だかなんだか知らないけど、あんな過酷な訓練を課せられて、更には戦場まで連れ回して、何様のつもりだ。葉介の事を生かさず殺さずの危ない目に遭わせて、それでたくさんのルビーを手に入れようって言うんなら絶対許せない。
何よりも、まだ十七才の男の子の退路を断って自分達の都合の良いように使っているって、どう考えてもフォローのしようがない、悪い奴らだ。葉介がどう考えていようと、ミュゼみたいに『帰すわけにはいかない』って宣言するのは絶対におかしい。
私は葉介の事が好きだ。幹也と自分自身、それと同じくらい好きだ。それはつまり、誰よりも大好きだっていう意味。
だから葉介が決心した事なら、結局私はそれに逆らえない。きっと葉介のしたいようになるのだろう。
でもせめて、クラージュがさっきちらっと言っていたけど『葉介が帰りたい時には帰してあげる』って事と、葉介の身の安全をきちんと確約してもらわなくちゃ困る。絶対困る。
だってこれじゃ葉介、まるっきり家畜だ。
私はまた一周してふつふつと湧き上がってきた怒りに任せて、胸の中で死ね、以外の罵り言葉を山ほど並べ立てながら、私は荒野をぎっと睨んだ。石材が採れるなんて言ったら、多分耕作にも向いてない土地柄なんだろう。見晴らしが良くて、壊して困るような物も少なくて、地盤もしっかりしてて、まさに戦争やるにはもってこいって感じの場所だ。
葉介を苦しめるために選ばれたこんな土地なんか、緑で埋まれ。水に溢れろ。小鳥は鳴いて、子ヤギが跳ねろ。
私は葉介が迎えに来てくれるのを待ちながら、さっき穴を掘るのに使った棒で、地面に絵を描き始めた。
……もし、葉介がこの土地に残るなら。私は、これからの事を考えた。
その時はぜひともこのへんを辺り一面牧草地にしたい。そしてヤギや羊をいっぱい飼おう。で、その糞をクラージュに踏ます。
もし、葉介がこの世界に残るなら。
怨念をこめてうんこを踏むクラージュと、ヤギと、高笑いする私の絵を地面に描いていると、なんだかちょっとずつ気が晴れてくる。そうだ、やっぱり気晴らしは必要だ。あんまりごちゃごちゃ悩みすぎるのはよくない。
良い気分になってきた勢いで、鼻歌を歌い出すと、ふと突然、私の背中に呼び声がかかった。
「……何をしている?」
「わあっ!!」
振り返らなくても誰が私の後ろにいるのか分かる。さっきのあの、黒いタトゥーで、重低音で、明らかにかたぎでない、ラスボスオーラ出しまくりで、司令官の、ジュノ・なんとか・なんとかーるだ。わあ、上の名前覚えてた。私的にはこれはかなりすごい事だ。
……なんて言ってる場合じゃない。私は慌てて両手の平で地面の落書きを消した。
わーかっこつかない。あんなにシリアスな感じでクラージュを振り払って来たのに。
私は、自分に集中力がない事を心から残念に思った。ともかく、この世界に「まきぐそ」が伝わっていない事を祈ろう。今描いた絵の事をクラージュに知られたら、なんだかとっても怖い事になる気がする。
ヤギが一匹消えずに残っていたけど、丹念に消してる暇はないので私は適当なところで振り返った。妙に近いところにジュノは立っていたので、しゃがんだまま見上げると首が痛い。
「どうして、ジュノがここに?」
「…お前こそ、何をしていた?」
「ジュノがなんで、ここに?」
「……………」
ごりおしだったけど、ジュノは黙った。もう一回『答えろ』って威圧されていたら、おしっこ漏らして全部白状していたかもしれない。
「…………」
ジュノは、どうしても上目遣いになってしまう私の表情をどう読んだのか、眉間の皺を僅かに深くした。そして両腕を組む。
「………先ほど、ベル・ラグランジュと決闘したらしいな。葉介を帰せと」
「…まあね」
私はしぶしぶ頷いた。
「そして今、お前は駐屯地を離れ、個人行動して憚らない。いずれも軍規を乱す行いだ。お前自身は違っても、葉介は既に軍属の者としてここにある。兄の立場を悪しくするのは、お前とても不本意だろう?」
兄じゃなくて弟…なんて、言える雰囲気じゃなかった。私は一歩後じさりそうになるのを懸命にこらえる。
後じさりそうになったのは、怖いからだ。クラージュに対して感じる得体の知れない怖さとは違う。もっと直接的な、威圧感というか、息苦しさというか、そういう怖さだ。
後じさるのを我慢したのは、私が葉介のお姉ちゃんだからだ。弟を誘拐した犯人に対して一歩でも退いたら、私はこれからきっと後悔する。テロには屈しちゃいけないっていうのは、よく聞く話だし。
ただ、私は、テロに屈するつもりはなくっても、弟の主張を聞き入れる事は出来る。
「……軍規を乱す人間は、ここには置いておけない?」
私は出来る限り落ち着いて答えた。いや、実際は『落ち着いて見えるように』答えた。実際は必死だ。私よりずっと歳も背も上の、人の上に立ち慣れていそうな男の人に立ち向かうために。
拳を作って踏ん張っている私を見下ろして、ジュノは少し眉を上げた。意外だ、という意味らしいけど、やっぱり何だか、威圧感がある。
「…………先ほどとは、随分気が変わったようだな」
先ほどっていうのは、多分あの会議室で向かい合った時、『葉介を帰せ』って怒鳴った事を言っているんだろう。あの時は、葉介の気持ちも知らないで随分偉そうな事を言ってしまった。私は血が上った頬を砂で汚れた手で押さえた。
拗ねて、叫んで、怒り終わった時からもう、私の心は決まっていた。
この国を、早く平和にしよう。葉介が心おきなく、私達の家に帰れるように。
私は立ち上がって、何故か三十センチの近さに迫って立っているジュノを見上げた。立ち上がっても視線を合わせようとすると首が痛いのは相変わらずだ。
「……ジュノ。お願いがあるんだけど…」
ジュノが私の言うのを遮って首を振る。
「葉介恋しさにここに残る…と言いたいのならやめておけ。………後悔するぞ」
「…なんで?」
言う前から否定されて、私は唇をとがらせた。考えを読まれた事よりも、有無を言わさず却下された事の方がかちんときている。
私の気持ちを値踏みされたのが嫌だった。葉介のためだと思って決めた事で、後悔なんて絶対にしない。私が葉介の事がどのくらい好きなのかも知らないくせに、いい加減な事を言わないでほしい。
私はまじまじとジュノの顔を見上げた。ジュノは腕を組んだまま、微動だにしない。
そもそもジュノはあの、ベルと葉介の稽古の様子も、私とクラージュが喧嘩になったところも見ていないはずだ。なのにどうして私の居場所を知っているんだろう。ここに来る前に葉介達と合流したんだろうか。だとしたらどうして、葉介本人が私を迎えに来てくれないんだろう。
私はあんまり考えるのが得意ではない。だから、ストレートに本人に聞いた。
ジュノは長衣と暗い色の髪を風になびかせながら、静かに答えた。
「お前達のいた『日本』よりゲルダガンディアは…特にこのシュツルクは、過酷な環境にある。葉介はともかくお前では保たないだろう。体力も精神力も、ここでは砂と風とが削り取る」
「…! 葉介はともかくって、何それ!!」
私が保たないなら、葉介だってしんどいはずだ。私が日本に帰った方が良いのなら、葉介だって日本に帰った方がずっと本人のためになるはずだ。
思わず食ってかかった私を、ジュノはいなしもせずにいる。ただ立ったままでいて、続ける。
「葉介は男だ。体力がある。お前は女で、見たところ葉介ほどの胆力も無い。それにお前には決定的なものが欠けている」
「決定的なもの?」
「庇護者だ。葉介にとってのナルドリンガ。従者という名の、絶対的庇護者」
「絶対的…庇護者? 葉介を、ナルドが守ってるってこと?」
ジュノは頷いた。
ただの護衛って意味じゃなさそうだ。どういう事だろう。あんなに可愛い女の子が、絶対的に葉介を守っている? 支えとして?
「なんだかよく分からないけど、いらないよそんなの!」
「いや、必要だ。この世界で生きるという事は…今まで持っていた総てを失うという事は、異世界人にとって耐え難い苦痛だ。従者を保たない『鉱の姫』は数多いるが、その多くが心を病んでいる。異世界人は、絶対的な味方を必要とするのだ。己を捨てても葉介を助ける、ナルドリンガのような絶対的庇護者の存在を。葉介にはそれがある。お前には無い」
『鉱の姫』。一体何のことだか分からないけど、とりあえず聞き流した。今何よりも重要なのは『耐え難い苦痛』。これだけだ。耐え難い苦痛。葉介にそんなものが降り掛かっているっていうのか?
「―――例えば」
私が何とか言ってやろうと思ってもう一回口を開くと、それを押しとどめるようにジュノは話し出した。
「例えばこの荒野の中央でお前と葉介が遭難したとする。水も食料も無い。お互いが飢え、渇き、意識朦朧としている。そんな時、たった一滴、夜露を枯れた葉の先に見つけたとしたらお前はどうする?」
一滴の夜露。―――たった一滴?
「………」
一滴なら、分け合う事は出来ない。それにたった一滴口にしたところで、苦しみが癒えるわけでもない。でも葉介は苦しんでいて、私も苦しんでいる。たった一滴。私が飲むか、葉介にあげるか。私は答えに窮した。
するとジュノは冷たく言い放つ。
「即答出来ないのなら、お前は葉介の絶対的庇護者にはなりえない」
「……だって、一滴じゃ…」
「ナルドリンガならば苦しみの片鱗すら表面にはせず、すぐに葉介に分け与える事が出来る。それが『紅玉鉱脈の九十八番目の従者』という名のついた、我々とは別種の生き物の本質だからだ。いや、苦しみすらしないかもしれない。葉介にその一滴を与える事が、ナルドリンガの生きる意味であり、価値であり、活力になるからだ。葉介はそれを知っているから、何の気兼ねもなくその一滴を口に出来る」
「………………」
絶句する私に、ジュノは初めて哀れむような目を私に向けた。
「恥じる事はない。重ねて言うが、それが『鉱の姫の従者』であり『ナルドリンガ』なのだ。だが、その存在が異世界人のよるべとなる。葉介にはナルドリンガがあり、お前にはそれがない。他の何かで替えが効くようなものでもない。
たとえばベルは葉介の護衛だから、その一滴の水を葉介に与えるだろう。軍人の任務とはそういうものだからだ。ベルでなくてミュゼでもクラージュでも、俺でもそうする。
だが、葉介は必ず気付く。俺達の苦しみと、葉介に対し負う俺達の義務に気付き、葉介も苦しむ。それでは意味がない。
お前でも同様だ。お前がその水を口にしては葉介は渇いたままだし、葉介が口にしてもお前が渇いたままでは葉介は苦しむ。葉介を苦しめずにいられるのは、ナルドリンガだけだ。ナルドリンガだけが、葉介を絶対的に庇護出来る」
ジュノが一体、何が言いたいのか分からなくなってきた。私にとって苦しすぎる話だからだ。私は苦しすぎると、心にシャッターが降りていって、もう何も聞こえなくなってしまう。私は必死で降りてくるシャッターを支えながら、ジュノの話を聞き続けた。
「異世界人にとって、このよるべなき世界でよるべとなるのはそういった絶対的な庇護者のみだ。
この者ならば、自分を絶対的に守る。この者ならば、絶対的に頼りに出来る。そういった存在が、よるべなき異世界人には必要なのだ。
葉介にはナルドリンガがある。お前にはない。葉介ではお前のよるべにはなりえないし、俺もお前の『それ』にはなってはやれない」
「………」
その時強く吹いた風で、一度ジュノは口を閉じた。その風が吹き止むのを待って、また話し出す。
「よるべなき世では、お前は苦しむ。お前が苦しめば、葉介も苦しむ。葉介を苦しめるな。お前の居場所はここにはない」
「……居場所なんか」
私は言った。
「居場所なんか無くて良い。私が苦しい時葉介も苦しいなら、葉介が苦しい時私も苦しいって分かってよ。居場所なんか要らないよ。
ただ、私は葉介だけが要るの。絶対要るの。私達、三つ子なんだもん。ジュノは…あんた達は、身体の三分の一をもぎとられて生きていろって言ってるんだよ。
無理だよ、そんなの。苦しいよ。葉介がいない所で、葉介の事心配しながら生きていくなんて私には出来ない。私が苦しい思いして帰ったら、葉介だって苦しいんだよ。ねえ、お願いだから」
言いたいだけ言い終わると、私は手の平で一度だけ目をぎゅっと押さえた。押さえた後の掌を見下ろすと、案の定黒い跡が少し残った。ウォータープルーフのはずのマスカラだ。
「お願い。私と葉介を引き離さないで。私は、葉介を一人で大人にしたくないの。ここで葉介と一緒に歳をとってあげたい。それが半年でも一年でも、十年でも二十年でも。葉介がここで一人で大人になっちゃったら、本当に葉介、日本に帰れなくなっちゃうから。そんな事になったら、私生きていけないよ」
私の泣き言を聞いた後、ジュノはずっと黙っていた。私にとっては永遠にも等しい時間だったけど、実際には大して時間は経っていなかったんだろう。やがて、ジュノはぽつんと呟いた。
「…肉親の情とは、すさまじいな。」
その言葉を聞いた瞬間、一体何を意味しているのか分からなかった。ぽかんと開いた私の口を、それこそラスボス級の冷たい視線で閉じさせると、もう一度言った。
「………執着し合う相手がいるのは、良いことなのかもしれん」
言ってジュノは、私の額に爪の先で触れ、何か一言呟いた。その瞬間、かっと体中が熱くなって、ぎゃっと私は悲鳴を上げる。
「大声を出すな、見苦しい。……ただの印と、保険だ。お前がここで暮らすための」
「………」
あっけに取られていられたのも、一瞬の事だ。私は目をまん丸くして、ジュノに叫んだ。
「………え!? なにそれ! どういう事!? 私バカだから分かんないよ!? ここにいていいって事!? 駄目って言ったら葉介担いで逃げるけど!」
「二度は言わん」
言ったきり、ジュノは長衣の裾を翻して私に背を向けた。それと同時に、私に風が強く吹き付けて、私は乱れた髪を耳の所で押さえた。
……近すぎ、と感じたジュノと私の距離はもしかして、私を風から守るためだったんだろうか。昼過ぎてから傾きだした太陽は、草木の無い荒野の温度をダイレクトに下げ、風を強く吹かせたらしい。
ジュノは私には全くかまわないで、すたすた歩いていく。目に入った砂埃をまばたきして追い出しながら、私はふらふらジュノの後ろ姿を追いかけた。
ジュノは私をちらっと振り返って、冷たく言う。
「お前に情けをかけるのはこれが最後だ。惨い目にも遭うだろう。…覚悟しておくが良い」
「………ジュノって、ツンデレ?」
私が思わず呟くと、ツンデレって言葉を理解したわけでもないだろうに、ジュノは眉間に濃く皺を寄せて、歩く速度を速くした。