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5分で読める短編集

タダより高いものはない

作者: STELO
掲載日:2026/03/21

短編を愛する人へ!

5分で読めるホラーコメディーをどうぞ!

近所に新しい店ができた。


看板にはデカデカと、


「タダや!」


と書かれている。


……ん?


気にはなるが、怪しい。怪しすぎる。だが、「怪しい」と「無料」が並んだとき、人間の足はなぜか「無料」の方に向かう。これは本能だ。俺は悪くない。


近づくと、入口に貼り紙。


『全品無料! お支払いは"まごころ"で!』


意味がわからん。だが、嫌いじゃない。


店内を覗くと、人の気配がまるでない。照明だけが煌々と点いている。まるで誰かを待っているように。


――試しに入ってみて、ヤバそうなら出る。


そう心に決めて、足を踏み入れた。


「いらっしゃいませー!」


明るい声。だが、振り返っても誰もいない。天井のスピーカーが、録音された歓迎を繰り返しているだけだ。


……まあいい。


店内は意外にも品揃えが充実していた。日用品、食品、雑貨。どれもパッケージに小さく「SAMPLE」と印字されている。どうやら全て試供品らしい。なるほど、タダにはタダの理屈がある。少し安心した自分が悔しい。


カゴを手に取り、気づけば山盛りにしていた。タダの魔力は偉大だ。


レジらしき端末の前に立つと、画面にこう表示された。


『個数制限のため、会員登録をお願いします』


……出たな。


名前、住所、電話番号、メールアドレス、生年月日、職業、年収、趣味、好きな色、よく見るSNS、最近の悩み――


どこの国勢調査だ。


カゴいっぱいの戦利品を見下ろし、舌打ちしながらも指を動かした。タダには勝てない。人間の尊厳なんて、無料の前ではサンプル以下だ。


登録を終えると、画面が切り替わる。


『※本品はあくまでサンプルです。安全性の保証はございません。ご不安な場合は使用せずに廃棄してください。当店は"置き場"を提供しているに過ぎません』


………。


急に、全部がどうでもよくなった。


「もういいわ!」


俺は怒鳴った。カゴを端末の横に叩きつけ、踵を返す。


すると、どこからともなく声が降ってきた。


「キャンセルは――有料です」


…………は?


画面を見ると、こう書いてある。


『会員登録完了後のキャンセルには手数料が発生します』


背筋に冷たいものが走った。タダの店で、金を取られる。これが「タダより高い」の正体か。


震える手で、カゴの中から一番害のなさそうなゴムボールを一つだけ掴んだ。これだけ持って、さっさと出よう。


出口に向かう。自動ドアが見える。あと三歩、二歩――


――ビィィィィッ!!


ブザーが鳴り響いた。


体が凍る。足が止まる。万引きなんかしてない。タダだと言ったのはそっちだろう。なのに本能的に後ずさりしていた。気づけば店内に引き戻されている。


奥から足音。


ドスドスと重い足取りで、大柄な男が現れた。


「お客さん」


低い声。


「"まごころ"、いただくの忘れてましたわ」


男はゆっくりと――丁寧に――両手にゴム手袋をはめた。


パチン、と左手。


パチン、と右手。


ゴム手袋というのは不思議なもので、はめる人間が笑っていなければ、この世のどんな刃物より怖い。


「な、なんでもする……なんでもするからぁ……!」


情けない声が出た。自分の声だとは思いたくなかった。三十五年生きてきて、ゴムボール一つ握りしめて涙目になる日が来るとは思わなかった。


沈黙。


そして――ガシャン、と壁が開いた。


中から出てきたのは、一体のロボット。

胸の前に札を掲げている。


『ドッキリ!』


…………。


膝から崩れ落ちそうになったが、ロボットは続けた。札がくるりと裏返る。


『次の店員は、あなたです!』





こうして俺は、「タダや!」の新しい店員になった。


仕組みはこうだ。客が来る。無料に釣られ、登録させられ、ブザーに怯え、ゴム手袋に屈し、最後にドッキリで回収される。そして「次の店員」として、次の獲物を同じ恐怖で迎える。


永久機関だ。人件費ゼロ。まさに、タダ。


誰が始めたのかは知らない。前の店員も知らなかったし、その前の店員も知らなかったらしい。ただ仕組みだけが、粛々と回っている。


俺は今、奥の控室でゴム手袋のはめ方を練習している。


パチン。パチン。


入口のセンサーが反応した。新しい客だ。


画面には、さっきその客が登録したばかりの個人情報がずらりと並んでいる。名前、住所、年収、好きな色、最近の悩み――全部、タダで手に入った情報だ。


俺はニヤリと笑った。


――さあ、どうやってこいつを次の「店員」にしてやろうか。


どこかでスピーカーが鳴る。


「いらっしゃいませー!」




タダより高いものはない。

だが、人は何度でもタダに手を伸ばす。

そしてその手は、いつの間にかゴム手袋をはめている。

読んでくださって感謝です!

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